第五話
あと四話でプロローグが終わりますが、一章はまだ、進んでいません!
そこからさらに二週間。彼女がここに来てからひと月が経過した。
お師匠様とな……な、ナオルニシアさん(未だに名前が覚えられない)は、特にこれといった強硬策をとっていない。理想を現実で叩き潰しているわけじゃないけど、ともかく動きがない。だから逆に怖い。
みんな僕が予言の子だというのを信じないから忘れられて、お師匠様や彼女に対し笑顔で普通にあいさつを交わす。
チャオズお爺さんがお師匠様の正体を口走りそうになって宣教師然のお師匠様が口封じのために気絶させたみたいだけど……まぁ身から出たさびだよね。どう考えても。
そんなわけで二週間。今日も僕はのんびりと一人で日課である薪拾いをしていた時のこと。
そういえば彼女どうして行き倒れていたんだっけ? と今更なことを気にしながら細い枝を拾っていると、枝を踏んで折れた音が近くで聞こえたので警戒する。
籠は地面に置いたまま。僕はゆっくりと立ち上がって周囲を確認。その結果、音はどうやら森の奥――魔物達の領域内の方から段々とこちらに近づいてる最中らしい。
敵か味方かわからないけど国境であるこの森の、騎士団が見回りをしてる場所とは違うここでその音が聞こえるのは、道に迷ったか密入国者、あるいは冒険者が依頼を終えて近い方に戻ってきたか、魔物のどれか。
どちらにせよ長居するのはダメだなと思った僕は籠をつかんでそのままダッシュでそこから立ち去った。
「一体なんだったんだろう…」
いつもの場所から足早に退散した僕は籠を背負い直してさきほどの足音について考えようと思ったけれど、さすがに面倒だったのでやめた。
家帰ったら今日はゆっくり本読んだ方がよさそうだな……とすこしばかり暗雲が立ち込めた空を見上げて考え、薪が湿ったら元も子もないので走ることにした。
「こんにちはー」
「おかえりなさいませ。そして……さようなら」
「あ、うん。ここに薪置いておくから」
「え?」
「それじゃ、またね!」
僕は籠を自分の家じゃなく――というか自分の家の薪を拾っていたわけじゃなく――グラシウス夫婦の家へ運ぶとすぐさま籠を置き、雨が降りそうな天気なので急いで我が家へ戻る。
途中聞きなれない声が聞こえた気がしたけど、きっと親戚の子でも遊びに来たのだろう。
そう結論付けた僕は、だんだんと悪くなってきた天気に合わせて走る速度を上げていった。
の、だけれども。
「通しません」
――なんか、すごいかわいらしい服を着ている表情筋が死んでそうな少女に遮られた。
なんていうんだろうあの服? チャオズお爺さんなら何か知ってるかな?
ひらひらで可愛らしい服について若干興味を抱いていると、その子がいつの間にかナイフを両手に握っていた。
その子はそのナイフを構えながら質問してきた。
「あなたがジークで間違いありませんね」
「あ、うん。ジークは僕だけど」
「では、死んでください」
「ちょっと待って」
襲いかかってきそうな体勢になった彼女の発言に、僕は全力で待ったをかける。すると言葉が通じたのか、彼女はナイフを下して首を傾げた。
「命乞いですか?」
「え、ごめん。僕君に殺されるようなことした?」
「してませんが?」
「ならどうして僕は殺されなければいけないんだい?」
すると彼女は事情を説明してくれた。
「ジークという強者を倒せたら実力を証明できるからですが」
「あ、ごめん。僕君が何を言ってるのか分からないや。もう一度言って?」
「ですから、シュラードに暮らすジークと言う少年を倒せたのなら私が一番強いと証明できるからです」
「うん。参りました」
とりあえず詳しく説明してもらえたので僕は降参して横を通り過ぎようとする。
だけどその子は僕の進路を妨害する形で再び立ちふさがり、「ふざけているのですか?」と声色がかすかに怒っていた。
「別にふざけてないよ」僕はそう笑いながら言って説明することにした。
「だって僕、剣を握ったことないし」
「嘘を言わないでください。あなたの足運びは剣を握ったことのある、それもそれなりに経験を積んだ者でしかできません。そんな、無駄を一切省き、気がつかれることのない足運びは」
全くの図星。よく見てるなぁと感心する一方で、僕は「でも強くないのは本当だよ」とその子に言ってあげる。
でもその子は信じようとせず、「時間稼ぎですか?」とナイフを構え直しながら聞いてくる。
今度は疑り深い子だなぁと思いながら「君は魔法を使える?」と質問する。
「黙秘します」
「えー即答~?」
「相手に情報を教える必要はありませんから」
…困ったな。雨が降り始めてきたから早く帰りたいんだけど、この子まったくと言っていいほど話を聞かないんだけど。
どうしたものかな…と濡れ始めた体に背筋を震わしていると、その子は痺れを切らしたのか「行きます」と言ってその場から消えた。
かと思ったら、僕の視線が下がり、首筋に雨とは違う冷たさを持ったナイフが両脇に添えられていた。
「え?」
この声を発したのは、先程から疑り深い可愛らしい服を着た子。僕は見えてなくてどうなったのか分かってない。
けれども、これで証明できたと思い「ね? だから言ったでしょ? 僕は強くないって」とナイフをどかしながら振り向かずに言い、僕は立ち上がってそのまま立ち去った。
家とは少し違う方向へ。
段々と雨が強くなっている。その中を僕はしばらく普通に歩いていたけど、ふぅと息を吐いて気を抜いた瞬間、先程から抑えていたものがどっと押し寄せてきた。
「グゥ! ゲホッ、ゲホッ!! オウェ!!」
逆流してきた胃の中のものが抵抗もなく口から吐き出される。それと同時に雨に打たれた時の震えとは違う、全身がガタガタと――まるで何かに恐怖するような――震えに苛まれる。
力が抜ける。視界が定まらない。震えは止まらない。吐き気も止まらない。血の気も失せている。
きっと顔色最悪なんだろうなと、地面に膝と手を付けた状態で吐きながら踏ん張る。雨脚も強くなってきており、風邪を引くことは明白。
やっぱりこんなものなんだよね現実は。ダメなものはいつまでたってもダメ。どうにかしようにもできない、僕の構成要素の一つになってしまったものは。
吐き気がなくなったので力の入らない腕や足に何とか力を入れて立ち上がる。それでも体はフラフラと力が入っていない。一歩踏み出そうとするたびに行こうと思っていた場所とは違う向きへ足が動く。
……まぁこんな状態じゃ家に帰っても心配をかけるだけだからね。そう考えなおした僕は、そこから森の近くで雨宿りできる場所へ向かった。
次の日。
僕は見事に風邪を引いた。けれど、薬師なんていないし魔法使える人のところまで行くのに他の人に見つかったらアウトなのでどうしようかと雨宿りしている場所で考えていると、不意に聞きなれた声が聞こえてきた。
「家に帰ってこないと思ったら雨宿りの上に風邪か。一体何をやっているんだ弟子よ」
「……お師匠様」
かすれた声でせき込みながら目の前にいる人に声をかけると、まったくという声が聞こえ、その後に何か――おそらく魔法の呪文だろう――つぶやいたのが聞こえ、次の瞬間には体のだるさや熱っぽさがすべて消えていた。
僕は体を起こして「ありがとうございました」と礼を言う。
お師匠様は鼻で笑ってから聞いてきた。
「一体何があった」
「……」
僕は黙る。これを話していいのだろうかと思い。
明らかに僕は狙われた。その噂を流した張本人だろうお師匠様にこのことを言って、問いただしたところで何も言ってくれないだろうと考えられるから。
お師匠様の事だからきっと「必要悪だ」とか言って逃れる気だろう。でも僕には――今も昔も変わらない僕には――本当に無理だ。こんなことを立て続けにされたら、僕はもう、正気を保っていられないだろう。
人の押しつけがましい理想や希望や願望なんて僕にかなえられるほどの力はないし、今後必要としないだろう。
役に立たないのだから。
「――答えたくない、か」
「一つ、いいですか?」
「なんだ?」
「お師匠様が言っていた世界の危機…それは魔物の暴徒化とかじゃありませんね?」
「なぜそう思う」
僕が沈黙を貫いているのを理解したお師匠様が息を吐いて聞いてきたので、僕は今更なことを聞いてみた。というより、少しの確認なんだけど。
そう考えた理由を問われたので少なくともどこかあたっているんだなと思った僕は、「そうじゃなきゃ、僕を予言された子として仕立てあげませんよね? お師匠様一人でもいいですし、冒険者の方たちにも強い方はいますから」と答えた。
僕の答えに対しお師匠様は少し黙ってから、突然笑い出した。
「まったく。弟子にはかなわん」
「となると魔物関連じゃないんですか」
「正確に言うなら魔物もかかわっている。が、そんなものは些末に過ぎない」
「はぁ」
「とはいっても私もそれほど詳しく知っているわけではない。ただ良からぬことが世界に降りかかり、それを止めようとする弟子の姿があった。だから、予言としておまえの名を挙げた」
……なるほど。予言自体は別に法螺でもなかったのか。このお師匠様、力が縛られていると言ってるけどそれでもスペック高いからなぁ。予知夢とか予言とか普通に出来そう。
って、あれ? どうして力が縛られているんだっけ? 確かお師匠様は女帝で、その女帝は今引退してこうして目の前にいて……ん?
「どうした? 続きが気になるのか?」
「まぁそれも多少はありますけど、引退と力が縛られていることに何か関連性があるのかなって」
「……まぁな」
細かいところに気が付くな弟子よ。そうお師匠様は褒めているのだか貶しているのだかわからないことを言ってから、それに関しての説明を始めた。
「私がギルドで最高位――ランクレスになったのは今から数十年前の話だ。…ランクレスのことは知ってるか?」
「チャオズお爺さんが教えてくれました。お師匠様の話をするときに」
「もっともその当時のランクレスは私一人だったがな。現在では六人ほどいるというのだから、全く末恐ろしいな」
「そうですね」
「で、だ。その当時の私は自分の力を驕っていた。過信していたといっても違いない。なんといってもギルド設立初めてのランク外だからな」
「本当に今までいなかったんですかね……」
「それは知らないが、まぁ割と好き勝手やってた時期にな、ある依頼で好き勝手やっていた天罰が来たんだよ」
「どんな罰ですか?」
「力は全盛期の五割、不老不死、予知夢、他にもあったが、今はさっきの三つで縛られているな」
五割であれだけできるって、全盛期のお師匠様ってどれだけ強かったのさと思いながら乾いた笑いを浮かべるお師匠様は「だから私の容姿は罰を受けた日から変わってないピチピチのままなんだ」と胸を張る。
「それ天罰というより、強化じゃないですか」
「何を言う。この天罰のおかげで私はおとなしくなってギルドを引退したんだぞ」
「そうなんですか」
軽く流す。今更だけど、どうしてここに来たのだろうか。
それが顔に出ていたのか、お師匠様はごほんと咳払いしてから「ここに来た理由だが」と話し始めた。
「昨日雨が降ったというのに帰ってこなかったからな。心配した両親とともに分かれて捜索していたところだ」
「それでお師匠様が真っ先に見つけたんですか」
「そうだな。お前に聞きたいこともあったし」
「なんですか?」
「昨日、森の正規ルートじゃない場所で魔物が殺されていた。それも、冒険者でもそれなりにランクが高いやつじゃないと倒せないやつだ」
「冒険者じゃないんですか?」
「ここの森は騎士団がいるから依頼を出す必要ないし、隣の国がわざわざ討伐依頼を出すとは考えにくい」
「何か問題があるんですか?」
「目的が不明だからな。騎士団も捜索隊を組んで村を探している。薪を拾ってくるといってお前は出て行ったのだから、何か知ってると思った」
なるほどね。侵入者探しなわけか。そう思いながら昨日の少女の記憶をそっと遠ざけてその付近を思い返す。
「そういえば、森の奥のほうからこっちのほうへ来る足音を聞きましたね」
「それ以外は?」
「……ありません」
僕がそう答えるとお師匠様は「で、お前はそのまま逃げたんだろ?」と聞いてきたので黙って頷く。
情けないといわれようと、僕には立ち向かえるものがない。自慢にもならないそれだけど、現実なんてそんなものだ。
…そういえば、どうしてお師匠様はこんなことを調べているのだろうか。質問に答えた後気になった僕は尋ねようとしたところ、お師匠様はどこかへ消えていた。
「……自分で帰らないといけないのか…」
未だに降っている雨を見ながら、また風邪をひいたら元も子もないなと思いつつ僕は家へ帰るために駈け出した。
次回も七月中に。一章の半分が書き終わったころになるかもしれません。