第14話『過ちの背景』
午後5時30分。
俺と雅先輩は大学から真っ直ぐに家に帰ってきた。元気になってもらうために途中でスイーツを買おうかと思っていたけれど、雅先輩の心は相当堪えていたのでそんなことをする余裕はなかった。
雅先輩はリビングのソファーで仰向けになる。そんな彼女の目元はとても赤くなっており、その上を今もなお、涙が伝う。
「……いずれはこうなるのかな、って心のどこかで思ってた」
それが雅先輩の第一声だった。
「それはやはり、妹達の写真を使ったからですか?」
「……うん」
それでもここまで泣くってことは、西垣先輩に縁を切られたことがよほどショックだったに違いない。例え、それがそうなることが分かっていても。
「……最低よね、私。舞にそう思われても当たり前だよね」
「分かっているじゃないですか。あなたは最低ですよ。それが分かっていても、あなたは最低だと思われることをする理由があった」
そう、今のような状況になるかもしれないと分かっていても。彼女が考えた今回の計画を実行に移した理由があるはずだ。
この状況で俺達が水面下で行っていたことを隠す必要はない。これまで得た情報と俺の推測を雅先輩にぶつけてみるとするか。
「一昨日、あなたが例の写真を見せたときからずっと考えていました。どうして、そこまでして俺と付き合おうとするのか。俺と付き合いたいことが本望ではない、それだけは確かだと思っていました。俺は一連の出来事の背景を知るために、あなたと付き合うことに決めたんです」
「……何か考えがあるな、とは思っていたわ」
「雅先輩には悪いですが、友人の協力であなたのことを調べてもらいました。あなたは高校時代、同級生の女子に告白し、失敗してしまった経験がありますね? そして、その相手は西垣先輩ではありませんか?」
俺がそう言うと、雅先輩は体を起こして俺のことをじっと見てきた。
昨日、西垣先輩と会ったときから、雅先輩の様子がおかしくなった。そして、今の涙を見れば高校時代に告白した相手が西垣先輩であることは俺にでも分かる。
「……その通りよ。さすがね、隼人君」
「やはりそうですか。ということは、今回のことを実行した理由も西垣先輩が関わっているんですね? 今更隠してもムダですよ」
俺がそう言うと、雅先輩は少しの間黙っていたけど、
「……ええ、その通りよ」
そう言うと、目を閉じて一筋の涙を流した。
ようやく、今回の背景が見え始めてきた。西垣先輩に好意を抱き、告白したが振られてしまったこと。それが全ての始まりだった。
「同性が付き合うことへの批判、幼なじみという関係が薄いという言動……それも、西垣先輩のことがあってのことですよね」
「凄いわね。隼人君って。そこまで分かっちゃうなんて」
きっと、西垣先輩に振られたことにより、同性で付き合う事への憎悪感を抱いた。そして、西垣先輩は雅先輩の幼なじみだ。きっと、雅先輩も幼なじみが特別な存在であると思っていたんだ。しかし、振られたことによって、幼なじみも浅はかな関係であるという認識に変わってしまった。
そう、全ては西垣先輩に振られたことで、雅先輩の考えががらりと変わってしまったんだ。
「きっと、遥香と絢さんの写真を見てこう思ったでしょう。いずれは、自分と同じ気持ちを味わってしまう。2人は付き合っているので、もしかしたら……嫉妬のような感情も抱いたかもしれませんね」
「……形だけでも私の彼氏なのね。私の奥底にあるものが分かってくれる」
はあっ、と雅先輩はため息をついた。
「……舞を振り向かせたかったの」
「西垣先輩を?」
「ええ。告白するずっと前から舞のことが好きだった。告白して振られても、その気持ちは全く変わらなかった。あの時に距離ができれば良かったのに、それまでと変わらない幼なじみでいてくれるから、それが逆に辛かった」
いっその事、告白によって西垣先輩が離れてくれれば諦めがついたのかもしれない。ただ、以前と変わらない関係で西垣先輩が接してくるから、雅先輩も諦めがつかなかったのだろう。むしろ、恋心が膨れ上がったのかもしれない。
ただ、俺には気になる点があった。
「西垣先輩を振り向かせるために、誰か異性と形だけでも付き合おうとした。でも、どうして俺だったんですか? その理由は何だったんでしょうか」
男なら幾らでもいる。その中でもどうして、雅先輩は俺を彼氏にしようとしたのか。その理由がどうしても分からなかった。
「あなたが私に興味を持たなかったからよ」
「そんな理由ですか?」
「そう。舞が私に振り向いてくれたら、彼氏になった人を振らなければならない。その人が私に好意を持っていたら、色々と面倒なことになるでしょう?」
「なるほど。そこで俺に目を付けた……」
「ええ。それに後輩なら私の言うことを聞いてくれやすいと思ってね。そこで隼人君、水澤君、岩坂君……3人が気に留まった」
俺は女性恐怖症で女子に興味を抱かない、水澤は雅先輩がタイプではない、岩坂は2次元にしか興味がない。雅先輩の彼氏役に適しているってことか。
「だけど、すぐに隼人君に決めたわ。3人の中でも特に女性に距離を置いていたから。そして、極めつけはあなたには妹さんがいて、同級生の女の子と付き合っていることが分かったから」
「なるほど。脅迫に使えそうなネタが見つかったということですか。そして、例の写真を協力者から得て、俺を脅迫する準備が完了したと」
「……その通り」
そして、一昨日の告白になったわけか。俺が雅先輩の彼氏になることを確信して。
本当に腹立たしい話だ。自分の都合ばかり考えて、周りにいる人間のことを全然考えていない。しかも、口では遥香と絢さんの恋愛を否定しておきながら、その目的が西垣先輩に振り向いてほしいなんて。滑稽な話だ。
「あなたの計画が失敗するのは当たり前です。振られたときに西垣先輩から何を言われたのかは知りませんが、好きな気持ちがあるのなら素直な言葉で西垣先輩に伝えた方がよっぽど潔く、成功する確率は高かったでしょう。しかし、あなたは逃げて、写真で脅迫するという手を使った。こういう結果になるのは当然だったんだ!」
繕ったことにはどこかに穴がある。
俺を使って西垣先輩を振り向かせようとした。
そのために、遥香と絢さんの写真を使って付き合うことを強要した。
万が一、西垣先輩が自分に振り向き、付き合う結果になったとしても……彼女が真実を知った時点で、今回のような顛末になっただろう。
「人の気持ちを舐めた結果がこれですよ。今も、西垣先輩が好きな気持ちがあるのなら、今度こそ彼女に向き合ってその気持ちを伝えてはどうでしょうか」
西垣先輩には雅先輩を振ったという経験がある。それでも、それまでと変わらずに幼なじみとして付き合い、雅先輩の間違いに気付いたらそれを厳しく指摘する。それは雅先輩のことを大切に想っているが故のことなんじゃないだろうか?
「……諦めたよ」
「えっ?」
「さっきのことで、舞のことは諦めたわよ」
「何ですって……」
雅先輩はソファーから立ち上がって、俺の目の前に立つ。
「さっきの言葉通り、舞は私のことを失望した。万が一、舞が私に好意を持っていたとしても、今回のことでその気持ちは完全に消えたはずよ。だって、私はひどいことをした最低な人間なんだから」
「でも、それは表面上だけかもしれません。あなただってそうだったでしょう。俺のことが好きではなかったのに、あたかも好意を持っているように俺に告白した。それに、今の先輩だって、諦めたと言っておきながら、本当は今も西垣先輩のことが好きじゃないんですか! 諦めたと好意がないというのは同じではないと思います」
西垣先輩に失望されたことを良い理由に、雅先輩は自分の気持ちを殺そうとしているんだ。今回のことを無理矢理終わらせようとしているんだ。それでは2人の心に傷を付けただけになってしまう。
「西垣先輩に本当の気持ちを伝えてみましょうよ。そのためなら、俺は雅先輩に精一杯協力しますから」
今回のことに終着点があるとするなら、それは雅先輩が西垣先輩に本心を直接伝えることだ。俺は彼女にそこに向かって後押しするつもりだ。
雅先輩は再び涙を流して、ほんのりと笑みを浮かべた。
「……ねえ、隼人君」
「何ですか?」
「好きな気持ちはちゃんと言葉にして伝えた方がいいのよね?」
「……そうです」
何とか俺の言いたいことが分かってくれたのかな。俺はそう思っていた。
「じゃあ、気持ちを伝えるよ。……隼人君に」
そう言って、俺のことを真剣に見つめている雅先輩の姿は今朝の奈央と重なっていた。
さっきの諦めたという言葉の意味。俺は今になってやっと気付いたのだ。雅先輩は俺のことを――。
「隼人君のことが好き。私と付き合ってください」