第28話:最初で最後の再会
俺はお婆さんの後を歩きながら、周りの建物を見る。
何故だろうか……とても懐かしい気持ちになる。初めて来る場所の筈なのに。
それに、ここはどこなんだろうか? 明らかに普通の場所ではないよな。本に吸い込まれる様にして来たんだし。
「あの……ここは、どこなんですか?」
「ここは、私が造った場所ですよ」
俺は思わず身構える。
まさか、こいつ敵なのか……? 俺をここに引きずり込んで、殺すために……。
老婆は立ち止まり、どこか悲しげな目で俺を見る。
「安心してくださいな……何もしませんよ」
俺は彼女のそんな声と目を見て、構えを解く。
この人からは敵意みたいなものは感じない。
だが、何故俺をこの場所に連れてきたんだろうか?
この人の目的は何だ……?
「あなたは、何が目的なんですか?」
「……あなたは、ここに居てどんな感覚を覚えましたか?」
どんな感覚だと……? それは……。
「懐かしい、という感覚を……」
「ずっとここに居たいと感じましたか?」
何を言ってるんだ? ずっとここに居たいかだと?
確かにこの懐かしさは心地良いが、ずっと居たいかと言われると……。
「俺は……そうは思わない。家族の所に戻りたい」
「そう……あなたなら、そう言うでしょうね……」
俺の事を知ってるのか? この人はいったい誰なんだ……?
俺は老婆に尋ねる。
「誰なんですか、あなた? 俺の事知ってるんですか?」
「……知ってますとも。私は、あなたの祖母ですもの……」
その言葉を聞き、俺の体は硬直した。
何……祖母……? 父さん側の? それとも母さん側の? いや……それとも、まさか……。
「お、俺の……血の繋がった……?」
「ええ。ずっと、会いたかったですよ……」
予期せぬ出会いに俺の頭は混乱するばかりだった。
今まで、かつての俺の事を知ってる人は誰もいなかった。
なのに、俺の目の前にいるこの人は、俺の血の繋がった家族だという。にわかには信じられない。
「俺の事、向かいに来てくれたの……?」
「……それを望んではいないんでしょう?」
俺の考えは見透かされている様だった。
確かに血の繋がった家族と会えたのは嬉しい。
しかし、今の俺にはまた別の家族がいる。俺の事を受け入れてくれた家族が。
俺には、あの人達との思い出を捨てる事は出来そうもなかった。
「凄いね……お祖母ちゃんには、お見通しか……」
「孫の事ですもの。それ位は分かりますよ……」
凄いな……この人は。
だが、俺の考えが分かっているなら、何故ここに連れてきたんだろう?
「でも、分かってたなら、何でここに連れてきたの?」
「……少しだけ、賭けて見たかったんですよ。あなたが帰ってきてくれる方に……」
この言い方からすると、この人には俺を元居た場所に返す方法があるという事か?
「……ねぇ、もしかして、俺が元々どこに居た人間なのか知ってるの? 知ってるんだったら教えてよ! 俺は自分が誰なのか知りたいんだ!」
「あなたは元々、『日本』という所に住んでいたのよ」
『にほん』……何だろう、聞いた事がある様な感覚だ。俺はそこで生まれたのか?
「でも、もう覚えているのは私だけ……」
「え……? どういう意味……?」
「ある日あなたは急に姿を消したの。最初は家出かと思われてた。あなたの母親は探そうともしなかったけど、それでも私は血眼になって探し続けた」
消えた……? 誰かに誘拐されたって事だろうか?
それにしても、やっぱりあの夢は正しかったんだな……本当の母さんは、俺の事愛してくれてないんだ……。
「どんなに探しても見つからなかった。痕跡一つ無かった。でもね、私が最も恐ろしかったのは……」
お祖母ちゃんが黙り、静寂に包まれる。
俺は息を飲む。
「あなたを、忘れてしまいそうになった事だった……!」
彼女の目から涙が落ちる。
どういう意味だ……俺の事を探してくれてたのに、忘れそうになったって……。
「どういう、意味なの?」
「ある日を境に、あなたの名前を思い出せなくなってしまった……! 大切な家族なのに……存在そのものは覚えているのに……名前だけは思い出せなくなっていたの……!」
もしかして、俺が過去の記憶を持っていないのもそれと関係があるのか?
もしも関係があるとして、それをやった奴は何が目的なんだ? 俺を孤立させて、何をしようとしている?
「じゃあ……俺の本当の名前は、もう誰にも分からないんだね。俺自身にも」
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
「いいよ。お祖母ちゃんのせいじゃないよ。むしろ、それでも俺に会いに来てくれて嬉しいな」
俺はお祖母ちゃんを優しく抱き締める。
父さん達がやってくれた様に。俺を愛してくれた様に。
「でも、凄いね。本の中に引っ張り込んだのもお祖母ちゃんなんでしょ? 多分だけど、普通の人はこういうの出来ないよね?」
「……そうね。私もあなたと同じで、小さい頃から変わった力を持っていたから……」
やっぱり、普通の力じゃないんだな。俺の力も、ピール達が持っている力も。
「結局、俺は残る事を選んだけど、本当はどうやって連れて帰る気だったの?」
「ここには人の懐かしさを刺激する力があるの。ずっとここに居たいと思わせる様な力がね。もしもそう思ったら、ここに閉じ込められる」
「で、閉じ込めたらそのまま連れて帰るって寸法かな?」
「ええ。でも、あなたは自分で選んだ。だから、閉じ込める事は出来ない」
本当にそうなのかな。
多分だけど、この人がその気になれば、この場所を封鎖する事も出来ると思う。
だけど、この人は優しいから、俺の意思を尊重してくれたんじゃないだろうか。
「さぁ、そろそろここから出ましょう。あんまり長居すると、あなたの決意が揺らいでしまうかもしれない」
その言葉を聞き、俺は少し不安になる。
「もう……会えないの?」
「そう、ね。私も、もう長くはないから……もしかしたら、これが最後になるかもしれないわね……」
最後……俺にとっては、『最初』でもあったのに……。
だが、ここで揺らぐ訳にはいかない。俺にはやらなければならない事があるんだ。
今、出来たんだ……!
「そっか…………ありがとね。俺の事、覚えていてくれて。愛してくれていて」
「祖母が孫の事を大切に思うのは当然の事よ。……それじゃあ、元気でね。体には気をつけてね……」
彼女がそう言うと、突如周囲の家々が音を立てながら崩れ始めた。
いや、家だけではない。
空はまるで貼り付けた物だったかの様にポロポロと剥がれ落ち、大地はひび割れていった。
周囲の気温が一気に下がったのを感じた。
先程まで気付かなかったが、ここって暖かかったんだな……。
崩れ行く景色と同じ様に、俺の意識も崩れるようにバラバラになっていく。
最早、考えがまとまらない。
せめて、これだけは言わないと……。
「ありがとう。元気で……」
「っ!?」
ふと気が付くと、俺はいつもの自室に居た。
開いていた本はあの時のままのページで置いてあり、俺が吸い込まれた時から何も変わっていない様に見えた。
俺は椅子の背もたれにもたれ掛かる。
まるで、夢の様だった。
だが、前に見たあの夢とは違う。暖かくて優しいものだった。
俺は日記を開く。
大事な事だ。書いておこう。
お祖母ちゃんの事を覚えている限り、沢山書こう。
そして、俺が成すべき事も。
俺達を引き離そうとした黒幕を倒す。俺の当面の目標。
……こんなもんかな。
俺は蝋燭に灯った火を消し、ベッドに戻る。
朝から、本格的に調査開始だ。
決意を胸に、俺は体を休める事にした。