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ゆきふる

作者: 烏屋マイニ

 雪粒(ゆきつぶ)は誰よりも勇敢だ。雪雲から飛び出した先が、もくもくと煙を上げる煙突でも、氷の張っていない池でも、わだちだらけのぬかるんだ道路でも、彼女たちは決して恐れず、世界を真っ白に染めるため、どんなところにも飛び込んでゆく。

 ところが、ユキは違った。雪雲の端に立っていざ飛び出そうとすると、彼女は決まって足がすくんで動けなくなってしまうのだ。煙突に落ちて煙にいぶされたらどうしようとか、池に落ちて水の中にじんわり溶けてしまったらどうしようとか、道路に落ちて馬車に踏まれて泥だらけになったらどうしようとか、そんなことばかりが頭に浮かんで、どうしても飛び出すことができない。

 きっと私は欠陥品なんだわ。生まれてくる時に勇気を忘れてきたから、こんなに臆病で、みんなと同じようにできないのね。ユキは、そんなことをしょんぼりと考え、そうして自分のことが嫌いになった。


 冬の終わりが近付いて春の足音が聞こえてくると、雪粒たちはそわそわし始めた。もたもたしていると、春の日差しに溶かされて、雪ではなく雨になってしまうからだ。そうはなるものかと、雪粒たちが大急ぎで雪雲を飛び出していったので、雲の下は大雪で大変なことになっていた。煙を上げていた煙突は口をふさがれ、池や道路はカチコチに凍り付き、人間たちは降り積もった雪の深さをフィート単位で測りはじめた。

 そんな中でもユキは、あいかわらず雪雲の上でぐずぐずしていた。いっそのこと誰かが背中を押して、ここから突き落としてくれたらいいのにと思い、そんなことを考えてしまう自分が情けなくて、また嫌いになった。そして、ほうと大きなため息をついたとき、雪雲は山のてっぺんにさしかかった。

 そこは平地と違って、手が届きそうなほど地面が近く見えた。山には雪に覆われた街道が、広げた反物のように延びていて、その道を分厚い外套(がいとう)に身を包んだ旅人が、降り積もった雪にひどく苦労しながら、ひとりぼっちでとぼとぼ歩いている。

 ユキが見守っていると旅人は不意に足を止め、外套のフードをさっと払いのけた。彼は、次から次へと雪粒を吐き出す雪雲を気遣わしげに見つめ、ふと小さなため息をこぼす。おさまる気配もなく、それどころかもっと荒れそうな空模様に、彼はひどくがっかりした様子だった。

 雲の上から真っ直ぐ彼の瞳を覗き込む格好になったユキは、思わずはっと息を飲んだ。旅人はようやく青年と呼ばれる年頃になったばかりの若者で、彼の瞳はユキの頭の上に広がる空のように、澄み切った青だったのだ。ユキは、たちまちその色に心を奪われてしまった。

 ああ、なんてきれいな瞳なの。もっと近くで、あの瞳を見れないかしら。ユキは恐ろしさも忘れて、雲の端から身を乗り出した。すると、ぐらりと身体が傾いで、あっと言う間に世界がひっくり返った。はじめはユキも何が起こったのかちっとも分らなかったが、どんどん遠くなる雪雲を見て、ようやく自分が落っこちていることに気が付いた。そして、とうとう彼女はべそをかきはじめた。

 ふわふわと宙を舞ってどれほど経ったのか。ぎゅっと目をつぶってしくしく泣いていると、不意に近くで声がした。

「誰かいるの?」

 そおっと目を目を開けると、ユキはハチミツ色のふわふわした何かに引っ掛かっていた。それは、ユキが生まれた雲のようにやわらかくてとても優しかったから、彼女はさっきまで泣いていたこともすっかり忘れてしまった。そうして、あの旅人の澄み切った空色の瞳が、目の前にあることに気付いた。

「おかしいな。さっき、泣き声が聞こえたと思ったんだけど」

 そう呟いた旅人が、きょろきょろと辺りを見回したので、ユキはもうちょっとで振り落とされそうになった。旅人の髪にぎゅっとしがみついて、ユキは慌てて言った。

「ここよ。泣いていたのは私、あなたの前髪にくっついている雪粒よ」

 すると旅人は青い瞳をまんまるに見開いて、びっくりしたように言った。

「雪粒って、しゃべれるの?」

「まあ。私だって、しゃべるくらいできるわ」

 ユキが言うと、旅人はあわてて謝った。

「ごめんよ。だって、僕は今まで雪粒の声なんて聞いたことなかったんだ」

「あなたが聞こうとしないからよ。ほんとうは、みんなおしゃべりなの」

「これからは注意して聞いてみることにするよ」

 旅人は感心したように言った。

「ところで、名前を聞いてもいいかな?」

「私はユキよ」

「僕はレミ。よろしくね、ユキ」

 ふたりは大きさが違うので握手はできなかったから、代わりにユキはレミの前髪をちょっとだけ引っ張った。レミはくすくす笑い返して、ユキを前髪にぶら下げたまま、再び雪道を歩き始めた。

「ねえ、ユキ」道中、レミはふと聞いてきた。「さっきは、どうして泣いてたの?」

 ユキはちょっと迷ってから正直に答えることにした。臆病(おくびょう)な自分のことや、他のみんなと同じようにできない悔しさ、思いがけず雲から落っこちてしまった時の恐ろしさ。レミは、それを全部まじめな顔で聞いて、決して笑ったりからかったりしなかった。そうして彼は言った。

「知らない場所に行くのって、怖いことだよね」

「レミも怖いの?」

 ユキが聞くと、レミはうなずいた。

「僕も昨日まで、故郷を離れて遠い街で働いていたんだ。故郷を出ようと思った時の僕の気持ちは、きっとユキが住み慣れた雪雲から飛び降りようとしたときの気持ちと、同じだったんじゃないかな」

「どうして故郷を離れて働いてたの?」

「今年で九つになる病気の妹がいて、彼女のために薬代を稼がなきゃいけなかったんだ。両親はずいぶん前に亡くしてたし、僕が生まれた村には、僕にできる仕事は少なかったからね」

「どんなお仕事なの?」

「彫刻師だよ。僕は建物の壁を飾る像を彫る職人なんだ」

 自分を職人と言うレミの顔は、とても誇らしげに見えた。

「どうして今は旅をしているの?」

「ようやくお金が貯まって薬を買えたから、妹に届けようと思って村へ帰る途中なんだ。でも、この大雪で少し困っている」

「まあ、ごめんなさい。私たち、あなたの邪魔をしてたのね」

「道が雪で埋まってるのはユキのせいじゃないよ」レミは優しく笑って言った。「それに旅の道連れができて、今は楽しいくらいなんだ」

 それでもユキは、ひどく申し訳ない気持ちでいっぱいだった。降り積もった雪は、もうレミの腰の辺りにまで届いているし、そんな雪をかき分けて進むのはとても大変なことに違いない。病気の妹に一刻も早く薬を手渡したいはずなのに、雪は容赦なく降り続いている。ユキは、どうにかしてレミの助けになりたいと思った。でも、ちっぽけな雪粒に何ができるだろう。

 ユキは一所懸命に考えた。いつも雲の上から、あそこへ落ちたらどうなるだろうとか、ここへ落ちたら大変だとか考えていたから、考えることだけは得意だったのだ。

「そうだわ!」

 答えが浮かんで、ユキは思わず叫んだ。

「どうしたの?」

 驚いてレミが聞き返す。

「素敵なことを思いついたの。私が、妹さんのところまで、お薬を届けてあげる。私は雪粒だから、寒いのも雪道もへっちゃらだもの。だから、あなたよりもずっと早くお薬を届けられるわ」

「でも、これは君には大きすぎる荷物だよ」

 そう言ってレミが外套の下から取り出した包みは、ゆうにユキの一〇〇倍はあった。

「そうね。だから、あなたが私を雪だるまにするの」

「雪だるま?」

「お薬の包みを持てる両手と、地面を歩く両足がある雪だるまになれば、きっと私でも妹さんにお薬を届けられるはずよ」

 レミは難しい顔で考えた。眉間に皺を寄せて、うーんと考える。そして、言った。

「わかった。とにかく、僕にできることをやってみよう」

 まず、レミは雪をかき集め、両手でしっかり固めて大きな雪の柱を作った。ユキは首を傾げた。雪だるまなら雪玉から作るはずなのに。不思議に思って見ていると彼は荷物をほどき、彫刻の道具を雪の上に広げた。それから雪の柱をじっと見つめ、「よし」と小さく呟いてから道具を手に取り、それを彫り始めた。雪の柱はみるみるうちに形を変え、あっと言う間に座って微笑む女の子の像になった。

「まあ」ユキは驚いて声を上げた。「レミ、あなたってとても腕がいいのね!」

 ユキは雪像を見て、何度もため息をついた。それはとても生き生きとしていて、微笑みを浮かべた口元からは今にも歌が聞こえてきそうなほどだった。

「雪だるまじゃないけど、これでいいかな?」

「ええ、もちろんよ。お薬を持つ両手も、地面を歩く両足もあるし、可愛くて素敵だわ」

 レミはユキを手の平にのせると、雪像の頭の上にそっと置いた。雪像の雪とユキが入り混じり、気が付くとユキは女の子になっていた。ところがユキは、困ったことに気が付いた。ペタペタと両手で顔を触りながら、彼女は言った。

「まあ、どうしよう。何も見えないわ」

 するとレミは、ぴしゃりと額を叩いて言った。

「瞳を描くのを忘れていた。すぐに描くから動かないでよ?」

 レミは手袋を脱ぐと、ナイフで右手の人差し指に小さな傷を作った。彼は傷口に浮かんだ小さな血玉で、女の子の像に瞳を描き入れた。そうして開いたユキの目に、最初に飛び込んできたのは、血のにじんだレミの指先だった。

「大変!」

 ユキは驚いて手を伸ばす。するとレミが「あっ!」と声を上げ、ユキの頬に何か熱いものが滴った。

「動かないでって言ったのに」

「ごめんなさい」ユキは、もぐもぐと謝った。「怪我をしてるからびっくりしたの」

「変な模様が付いちゃった。消した方がいいかな」

「見てもいい?」

 レミは荷物から手鏡を取り出した。ユキがそれを覗き込むと、真っ赤な瞳で、頬に赤い涙の形の模様が付いた、女の子の顔が映っていた。

「よくわからないけど、なんだか気に入ったわ」

「君がそう言うなら、そのままにしておこう」

 レミはにっこり笑って言った。

「これで、お薬を届けられるわ。私、がんばるね」

「その前に、何か着た方がよさそうだね」

 レミが作った雪の像は、よくある彫刻と同じように裸だったのだ。

「でも、私は服なんて持ってないわ」

「大丈夫。妹へのお土産にしようと思って、これを買っておいたんだ」

 そう言ってレミが荷物から引っ張り出したのは、若草色のワンピースだった。ユキが着てみると、それはあつらえたようにぴったりだった。ユキは、その場でくるりと回って見せた。スカートがふわりと広がって、ユキはとても楽しい気分になった。

「ねえ、レミ」ユキは気が付いた。「ひょっとして、この身体って妹さんに似せて作ったの?」

「そうだよ。だから村に着いたら、出会った人にこう言うんだ。『この顔と同じ女の子が住んでる家はどこ?』ってね」

「とてもいいアイディアね」

「うん、僕もそう思ってた」

 ふたりは顔を見合わせて笑いあった。


 ユキは女の子になったが、それでもやっぱり雪粒だった。だから風に乗れば吹雪になって、誰よりも速く駆けることができた。景色はびゅんびゅん流れ、その中にちらりとみすぼらしい山小屋が見えた。ユキはレミが言っていたことを思い出す。

「ここから、ちょっと行ったところに山小屋があるんだ。僕は、そこで待つことにするよ。日暮れまでに山を降りるのは、さすがに僕の足じゃ無理みたいだからね」

 山小屋で待つレミに早く会いたかったので、ユキは全速力で山道を駆け下りた。そうして足を止めたときには、もうレミの村に降り立っていた。このひどい雪のせいで通りに人の姿はなかったから、彼女は手近な家の前に立ちドアをノックした。中からぶつぶつ文句を言う声が聞こえ、ドアがわずかに開かれる。暖かい部屋の空気がドアの隙間からあふれ出し、ユキは思わず一歩、後ずさった。

「ソラちゃん、こんな吹雪の中で何してるんだい?」

 顔を覗かせたおばさんが驚いて言った。

「私はユキよ。ソラじゃないわ」

 ユキが言うと、おばさんはユキの顔をしげしげ眺めてから言った。

「おや、よく似てるけど確かにソラちゃんとは違うね」

「私、レミの代わりにお薬を持ってきたの」

「レミが帰って来てるのかい?」

「今は山小屋で待ってるわ。この大雪で身動きが取れなくなってるの。おばさんはソラの家を知ってる?」

「彼女ならシド先生の診療所だよ。あまり具合が良くなくてね。村のみんなも心配してたんだ」

「私がレミのお薬を届けたら、もう心配いらないわ」

「そうだね」と、おばさんはにっこり笑って言った。「診療所は、この通りをまっすぐ行った先にある広場の右手だよ。白地に赤い線が一本入った看板が掛かってるから、すぐにわかるさ」

「ありがとう、おばさん」

「どういたしまして。さあ、早く行ってやっておくれ」

 ユキは頷くと、また吹雪になって駆け出した。あっという間に彼女は村の広場に降り立った。おばさんが言った診療所は、すぐに見つかった。ドアをノックすると白髪の老人が顔を見せた。彼はユキの顔を見ると目を丸くした。

「ソラ、どうやって外へ出たんだ?」

「私はユキよ。ソラじゃないわ。あなたがシド先生?」

 ユキが言うと、老人はユキの顔をしげしげ眺めてから言った。

「なるほど、よく似てるが別人だな。いかにも私はシドだが、こんな日になんの用事かね?」

「レミに頼まれて薬を持ってきたの」

 ユキがレミから預かった荷物を差し出すと、シド先生は震える手でそれを受け取った。

「ありがとう、これをどれほど待ちわびたか。吹雪の中、大変だったろう。さあ中で休んで行きなさい」

 もちろん、ユキは首を振った。

「暖かい部屋に入ったら融けちゃうわ」

「融ける?」

「私はレミが作った雪像なの」

 シド先生は眼鏡を外してユキの顔をじっと見つめた。

「驚いた。確かに雪で出来ている。なるほど、これでは家の中に入れないな。是非とも、ソラに会って行って欲しかったのだが」

「私もソラに会いたいわ。窓の外から会ってはダメかしら?」

「彼女は二階のバルコニーがある部屋にいるんだ。外には階段もはしごもないから、それは無理だろう」

「私は雪よ。階段なんかなくても、へっちゃらだわ」

 ユキは吹雪になってバルコニーへ飛び乗った。窓の雪を払って中を覗きこむと、そこにはベッドが一つ置いてあって、真っ白な顔の女の子が厚い布団を掛けられて横たわっている。ユキが窓ガラスをノックすると、女の子はレミと同じ青い瞳の目を開け、少し咳き込みながらベッドを降りて、窓辺に歩み寄ってきた。彼女はユキにそっくりだったが、ユキとはどこかが少しだけ違っていた。

「こんにちは、ソラ」

 窓越しにユキが挨拶すると、女の子は目を丸くした。

「まあ、驚いた。あなた、誰なの?」

「私はユキ。あなたのお兄さんのレミが、あなたに似せて造った雪の人形なの」

「そうだとしたら、お兄ちゃんはあまり腕のよくない彫刻師ね。だって私は、あなたほど綺麗じゃないもの」

 ソラはくすくす笑って、それから少し咳き込んだ。部屋にシド先生が入ってくる。彼は湯気を立てるカップを持っていた。

「ソラ、薬を持ってきたぞ。レミがその子に頼んで、ここまで届けてくれたんだ」

「ありがとう、ユキちゃん」

 ソラは礼を言って、カップの薬を少しずつ飲んだ。カップの中身が減るにつれ、彼女の顔色はどんどん明るくなって行く。

「とっても苦いけど、ずいぶん楽になった気がするわ」

「そうだろうとも。それは、本当によく効く薬なんだ。毎日飲めば、春にはレミとピクニックにも行けるようになっているぞ」

 シド先生は請け合い、ソラは目を輝かせた。

「ねえ、ユキちゃん。お兄ちゃんは今、どうしてるの?」

「レミは今頃、山小屋よ。明日には帰って来られると思うわ」

 すると、シド先生は腕を組んで考えた。

「雪の山小屋で一晩を過ごすなら、食べ物や飲み物が要るだろう。ユキ、彼に届けてやってくれるか?」

「もちろんよ、シド先生」

「ありがとう。すぐに用意しよう」

 シド先生が部屋を出て行くと、ソラが言った。

「私も、お兄ちゃんに届けたいものがあるの。お願いしていいかしら?」

「任せて。私は雪だから、雪崩(なだれ)みたいに力持ちなの。どんなに重たいものでも、ちゃんと運んで見せるわ」

 しかし、ソラは首を振った。

「お兄ちゃんに届けて欲しいのは、彼が大好きな歌なの」

「聞かせてちょうだい」

 最初にソラが一人で歌い、次にユキがつっかえながら繰り返し、最後に二人で声を揃えて合唱する。それは、新しい春の訪れを喜ぶ優しくて楽しい歌だったから、ユキの心はぽかぽかと暖かくなった。

「まだ、お父さんとお母さんが生きていた頃、お父さんがピアノを弾いて、お母さんが歌って、私とお兄ちゃんは歌の終わりに拍手をしたの」

「あなたの家族の思い出の歌なのね。必ず彼に届けるわ」

 すると、下からユキを呼ぶ声が聞こえてきた。ユキがソラに手を振り、吹雪になってバルコニーから飛び降りると、診療所の玄関の前にはシド先生が立っていた。彼はユキに包みを渡して言った。

「パンとチーズ、それに薬草を入れたぶどう酒が入っている。銅のカップも一緒に入れてあるから、ぶどう酒はそれで少し温めて飲むように伝えてくれ。山の夜は冷えるからな」

「わかったわ、シド先生」

 ユキは吹雪に姿を変えて、山道を駆け上った。ところが約束の山小屋は空っぽで、暖炉は黒々と冷えたまま。ユキは辺りを探し回ったが、やはりレミの姿は見当たらない。ユキは、何フィートもある雪の下で冷たくなっているレミの姿を思い、不安になってとうとう泣き出した。

「うるさいなあ」

「春になって融けるまで寝ていようと思ったのに、目が覚めちゃったわ」

「めそめそするのは()めてちょうだい」

 降り積もった雪たちが口々に文句を言った。

「ごめんなさい。でも、私の大事な人が、どこかに埋まってるかも知れないの」

 雪たちはしばらくざわざわと相談した後、声を揃えてユキに教えた。

「そこから三歩さがって掘ってごらん」

 言われるまま三歩さがって雪を掘ると、そこには冷え切って気を失ったレミが埋まっていた。

「みんな、ありがとう」

 ユキはレミの身体を軽々と担ぎ上げた。彼女は女の子の姿をしていても、やっぱり雪のままだったから、雪崩のように力持ちだったのだ。ユキはレミを山小屋に運び込み、彼をベッドに寝かせると、暖炉の前に立った。そうして、ほんのちょっとだけためらってから暖炉に薪を入れ、置いてあった火打ち石で火口の上に火花を落とした。赤い火種に息を吹き掛け炎に育てると、山小屋の中はぱっと明るくなった。ちらりとベッドを見れば、真っ青なレミの顔が見える。

 最初に小枝を、それから少し太い枝。慎重に育てた炎はついに、大きな薪を食べ始め、ユキはやっと安心した。炎の熱で彼女の身体は融け始めていたが、気にしていられなかった。シド先生から預かった包みを開け、銅のカップにぶどう酒を注ぎ、指先が融けるのも構わず火に掛ける。暖まって少しだけ湯気を立てるカップを持って、レミの唇にぶどう酒を流し込むと、彼の顔色は目に見えて明るくなった。

 ユキは火の番をしながら、ソラに教わった歌を口ずさんだ。じっと炎を見つめていたせいで、赤い瞳は融けて流れ落ちてしまったが、彼女は気にしない。目が見えなくても、暖炉の真ん前に座っているので、薪を放り込むのに差し支えないからだ。そうして目からこぼれた水滴は、本物の涙のようになって、ユキが好きだった赤い涙型の模様も洗い流した。

 ユキは歌い、機械のように薪をくべ続けた。そうして日が昇る少し前、彼女の歌はふと途切れ、とうとう聞こえなくなった。


 朝になって目を覚ますと、レミは山小屋の中にいた。その数ヤード手前にまでたどり着いたことは覚えているが、どうやって中へ入ることが出来たのか、まるで思い出せない。小屋の中を見渡して、その答えはすぐにわかった。わずかに火が残る暖炉の前には大きな水たまりと、若草色のワンピースがあった。


 春になって雪が消えた頃、若草色のワンピースを着たソラは、レミに連れられて山小屋の前までやってきた。そこは花畑になっていて、赤や青や黄色やピンクの花たちが、それぞれに優しい春の陽射しを楽しんでいる。

「とっても綺麗ね」

 ソラは悲しい顔で花たちを見つめる兄に言った。レミは「そうだね」と微笑み返すが、すぐにため息をついて、また悲しい顔に戻ってしまう。

「ねえ、ソラ。ユキは僕たちにたくさんのものをくれたけど、僕は彼女に、何にもお返し出来ていないんだ。ありがとうさえ言えていない」

「あのね、お兄ちゃん。春も冬もこれで終わりじゃないの。ユキちゃんは融けて水になったけど、また空に上って雪粒になったら、私たちの前に戻って来てくれるんじゃないかしら」

 レミは目を丸くして自分の妹を見た。

「そんなこと考え付きもしなかった」

 そう言って、レミは真っ青な空を見上げた。空と同じ色をした瞳から、涙を一滴こぼしはしたが、彼はもう悲しんではいなかった。

 ソラも兄と一緒に空を見上げた。春の風に乗って、見知らぬ遠くの空へと旅立つ真っ白な雲が見えた。ソラは雲に向かって「またね」と言った。

 二人は見えなくなるまで、白い雲を見送り続けた。

(10/13)脱字修正。Veilchen様、ご指摘ありがとうございました

(12/09)脱字修正

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― 新着の感想 ―
[良い点] とてもドラマチックで、素敵な作品でした。 切ないけれど、夢や希望を与えてくれます。 雪が、吹雪や雪崩に姿を変えて、力量も変わる設定は感動しました。 [一言] 応援しています。 頑張ってくだ…
[一言] 拝読させて頂きました。 勇気を忘れてきた欠陥品なんかじゃない。 臆病者でもない。 きっと、自分が必要とされる時をじっと待っているだけ。 その時が来たら…… やさしくてちょっと切ない物語の…
[一言] 会話文でもわざと改行しないという表現方法がなろうでも見られるとは...... とても満足のいく作品でした!
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