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《ネバーファウンド・レルム》シリーズ

盗賊バーバラ:エルフの魔剣

作者: ふゆ


        一


 その剣は、全長約九十センチ、片手で扱うための短い柄を持った、良くある普通の剣だった。

 拵えはどこか異国風で、それはそれが異国製だから。

 両刃で真っ直ぐの剣身には文字か模様のようなものが細かく刻まれているが、これは異国製だからではない。戦場での加護を願って戦神の名を刻むぐらいのことは、ちょっとお金が掛かった剣ならば良く見られるが、そういったものとも違う。明確な意図を持って機能を付加するために刻まれた魔術文字だ。

 それは、エルフによって作られた魔術武器――魔剣だった。

 その魔剣が、真っ直ぐこちらに向かって突き込まれて来る。魔剣を持っているのは剣呑な雰囲気の痩せた男。革鎧を身に着け、腰からは剣の鞘を下げている。

「バーバラさん!」

 アレスドルフがあたしの名を叫ぶ。呼ぶなっつーのに――いやいや、そんな場合じゃない。

 防御のために腰の後ろの短剣を抜こうとする。だが、間に合わない。

 剣先があたしの胸元に触れた瞬間、剣身の呪紋が光を放った。

 そしてそのまま――刃が深く突き刺さった。


 話は、半日ちょっと前、今日(というか昨日というか)の昼前まで遡る。


        二


「っと、失礼」

 ぶつかりざま、その商人風の男の懐に手を突っ込み、財布の中の硬貨だけを二、三枚失敬する。財布ごと盗った方が楽ではあるけれども、相手が盗まれたこと自体に気付かない方が後々面倒が無くて良い。

 フィリウス市はラファール王国有数の大都市で、国中から人やモノが集まってくる。商人。旅人。冒険者。傭兵。吟遊詩人。聖職者。占い師。大道芸人。大人も子供も男も女も。あらゆる種類の人々で大通りはごった返していた。〈東の大陸〉では滅多に姿を見ることのないエルフやドワーフ、ホビットといった亜人種族の姿さえちらほらと見られる。

 正面からいかにもお忍びの貴族といった風の男が来たので、すれ違いざまに指輪を一つ二つ頂く。あたしは基本的にある程度裕福そうな、多少の小銭を盗られても困らなさそうな相手しか標的にしない。別に偽善を気取るわけじゃなく、その方があとから騒がれたりする可能性が低いからだ。

 今日はこんなもんか。そう判断したあたしは大通りから離れると、裏路地へ入った。途端に人気が無くなり、先ほどまでの喧騒が嘘のように、まるで夢か何か見ていたような気分になった。

「ふう……」

 小さく溜息をつくと、物陰で戦利品を確認する。銀貨が二十枚ほど。金貨が三枚。銀の指輪が四つ。指輪はどれもありふれたものなのでこのまま売っても足が付くことは無いだろう。

 硬貨は何箇所かに分けて服のポケットに。指輪は腰のポーチへ。ついでに腰の後ろの短剣を半ば無意識に確認。

 さて。今日はもう一稼ぎの予定が入っている。掏摸だなんてけちけちした仕事じゃない、あたしの本業が、だ。


「ルーカスー、来たよー」

「おう」

 看板も出ておらず、営業しているのかいないのか良く判らない中古武具店。剣や鎧が所狭しと並べられた棚をかき分けるようにして奥へ進むと、そこにルーカスが居た。表向きはこの武具店の店主、裏の顔は故買屋、そしてそのさらに裏の顔は盗賊組合の窓口という、そんな小悪党だ。

 店内には、ルーカスの他にもう一人、若い男が居た。

 いや、若い、と言って良いのかどうか。〝彼ら〟の基準ではおそらく見たままに若いのだろうが、その実年齢はあたしよりずっと上の筈。その細い髪の間からは、長く尖った耳が覗いていた。

 エルフだ。〈西の大陸〉の、主に深い森の奥に住む亜人種族。外観は人間とほぼ同じで耳がやや長く、寿命も長い。独自の神々を奉じ、独自の社会制度を持っているという。

〈東の大陸〉は人間の世界で、いわゆる〝文明〟を持った知的種族というのは殆ど人間しか居ない(知的というだけなら例えば竜が居るが、彼らは文明どころか社会すら形成していないのでここでは数に入れない)。それに対して〈西の大陸〉は、全体の半分近くは人間が占めているのだけど、残りの半分は様々な種族がそれぞれの社会を形成し、人間も含めて相互に交流したり戦争したりし合っているそうだ。

 前述したようにこのフィリウス市のような大都市であれば、彼らを見掛けることも無くはない。とはいえその頻度は決して高くはなく、あたし自身何度か交流を持ったことぐらいはあるが個人的な知り合いというのは今のところいない。

「依頼人だよ」

 あたしが目で問うと、ルーカスが答えた。その遣り取りを聞いてエルフもまたあたしが何者か得心がいったのだろう、小さく頷くとこちらを向いて口を開いた。

「こにちわ。私はフォール・ル・アレスドルフ言う、ます。よろしく」

 言葉が通じるのか少し不安だったがちゃんとラファール語が話せるらしい。発音がやや覚束ない様子だが、意思疎通は十分に出来そうだ。

「あたしはバーバラ。よろしく」

 名乗り、手を差し出す。彼は少し戸惑ってから握り返した。そう言えば〈西の大陸〉には握手の習慣はあまりないとか。おお、異文化。

「んーと、アレスドルフ、って呼べば良いのかしら?」

「はい。どうぞ、そう呼んでください」

 エルフたちは普通、姓・名の順で名乗ると聞いた。間の〝ル〟は良く判らないが。

 ルーカスもアレスドルフもカウンターの前の小さな空間に椅子を置いて腰掛け、それぞれ煙管と湯のみ茶碗を手に持っている。あたしも隅に適当に置いてあった椅子の一つを引き寄せると、彼らと三角形を形作るような位置で腰を下ろした。

「さて、じゃあ仕事の話に入りましょっか」

「うむ」ルーカスが頷き、「今回の標的はな、剣だ。ある剣を、盗みだして貰いたい」


「剣ね。どんな剣?」

 答えたのはアレスドルフだった。

「それはShort Swordです」

「しょ……何?」

「ショート・ソード。向こうの言葉だよ。意味は、短い剣、ってとこだな」

 と、ルーカス。

「短剣ってこと?」

「ちっと違う。長さで言うとだいたい三十五インチ……九十センチぐらいの片手で扱う剣のことだ」

「短くないじゃない」

 普通、短剣と言うと、三十センチから七十センチぐらいの、補助的に使われる剣のことを言う。

「長いのと比べれば短いんだよ。一五〇センチぐらい以上の両手で扱う剣のことを向こうではロング・ソードって呼んで、意味はそのまんま、長い剣だ。ついでに、お前が持ってるような、こっちで言う短剣の小振りなやつのことをダガーって呼ぶ」

「ふうん」

 ま、正直どうでもよろしい。

「まあ良いわ。とにかく剣を盗んでくれば良いわけね。在処は? 探すところからやるの?」

「その必要は無いんだが、その前に一つ、条件がある」

「……何よ」

 警戒しながら問うと、ルーカスはアレスドルフを親指で指差し、

「彼を現場に同行して貰いたい」

「……はぁ?!」


 ルーカスの話はこうだ。ある日、〈西の大陸〉のエルフ領にあるとある国で、氏族に伝わる七振りの剣が盗まれた。アレスドルフは何人かの仲間と共にそれらの剣の行方を追い、やがてそのうちの一振りが〈東の大陸〉に持ち込まれたことを知った。つてを辿り、盗賊組合にも接触を持ち、ついにそれが何人かの手を渡った末に、ここ、フィリウス市の古美術商アラン・マードックの邸にあることを突き止めた。

「アラン・マードック。最近急成長の商人ね。そこにあたしが一人で忍び込んで目的のブツを盗って来る、で何の不都合があるの?」

「ああ。その剣はな、魔剣なんだそうだ」

「魔剣……」

 何らかの形で魔術が掛けられた剣のことだ。広義には前述したような戦神の名を刻み込んだ剣も含まれるが、一般にはもう少し強い力を持ったものに限られる。

 剣身から火を吹くとか軽く撫でるだけで鉄をも斬り裂くとかいった判りやすいものから、持ち主は絶対に風邪を引かないとかいう剣である必然性があるのか判らない(むしろ剣でない方が便利そうな)ものまでピンキリだが、多くの場合その金銭的価値は計り知れない。

「盗まれた七振りのうちのどれか、ってのが特定出来てなくてな、へたに素人が扱うと危険なんだそうだ」

「私が一緒に行くします、そしてそれを適切に取り扱うします」

「……あー、例えば……あたしがまず一人で忍び込んで、モノを確認する。で、一旦戻って彼に特徴を伝えて、正しい扱い方を教えて貰ってから、改めて盗りに行く。どう?」

「時間が無い。アラン・マードックも別にその剣は自分で使うために買ったわけじゃなくてな、明日にもフィリウス市から外へ持ち出される予定だ」

「それなら市内で手に入れるのは諦めて、どっか他所の街に持って行かれるってんならそっちの盗賊組合に丸投げするとか……」

「悪いが、盗賊組合の意向として、この件はフィリウス市内で内密に解決したいんだ。〈西の大陸〉との政治的駆け引きとか、まあいろいろあってな」

 盗賊組合の意向、ってのを持ち出されると弱い。わざわざあたしを名指しで来た仕事なのできちんとこなしたいという思いもある。

 でも、それにしたって盗みの現場に素人を同行するというのは……


 あたしはアレスドルフに聞いた。

「あんた何が出来るの?」

「はい?」

「魔剣の取り扱いが云々って言ったけど、魔術師なの?」

「はい。私は、Warlockです」

「うぉ……え、何?」

 ルーカスの方を見るが黙って肩をすくめている。あたしもそうだが彼も魔術にはそれほど詳しくない。言葉が判ってもそれについて知識が無ければ解説のしようが無いのだろう。

 アレスドルフはそんなあたしたちの様子を見ると、少し考え込み、口の中で何やらぶつぶつ呟き始めた。

 すると、

「――あれ?」

 彼の姿がふっと消えた。綺麗さっぱり、影も形も無い。先ほどまで居た辺りを手で撫でてみるが、何の感触も無い。

「ふむ」

 あたしは手を胸元に引き寄せると、拳を握り、

「――ふんッ!」

 力いっぱい目の前の空間をブン殴った。が、拳は空を切るだけでもちろん何の手応えも無かった。

「へえ、すごーい。姿を消しただけじゃないのね。どこかに移動したのかしら?」

 あたしが感心していると、ルーカスが、

「おーい、バーバラ。足元」

「へ?」

 言われて、足元を見る。そこには、

「……何で鼻から血を流しながらうずくまってるの?」

「貴女が打撃したのです私を」

 顔面を抑えたままアレスドルフが立ち上がった。

「何の手応えも無かったよ?」

「Let me see、ええと……意識の盲点、に隠れました。貴女は私を見ますが見ていません」

 良くは判らないがとにかく姿を隠すぐらいのことは出来るということだろう。またエルフという種族は人間と比べて俊敏性などが遥かに優れるとも聞くし、まあどうにかなるだろうか。

 その後いくつか打ち合わせをし、その場は一旦解散。準備をしてから夜に再び集まって決行ということになった。


        三


 そして夜。

「よっ」

 というのは実際に口に出して言ったわけではなく、まあなんというか心意気というか、あれだ。とにかくあたしとアレスドルフは塀を跳び越えると、音もなくマードック邸の裏庭に降り立った。

 二人共暗い色を基調とした動きやすい服装で、顔には覆面をしている。あたしは愛用の短剣を腰の後ろに差しているが、アレスドルフは特に武装はしていない。

 時刻は深夜過ぎ。辺りに人気はない。見廻りはもちろんあるが、昼間のうちに下見と事前調査は済ませてある。

 その際、情報屋が少々気になることを言っていた。

「マードック邸に今夜か。そいつはちっと間が悪いかもな」

「どういうこと?」

 あたしが問うと、薄暗い酒場の隅の席でそいつは言った。

「少し前から凄腕の用心棒が滞在してる。何でもでかい取引の商品の護衛だそうだ」

 間が悪いも何もその商品こそがおそらくあたしたちの標的なわけで、彼もそのことには気付いてもいるだろうが、互いにそこには触れない。

「用心棒ね。どんなやつか詳しいことは判る?」

「騎士くずれだか傭兵くずれだか、とにかく剣の扱いは一流だって話だぜ」

 うーむ。あたしの正面からの戦闘能力というのははっきり言って大したことは無い。とりあえず護身のためにいくらかの訓練は受けたけれども、並以上の使い手が相手では勝負になりはしないだろう。そういった意味では一流だろうと超一流だろうと大した違いではない。

 問題なのはその用心棒が臨時雇で、通常の警備には組み込まれていないこと。どう行動するのかが読めない。時間があればきちんと事前調査するのだが、今回はその時間が無い。

 案外輸送の護衛のみの契約で夜は普通に寝ている可能性もあるが、そんな不確かな可能性は頭の片隅に置いておく以上の意味は無い。

 最大限の警戒をしつつ、ばったり会ったりしないよう祈るしか無いのだが……


 裏口の扉の鍵穴に二本の針金を突っ込み、かちゃかちゃとやって数秒。硬い音がして錠が開いた。少し待って罠の類が無いことを確認し、ゆっくりと開く。

「すごいですバーバラさん。貴女はまるでSorcererです」

 アレスドルフが小声で感嘆の声を漏らす。そ……ナントカというのは、良く判らないが。

「そりゃどーも。でももう喋らないで。特に互いの名前を呼ぶのは厳禁」

「ゲンキン? Cash?」

 通じていない気がしたので人差し指を口元で立てると、これは通じたらしい。

 そのまま、屋敷の中を予め調べておいた見取り図に従って進んで行く。途中何度か見張りに出くわしそうになったが、物陰に隠れたりしてうまくやり過ごす。

 屋敷の廊下には特に灯りなどは無い。あたしはそれなりに夜目が効くように訓練しているので星明りや諸々の明かりでなんとかなるのだが、アレスドルフはどうするか、まさか松明や角灯を持ち込むわけにも行かないし、と思っていたらエルフという種族は生来暗視の能力を持っているそうな。何か悔しい。

 また暗視のみならず、敏捷性に優れるという言葉に偽りは無いようで、彼は忍び足なども問題無くこなす。種族として盗賊に向いてるんではなかろうか。


 やがて目的の保管庫に到着した。

 様々な絵画や彫刻、装飾の施された武具などが並んでいる。かさばらないものを一つふたつポケットに放り込んで行きたくなるが、今回は盗賊組合からの依頼による仕事なので余計なものに手は出さない。我慢。

 剣が並べられた一角を二人で手分けして確認していく。どれも柄や鞘にこれでもかと装飾が施され、どう握ったら良いのか判らないものもある。儀礼用だったり純粋に美術品だったりなのだろう。両刃の直剣だけではなく、片刃で湾曲した刀身を持つ〝刀〟もいくつかあった。この国では珍しい。

 と、

「Oh……」

 アレスドルフが声を漏らした。目的のものを見つけたらしい。

「あったの?」

 小声で聞く。何やら硬い表情で頷く彼の視線の先には、硝子張りのケースに鞘から抜いた状態で飾られた剣があった。他と比べると割合簡素な、しかしどこか異国風の(まあ異国製なのだが)拵え。剣身には細かく文字だか模様だかが刻まれている。

 ケースには鍵が掛かっていたが目を瞑っても開けられる程度の代物だ。念の為蝶番に油を差し、ゆっくりと蓋を開く。

「……持っても大丈夫?」

 この剣が魔剣で、へたに素人が扱うと危険だという話を思い出し、聞いた。

「はい大丈夫です。でも刃に触れないように気を付けて。とても気を付けて」

 普通に斬り付けただけで自動的に効果が発現する種類の魔剣ということか。

 あたしはケースから剣を取り出すと、鞘に収める。

 さて、ここまでは順調。順調過ぎる。経験上、こういうときは必ず最後に何か起こる。

「で、結局この剣、何だったの?」

 答えたのはアレスドルフではなかった。

「呪いの魔剣、って触れ込みだったな」

 入り口の方から、知らない男の声がした。


        四


 保管庫の入り口に立っていたのは剣呑な雰囲気を持った痩せた男だった。革鎧を身に着け、手には角灯を持ち、腰からは剣を下げている。

 今は見廻りが来るタイミングではない筈だが……

「それ持って行くのよして貰えるか。仕事がなくなっちまう」

「……あんたが新任の用心棒さん?」

 あたしはいつでも短剣を抜けるようさりげなく腕の位置を変えつつ、相手の様子を見る。出方によっては交渉の余地があるかも知れない。

「剣を抜きな。ああいや、その大層な剣じゃない。オマエの、だ」

 言ってそいつは角灯を床に置くと腰の剣を抜いた。どうやら交渉の余地は無さそうだ。良く見れば目付きが危ない――人を斬ることを目的に傭兵や用心棒をやっている手合いか。

「……呪いの魔剣って?」

「さあね」

 隙を伺うために話し掛けてみるが、用心棒は取り合わずに剣を気軽にふらふらと振りながらゆっくりと近づいてきた。

 と、そこへ、アレスドルフが前に出た。あたしと用心棒の間に立ちはだかるように、或いは用心棒からあたしを守るように。

「……あん? 何だオマエ。剣も持ってないヤツが俺の前に出んじゃねえよ」

「その剣は」

〝その〟と言ったがたぶん今あたしが持っている魔剣のことだろう。この場合〝あの〟が正しいんじゃないかと思うが突っ込んでいる場面でもない。

「その剣は野放しにするのは良くないです」

 言いながら半身になり、腰を落とした。緩く開いた両掌を相手に向けた、徒手格闘の構え。あの用心棒と素手で戦うつもりなのだろうか。

 と、あたしはアレスドルフがぶつぶつと何か呟いているのに気付いた。何を言っているのかは判らないが、音律には聞き覚えがある。ルーカスの店で彼が見せた、あの、姿を消す魔術だ。

 ――まさかコノヤロ格好付けといて一人で逃げる気か。

 用心棒は半分しらけたような目でアレスドルフを見やり、

「なら――死んどけ!」

 転瞬、踏み込みと共に剣を振った。


 やられた! あたしは思わず目を閉じ、すぐに慌てて開いた。ほんの一瞬の間に用心棒は数メートル前へ出ており、さらにその右手が斜め前に振り抜かれていた。手に持った剣は、アレスドルフの首を薙いでいたであろう位置にある――その剣に剣身があれば。

「――へっ?」

 用心棒が素っ頓狂な声を上げる。彼の手の中には、剣の柄しか無かった。剣身が、綺麗さっぱり消えている。

「意識の盲点――我々はBladeを見ますが、見ていません」

 言いながら、アレスドルフが用心棒との間合いを詰めた。音もなく、影のように。

「このっ……!」

 我に返った用心棒が左の拳を握って殴りかかった。その拳の下を潜るようにして身を屈めたアレスドルフが用心棒の懐に飛び込み、その手首を掴み、脚を払い、

「ふッ――!」

 投げた。殴りかかったときの勢いそのままに、用心棒の身体があたしのすぐ脇の床を転がって行く。その手から離れて別の方向へ滑って行った彼の剣には、いつの間にか剣身が戻っていた。

「――さあ、行きましょう」

 用心棒を投げたときそのままの、まあ格好良いと言えなくもない体勢でアレスドルフが言った。

「そ、そうね。モノも手に入れたし」

 あたしは手に持った鞘を掲げて答える。鞘を。……鞘?


「へっ――」

 声と共に用心棒が立ち上がる気配がし、あたしは振り返った。

 床にでもぶつけたのか頭をしきりに振る用心棒の手に、剣が握られている。先ほどまで彼が持っていた普通の剣ではない。あたしが持つ鞘に収められていた筈の魔剣だ。アレスドルフに投げられ、あたしの横を転がって行く一瞬に抜き取って行ったらしい。

「こいつが呪いの魔剣って話だがな、詳しくは知らねえが、エルフ共が暗殺のために作ったんだそうだ」

 用心棒が言った。

「銘は確か〝ハンドレッド・イヤー・キル〟だったか。試し斬りしてみてえんだけど売りモンだから駄目だって言われちまっててな……けど、今のこの状況は不可抗力ってやつだと思わね?」

 思わない思わない。

 そんなあたしの心の声には構わず、用心棒はあたしに向かって剣を構え、

「ちょっ……! さっきの剣身消すやつもう一回!」

「駄目です、魔剣に魔術を重ね掛けは掛けられないです!」

 そのまま真っ直ぐ突き込んで来た。 

「バーバラさん!」

 アレスドルフがあたしの名を叫ぶ。呼ぶなっつーのに――いやいや、そんな場合じゃない。

 防御のために腰の後ろの短剣を抜こうとする。だが、間に合わない。

 剣先があたしの胸元に触れた瞬間、剣身の呪紋が光を放った。

 そしてそのまま――刃が深く突き刺さった。


 そして。

「――へ?」

「――あ?」

 数拍の間を置いてから、あたしと用心棒は殆ど同時に言った。

 剣は、呪紋から光を放つ剣身をあたしの胸元に根元まで潜り込ませ――そしてそれだけだった。痛みも何も無い。

「何だこりゃあ……」

 用心棒が気味悪そうに剣から手を離し、数歩後退った。

 と、その背後へアレスドルフが忍び寄り、

「――――!」

 用心棒の膝裏を蹴って跪かせつつ、首に腕を巻きつかせ、締めた。数秒。用心棒は意識を失い、そのまま床に倒れた。

 次に彼は立ち上がると、あたしの胸に突き刺さったままの剣の柄に手をかけ、

「Excuse me」

 そのままいっきに引き抜いた。

「ひゃっ」

 ぞわわっとした感触。だが血も出ない。服には切れ目が入っていたが、その下の肌には傷一つ無い様子だ。光を失った剣身の方も綺麗なものだ。

 助かった……のか?

「すみません……彼をもっと確実に無力化しておくべきでした私は」

「殺したの?」

「落としただけです。すぐ目覚めるでしょう。とにかく今は早く逃げるべきです」

 彼の言葉に応じるかのように、邸のそこかしこから「何だ今の音は!」とかいった声も聞こえ始めた。

「……わかったわ、逃げましょう」

 そしてあたしたちはマードック邸をあとにした。


        五


「その剣は、あの男が言った通り暗殺のための魔剣です」

 アレスドルフが深刻な表情で言った。

 ルーカスの店だ。待っていたルーカスに迎えられ、店の中でようやく一息付く。

 そして、魔剣の話になった。

 あたしが刺された、という話を聞いて、普段は飄々としているルーカスもさすがに表情を硬くしている。

「暗殺……?」

「はい。特に、誰がいつどこで殺したのかがあとから明らかになりにくいように、それを目的として作られました」

「……どういうことだ?」

 ルーカスが問い、アレスドルフが答える。

「つまり、この剣で人を斬ります。でもまだ死にません。斬ったことの事実のことを……あー、棚上げ? 後回し? します。そしてあとになってから死にます。いつ斬ったか、誰が斬ったか、皆知りません。

 ……七つのうちで最も邪悪な魔剣です」

「ふン……」

 何やら納得したようなルーカス。

「……つまりどういうことよ?」

 あたしが問うと、ルーカスは、うむ、と頷き、

「お前が刺されたのに何ともなってないのはな、別に何も起こらなかったわけじゃない。〝刺された事実〟は残ってる。いずれ期間を置いてから効果が出て、お前は死ぬ」

 なるほど。状況を選べば暗殺の事実が標的本人にすら知られないうちに暗殺者が遠くへ離れることも可能なわけか。そりゃあ暗殺向きだねえ――って、

「何平然としてんのよ?! 期間を置いて、って具体的にいつなの?!」

 あたしはルーカスの襟首の辺りを掴んでがっくんがっくん揺らす。が、彼は気にしていない様子で、

「んーと、それなんだが、アレスドルフ」

「はい?」

「その剣の銘、あー、名前、なんつったっけ?」

「〝Hundred-Year Kill〟です」

「そうそれ。それって、つまりその剣の能力っつーか機能を表してんだよな?」

「はい」

「んじゃ次の質問。あんたの年齢聞いても良いかな?」

「年齢ですか? 一二二歳です」

 はー、せいぜい二十歳代前半ぐらいにしか見えないんだけどやっぱエルフって長生きなんだねえ。

 って、そんな場合じゃなくて。

「まあそれぐらいか。んーと、統計の取り方とか計算の仕方にもよるんだが、一説にはエルフの寿命は人間の約五、六倍と言われている」

「はい」

「ということは、俺たち人間の寿命はあんたらエルフの五分の一か六分の一だ。つまり……判るな?」

「……Oh」

 ルーカスの言葉に、アレスドルフが何か納得したように手をぽんと打った。

「そういうことだ」

 何? 何を納得したの?

 何が何だか判らないあたしをよそに、男二人の空気は急速に緩んだものに変わっていった。

「まあアレだなー。呪いは呪いだから放っておいて良いモンでもねえけど、別に放っておいて良い気もするなー」

「そうですね。私も故郷に帰郷したら族長に相談を試みます。でも大丈夫そうです」

「大丈夫じゃないでしょ! ちょっと、あたしはいつ死ぬの?!」

「人間はいつか死ぬんだよバーバラ」

「その通りなのです。エルフもです」

「そうだけど! そうじゃないでしょ! 聞いてんの?!」

「何か腹減ったなー。夜中だけど何か喰いに行くかー」

「それは良い考えです」

「ちょっとー?!」


 その後。

 アレスドルフは魔剣を持って〈西の大陸〉へ帰って行った。他の剣の行方を追っている仲間たちの状況次第だが、落ち着き次第また改めてこちらへ戻って来るそうだ。呪いに関して何らかの対処法があるなら、それも携えて。

 アラン・マードックには盗賊組合からいくばくかの補償金が支払われた――当初の予定通りの取引を行って魔剣を売却していた場合の利益よりは少なくなるだろうが。なお、あたし個人に対して何らかの遺恨を持つことは盗賊組合の名において禁じられる。まあ、そういった取引だ。

 あの用心棒はあのあとそのまま姿を消したという。あたしの名を聞かれた可能性があり、まあありふれた名前ではあるが、ひょっとしたら警戒が必要かも知れない。あんな目付きの人間に万一恨みでも抱かれていたとしたら、と考えると正直ぞっとしない。ある程度は盗賊組合の保護も受けられるが、場合によってはフィリウス市からしばらく離れることも検討した方が良いだろうか。

 ともあれ――

 以上が、エルフの魔剣〝百年殺し〟にまつわる一件の、とりあえずの顛末である。


       (了)


盗賊の行動を縛ったり時間制限与えるのに「盗賊ギルドの意向」はすごい便利だと学んだので今後も活用していこうと思う。

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