《3小節目》〜プラティカ〜
「ねぇねぇ拓人ー?悪人ってなんだと思うぅ?」
「またそれ?どんだけ引っ張るんだよそのこと」
二年二組の教室の隅で、机に肘を起きながら呆れている拓人と、机にべったり仲のいい凛がいた。どの学年も、二組の教室の前に階段が設置されてあり、全く陽が通らない。……にも関わらず、蒸し暑いのは変わらない。
「悪人っていうのから忘れた方がいいんじゃね?先生の閃きって大体遠回りすぎるからさ」
そう言って姿勢を立て直した拓人は、机に吸い付くようにうつ伏せになった。両腕を枕にして鼻を隠し、目線だけを凛に向けた。
「じゃあ拓人君みたいにっ?」
「何でそうなる……!」
「だって今の視線が睨んでるようで怖いんだもん」
「音楽は見た目じゃねえぞー」
「──はっ……!」
「ど、どうした?」
目を大きく開けて、固まった凛に拓人は焦った。
「拓人くん……」
「な、なんだよ?」
「今……格言言ったね……」
「……そんな事かよっ!」
恐らく凛は、「音楽は見た目だけじゃねえぞー」を拓人の決め台詞と捉えた様だった。もっと悪い事──意識不明の重体みたいなのかと思っていた拓人は、凛にも自分にも呆れた。
「そういや、風和璃と藍はどうした?」
「部長が連れていったよ?後輩諸共」
「あぁ……あれか」
もちろん、拓人の言うあれ、は、毎年恒例の挨拶の練習のことである。
「でも最近部長飽きっぽいしすぐ終わりそうだよー」
(この学校ってほんとに金賞狙ってるのか……?)
「何だか皆気ぃ抜きすぎてるよなぁ……なんか起こらねぇかな?」
「その時ぃー!、天から雷鳴が轟いたぁ!」
拓人のフラグに反応して、二年の秋本藍が廊下を滑ってきた。
「お、終わりましたー……」
その後に風和璃が続く。
「二人共お疲れー。やっぱり部長飽きたんだなぁ」
「それがですね!聞いてくださいよ!挨拶の練習の時にですね?最初に一年前のこと話したんですよ!」
「一年前?あぁ……何で?」
「重大な話……の様だったんですけど……その……三十秒で終わりました……」
「端折ったな」
「端折っちゃったかー」
二年の二人は、そうなんですよーと頷いて、適当な場所の椅子に座った。凛は微笑みながら二人を見ていたが、やがて話を思い出してあっと声を上げた。
「そうだ!一人いないけど、ちょっと聞きたいことがあるんだー!」
凛の声に、三人の意識が凛に向いた。
「悪人ってなんだと思うぅ?」
「またそれかよ!……予想してたけど……」
拓人はツッコんで大きくため息をついたが、二人は真剣に考え始めた。少ししてから、風和璃が口を開いた。
「悪人から……離れたら……どうですか……?」
「ほらぁ、風和璃も俺と同じじゃねぇか」
「そうかなぁ……。うーん……」
頭をかきながら下を見つめる凛に、藍はいった。
「暗い雰囲気でどうですか!悲しみに更けた感じの!」
「あぁー……」
三人は軽く頷くと、頭の中で具体案を考え始めた。暗い、悲しいから繋がる舞台を思い浮かべていく。
「お化け屋敷とかどーよ?」
「闇……心の、闇……」
「ハロウィン!」
「それどっちかっていうと不思議系だろ」
それを聞いた凛は、参考にしながら結論を出す。
(不協和音だから響きは悪いけど……。逆になんかこう……それがいいみたいな……うわぁ分かんない……)
「なんでこういう曲にしたんだろぉ?」
「そうだよなー。先生の意図がわかんねぇよ」
「そうですねー!分かりませんね!」
「この会話……今回で五回目……」
考えることを放棄した結論に至ると、やがて自分に優しくなる。
「もういっかっ。取り敢えずお化け屋敷でっ」
「そうだな」
「そうですね!」
「です……です……」
「それじゃあ練習しよっか!」
議論を終えた凛は、フルートを持って譜面を見た。それに続いて拓人と藍もフルートを持つが、風和璃だけが凛を見つめていた。
「凛先輩……」
「なぁに?風和璃ちゃん」
「もう昼です」
※※※※
──二年三組。トランペットの音が、高らかに窓から響いていく。
「遅れましたー!」
その声と同時に、颯汰の先輩にあたる犬飼守が楽器を下ろした。その雄大な背中からはら明らかに怒りを感じさせ、整ったいなせな黒髪のオールバックから、苛立ちを醸し出していた。
「おいっ」
「はっ!はい!……」
焦りのあまり、『い』のイントネーションが高くなった颯汰は、冷や汗が加わりつつあった。
「もう一人の女子の方が早かったじゃねぇか……あぁ?」
「犬飼先輩。有本花蓮です」
もう一人の女の子というのは、有本花蓮のこと。颯汰と同じ二年生でクラスメイトでもある。黒縁眼鏡をかけて口元に黒子がある、男子生徒から人気がある容姿端麗で妖美な女の子。
「なんで赤貝よりもう一人の方が早かったのか理由を聞かせてもらおうかぁ?」
「それは……その……」
「犬飼先輩。有本花蓮です」
「早く答えねぇと……」
「あの……えーと……そのあのこのあの……」
という流れで今現在、赤貝は腹筋をしている。犬飼守。文字通り赤貝を教育、そして見守っている。花蓮は横目で汗だらけの赤貝を見ながら音階を吹いていた。
「颯ちゃん頑張れーっ!」
赤貝が腹筋をして、前を向く度に目を合わせるのは、犬飼と同じ三年の小谷猫だった。ウェーブがかった茶髪をゆらゆらと揺れながら両手を合わせてニコニコしている。息を切らしながら、せっせと腹筋に励む颯汰は、目をぎゅっと閉じて気になる汗と闘っていた。
「──終わりだ」
「ぐへっ……はぁ……はぁ」
起き上がった瞬間、終わりの合図がかかり、そのまま力を抜いて床に横たわる。
「ねぇねぇ」
「なんだぁ猫?」
床を呆然と見ていた猫が、犬飼に疑問を投げかける。
「教室の床って汚くない?」
「……。そうだな」
今更気付いた二人は、心の中で颯汰に謝った。
(あの……。有本花蓮もその一人に入ってるのですが)
※※※※
一年二組。クラリネットパートは予想以上に大盛り上がりを見せていた。
「──でさぁ。そこでね!……」
「只今戻りましたー」
「おぉ!お帰りミール!。随分遅かったじゃん!」
「赤貝君に絡まれました」
「またぁ?ちゃんと成敗した?」
「成敗ってなんですか成敗って……」
まず、机にクラリネットを置くと、肘をついて窓の向こうを何と無しに見つめた。ミールは、やがて机に突っ伏して、いつも通りの行動をとった。
「ミィルゥー?元気ー?」
「元気ですからほっといてください……」
「ツンツンしちゃうぞぉ?」
「やめてくださいー」
「えぇー。いいじゃん!」
ミールがいくら言っても聞かないのは、天然なことで有名な如月奏音きさらぎかのん)。ミールはこの先輩の事を、明るさの塊と称している。
サラリと髪を下ろしている部長とは違って、奏音は毛先を丸くふわりとさせている。ツインテール、ポニーテール等といった髪型を中心にコロコロと毎日変えている。今の髪型はツインテールだが、やや下の方で結んでいる。
「練習しないんですか先輩達は……」
「完璧だもん!」
「音楽に完璧なんてありませんよ、色々研究してください。ほら、あの人みたいに」
目線で方向を示した先には、朝には整っていたはずのショートヘアーが東奔西走、右往左往している女子がいた。
「ああああああ!これも違うぅ!」
「茜ちゃん、どうしたの?」
「夏コミに出す本の作成ですぅ……」
(本かよ!)
脳内で下に雑誌を投げつける妄想をしたミールは、この部活の自由さのあまり、心配になって呆れていた。と思っている自分も練習はしていないが……。ミールも、『家では』我を忘れて、天国に来たかのように高らかに吹いている。
「繰り返し練習するのにマイナスはないので練習したらどうですー?」
呆れ紛れのその言葉は、部長と奏音に反応を促すことなく、対象外の一年、西条茜の閃いたアイデアのきっかけとなった。
「そうだ!ここ繰り返せば!──おおおー!いい感じに出来ました!ありがとうございます、ビニール先輩!」
(ビニールじゃなくてミールね……)
ミールはそのまま寝ようとしたが、もう時計の針は真上でイチャついていた。
プラティカ→イタリア語、練習
適度に練習をしよう!by部長
「そう言ってる人が一番練習してないでしょ!」
byミール