波の音
昔の恋人にばったり出くわした。先に気付いたのは向こうの方だった。駅前の、人通りの多い雑踏の中で、よく気付いたものだと変に感心した。
「歩き方で、一目でわかった」と言われて、自分がそんなに特徴的な歩き方をしているのかと気になった。
「違うよ」と彼女は笑った。「そういうんじゃなくて、わかるの」
会わなくなってから、少なからぬ時間が経って、お互いにそれと同じだけの変化があった。背広姿がおかしいと笑われ、きちんと化粧したのが不思議だと笑った。時間があるということだったので、お茶でも飲みながら少し話すことにした。お互いの近況についてや、昔の仲間が今何をしているのか。ひとしきり話して、気付けば話題は昔の思い出話に。他愛ないことばかりで、客観的にみればちっとも面白くないようなことだらけに違いないのに、する話する話笑ってしまう。
「みんなで海に行った時のこと、覚えてる?」
「ああ、浜辺で花火をして警官に怒られた」
「私たちだけ逃げたのよ」
「そうだった」
衝動的に、夜中に集まって、仲間の中で唯一車を持っていた奴の運転で海へ行った。夏にはまだちょっとあって、夜の風が少し肌寒かった。途中のコンビニに、早くも花火が売っていて、大量に買い込んだ。波の音がして、海だとわかった。
「あの時、二人きりになった時、言ったこと覚えてる?」
「覚えてる」
「あれを知ってるのは、世界中で私たち二人だけね」
連絡先は交換しないことにした。また会うことがあったとしても、偶然が良かった。どちらから言い出したわけでもなかった。昔からそういうことはよくあった。どちらが言い出すでもなく、何かしらの結論が出た。
「ねえ」
「ん?」
「私たちって、なんで別れたんだっけ?」
「忘れたよ」
彼女の後ろ姿が、雑踏に消えるまで見ていた。波の音がした気がした。