第8話『紛い物』
さっきのキスがかなり響いたのか、まともに話すことができそうになるまで時間がかかった。
一度、深呼吸をしてから話し始める。
「……聞こえたと思うけど、昨日、実は雅先輩に告白された。それで、俺達は付き合うことになったんだ」
俺がそう言うと、水澤も岩坂も複雑な表情を浮かべていた。
「そうだったのか。でも、お前、香川さんがいるのに……」
「そうだよね、水澤君。ていうか、坂井君は女性恐怖症だから香川さん以外とそうなるとは思わなかったのに。僕は坂井君がこちら側の人間だと思ったんだけどな……」
「こっち側の人間?」
「ああ、そうさ。坂井君は二次元の女性しか愛さない同士だと思ったのに!」
そっちの方か。いや、一瞬、女性恐怖症だから男しか恋愛対象として見ないって言われると思った。つうか、真剣に聞いてくれていると思ったんだけどなぁ。でも、いつも通りに接してくれるのが嬉しく思う。
「まあ、世の中は予想もできないことだらけだからね。まさか、坂井君が神崎先輩と付き合うことになるとは……」
「俺も岩坂と同意見だ。俺はてっきり香川さんと付き合うとばかり……」
まあ、お互いにフリーな時間には奈央と一緒にいるからなぁ。それにほぼ毎日、登下校は奈央と一緒だし。水澤と岩坂がそう思ってしまうのも無理はない。
というか、このままだと俺と雅先輩が相思相愛であると2人に勘違いされる。そうならないように真実を伝えなければ。
「ちょっと落ち着いてくれないか。確かに、俺は雅先輩と付き合うことになったけれど、それは形だけだ」
『えっ?』
気持ち悪いほどに声が重なったな。
俺は水澤と岩坂に付き合う理由を伝えるために、例の写真を2人に見せる。
「これは天羽女子の制服かな。女の子同士でキスしているけれど……」
「おおおっ、百合は二次元にしか存在しないと思ったら三次元にもあったとは! 三次元でも百合は美しいものだな……」
水澤の反応は予想通りだったけど、まさか岩坂がここまで食いつくとは思わなかった。あと、女性同士の恋愛のことを百合というのか。
「この写真がどうかしたのか? というか、写っているのは誰なんだ?」
「ブロンドの髪の方が俺の妹で、金髪の方がその彼女」
「へえ、妹ちゃんも彼女ちゃんも可愛いね」
急に遥香と絢さんをちゃん付けしているけど、水澤だからなのか苛立ちや気持ち悪さなどは何も感じない。
「妹さんはかよちに似ていて、彼女さんはえりちんに似ているな!」
かよち、えりちん……ああ、大学受験の時にやっていたアイドルアニメに出ていたキャラクターのことか。そのキャラクターに似ているから、この写真を見て興奮したのか。悪く思われるよりはよっぽどマシだが、何とも言えない。
「で、この2人がどうかしたのか?」
「2人がどうとかじゃなくて、この写真……実はさっき、雅先輩から渡されたんだよ」
「えっ、この2人と神崎先輩って知り合いなのか?」
「いや、たぶん違うと思う。それ以前に、この写真をどのようにして手に入れたのかも分からないんだ」
後ろに写っている建物はおそらく、天羽女子の校舎だろう。神崎先輩が天羽女子に行って隠し撮りしたのだろうか。それとも協力者が天羽女子の関係者にいるのか。
「一番の問題はこの写真を使って、雅先輩は俺と無理矢理付き合うようにさせたんだ。もし、俺が付き合わなかったら、この写真をSNSにアップして、全世界に間違った生き方をしている2人だと晒すつもりらしい」
「間違った生き方、っていうのは女性同士で付き合うことだよな……」
「何を言っているんだあの人は! 恋愛は自由だ! そして、百合はこんなに美しいというのに……」
岩坂が女性同士で付き合うことに肯定的なのは兄として嬉しい。リアクションが大きすぎるのはうっとうしいけど。
雅先輩には女性同士で付き合うことを肯定してもらわなくてもいい。ただ、そんな人達を排除するようなことだけはしないでほしい。
岩坂が興奮する中、水澤は冷静に、
「言い方は悪いけれど、神崎先輩が坂井にやっていることって脅迫だよな」
呟くような感じでそう言った。
「……ああ、俺もそう思ってるよ」
「そこまでしてお前と付き合う理由も分からないし、何よりも同性での恋愛をここまで嫌悪している原因もさっぱりだ」
「でも、俺はその2つが共通しているように思える。こんな状況になったから、その原因を追及したいと思って」
「そういうことか。それでも、脅迫されていることを香川さんには言えなかったんだな。妹さん達に迷惑がかかると思って……」
「そういうことだ、水澤」
あのときの奈央に今のことを話したら、奈央は無理矢理にでも俺を雅先輩から引き離すだろう。そうなったら、雅先輩は例の写真を、SNSを通じて世界中に見せつけることになる。それだけはどうしても避けたかった。
「……それで、俺と岩坂は何ができるか?」
「えっ?」
「だって、坂井君は神崎先輩が講義を受けているとき以外は側にいないといけない。迂闊に動けないでしょ。そうなったら、僕や水澤君の方が動けるんじゃないかな」
「お前ら……」
どうやら、俺はいい友人を大学で作れたみたいだ。自分には全く関係ないことなのに、率先して協力してくれるなんて。本当に有り難い。
2人の言うとおり、俺は基本的に雅先輩の側にいないといけない。そうなれば、2人に協力してもらった方がいい。2人はサークルに入っているから縦の繋がりもある。そこから雅先輩のことが分かるかもしれない。
「2人の力を貸してくれないか?」
俺がそう言うと、水澤と岩坂は俺の肩をそっと叩いた。
「当たり前だろ、ほっとけねえよ」
「僕も同じさ。それに、僕達はやりたいからやるんだよ。頼まれなくてもやるさ」
「そうか……」
2人の言葉に幾らか心が軽くなった。やっぱり、言葉に出すって大切なんだな。
「……2人には雅先輩のことを調べて欲しい。特に過去に何があったのか。2人ができるだけの範囲でいいから」
「そうか、分かった。サークルにも経済学部2年の女子がいるから、そこから探ってみることにするか」
「そこからがいいだろうね。でも、動き回ると神崎先輩に感付かれる可能性もあるから考えながら行動しないと……」
「そうだな。まあ、坂井と神崎先輩が付き合っていることは知れ渡っているから、さりげなく聞いていけばいいんじゃないか?」
「導入はそういう感じで大丈夫だと思う」
2人がここまで真剣に考えてくれていると、俺にとっても心強い。
俺も雅先輩の側にいながらも、彼女に何があったのかできるだけ探ってみることにしよう。彼女の側にいることで気づけることもあるだろうし。
「……後はさ、坂井」
「なんだ?」
「香川さんはどうする? さっき、泣きながら俺達の前を通りすぎていったけど。彼女にお前らのことで何か訊かれたら、俺達は本当のことを話すべきかな?」
確かに、水澤や岩坂を通じて俺達のことを訊くかもしれない。
「……いや、本当のことはいずれ俺が必ず話す。内容が内容だし、きっと……俺が直接話すのが一番信じてくれるんじゃないかな。俺と奈央は……幼なじみだから」
雅先輩は幼なじみという関係を浅はかだと言っていたけど、俺にとっては……とても深い関係だと思っている。少なくとも、あんな形で付き合うことになった雅先輩よりも。それだけでも、あの時に言えれば良かった。
「分かった。じゃあ、もし訊かれたら香川さんには適当に言っておくよ。お前と神崎先輩が付き合っていることは変わっていないし」
「そうしてくれると有り難い」
何とかこれからの方向性を定めることができて良かった。1人では無理でも、3人でなら何かこの状況を打破できる糸口が掴めるかもしれない。
「坂井君、もう気分は落ち着いた? 大丈夫そうなら、これから食堂に行って昼ご飯でも食べよう」
「ああ、もう大丈夫だ。3時限目は空いているからゆっくり食べるか」
俺達は食堂に行って、少し遅い昼食を取るのであった。