はじまりのおなか
僕は世間では高校生ということになっている。けれど僕が僕を高校生であるということが何を意味するのか、僕は知らない。誰だっていつか高校生になるし、誰だっていつかは高校生だった。
そんなことになんの意味があるというのだろう。僕が高校生であるということは、今日が「何日です」というのと、なんら変わりはない。
さて、あとどのくらい寝たらクリスマスがやってくるでしょう。さて、どのくらい寝たら誕生日がやってくるでしょう。さて、どのくらい寝たら高校生になるのでしょう。さて、どのくらい寝たら高校生が終わるのでしょう。
ただひとつだけ気をつけなければならないのは、これほど未熟で陰湿なコミュニティはどの世界にも存在しないだろうということ。
実際のところ、社会に出ればもっと過酷で混沌とした世界が成立するのかもしれないが、それはそれで、成熟しきった大人がわざと演出しているというものだ。
高校生に成熟などありえはしないし、本当に無知で無垢だから、それゆえ自体は深刻だともいえる。だから平気でひとをいじめることができる。
掌で拳をつくって、それを頭部に殴りつけるのならわかりやすい。でもそう言うわかりやすいことはしない。未熟なくせに、もっと陰湿な方法で、少しずつ心を刳りとってゆく。
まだ生まれて間も無く、産毛も生えそろっていないような心はもろい。どんどん削れて、すぐにぼろぼろに崩れ去る。そうして最後には器だけがぽっかり残る。
プリンを食べるのを想像してみてほしい。ちょうどあんな感じだ。
最後に残るのはプラスチックの容器と、カラメルと、少しのカスだけ。
あとには何も残らない。いや、きっと残すことなんてできない。
僕はそうして高校生活を、かろうじて第三者的な立場で送ることができた。いじめを見ても何も言わないし、いじめられるようなこともしない。そうやってなんとか関係のないところに押しやった。
そう、今この瞬間までは。
そういうどこか他人行儀な高校生活は、あまりにも突然、なんの予告もなく終わりを告げた。