第七話
なぜと問う。それは自分がわからないからだ。分からないものを解ろうとしたいがためにするのだ。
では、誰もが知らない「なぜ」があったら、それは解るものなのだろうか。
その答えはきっと――――
「起きろジーク! 朝日はとっくに真上だぞ!!」
「ふがっ」
父さんの大声で目が覚めた僕は、ベッドではなく床で寝ていることに気付いた。
起きようとして道理で体がバキバキとなるわけだと思いながら腕を伸ばしたり体を起こす体操をしていると、起きてこない僕に腹が立っているのか勢いよく階段を上る音がして、僕の部屋の扉を勢いよくあけた父さんがいた。
「起きたんなら下に来い!」
言うだけ言うとあけた扉を放置して、そのまま戻ってしまった。
いつもよりよく寝たなぁと思いながら、ポットとカップがないのを見た僕は、きっと捨てたんだろうなと考えて下へ向かった。
「お前が寝坊するなんて珍しいな。いやな夢でも見たからか?」
「たぶん」
「夜中は驚いたわよ。いきなり叫び声がしたんだから」
「ごめん」
降りた僕は夜中起きてくれた両親に謝ってから朝食を食べ、それからここにはいない二人について質問した。
「そういえばシスターさんとな、な……」
「ナオルニシアさんか。あの子は今朝帰ったぞ」
「ようやく?」
「シスター様ならほかの家へ見回りに行ったわ」
「ふーん」
少し硬いパンに森の近くで取れるイチゴを煮詰めたジャムを塗って食べながら僕は相槌を打つ。
パンはどこの家でも焼こうと思えば焼ける。面倒な人はおかずだけで終わらせる人もいるんだって。
パリッという音ではなく、少しガリッという音のするパンの硬さに毎度顎が疲れるなと思いながら咀嚼していると、「実はなジーク」と父さんが何やら意を決した顔で僕の名前を呼んだ。
母さんも同じ表情をしているので僕は食べていたパンを皿に置き、「一体どうしたのさ?」と尋ねる。
すると、母さんが「驚かないでね」と前置きしてから突拍子のないことを言い出した。
「私たち……いえ。あなた以外のこの村に住んでいた人たちは、全部幻想なのよ」
「…………え?」
何を言われているのかわからなくて僕は聞き返す。
そしたら、今度は父さんが教えてくれた。
「この村のお前以外の人間、建物、畑……さすがに国境線と騎士団は本当だが、逆に言えばお前と、国境と、騎士団と魔物以外は実在しないんだよ。それを知ってここに来たやつらはいなかったけどな」
いきなりな発言に僕は混乱する。どういうことか理解できない。
そんな状態の僕に、両親はなおも続ける。
「『この村』はとんでもなく強力な魔法で作られた実体だ」
「そしてそれを作ったのはジーク……あなた」
「すべての細部まで決めていたお前は、それを発動してここに村を作り、自分を空にしてここで暮らし始めた」
「この国ですら知られず、ひっそりと。そう願ったお前は、この秘密を知られたらこの魔法が解ける唯一の条件にした」
「村からあまり離れられなかったのは、人とあまり遭遇したくなかったため」
「他者がここで過ごすと綻びを見つけられると理解していたため」
機械のように次々と説明していく。
堪らず僕は「一体なんなのさ!?」と叫ぶ。
けれど、二人は続ける。
「そして今日。王都からここに来た彼女にそれを指摘された」
「その結果この魔法は解けて、あなたと他二名以外のすべてが消えるの」
「わけわかんないよ!!」
「あの時の記憶。それだけを自分に遺したお前に作られた俺たちがお前の力を分け与えられた俺達を代表して、この言葉を遺してやる」
「だから何を言ってるか理解できないよ!!」
そう僕が叫んだけど父さんは無視し、僕の頭に手を置いて撫でながら優しく言った。
「確かに世界なんて不条理ばかりだ。理想なんて役に立つものでもない。けどな、それらを理解したうえで掲げる人間は何者よりも強いと、俺達は思うぜ」
そういった瞬間。何の前触れもなくすべてが消えた。
理解が追い付かない中、僕が立っていたのは地面。草の高さはないけど、一面に生えている。
お師匠様もシスターの格好で立っていた。メイド服を着ている少女も、何かの途中だったのか、そのポーズのまま立っていた。ナオルニシアさんだけは……なぜか木々の間で様子を見るようにこちらを見ていた。しかも驚いて。
「一体どういうことだ……?」
お師匠様が理解できないといった感じでつぶやいて僕を見つけた。
反射的に僕は後ずさりを始める。
けれど、お師匠様よりメイド服を着た少女のほうが早く僕の前に来た。
「一体どういうことですか?」
「その前にどうして僕のところに来たのさ?」
「消える直前、あなたをよろしくと言われたもので」
そういうと彼女はずずいっと顔を近づけて「どういうことですか?」と訊いてくる。
無表情ながらも整っている顔立ちに僕は今更ながらドギマギしていると、お師匠様が不意に「ここまで精巧な、実体を持った幻術か……」と呟いてから僕の方を見る。
その冷静に観察する目に逃避したくなった僕は、メイド服を着た少女から離れるのも並行して後ずさる。
僕にだってわからないのだ。いきなり父さんたちがこの村は魔法でできた上に僕が発動させたとか言って消えて。
今まで過ごした時間は覚えている。今でもここで過ごした記憶を思い出せる。
にもかかわらずそれが魔法だと言われ、一瞬ですべてが消えた。何の前触れも、何の痕跡も残さず、村が、人が、丸々消えた。
なぜ、どうして。そんな単語ばかりが脳内を占め、僕は思わずしゃがんで頭を抱える。
僕は一体誰なのか――平民で魔力もなく、只弱いだけのジーク。それ以上でもそれ以下でもない。
僕の両親は誰なのか――魔法で作られたと言い、消えて行った。
僕が住んでいる村は――シュラーデ。だけど消えた。
僕に親切だったのは――村のみんな。だけど消えて行った。
何が起きた――魔法が解けると言われた。
一体どうして――彼女が、ナオルニシアが指摘したから。
なぜ彼女は来た――お師匠様が僕の事を引っ張り出そうとしたから。
なぜお師匠様が引っぱりだそうとした――僕が世界を救うために動いている未来を見たから。
ではなぜ僕が世界を救うために動くのか――解らない。
なんで解らないのか――こんな世界を救う理由がないから。
なんでそう言えるのか――不条理で理不尽で、腐りきった世界の良さが解らないから。
なんで解らないのか――それは……なんでだ?
疑問で思考が止まる。僕の中に落ち着きが出るけれど、それでも止まった思考は動かない。
分からない。理解ができない。判断ができない。知らない。それらすべての言葉が当てはまる『解らない』。
まるで世界すべてを見たというような諦観をしている理由。その答えがなんなのかわからない。ただ残っているのは、村で生活していた記憶とあの時の記憶のみ。お師匠様に師事した時期に起きた、自分という弱者を映し出す記憶。
齢十五、六ぐらいであの時以降村の近所しか移動していない僕が、どうしてそんなことを思えるのか皆目見当がつかない。
謎。それは現在の僕の存在における一つの構成と化していた。
それを解けばすべてがわかるはずなのに、わた――僕は、今更込み上げた喪失感に押しつぶされた。