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ハナノカオリ  作者: 桜庭かなめ
Fragrance 5-ミヤビナカオリ-
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第3話『まやかし』

 マルチユーススペースの中に入ると、さっきよりも寒く感じる。長い間、雅先輩と2人きりで話していたからだろうか。

 少し遠くに水澤と岩坂の姿が見え、妙に安心している自分がいる。女性恐怖症の症状の反動なのか。


「遅かったけど、何かあったのか? 顔色が悪いけど……」


 俺が2人のところに戻ってくるや否や、水澤が真剣な表情でそう訊いた。


「いや……まあ、けっこうしつこくて」

「そう、か。大変だっただろう。神崎先輩と2人きりだったんだろ?」

「ああ、まあな。何とか乗り切った」

「そうか、お疲れさん。落ち着いたら食堂に行って飯でも食おうぜ」


 ほっと胸を撫で下ろすと、水澤はいつもの爽やかな笑みを浮かべてそう言った。


「7月に入って早々、坂井君は大変だね。香川さんのおかげでようやく落ち着いたと思ったら、学部一番人気の女子に絡まれるなんて」

「何で今の時期に、って思うよなぁ」


 と、2人は談笑している。

 2人とも雅先輩と何を話したのかよりも、彼女と2人きりで話した俺の体調の方が気になっていたのだろう。だから、雅先輩が言っていた俺と話したい内容を訊こうとはしないんだ。そして、彼女が2人きりで話したいことを訊くのは失礼だと思っているのかも。

 このまま何も言わなくても良いかもしれないが、雅先輩と付き合っているということはいずれ、キャンパス内に広がっていくだろう。そうなってしまう前に、この2人には本当のことを話した方がいいのだろうか。悩むところだ。


「……どうかしたか?」


 どうやら、悩んでいるのが顔に出てしまっていたようで水澤がそれに気付いたみたいだ。

「……いや、ひさしぶりに家族や奈央以外の女性と2人きりで話したからさ。今でもちょっと息苦しくて」

「そうか。確かにそんなに辛そうなのは初めて見るな……」


 これまでは奈央や水澤のおかげで大事に至らずに済んだが、今回はかなりまずかった。俺を欲しがるような視線で見られたし、何よりも抱きつかれた。あれ以上のことをされたら気絶していてもおかしくない。


「坂井君みたいな人には、女性恐怖症は何よりも辛いだろうね。きっと、僕なら患っていてもさほど影響はなかっただろう」


 今の岩坂の言葉は同情と受け取っていいのかな? それとも、嫉妬のような類いなのか。二次元好きの彼も何か思うことがあるみたいだ。

 何とかこの場を切り抜けることはできたようだ。でも、午後の講義が終わったら雅先輩の家に行って泊まらないといけない。2人には適当に言っておけば何とかなりそうだけど、奈央にはどう行って1人で帰ってもらおうか。

 そんなことを考えながら30分ほど休んだら、ようやく体調が元の状態まで戻った。時刻も昼休みに差し掛かっていたので、俺達は食堂に行って昼食を取るのであった。



 3時限目の講義の間もずっとこの後どうしようか考えていた。プロジェクターで映しているスライドに表示されている内容をノートに写すだけで、講義の内容は全く頭に入ってこなかった。後でノートを見ておくか。

 そして、講義が終わった。


「今日はこれで終わりだぁ。昼飯の直後だと眠くて辛いぜ……」

「僕は危うく意識を失うところだったよ。確実に寝不足と満腹のせいだ。あと、淡々と喋っていく教師の声……」

「俺も俺も。無音よりも、ああいう声がある方が眠くなっちまうよな」

「あの声には僕等を眠りに誘う力が宿っているね」


 俺は考え事をしていたせいか、全く眠気が襲ってこなかったな。眠っていられるような平和な状況じゃないから。眠たくなれるのは幸せなことだと思う。


「そういえば、坂井は講義に集中してたよな」

「あ、ああ……まあな」

「何か凄い表情だったけれど、何か考え事でもしてたのか?」

「まあ、そんな感じかな」


 俺がそうお茶を濁すと、水澤は何か思いついたのかはっとした表情になる。


「……まさか、さっきの神崎先輩のことか? 結構しつこかったとか言ってたよな」

「ああ。脳裏に焼き付いちゃってさ。どうもな……」

「それもやっぱり、体質のせいなのか?」

「そうかもしれないな」


 初めて女性恐怖症が役に立った気がする。雅先輩のことが話題に出ても、さっきのことがあったからか全て体質に繋げることができる。


「どんなことを言われたのかは分からないけど、早く忘れることができればいいな」

「……そうだな」


 あの場限りのことなら早く忘れてしまいたいけれど、実際にはこれからずっと雅先輩の側にいなければならない。忘れるどころかどんどん彼女のことが頭の中に刻まれていく。


「これから僕と水澤君は漫研の方に顔を出しに行くけれど、坂井君も一緒に来るかい?」

「……今日はいいや。ちょっと休んだら帰るよ。昼間、あんなことがあったし」

「そうか。今日みたいな日は家でゆっくりした方がいい」


 雅先輩は4限まで授業があるから、2人と一緒に漫研に行って時間を潰すのもいいかもしれないけど、そうなると1人になりづらくなる。


「じゃあ、また明日、坂井君」

「気分が変わったら、いつでも来てくれよな。たぶん、6時くらいまで部屋にいると思うから」

「ああ、分かった。また明日」


 水澤と岩坂は教室から出て行った。2人は6時まで部室にいるのか。4時限目が終わるのが4時40分だから、2人とは会わずに大学から出ることができそうだ。

 あとは奈央か。奈央も3時限目の授業で終わりだから、今はここに向かってきているはずだ。あいつを1人で帰らせないと。

 スマートフォンを取り出して、奈央に電話をかける。


『隼人、電話なんかかけてきてどうかしたの?』

「ちょっと俺、これから用事があって結構時間がかかりそうなんだ。待たせるのも悪いし、今日は1人で帰ってくれないか?」

『私が手伝えることがあるなら手伝うけれど? そうすれば早く終わるかもしれないし』

「気持ちだけ受け取っておくよ」


 俺がそう言うと、少し無言の間があって、


『……そっか。分かった。どんな用事か分からないけれど、頑張ってね。じゃあ、先に帰るから』

「すまないな。じゃあ、また明日」

『……うん、また明日』


 そして、奈央の方から通話を切った。寂しそうな声だったな。いつも一緒に帰っているから、1人で帰るのは寂しいのかな。

 奈央に言った通り、これからのことは時間のかかりそうだ。どうして、雅先輩があの写真を使ってまで俺に付き合わせるようにしたのか。あの様子からして、何か深い理由が彼女の背後にありそうだ。

 最後に遥香だけど、あいつには家に帰らないことを伝えなければならない。奈央にああ言ってしまった以上、今すぐに連絡しない方がいいだろう。遥香のことだから、きっと俺が帰ってこないことをすぐに奈央に言うだろうから。雅先輩の家に着いたあたりで連絡すればいいか。

 その後、適当に時間を潰してさっきの場所に向かうのであった。



 午後4時40分。

 約束の場所に着くと、そこには雅先輩が1人で待っていた。雅先輩は俺の顔を見るや否や、少し不機嫌そうに頬を膨らませる。


「遅いよ、隼人君」

「すみません、雅先輩」

「……でも、4時間目が終わったと同時に来たから許してあげる。それに、講義が早く終わったから私の方が先にいたわけだし」


 講義が早く終わるときがあるのは大学あるあるだな。


「待ってしまいましたか?」

「ううん、10分ぐらいだから気にしないで。それに、隼人君のことなら幾らでも待てるし」


 頬を赤く染めて俺のことを見ないでくれませんか。また悪い意味でドキドキしてきた。


「ねえ、隼人君」

「何ですか?」

「……私と付き合うってこと、あの2人や香川さんには言った?」

「言ってません。ここに来るにも、どうにかごまかしましたから」

「ええ、どうして」


 雅先輩は残念そうにしている。まさか、雅先輩は俺と付き合うことになったと言いふらしたのか? 気になるけれど恐くて訊けない。

 本当に雅先輩のことが好きで付き合うなら普通に言うんだけど、俺は全然好意は抱いていないし、何よりも脅迫という形でこうなった。それなのに、付き合うって言ったらどんな反応をされるのか……それが恐くて言い出せなかった。特に奈央には。


「……まあ、明日になればみんな知っちゃうんだけどね」

「そう、ですね」


 雅先輩の言うとおり、明日には奈央にも、水澤や岩坂にも俺と雅先輩が付き合っていることが知られてしまうだろう。女性恐怖症的な意味で今から正念場だけど、本当の正念場は明日だろう。特に奈央が知ったときはどうなることやら。


「さっ、一緒に帰ろう」


 雅先輩は右手で俺の左手を掴んでくる。

 しかし、女性恐怖症のせいか俺はその手を不意に振り払ってしまった。それも、手を繋いだことを嫌がるように大げさに。

 そんなことをされても、雅先輩は怒るような気配は一切なく、


「……私と付き合うこと、誰にも言わなかったんだもんね。じゃあ、キャンパスを出てから手を繋ごっか」


 ごめんね、と可愛らしげに微笑んだ。

 どうやら、何もかも自己中心的ではないようだ。さっきの俺の言葉から俺に気遣ってくれたみたい。学部で一番の人気を誇るのも納得かな。


「帰る途中に必要なものを買おうよ。私と一緒に住むんだから」

「家に帰らせてくれないんですね……」

「家には隼人君が出る講義に必要な教科書が揃っているから大丈夫だよ。あと、必要なのは衣類関係だけだね。お金は私が払うから」

「そんな、悪いですよ」

「いいのいいの。隼人君と一緒にいられるなら、そのくらいのお金を払うのはどうってことないから。私、それなりにお金持ってるし」

「……そうですか」


 バイトでたくさん稼いだのか。それとも、元々お金を持っているのか。もし、本当にお金もだとしたら、雅先輩の住んでいるところも俺が想像しているよりも広そうだ。


「あっ、私がお金を出すからほっとしているんだ。お昼に話したときから思っていたけど、隼人君って意外と表情が豊かなんだね。クールな印象だったんだけど」

「……あ、あはは。そ、そうですかね……」


 それはきっと、女性恐怖症のせいだと思います。

 これからは気の抜けない生活になりそうだ。雅先輩との同棲に、明日……ほぼ確実に奈央が俺と雅先輩のことで話を聞きに来るはずだ。雅先輩の気を損ねずにどうやって乗り越えていこうか。


「じゃあ、帰ろっか。隼人君」

「……そうですね」


 キャンパス内では手を繋がずに歩いていたのだが、幸い五時限目の授業中ということもあり、周りの生徒から注目されることはほとんどなかった。

 そして、キャンパスを出て少し歩いたところで、俺と雅先輩は手を繋いだ。そのときの彼女の表情は本当に嬉しそうなのであった。

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