小噺13 妻の秘密
金曜日の夕方、高橋は電車に乗り帰宅していた。座席に腰かけると右から左へと流れ過ぎるビル群が目に入る。無数の人や自動車、色や光が現れては消えていった。だが、それらは高橋の頭には一切入ってこない。高橋の頭はいま妻のことでいっぱいだった。
3年前、高橋は今の妻と結婚をした。小柄で色の白い、すこし垂れた目に可愛らしさがある女性だった。料理もうまく、家事を全てしてくれた。高橋が仕事で遅くなった日も先に寝ることなく起きて帰りを待っていてくれた。上司と酒を飲み日付が変わって帰宅しても愚痴もこぼさず笑顔で高橋を迎えてくれた。仕事がうまくいかずイラついた時も妻は全て受け止めて、優しく慰めてくれた。
家事をてきぱきこなし、シャツには毎日アイロンをかけてくれる。いつも自分を想ってくれる。まさに良妻であり、高橋もまた心から愛していた。ただ1つ、そのただ1つの心配が先ほどから高橋の頭を悩ませている。
それは日曜日の0時きっかりに妻は突然、家を出てどこかに出かけることだった。財布や携帯電話を持たず、化粧をしたり着替えることなく突然に出かける。行き先も告げずに玄関に向かうと靴を履き歩き始める。そして日が昇る前に帰宅するのだった。
初め、高橋は困惑をした。自分に愛想が尽きたのか、別の男に会うのか、妻の家族に何かあったのか、妻の精神的な問題なのか、様々な心配が頭に湧き出る。
ある晩、高橋は妻の体を抱きしめて止めようとした。しかし、抱きつく高橋を強引に振り払い妻は家を出ていった。別の日は出かけた妻の後を追ってみた。が、途中で妻が気づいたのか走り始め見失ってしまった。また別の日は妻と旅行に出かけてみた。自宅から遠く離れた地方の温泉宿。ここなら妻も飛び出したりしない。そう思っていたが旅行先でも深夜0時になると妻は突然、旅館から飛び出した。
よく帰ってきた妻を高橋は問い詰めた。どこに行っていた、誰といたか、何をしたのか。しかし妻は決まって覚えていないと答える。夫にひどく叱られたことに驚き、悲しみ、涙を目に浮かべて必死で何も覚えていない、何もしていない、誰とも会っていないと訴えるのだった。
結婚して半年は浮気を疑っていた。探偵を雇い妻の身辺調査もさせた。自分のいない時間に別の男を自宅に上げているのではないか、高橋はこの予想が当たらないことを祈った。
結果的に高橋の予想は外れた。妻は高橋が仕事でいない間、自宅の掃除や観賞植物の手入れ、夫の喜びそうなメニューを考えて夕食の準備をしていた。探偵は妻の携帯電話の記録も調べたが別の男に連絡をとっている様子は全くないとの報告をした。
ある時は妻が自覚症状のない重い夢遊病でないかと思い、妻と一緒に精神科を訪ねた。様々な装置で妻の脳や体が隅々まで徹底的に調べられた。また精神に原因があると考えた医師は妻に様々な心理テストや催眠術をかけて深層心理も徹底的に検査した。
しかし、妻のどこにも異常は発見されず、全く問題はないと医師は報告をした。
高橋はあらゆる可能性を考えて調べてみた。しかし、どれも妻の行動を解明するに至らなかった。そうしている間にも、日曜日の深夜0時は毎週やってきて、妻は毎週出かけた。そして明け方には必ず帰ってきた。
そうした生活が3年間続いた。家庭的で夫想いで優しい高橋にとって最高の妻であることは変わらない。飛び出すことさえしなければ。
電車から降りた高橋は自宅に向かい歩き始めた。風が冷たくなった。きっと妻は部屋を暖かくして、自分を迎えてくれるだろう。お風呂も、入浴後のビールも、おつまみも用意しているだろう。なんて素敵な妻なんだろう。
しかしあの行動だけが気にかかった。一体、妻は日曜日に、それも真夜中に家を飛び出すのだろう。雨の日も雪の日も、俺が病気で熱が出ていた日も、日曜日だけは必ず家を出かけていく。それだけが高橋を悩ました。
そして、高橋は心に決めた。今週の日曜日こそ妻の秘密を突き止めよう、と。
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高橋がベッドからテーブルに置かれた曜日機能の付いたデジタル時計を見ると、日曜日の0時と表示されている。隣に寝ていた妻の姿がない。
ガチャ
玄関が開く音が聞こえた。出かけた、そう思うと高橋は早速、行動に出た。コートを着て帽子を被り妻の後を追いかける。
妻は真夜中の道を怖がる様子もなく、ずかずかと歩いていく。妻との距離に細心の注意を払いながら、高橋は妻の背中を追った。いまのところ妻は高橋が尾行していることに気づいていないようだ。
意外にも妻の歩く方向は街と真逆の方向だった。進むにつれて街灯の光が減っていき、とうとう真っ暗な道になった。それでも妻は一定のペースでずかずかと歩き続けている。わき見もせずにまっすぐ前だけを見て暗闇を歩き続けていた。高橋も後を追いかける。気づかれないよう、足音を立てず息を殺して妻の後姿を見失わないように。
30分ぐらい歩くと妻は、ある建物の前で足を止めた。それは5階建てぐらいのビルだった。深夜だというのにビルの中には誰かいるらしく、複数の窓から光が漏れていた。
ビルから少し離れた電柱に隠れて高橋は妻の様子をうかがった。妻はしばらく立ち止まっていたが、すぐにビルに入っていった。
妻がビルに入って間もなく、高橋は驚く光景を見た。ビルの前にどんどんと人が集まり始めた。若い人もいれば、年老いた人もいる。よく見ると人だけでなく犬や猫もいた。彼らは次から次にビルに入っていった。
一体、中で何が行われているんだ。不思議に思いながらも妻の秘密まであと一歩とで分かると決意を固めて、高橋も集団に加わりビルの中に入っていった。
ビルに入ると彼らは地下へ続く階段に降りていく。誰も話さずに前だけを向いて黙々と歩く。気味悪がったが高橋も階段を下りてみた。
階段を下りると長い廊下に出た。先に降りた人たちは一列になっている。みな一定の間隔を空けて、黙って並んでいた。高橋は先頭の方を見ると、部屋があった。その部屋にどんどんと行列が入っているようだった。
行列は順調に部屋に入っていき、いよいよ高橋も部屋に足を踏み入れた。とたん、高橋はあっと驚きの声をあげた。
部屋はとても広くて、工場のようにたくさんの機械が置かれている。その機械の間にベルトコンベアが流れていた。高橋が驚いたのは、そのベルトコンベアに置かれているものだった。
先ほどまで並んでいた人々がベルトコンベアの上に仰向けになり流れていた。機械のところに来る度に、機械から数本のアームが出てきて人々の頭や体に光線を浴びせている。一定の間隔で人々は流れていき、最後は大きなアームに吊るされて上の階に運び込まれていった。
「なんなんだ、ここは・・・」
あまりに異様な光景に立ち尽くす高橋のもとに白衣の男性が駆け寄った。
「君、ここには入ってはいけない!!」
白衣の男性は高橋を列から出すと別室に連れて行った。
「ここは・・・」
「見てしまったものは仕方がない。ここは人造人間の検査機関だ」
「人造人間・・・?」
「我々の会社が開発したものだ。見た目も中身も普通の人間に似せて作っている」
「なぜ、そんなものを・・・」
「いまの社会は個人の考えが尊重され、好みや生き方が昔よりも多様となった時代だ。しかし、同時に自分の考え方を譲らず場合には相手に押し付け、または自分と違う考え方を敵として攻撃したりと他人と協調する力が薄れたことでもある。そんな時代になってから一人暮らしや家庭内暴力、ネグレクト、虐待・・・様々な社会問題が増加した。その問題を解決するためわが社は政府と協力して、これら人造人間を開発した」
白衣の男は壁についたスイッチを押した。壁が上に移動し、大きなガラスが現れる。ガラスの向こうにはアームで吊るされた無数の人造人間が様々な装置に送られていた。
「人造人間は見た目こそ私たちと変わらないが、他人との調和を基本プログラムとして開発された。パートナーとの関係性を重視しているため意見の衝突を起こさず、トラブルを回避または解決することができるようになっている。しかし、絶妙なバランスで構成されたためこうして週に1度メンテナンスを受ける必要があるのだ。彼らには、毎週決まった曜日と時間帯になったら近くの検査機関に通う命令を遺伝子に組み込んでいる」
「では・・・俺の妻も・・・」
「個体番号は分からないが、おそらく君の妻も人造人間なのだろう」
「ああ、なんという秘密を知ってしまったのだ・・・悪夢だ・・・」
「気持ちは分からんでもない。愛する妻が遺伝子操作で作られた人形と知ってはとても辛いことだろう。しかし、これまでの生活を振り返ってほしい。なかなか悪いものではなかっただろう?」
「確かに、妻は常に俺を想ってくれていた・・・しかし・・・こんなこと・・・」
「君はそうとうに妻を愛していたのだな・・・。こうしてはどうだろう、今晩ここで見たものを全て忘れる注射をするのは。そうすれば、妻が人造人間であることも忘れるだろう。君以外にもここに来た人物たちは今までいたが、誰もがその注射を望んだよ」
「ぜひ・・・そうしてください・・・こんなことが、こんなことが・・・」
「わかった。注射をした後は深い眠りに入る。君が寝ている間、部下に君を家まで届けさせよう。住所と名前を教えてくれ」
高橋は住所を白衣の男に伝えた。しばらくして白衣の男は注射をもってきて、高橋の腕に刺した。
急に眠気を高橋が襲った。同時に今、ガラス越しに見えている光景が歪んできた。アームに吊るされた人形たち、巨大な装置、何かの光線、白衣の男・・・。すべてが混ざり合ったと思うと高橋は眠ってしまった。
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「おはよう、あなた」
高橋が目を覚めるとベッドに横に妻がいた。可愛らしい笑顔で高橋のほほにキスをする。
「朝ごはんができているわ。せっかくの日曜日だから今日はどこかに行く?」
眠そうな高橋の手を握って、妻は顔を向ける。まだ、頭がぼんやりとする高橋は妻の顔を見て何かを言いたかった。が、それが何か高橋には思い出せない。
「何?まだ疲れているのかしら?」
「いや・・・大丈夫。ただ、ちょっと頭がぼんやりしていて」
「あら、いま熱いコーヒーを淹れてくるわ」
リビングに戻る妻を見ながら高橋は昨晩のことを思い出してみる。玄関の扉を開けた妻。コートと帽子を被り自分も玄関を出た。そこまで覚えているが、後は何も思い出せない。
コートも帽子もいつもと同じところに片付いている。あれは夢だったのだろうか?と高橋は思う。
-夢でもいいや-
眠たい頭を持ち上げて、高橋もリビングに向かう。いつも自分を想ってくれる家庭的で優しく可愛らしい妻がいればそれでいい。たとえ、出かけても必ず戻ってくるのだ。誰にだって秘密はある。一体、何をこれ以上望むだろうか。こんなに素晴らしい妻をもって。