プロローグ
──はるか上空にて。
淀んだ空に浮かぶ複雑で壮大な神殿に、突然災禍が舞い降りた。異形とも呼べる生物に太刀打ちできず、『この者』達でさえも一斉に血飛沫をあげるのであった……。誰もがその強さに戦慄を抱いた。
長は、言った。
「こんな時にあいつはどうした!」
書記官は言った。
「反応がありません!」
書記官の返事を聞くと長は、『弟』がこんなヘマで死ぬはずがない、と考えを頭の中で張り巡らせた。一体どこへ行ってしまったんだ......。
考えていたその時、災禍の音が身にせまっていた。余裕を持って回避したはずだったその音は、右腕を肩から消し飛ばした。
長は痛みから脅威を感じ取った。
「──ぅ……!」
と同時に、消しさられた右腕からかなりの速度で漆黒に染められていった。長はすぐに己の状況を悟る。
──なす術なく……抗うことも出来ず……洗脳される。
長は、伝達の音を流した。書記官は頭に響くその音を捉えて神経を集中させた。
“書記官──!──れ──ろ!”
書記官はその意味を悟ったのか、困惑の目で主を見つめた。長の目には決意の念が込められていた。
“──必ず……戻ってきます…………!”
涙ぐみながら禁忌とされている転移式句を唱える。書記官はこの高度な式句を行使出来るが、人数に限度があるため、見渡せる範囲にいる僅かな数しか対象にできなかった。生き残っていた数名が淡い光に包まれ、放物線を描きながら降り立って行く。──もう少しで血で染め上げられたその場から離れる所だったが、不可視の力によって光の塊が分断された。書記官は目を大きく見開いたが、落ち着いて冷静に対抗式句を唱えようとする。余程難解な式句なのか、解除は間に合わず、数名の強者たちは散り散りになって《十字世界フェルマティスタ》に落ちるハメとなった。
──長は言った。操られた体はすぐにだれかの物となって……。──その長は唇をニヤリと歪ませる。
「これほど上手くいくとは思わんかったぞ……?ちょっと逃げられたのは惜しいが、そこはこれから作れば良いか……ククク……さて、お前の弟はどこに行ったのやら」
千切れたはずの右腕を瞬時に再生させると、あちこちに散らばる死体を探しに行った。僅かに息があるものは、その忌々(いまいま)しい存在を脳裏に刻み込んだ。
長は軽く指を鳴らし、背後に現れた黒一色の集団に命令する。すると、黒ずくめの傀儡たちは四方へと飛び去って行った。
──ここからある御触書が出るまでは、長い年月が流れることになる……。
別世界での長い年月は、どのようものだったのだろうか。──災禍が現れてからの一連の余興を見ていた神様は、望遠鏡のように手を瞳の前で丸め……片目を閉じた。