第7話『Fortune Cookie』
午後8時。
家に帰ってきてからも、気分が落ち着かない。告白はできなかったけど、原田さんとあそこまで話せたことが何よりも嬉しくて、夕ご飯の間もずっとニヤニヤしていた気がする。お母さんもお兄ちゃんも私のことを心配そうに見ていた。
自分の部屋に入って、真っ先に制服のブレザーを嗅ぐ。
「原田さんの匂いだ……」
顔にかかった水を拭いてくれたとき、原田さんは私のすぐ目の前に立って、左手を私の肩の上に乗せた。その時に、部活終わりの原田さんの汗がブレザーについたんだ。
ブレザーを嗅ぐと今日の原田さんとのことを鮮明に思い出す。
そういえば、原田さんと面と向かって話したの、初めてだったな。間近で原田さんの顔を見たのも初めてだった。少し目線を上げないと顔全体が見えないほど背が高くて、肌も綺麗で、何よりもかっこよくて。まさに「王子様」という感じだった。
告白はしそびれちゃったけれど、最後に「また明日」って言えたから良かった。自分で原田さんと話すチャンスを作れた気がしたから。また明日、原田さんと話せるといいな。
――プルルッ。
スマホの着信音が鳴り響く。ま、まさか――。
画面で発信者を確認すると『香川奈央』と表示されていた。思わずため息をついてしまった。
「もしもし、奈央ちゃん」
『遥香ちゃん、原田さんの件……どうだった?』
「どうしたの? 藪から棒に」
『もう、報告してくれるって言ったじゃない! 夕方くらいから連絡来るかと思ってずっと待っていたんだよ?』
しまった、奈央ちゃんに報告するって約束したことをすっかりと忘れていた。
「ごめんね。今まで舞い上がっちゃって。全然覚えてなかった」
『舞い上がっちゃった、ってことは……もしかして?』
「うん、話せたよ。クッキーも作ったんだけど、ちゃんと渡せた」
『凄いじゃない!』
奈央ちゃんの甲高い声から、彼女の今の表情も容易に想像できた。
「入学式の日に助けてくれたお礼ってことで渡したんだけど、原田さんも覚えてて。そのおかげで私のことも覚えていてくれていたみたい」
『ねっ、私の言う通りだったでしょ』
今、奈央ちゃんは絶対にドヤ顔しているんだろうな。
「クッキーも喜んで受け取ってくれて良かったよ。告白までできたら良かったんだけど、
クッキーを渡した時点で凄く緊張しちゃって……結局できなかった」
『それでも大きな一歩だって。きっと、告白できる日は近いんじゃないかな』
「うん、もっと話せるようになったら、告白してみようと思う」
原田さんと話せたのは入学式の日と今日の2回だけ。まだまだ浅い関係の中で告白してもきっと原田さんを困らせるだけだと思うから。
『何か凄いな、遥香ちゃん。すぐに告白寸前まで持って行けるなんて』
「告白寸前、って……確かに原田さんのことは好きだけど。向こうはきっと、クッキーをくれたクラスメイトぐらいにしか思ってないよ」
今日は原田さんに私の存在をしっかりと認識してもらうのが目的だったから、そういう風に思われてもかまわないんだけど。
『それでも、遥香ちゃんの勇気は凄いと思うよ。だって、今までは話しかけることさえもできなかったんでしょ?』
「まあ、実は……原田さんが私を見つけてくれたんだけどね。でも、今は原田さんに話しかける勇気、少しは持てるようになった」
『そっか。遥香ちゃんの恋は順調に前進しているってことだね』
良かった良かった、という言葉の後に奈央ちゃんは軽くため息をついた。多分、お兄ちゃんのことだろう。
『私もいつか、遥香ちゃんみたいにできるといいな』
「クッキーを渡すこと?」
『あははっ、あいつは甘い物大好きだからね。そこから始めるのも意外とありかも』
「じゃあ、私がお菓子作るのをしばらく止めようか? そうすれば、お兄ちゃんもきっと甘い物をほしがると思うから」
『別にそんなことしなくていいって。私はあいつの喜んでいる姿を見られれば、それだけで幸せなんだから』
さすがは奈央ちゃんだな。言うことが違うよ。
でも、好きな人が喜んでいる姿を見られれば幸せになれる気持ちは分かる。私もきっと原田さんの喜ぶ姿を見れば幸せになれるもん。
『私は私なりに頑張ってみるわ』
「うん、頑張って」
『ありがとう。あと、もし付き合うことになったら原田さんを私に紹介してよね』
「分かった。そうできるように私も頑張る」
『うん、約束だよ。じゃあ、早いけど……おやすみ』
「おやすみ、奈央ちゃん」
そう言ってこっちの方から通話を切った。
ホーム画面に戻ると、メールのアイコンのところに小さく『1』と表示されている。誰かからメールが送られてきたんだ。
「だ、誰?」
名前が表示されず、メールアドレスが表示されていた。つまり、スマホの電話帳に登録されていない場所からメールが届いたことになる。
ただ、そんなメールアドレスを送る人を1人だけ、心当たりがあった。
「もしかして……」
さっそく、私の推理が当たっているかどうかを確かめるべく、新着メールを開いてみることにする。
『クッキーありがとう。とても美味しいよ。
あと、明日の昼休み、屋上で待ってて。坂井さんに渡したいものがあるから。
原田絢』
名前の下には、原田さんの携帯の番号が添えられていた。
「やったああっ!」
原田さんからのメールだと分かり、ベッドの上で思わず飛び跳ねてしまった。
どうして原田さんが私のスマホにメールを送れたかというと、今日渡したクッキーを入れた袋の中に、私のスマホの番号とメールアドレスを書いたメモを入れておいたのだ。気軽に連絡してね、と一言添えて。
「良かった。メモ効果炸裂だよ」
メールじゃなくて電話でも私は大歓迎だったんだけど。電話越しでも声をまた聴きたかったし。原田さんって電話よりもメール派なのかな。それとも、意外とシャイで電話じゃ駄目だったのかな。
そんな妄想を繰り広げながら、私は連絡帳に原田さんの携帯の番号とメールアドレスを登録した。そしてさっそく、
『うん、分かった。屋上で待ってるね』
という内容のメールを原田さんに返信した。
やっぱりメールっていいな。2人きりの会話って感じがするし。まるで、原田さんが私だけを見てくれているような気分にもなれるし。
それにしても、私に渡したい物って何なんだろう? 渡すだけなら別に教室でも構わない気もする。屋上っていうのがロマンチックそうだからいいけど。
「何を渡されるかは明日のお楽しみ、ってことかな」
そう思えるのも、原田さんと話せることが確定しているから。しかも、原田さんからなので予想以上に嬉しかった。
「そうだ、2人にもこのことを報告しないと……」
杏ちゃんと美咲ちゃんは私がどうなったのか気になっていたようだし、2人には色々と迷惑もかけちゃったしね。ちゃんと伝えないといけないよね。
私は2人にクッキーを渡せたことの旨をメールで報告した。
そして、数分もしないうちに2人から『おめでとう』と返信が来た。告白まではできなかったと書いたはずなんだけど。まあ、昨日の私の醜態を見た2人にとって、クッキーを渡せたことは大きな進歩だと思ってくれたのだろう。
「いつか告白したって報告できるように頑張ろう、っと」
その後は好きな音楽を聴きながら漫画を読んで、午後11時前には眠りについたのであった。