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ハナノカオリ  作者: 桜庭かなめ
Fragrance 5-ミヤビナカオリ-
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第5話『スイートナイト-後編-』

 間接キスによってもたらされた微妙な空気の中で、俺は雅先輩に買ってもらった衣類を整理する。雅先輩の部屋の中にある箪笥にスペースがあったのでそこに入れさせてもらうことに。ただ、これも今日のために先輩が空けておいたのだと思う。

 そして、気付けば雅先輩の寝室で一緒に寝ることが決まってしまった。こうなったら、せめてもベッドで一緒に寝ることだけは避けないと。ダブルベッド並みの大きさなのが怖い。まあ、万が一そうなっても眠りにつけないと思うけど。


「これで大丈夫だね」

「……ありがとうございます」

「何だか、寝室だけでも十分じゃないかって思っちゃうな」

「ひ、広いですもんね……」


 ベッドの横にもくつろげる空間があるので、この部屋だけでも暮らせるとは思う。というか、大学生の1人暮らしの部屋ってこんな感じだと思っていた。


「もうすぐ9時かぁ。もう、お風呂に入って寝ちゃおうか」


 お風呂に入って寝ちゃおうだなんて、危険なワードのオンパレードだ。


「どうぞお先に入ってきてください」

「……いいの?」

「かまわないですよ。家だって妹が必ず先に入りますし」


 家では俺が最後に入浴している。入浴自体が好きでゆっくりと入れるからというのもあるけど、それ以前に女性が先に入るのが我が家での決まり事になっていた。

 俺がすんなりと先に入っていいと言ったことが意外だったのか、雅先輩はきょとんとしていた。


「……どうしたんですか?」

「いや、隼人君がそう言うなんて意外だったから……」

「妹がいますからね。どうぞ、雅先輩。ゆっくり入ってきてください」

「……そっか。分かった」


 雅先輩はそう言うと寝間着を持って寝室から出ようとしたとき、


「あっ、私がいないからって変なことはしないでね。私の部屋を物色したり、下着を見つけて匂いを嗅いじゃったり」


 俺の方に振り返って、微笑みながらそう言った。ていうか、今日、俺に対して色々なことをしてきたあなたに言われたくないですけど。それに、先輩の下着の匂いなんて嗅いだらおそらく呼吸困難になると思います。


「じゃあ、お風呂に入ってくるね」

「はい、ごゆっくり」


 寝室の扉がゆっくりと閉まった。

 ようやく、下校してから1人きりの時間になった。雅先輩とずっと一緒にいたせいで緊張し続けてしまい精神的に疲れた。


「そうだ、遥香にメールを送っておかないと……」


 家には俺の分の夕飯もあるだろうから、今ぐらいに連絡しないと。


『今日は帰れなくなったから、夕飯はいらないって母さんに伝えておいてくれないか』


 というメールを遥香のスマートフォンに送信する。


「これでまずは大丈夫かな……」


 奈央にもメールを出しておくべきかどうか悩みどころだ。普段なら火曜日も一緒に大学に行くから、家にはいないことを伝えるべきなのかな。

 そんなことを考えていると、遥香から返信メールが届く。


『そっか、分かったよ。大学のお友達の家に泊まるんだよね?』


 そうだよな、そう思うのが普通だよな。


『……ああ、そんなところだ。でも、必ず帰ってくるから。それを奈央に伝えておいてくれ』


 雅先輩と付き合っていることは明日には明らかになって、雅先輩の家に泊まっていることもすぐに分かってしまうだろう。それでも、今は真実を遥香に伝える勇気はなかった。


「ひとまず、これでいいか……」


 奈央に伝えておいてと言っておいたから。遥香のことだから、きっと今、このことを奈央に伝えに行っているだろう。あとは奈央から連絡が来たら答えることにしよう。

 俺はバッグの中に入れてある例の写真を取り出す。


「しっかし、この写真……誰が撮ったんだろうなぁ」


 天羽女子の中で撮影したものだろう。ということは、撮影したのは雅先輩自身ではなくて天羽女子に通っている彼女の協力者か? もしそうなら、彼女の知り合いなのか、金で釣って撮らせたのか。


「分からないことだらけだな……」


 遥香と絢さんの存在や2人が交際しているのを知っていることも。どこからその情報を手に入れたのかね。一番考えられるのは、雅先輩には天羽女子に通う妹がいて、そこから2人のことを知ったという流れだ。

 考えれば考えるほど、今回のことには何か深い理由が潜んでいるように思える。そこには雅先輩の抱く同性愛への憎悪の訳もあるだろう。


「それにしても、連絡ないな……」


 てっきり奈央からメールなり電話なり連絡が来ると思ったんだけど。用事が長引くかもしれないって言っておいたから、泊まることも何とも思ってないのかな。

 ただ、明日にはその理由もばれる。友人の家ではなくて、雅先輩の家に泊まっていることも。早いうちに伝えておくべきことだとは分かっているのに、奈央がどう反応するのか怖くて、自然の流れに任せてしまっている。その背徳感が1人になった自分を苛ませる。


「はあっ……」


 漏れたため息が寝室に響き渡る。

 きっと、今の状況は……俺に課せられた運命なんだろう。いや、あの時、奈央にごまかしてしまった自分が受けるべき懺悔というべきか。


「気持ち良かったぁ」


 白いネグリジェを着た雅先輩が寝室に入ってきた。


「私があげた写真なんか見てどうしたの?」

「いや、この写真、よく撮れているなって」

「……私にとっては気分の悪くなる写真だけどね」


 風呂上がりのさっぱりした表情が、再び浮かないものとなる。


「気分を害してすみません」

「……別にいいよ。今は隼人君と一緒にいるから、すぐになくなっちゃう」

「そうですか」

「あと、私がお風呂に入っている間に変なことしなかった? その……勝手に箪笥を漁っていたとか……」

「そんなことするわけないじゃないですか」


 どれだけ俺が欲望のままに生きる人間だと思っているんだ。むしろ、その危険があるのは雅先輩のような気がする。


「じゃあ、俺も風呂に入ってきますね」

「うん。ゆっくり入ってきてね」

「……あっ、スマートフォンはここに置いてって」


 そう言うってことは、俺のスマートフォンをチェックするつもりか。どうやら、彼女は俺のことを自分の手中に収めておきたいらしい。


「いいですけど、俺は特に怪しいことはしてませんよ」


 あとは奈央から電話がかかってこないことを願おう。万が一、奈央からの電話を雅先輩が出てしまったらどうなることやら。

 ベッドの上にスマートフォンを置いて、寝間着を持って寝室を出る。

 今頃、雅先輩は俺のスマートフォンをくまなくチェックしているんだろう。暗証番号でロックすべきだったかな……見られて困る内容はないんだけど。

 まあ、とりあえずゆっくりとお風呂に入るとするか。



 30分後。

 夏だというのに、ゆっくりと湯船に浸かってしまった。相当疲れていたのか、段々と眠くなってしまい危うくのぼせるところだった。

 俺はさっき雅先輩に買ってもらった青い寝間着を着て、寝室に戻る。


「思ったよりゆっくり入ってたね、隼人君」

「お風呂に入るのは好きですからね。それに、ゆっくり入れと言ったのは雅先輩の方じゃないですか」

「そういえばそうだったね」


 雅先輩はベッドの上で俺のスマートフォンを弄っていた。


「隼人君、私の家に泊まるって妹さんに言わなかったんだ」

「……妹にはただ、家に帰ってこないことを伝えればいいと思ったので。それに、明日になれば分かってしまうことですから……」

「確かに。みんなの反応が楽しみだなぁ」


 雅先輩は無邪気に笑った。あなたは今、何を考えているんですか。雅先輩は俺のことが好きだと言っているけれど、今も俺にはそう見えない。


「隼人君、明日は2限からなんだよね」

「ええ、そうですけど」

「じゃあ、明日はいつもよりゆっくり起きられるわね。私も3限からだし」


 大学まで小一時間かかる俺は1限に講義があると、それなりに早く起きないといけない。今日も遥香と一緒に朝ご飯を食べてきた。

 ここは大学から徒歩10分だし、明日は2限から。今日よりも2時間くらいゆっくり眠れるんじゃないだろうか。


「だからさ、隼人君。もっと夜を楽しもうよ」

「……は?」


 い、嫌な予感しかしない。


「えっちなことしようよ、隼人君」


 雅先輩は俺のことを壁に追い詰めながらそう言った。

 まずい、これまでの中でも指折りのひどい症状が出てきたぞ。雅先輩のしようとしていることは、俺にとっては自殺行為だ。


「……するわけないじゃないですか、雅先輩」

「ええっ、焦らしプレイ?」

「そうですよ、焦らしてあげますよ。俺と付き合い始めて、同棲して、それだけでかなり進展しているのに、その先のことをしてしまったら、今の関係はきっと燃え尽きる。よくて体だけの関係になるでしょう」

「……私がどうしてもしたいと言っても?」

「ええ。それに、あなたは俺のことが好きかもしれませんが、俺はあなたのことは好きじゃありませんから。あなたのしたいことって、好き合う人がすることじゃないですか? 俺はあなたの気持ちを満たすための道具なんかじゃありませんよ」


 今日、俺のことを散々振り回してきたんだ。このくらいのことを言っても良いはずだ。

 てっきり、怒った表情を見せると思っていたけれど、雅先輩は面白そうに笑って、俺のことをぎゅっと抱きしめた。その瞬間、髪からシャンプーの甘い匂いが広がる。


「……やっぱり、隼人君って他の男子とは違うね。普通なら今頃、私のことを押し倒しているんじゃないかな?」

「そうですか。すみませんね、俺が普通じゃなくて」

「ううん、いいよ。それに隼人君の言う通りかもしれない。今日の勢いで隼人君と行為に及んでも体だけの関係になっちゃうかもしれないから。あなたが欲しいこの気持ちを抱き続ける方がいいかもしれないね」


 雅先輩は俺のことを上目遣いで見てくる。


「あなたは私のことが好きじゃないって言ったけれど、私はあなたのことが好きよ。それだけは覚えておいて」

「……そうですか」


 さっきよりかは俺への好意があるようには思えた。しかし、彼女の告白は……昼間と同じように心に響かなかった。

 雅先輩は単に俺のことが欲しいんだ。側に置きたいんだ。だから、今日のようなことができるんだ。


「……えっちなことしなくていいから、ベッドで一緒に寝よう? 絶対に変なことはしないから」

「……いいですよ」


 そう言うと、雅先輩は嬉しそうに笑った。


「寝よっか。私、お風呂に入ったら眠くなっちゃったの」

「そうですか。じゃあ、寝ましょうか」


 とりあえず、何とか最悪の状況を免れることはできたみたいだ。それでも、雅先輩と一緒に寝なければいけないので危険な状況には変わりない。

 電気を消すと、雅先輩は俺のことをベッドへと誘う。ベッドに備わっているライトを点けている中での彼女は妖艶な感じがした。


「……隼人君がしたくなったら、私はいつでも受け入れるよ。そのときには私を優しく起こしてね」


 ベッドに横になった雅先輩は、ネグリジェを下げてちらっと胸元を見せる。諦めると言っておきながら、本心ではまだまだチャンスを伺っているんじゃないか?



「しませんよ、今夜は絶対に」

「……ふふふっ、隼人君って大人なのね。性欲に身を任せない。当然あるんでしょう? 2人きりでこうしているんだから」

「感じませんよ、全然。雅先輩のことが綺麗だとは思いますけどね」


 女性恐怖症のせいで女性に対する欲情は湧くことはない。女性を欲する気持ちよりも、女性を避けたい気持ちの方がよっぽど強い。


「……そう。余計に隼人君を私に振り向かせたくなってきちゃった」


 そう言いながらも、雅先輩は楽しそうだ。きっと、彼女は今のこの状況に満足しているからだろう。


「じゃあ、そろそろ寝ようか」

「そうですね」


 ベッドのライトを消すと、雅先輩は俺の左腕に腕を絡ませてきた。そのせいで彼女の胸がモロに当たってくる。これも、俺を振り向かせるための行動なのだろう。

 程なくして俺の耳元に雅先輩の寝息が聞こえてくる。どうやら、彼女は眠りに落ちたらしい。


「俺は眠れないな……」


 こんな状況で眠るわけがないだろう。今も息苦しいし、気分も悪い。

 けれど、眠気というものはそういうこともお構いなしに襲ってきて、俺はいつの間にか意識を失っていたのであった。

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