第39話:地獄を見た女
リオンは狂気を孕んだ様な顔をしながら、こちらを見つめていた。向こうから動く気配は無く、こちらからの攻撃を待っている様だった。
「どうしたの? かかって来なさいよ」
このままここで膠着状態になっていても仕方が無い……早く倒さないとあの人に逃げられる可能性がある。とはいえ、今目の前に居るこの人は明らかに普通とは違う。今までに戦ってきた敵達とは違う気配がする。
俺は意識をリオンに重ね、目を瞑り、視界を奪った。
「っ……こう来たか……」
「ピール!」
俺が叫ぶと隣からピールが体を解れさせる音が聞こえ、リオンの体から服が擦れる様な音が聞こえる。
俺は目を瞑ったままリオンの方へ走り、気配を元に左手で殴りかかった。しかし、リオンはいとも簡単に回避し、俺を羽交い絞めにした。
「動きが単純過ぎるわね? まぁ一般人には効くかもだけど」
「離せ!」
「自分でどうにかしてみなさいよ? 私を倒せないとトリスメギストスも倒せないわよ?」
必死にもがいてはみたものの、とても女性とは思えない程の力で抑えられ、全くと言っていい程効果が無かった。
俺は左腕をリンクさせ、左側を解放させた後、リオンの腹部に肘打ちを打ち込んだ。しかし、リオンは全く怯む事無くその場で俺を掴んだまま回転し、放り投げた。それと同時にピールまで同じ様に投げられた。どうやらリオンの体に解れさせた腕を巻き付けていた様で、今の回転に巻き込まれた様だった。
「ピール……!」
「だ、大丈夫だよオーア兄……!」
「無駄よ。そんなんじゃ私は倒せない」
リオンは首を鳴らしながらこちらを見下ろしていた。
「まだ、分かりませんよ……」
「そうかしら? その怪我した右手を守りながら戦える訳? そっちの子も、私の体を押さえる事も出来なかったじゃない」
「まだですよ」
ピールがそう言うと共にリオンは足に巻き付けられていたピールの腕に引っ張られ、その場に転倒した。どうやら投げられた時に体から離し、足に付けていた様だ。
俺は急いで立ち上がり、走り寄ると躊躇してしまう前に顔を踏みつけ様とした。しかし、それも読まれていたのか、リオンは転がる様にして避けるとそのまま地面に手を付け、下半身を持ち上げる様にして停止した。その様はまるで何かのポーズか何かを決めている様であり、不思議な美しさがあった。
「やるじゃない。正直、ちょっと油断してたわ……」
「何の、真似ですか、それは……」
「……あなたはどう切り抜けるかしら?」
そう言うとリオンは両足を開き、そのまま体を回転させ始めた。その動きは俺の記憶にどこか覚えがある動きで、まるでダンスか何かの様な動きだった。
ピールは腕を足に巻き付けたままであったためかその回転に巻き込まれ、振り回され始めた。俺は何とかジャンプする事によって回転しているピールの腕を避ける事が出来たものの、再びピールの腕が迫っていた。
俺は足の感覚をリオンとリンクさせ、その場で踏ん張る。
「なるほどね……まあそうするわよね?」
リオンは地面に手を付くと、その場で逆立ちをする様な体勢になり、再び体を回転させ始めた。先程の回転は足の回転を使っていた様だったが、今度は腕を使った回転の様だった。
しかし、これは俺にとってはチャンスだった。足の位置が高くなった事によってよりピールの伸ばしている腕を回避しやすくなり、更に足の感覚をリンクさせる必要が無くなっていたのだ。
俺は体を屈めながらリンクさせる部分を腕へと変え、回転を弱めながら自由になった足でリオンの胸元を狙って蹴りを放った。
蹴りは見事に当たり、リオンはバランスを崩しながら倒れた。俺は急いで離れ、ピールの元へと走った。
ピールは振り回された影響で目を回しており、すぐには立ち上がれなくなっていた。腕は既にリオンの足から外しており、元の腕へと戻していた。
「大丈夫!?」
「う、うん……そ、それよりあの人を倒さないと……」
俺はピールの背中を擦りながらリオンの方を向く。
「いたた……やるじゃない。あなたならではね?」
「これで認めてもらえますか?」
リオンはゆっくりと立ち上がり、拳を鳴らす。
「いいえ、まだよ。今のは序の口。ここからよ」
俺は立ち上がり、こちらへと歩き始めたリオンと向かい合った。
はっきりとした事は分からないが、彼女が言っていた様に明らかに普通の人間ではない。足をリンクさせた時に起きたあの足の痛み……あれは今までに感じた事が無い感覚だった。まるで筋肉を無理に動かしている様な……存在していない筋肉や骨を動かしている様な……。
「来なさい」
「……はい!」
俺は走り出し、リオンに対して膝蹴りを放った。リオンはそれに対してカウンターを打つ様に体重の乗った前蹴りを放った。俺の体はその蹴りによって無様に地面に叩き付けられたが、俺にとっては都合のいい事だった。
俺はすぐに自分の体の痛覚とリオンの痛覚をリンクさせ、俺の体の痛みを移譲した。こういう状況に慣れているからか、リオンは俺程は痛みを感じていない様だったが、顔を歪め、一瞬怯んだ。
俺はすぐさま起き上がり、リオンに向けて体当たりを放った。そのまま地面に押し倒し、近くに落ちていたリオンが持っていた木の棒を掴むとリオンに跨り、顔に突きつけた。
「っ……!」
「これで……俺の勝ち、ですね……」
「……引き分けよ」
リオンの右手を見てみると、いつの間にか鋭い針の様な物を持っており、それを俺の脇腹に突きつけていた。
「……どうするんですか? 俺を……殺すんですか?」
「まさか、そんな訳ないでしょ。私の目的はあくまであんたを止める事なんだから」
そう言うとリオンは左手で軽く俺を押し退かした。
「まぁ約束は約束だからね……。いいわよ。もう止めない」
まさか諦めてくれるとは思ってもいなかった俺は、少し動揺してしまう。
「え、ほ、本当にいいんですか?」
「ええ。あんたが最初に言い出した事でしょ?」
「それは……そうですが……」
「あいつに怒られるかもだけど、ここはあんたの顔を立てて、私に勝ったって事にしといてあげるわよ」
リオンは立ち上がると、まだ具合が悪そうにしているピールへと近付き、手を差し伸べた。
「どういう……つもりですか?」
「もう戦うつもりは無いって事よ。これ以上は消耗戦になっちゃうし」
ピールは少し訝しげな顔をしながらも手をとり、立ち上がった。
俺はリオンに尋ねる。
「あの……あなたは、オーレリアさん達の知り合いなんですか?」
「そうね……まあ……オーレリアとは、ある意味家族、かもね?」
「というと……」
「まああんたが考えてる通りよ。私もオーレリアも、トリスメギストスに作られた。血の繋がりが無い家族みたいなもんね」
血の繋がりが無い家族……俺と父さん達の関係も似た様なものかもしれない……。
その時、倒れていた父さんが呻き声を上げ、上体を起こした。
「お目覚めみたいね。大したものよ。これだけ早く目が覚めるなんて」
「父さん!」
俺とピールは父さんに駆け寄り、膝を付く。
「大丈夫?」
「ん……オーア、ピール……そ、そういやあいつは!?」
「大丈夫だよ。もう戦うつもりは無いって」
父さんはリオンの方を睨みながら、立ち上がった。
「どういうつもりだ……?」
「今その子達が言ったでしょ? もう止めないわよ。好きにしなさい」
俺は父さんの肩を支えながら、さっきの話の続きを聞くべく、尋ねる。
「あの女の人は……誰なんですか? あの人もオートマタですか……?」
「あいつは……まあ色々と訳ありみたいね。元々は敵だったんだけど、なんやかんやあって今は仲間よ」
「どうしてあの人は俺達を止めようとしたんでしょうか? 目的は同じ筈ですよね?」
「……あいつは口や態度は悪いけど、結局はあんたと同じなのよ」
リオンはどこか寂しそうな目をしながら俺を見た。
「俺と……同じ?」
「ええ。悪い奴は許せないって奴。他人のために自分の命張ろうとする奴。細かい所は違っても、結局のところは甘ちゃんなのよ……」
じゃああの人は、俺達がこれ以上傷付いたりしない様にしてたって事か……? 俺達が死んだりしない様に……。
「私には分からないけどね……あいつやあんたの考えは……。自分が被害を受けたから復讐してやりたいってのは分かるけど、だからって何で他の奴を助けようとするのか……。自分だけのために動けばいいじゃない?」
父さんが口を開く。
「理屈じゃないのさ。お前みたいな奴には分からんかもしれないがな。困ってる奴が居たら助ける。当たり前の事だ。もし腹を空かせてる奴が居るなら、例え自分の分が少なくなったとしても分けてやる。それが当たり前の事だろう」
リオンはどこか寂しげな顔をしながら父さんの話を聞いていた。
「もし身寄りが無い子供が居たら家族にしてでも助ける。……子供が笑顔で過ごせない街なんてのは良くないだろう」
「……呆れた。どんな甘やかされた環境で育てばそんな意見が出るのかしらね? 世界はあんたが思っている以上に残酷よ」
リオンは懐から何かの小瓶を取り出すと、中に入っていた薬の様な物を呑み込んだ。
「……私は今まで色んな場所で戦ってきた。内戦を起こしてる国や強い奴だけが偉い国なんかをね。……戦争が何で起きるか分かる?」
ピールが答える。
「考え方の違い……ですか?」
「それは表面上の理由。実際は金持ち達が私腹を肥やすためよ。戦争で使われる兵器や兵士達の食料、どこかから補給されないといけないでしょ? 勝手に湧いて出たりはしない」
「そ、それは偶々そういう人が居るだけじゃ……」
「一人居る時点で同じよ。ゴキブリと同じ。一匹居たらその何倍も居るのよ。そしたらもう手遅れ。何も知らない人間は適当な理由で戦争をさせられて、弱者はただ虐げられて死んでいく……」
リオンさんの表情には悲しみの様なものが見られた。先程まで戦いを楽しんでいた姿からは想像も出来ない程のギャップだった。
「……あんた達は肉屋の店先に子供の肉がぶら下がってるのを見た事がある?」
「え……こ、子供……?」
「酷い国ならそういう所もあるのよ。弱者の尊厳なんて無い。生きるためには強くなくちゃいけない……そういう、世界もあるのよ……」
リオンさんは俯くと体を震わせ始めた。すると再びあの小瓶を出し、中に入っている物を呑み込んだ。
「ふぅ…………あいつ……あんた達が捜してる女なら、この街の海沿いにある洞窟に向かったわ。あそこの奥に、トリスメギストスが使ってた隠れ家がある……詳しい入り口までは知らないけど……」
「あ、ありがとうございます! すぐに向かいます!」
俺はすぐにその場所へ向かうため、一旦母さん達と合流しようと父さん達と一緒にその場から走り出した。すると、リオンが小さく俺の名前を呼んだ。
「オーア……」
「な、何ですか?」
「……世界中の人間があんた達みたいな人間だったら良かったのにね」
「……リオンさん。リオンさんが思ってる程、この世界は残酷じゃないですよ」
「…………そう……ね……」
俺はリオンさんの目元で光っているものには触れない様にしつつ、父さん達の後を追って走り出した。