第46話:最期の戦い
俺の意識は岩壁に打ち付けられる波の音で覚醒した。体中が痛み、視界は歪み、今感じている感覚が本当に正しいものなのかも疑わしかった。
痛い……体中が……視界もぼやけてるし、音もくぐもって聞こえる。俺は……今どこに居るんだ? あのまま落ちてきたのか……?
何とか顔を上げて見ると、少し離れた場所に誰かが倒れていた。崩れ落ちた場所から考えるとトリスメギストスだと思われる。その体の上には瓦礫が重なっており、その影響で抜け出せなくなっている様だった。
「……っ」
俺は何とか腕を動かして近付こうとしたものの、その瞬間酷い痛みが走る。痛みがした左腕を見てみると、ぼやけた視界越しにもはっきりと、ありえない方向に曲がってしまっている左腕が見えた。右腕を見ると一応無事ではあったものの、骨折している所に負荷が掛かったためか、動かせなくなっていた。
もう腕は動かせないか……いや、生きてるだけでもマシかな……。皆は、皆はちゃんと逃げられただろうか……それだけが心配だ……俺が勝っても、皆が生きていてくれないと、意味が無い……。
俺は体を捩る様にして前へと進む。少しずつではあるが、目の前に居る人物の下へと近付いていった。そしてようやく近くに辿り着いた俺は顔を近付け、その顔を確認する。
「トリスメ……ギストス……」
「まだ、生きていたか……」
やはりその人物はトリスメギストスだった。体中が血塗れになっている状態にも関わらず、トリスメギストスはまだ生きている様だった。
「どう、した……私を、殺すのではないのか?」
「っ……っ……」
「体が上手く……動かんか……」
正直こいつの話が本当なら、俺がこいつを殺したところで何も解決はしないんだろうな。こいつの娘が復活すれば俺はきっと殺される。抵抗しようにも今の体じゃあ無理だろうな……。俺の能力が使えるかも分からないし……。
「ようやく、ようやく私の悲願が……達成されるのだ。何人も連れてきた甲斐があった……。異常な力を持った君……恐るべき幸運を持った少女……そして私の邪魔者を排除してくれる少女……力を与えれば都合良く動いてくれる少年……ふ、ふふふ……ようやくだ……」
今こいつが言ってたの……一人はヘルメスお姉ちゃんと行動を共にした事があるあいつの事なんだろうけど、他のは誰だ……? 他にも俺みたいに別世界から連れてきた人間が居るのか?
「待て……俺の他にも、居るのか……?」
「ああ……全て目的のためにな。幸運を持った少女、彼女は……今回の計画を実行する上で重要な存在、だ。彼女の幸運は周りにも伝染、する。そして、彼女はあの時、あの洞窟に来ていた。これも、想定通りだ……」
まさか、俺以外にも居たなんて……。その人は大丈夫なんだろうか……? いくら運がいいと言ってもこれだけの崩落があったら……。
「そして……もう一人の少女、彼女も重要だ。あれだけの意思の強さ……彼女は最高、だ。敵を用意すれば必ず倒してくれる……そして、あの肉体……強い意志を持ち続ける限り、決して倒れる事の無い体……あの子の体にするに、相応しい……!」
「何……? まさかお前……他の人間の体に乗っ取らせようとしてるのか……?」
「何が……おかしい? 自分の子供には、健康な体で居て欲しいもの、だろう?」
どこまで外道になれば気が済むんだこいつは……自分の子供のためって言っても、ここまでやれるものなのか……? そういえば、ここに来る前に俺の事を止めようとしていた人が居た。俺みたいな子供がやるべきじゃないみたいな事を言ってた気がするけど、まさかあの人か……? だとしたらあの人もここに来てる事になる。俺より先にここに……。
「どこまで、堕ちれば気が済むんだ……」
「私は、名を馳せた錬金術士だ……だが、それ以上に、ただの親でもあるのだ。親が子を思うのは当然の事だろう……?」
「それが、人を巻き込んで利用する事なのか……?」
「君は……正義ぶった事ばかり言うな。人はお互いに利用しあって生きている生き物だろう? その理に則って何が、悪いのだ」
駄目だ……こいつには何を言っても伝わらない……きっと誰が言っても無駄だろうな……。こいつは、生まれついての悪だ……自分が悪い事をやってるって自覚も無い……。
「お前は、許されちゃいけない……!」
「ふふ……その体でどうやって、私を殺すのだね……? 腕も動かない、立つ事も出来ない、そんな君が……」
「ああ……体は動かないさ……でも、出来る事はある」
俺は目を閉じるとトリスメギストスに意識を集中させ、自分の体中の痛みを全て移した。しかし、トリスメギストスはかなりの量の痛みを与えられたにも関わらず、全く動じる様子は無かった。
「無駄だ……最早私の体には感覚が無い……。君の力で私を殺す事は出来んぞ……」
嘘だろ……じゃあどうすればいいんだ……腕も使えない、立ち上がれない、能力も意味を成さない……これじゃあ勝てない……。
「私の勝ち、だな……どう転んでも、私の勝ちだ……。そろそろあの子があの少女を殺し、肉体を奪った頃だろう。そうすれば、後は君だけだ……。もしかすると、再びあの子に会えるかもしれないな……」
「そんな事、誰が……!」
俺はこのまま勝ち逃げされるのを防ぐためにトリスメギストスの体の上にもたれる様に体を動かすと、上体を起こす。
「お前には……償えない程の、罪がある!」
そのまま起こした状態から力を抜き、体が倒れ込む勢いを利用してトリスメギストスの頭部に頭突きを叩き込んだ。力の入っていない頭突きだったからか、ダメージは少なかった様だが、今の俺にはこれが精一杯だった。
「お前のせいで、色んな人が苦しんでるんだ……! お前のせいで、何人も死んでるんだ……!」
何度も何度も何度も何度も頭を打ち降ろし続けた。やがてトリスメギストスは鼻から血を流し始めていた。
「お前の思い通りにはさせない……!」
「ぐっ……ふ、ふふ……まだ足掻くのか。言ったろう……この時点で既に、私の勝ちが確定していると……」
そうかもしれない……もうどうやっても、俺は生きて帰れないのかもしれない。でも、少なくとも家族は守れた。それだけで俺にとっては合格点だ……。
「もう勝ち負けじゃない……純粋に俺の気が済まないんだ……!」
それから俺はいったい何度頭を振り下ろし続けただろうか。いつしか俺の顔はトリスメギストスの血と俺自身の血で真っ赤に染まっていた。何度も頭突きをしていたからか、目覚めた時よりも意識は朦朧としており、とうとう俺は体の自由が利かず、トリスメギストスの隣に倒れ込んでしまう。
もう……駄目だ……体が動かない……。こいつは、何とか倒せたかもしれない……でもこいつの子供は……もう俺じゃあ無理、だな……。ごめん皆……俺は、ここで終わりだ……短い人生だったけど、それでも楽しかった……皆と一緒に行った場所も、皆と一緒に食べた物も、皆の温もりも……全部、全部……俺の思い出だ……絶対に誰にも渡したくない……思い出だ……。
やがて俺は体全身の力が抜け、全ての感覚が無くなった。今までかろうじて見えていた目も、もう何も映らなくなっていた。音も完全に聞こえなくなり、最早周りに何があるのかも分からなくなってしまっていた。
ここまで、か……短い、本当に短い人生だったけど、大切な人に出会えた……そしてその人達を守る事が出来た……それだけで、充実した人生だった……唯一心残りなのは、最期に……皆の顔を見れなかったって事かな……。
そうして俺の意識は、やがて完全な闇の中へと消失していった。