Case 2『瑠璃と椿』
7月7日、日曜日。
七夕である今日は鏡原駅周辺で七夕祭りが開催される。
去年までは遥香や美咲と一緒に行っていたけれど、今年は椿という恋人ができたので、彼女と2人で行くつもり。遥香も原田さんと2人きりで行き、美咲は家庭の事情で行けないらしい。
それだけなら楽しい日曜日だけど、今日は期末試験前最後の日曜日。ということで、椿が家に来て、午前中から祭りに行く直前までずっと試験勉強をしている。
私は文系科目なら大丈夫だけど、苦手な理系科目は下手すると赤点になる可能性が。
そんな私に比べて椿は5教科がどれも得意なので、苦手だったり分からなかったりするところについては彼女に勉強を教えてもらうことに。椿の教え方は分かりやすい。
「椿がいつも私の側にいてくれたらいいんだけどな……」
「……急に言われるとドキッてするよ」
ほんわかとした声で椿はそう言う。椿の頬は彼女の着るワンピースのように鮮やかに赤くなっている。
「だって、椿の教え方、上手だから」
私がそう言うと、椿はちょっと不機嫌そうな表情を見せる。
「……瑠璃ちゃんが普段から授業をちゃんと聞いていれば、私に勉強を教えて貰う必要なんてないんだよ。部活で大変なのは分かるけど」
「うっ」
ごもっともなことを言われてしまった。大会に向けて練習もいつも以上にハードだから、授業中はどうしても眠気が襲ってきてしまう。授業を聞いていればここまで椿に頼る必要はないんだよな。
「ごめん、椿。私のために時間を使わせちゃって。もっと自分の試験勉強をしなきゃいけないのに」
私がそう謝ると少しの間戸惑っていたけど、すぐに普段の優しい笑顔に。
「別にそのことは気にしなくていいよ。人に教えることって良いことだから。理解が深まるし。それに私が怒ったのは、私と一緒にいたい理由が勉強を教えてくれて便利だからって感じただけで……」
「そ、そうだったのか」
褒めたつもりで言ったんだけど、椿の気分を悪くさせちゃったんだ。椿のことを考えて言わないといけないな。
「ごめんね、椿。一緒にいたいのは椿のことが好きだからに決まってるよ」
私が椿の頭を撫でると、彼女は「ふえっ」と可愛い声を漏らす。
「……それは分かってるよ。ただ、それを言ってくれるかなって期待しちゃってたから。そもそも、不機嫌になったのは私のわがままのせいなの」
「……そっか」
椿がわがままを言うのは珍しい。もちろん、さっきのように不機嫌な表情を私に見せたことも。いつも優しい笑顔を浮かべているから。
「わがままを言ってくれることは嬉しいよ」
「……じゃ、じゃあ……一つだけわがままを言ってもいいかな?」
「うん。私にできることなら。遠慮なく言ってみて」
どんなわがままなのかちょっと楽しみ。
椿は少し恥ずかしそうにちらちらと私の方を見て、
「……キスしたい。告白されて以来、あんまりしてないから」
私にしか聞こえないような小さな声でそう言った。そして、何時でもキスできるように私に顔を近づけてくる。
そういえば、椿をキスしたの……告白以来あまりなかった気がする。遥香と原田さんはしょっちゅうしているらしいけれど。
「……いいよ。私も椿と2人きりで……したいなって思い始めてたから」
私がそう言うと、椿はゆっくりと目を閉じた。私からして、という小さなわがままのサインだろう。
私はそっと椿とキスをする。椿の唇はとても柔らかくて、ちょっと甘い匂いがした。椿から感じる温もりが気持ちを高揚させる。
「……嬉しい」
そう言う椿の嬉しそうな顔を見るとキュンとする。
ど、どうしよう。椿にかける言葉が思いつかない。でも、言葉がなくても椿と見つめ合っているだけでも満足している自分がいる。ずっと、この時間が続けばいいのに。
私が椿と手を重ねると、椿は指を絡ませてくる。そして、今度は椿の方からキスをしてきた。それがたまらなく嬉しい。もう、止まらない。
気付けば椿の顔は彼女の髪のように真っ赤だった。彼女の顔は汗ばんでいて、息も少しだけ荒くなっていた。それは私も同じだった。
「……瑠璃ちゃん。もう暗くなったし、そろそろお祭りに行かない?」
「……そうしようか」
本当はこのままキスばっかりするだけでも良いんだけど……さすがにそれは言えなかった。椿は今夜の七夕祭りを楽しみにしていたから。それに、キスだったらこれからも幾らだってできる。
支度をして家を出ると、意外と涼しかった。風が心地よい。
「涼しいね。今日は晴れてたのに」
「そうだな」
昼間は結構暑かったんだけど、まだ本格的な夏ではないようで夜になると暑さも和らいでいる。雨が降らなかったのも大きいかもしれない。
椿と手を繋いで、鏡原駅近くの祭りの会場に行く。
七夕祭りと言いながら、実際は地域で行う夏祭りとあまり変わらない。唯一、七夕らしいのは短冊に願い事を書いて大きな笹に飾るコーナーがあることくらい。そのことを大々的に宣伝するので地元以外の人も結構来ているんだとか。この手の祭りは色々なところでやっている気がするんだけど、あんまりないのかな。
「うわあ、結構賑わってる」
屋台が見えるところまで来ると、さすがに人が多くなっていた。今年は晴れているので浴衣を着て来ている人も多いな。
「瑠璃ちゃん、さっそく短冊に願いを書きに行こうよ」
そう言う椿の顔は普段はあまり見せないうきうきとした表情だった。それが子供らしくて可愛い。
「分かった、行こう」
私がそう言うと、椿が私の手を引いた。何だか今日は色々な表情を見せる。今日1日で椿のことがより一層魅力的に感じる。
人混みの中で短冊に願い事を書く場所まで行く。その途中に遥香と原田さんのような2人組が見えたけど、声をかけようとしたときには2人はいなくなっていた。
「ここみたいだね。結構並んでるなぁ」
「この祭りの名物だからな。それに、みんな叶えたい願い事があるんだろう」
「瑠璃ちゃんは何の願い事を書くの?」
「……それって、書く前に言っちゃって良いものなの? 叶わなくなるんじゃない?」
と言っておきながら、本当は何の願い事を書こうか決めてないだけだけど。そういえば、遥香と美咲と3人で行ったときは毎回、短冊に願い事を書いていたけど何書いたんだっけ。去年は天羽女子に合格するって3人一緒の願いを書いたことは覚えているんだけど。
「そうなんだ。じゃあ、書いたら教えてね」
そんなに可愛らしい笑顔で言われると罪悪感が芽生えてきた。椿の顔を直視することができない。
「ふふっ、私の顔を見ると言っちゃいそうな願い事なのかな」
「……そ、それはお楽しみさ」
どうしよう。こんなに短冊に願い事を書くことに責任感が伴うのは初めてだ。何の願い事を書けばいいんだ……!
「瑠璃ちゃん、私達の番だよ」
「えっ、もう?」
「うん」
スタッフの女性に水色の短冊を渡された。ちなみに、椿は赤色の短冊。
願い事って叶えたいこともそうだけど、目標でも良いと思うんだ。実際に去年は天羽女子に合格する、という目標を書いたから。
高校1年生の汐崎瑠璃の目標。これしか思いつかなかった。
『新人戦で優勝する!』
県予選で負けてしまったため、インターハイに出場することができなかった。そんな今の自分にとってこれが次なる大きな目標。
「新人戦で優勝か。インターハイには出場できなかったもんね」
「ああ。秋にある新人戦で優勝するんだ。それが私の目標だよ」
「そっか。そのためには練習を頑張らないとね」
「そうだな」
椿の願い事は何なのか、彼女の書いた短冊を見てみると、
『大切な人の支えになれますように。』
と、可愛らしく書かれていた。それを見て顔が熱くなっていくのが分かった。
「頑張っている瑠璃ちゃんの彼女だから。瑠璃ちゃんを支えたいの」
椿は笑顔でそう言いながら短冊を笹に結ぶ。そんな椿の横顔が少しゆらめいて見えた。
「……頑張ろう」
そんな決意を胸に私は自分の短冊を笹に結んだ。インターハイ予選の悔しさを新人戦にぶつけてやるんだ。絶対に。
笹から少し離れたところで、再び手を繋ぐ。
「せっかく来たんだから何か食べようか。椿は食べたいものとかある?」
「そうだね……」
でも、一生懸命練習をしていけば新人戦は優勝できるような気がする。去年、遥香と美咲という親友がいたように、今は真奈という同じチームの仲間や、何よりも椿という恋人が側にいるのだから。