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ハナノカオリ  作者: 桜庭かなめ
Fragrance 4-アメノカオリ-
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第6話『波多野霞』

 6月13日、木曜日。

 今日も朝から梅雨らしく雨がしとしとと降り、じめっとしている。

 波多野副会長と話そうと思って休み時間に接触を試みるものの、隣にはいつも雨宮会長がいるため話しかけることが出来なかった。

 また、昨日の放課後のことを絢ちゃんに話すと、絢ちゃんは連日詮索するのは避けた方がいいと意見した。雨宮会長が何かの理由で苦しんでいることが分かったし、私達に触れられるとその苦しみが増してしまうだけだという理由で。確かにその通りかもしれない。

 夏帆さんは休み時間になると私達の所に来るけれど、昨日のことがあったせいで昨日よりも元気がなく、挨拶以外は殆ど話しかけてこなかった。雨宮会長が苦しんでいる理由の心当たりがあるみたいだけど、訊くことはできなかった。

 そして、何も起こらぬまま放課後に。

 今日は木曜日なので茶道部の活動があった。その際、私を監視するということで、夏帆さんは茶道室の端の方でずっと見学をしていた。絢ちゃんもいないんだし、こんなところまで監視をしなくてもいいのにと思う。

 やがて、茶道部の活動が終わって下校しようとしたときだった。


「こんにちは」


 茶道室の扉が開くとそんな声が聞こえた。私達はその声に驚いてしまう。声の主が波多野副会長だったから。


「波多野副会長……」

「そんなにかしこまった呼び方じゃなくて名前でいいんだよ。遥香さん」


 そう言うと波多野……ううん、霞先輩はニコッと笑った。おしとやか、という言葉が本当によく似合う女性だなと思う。


「霞先輩、1人でここまで来たんですか?」

「……うん。ちょっと話したいことがあって。坂井さんや広瀬さんが茶道部に所属していることは知ってたからここに来てみたの。それに、夏帆ちゃんが坂井さんのことを監視しているから」

「雨宮会長に止められなかったんですか?」

「生徒会の仕事が終わって、ちょっと用事があるって言って1人で来たから大丈夫だよ」

「そうですか。とりあえず中に入ってください」


 私達は霞先輩を茶道室に招き入れる。

 きっと、霞先輩は雨宮会長のことについて話したいんだと思う。そうじゃなかったら、1人で私達に会いに来たりしないはずだ。

 気付けば茶道室の中には私、霞先輩、美咲ちゃん、杏ちゃん、夏帆さんの5人しか残っていなかった。

 霞先輩は畳の上で正座をしているけど、よく似合うなぁ。髪が黒くて艶やかだからなのかな。和服を着てお茶を点てている姿が目に浮かぶ。


「何を見とれているんですか、遥香ちゃん。さっそく話を聞きましょう」

「そうだね、美咲ちゃん。……霞先輩、私達に話したいことって何なんですか?」


 本題に入るためにそう切り出すと、霞先輩の笑みが儚げなものへと変わる。


「たぶん、分かっていると思うけど……夏芽ちゃんのことだよ」

「やっぱりそうですか」

「一昨日の昼休みのことがあってから、話そうかどうか迷ってて。昨日、忘れ物を取りに帰ってきたとき、夏芽ちゃんの様子がおかしくて。目元が赤かったから何かあったんだなと思って。それで、坂井さん達に話そうって決めたの」

「雨宮会長のことをよく見ているんですね」

「……副会長だし、夏芽ちゃんとは高校に入学してからずっと同じクラスだから」


 霞先輩は頬を赤くしながらそう言った。


「実は、そのとき……私達が雨宮会長と会っていたんです。私達、雨宮会長がどうして女の子同士で付き合うことを嫌っているのか知りたくて。それを訊いたら、どうやら会長は何かに苦しんでいるようで。会長が泣いたときには正直、驚きました」

「そういうことだったんだ。でも、あの夏芽ちゃんが泣くんだから、きっと坂井さん絡みだって思ってたよ」

「それで、雨宮会長のことで話したいことって何ですか?」


 そう訊くと、頬の赤みが顔全体へと広がっていく。霞先輩はもじもじしている。


「……夏芽ちゃんだけじゃなくて、私の話でもあるというか……」


 だから、なかなか言い出せないのかな。


「……私ね、夏芽ちゃんのことが好きなの」

『えええっ!』


 私達は思わず声を上げて驚いてしまう。その中でも夏帆さんが一段と声が大きい。

 3年間同じクラスで、会長と副会長で一緒にいる時間も長いからもしやと思っていたけれど、本人に言われると衝撃が大きい。そっか、霞先輩は雨宮会長のことが好きなんだ。


「夏芽ちゃんも私のことが好きみたいで……」

『えええっ!!』


 さっきよりも更に大きな声を上げて驚いてしまう。正直、こっちの方が驚きだ。あまりにも意外すぎて腰を抜かしてしまう。女性同士で付き合うことに嫌悪感を示していたあの雨宮会長が霞先輩のことが好きだなんて……。


「夏芽ちゃんから告白されたわけじゃないから、本当かどうか分からないよ。ただ、書類を渡すときに手が触れると頬が赤くなったりして……」

「でも、意識しているのは確実じゃないですか?」

「……きっとそうだと思う。昼休みも教室でお友達と一緒にお弁当を食べればいいのに、生徒会室で私と2人きりで食べたいって言うし……」

「……雨宮会長は霞先輩のことが好きなのは確定じゃない?」


 杏ちゃんの言う通りだ。雨宮会長は霞先輩のことが好きなのは確実だろう。手が触れると顔が赤くなって、2人きりでお弁当を食べたいなんて。私だって絢ちゃんに同じようなことを考えるもん。


「しかし、信じられませんね。遥香ちゃんと原田さんに別れろと言った会長が、霞先輩のことが好きだなんて」


 美咲ちゃんの言うことにも納得だ。私達に今すぐ別れろと言ったときの雨宮会長は、女性同士で付き合うことは言語道断というような姿勢だった。そんな彼女が霞先輩を好きだなんて微塵にも思わなかった。


「じゃあ、あのことで……」


 と、夏帆さんは呟く。どうやら、今の話を聞いて夏帆さんの中で何かが繋がったみたい。おそらく、それは雨宮会長が苦しむ理由の心当たりだろう。


「霞先輩、私達に話したいことってこれだけじゃないですよね。霞先輩は雨宮会長が苦しんでいる理由を知っているんですよね」


 まるで今言ったことが事実であるかのように言うと、霞先輩はすぐに頷いた。


「……実はね、夏芽ちゃんには許婚がいて」

「許婚、ですか」

「そこから先は私が話すのです」


 夏帆さんがここで口を挟むということは、彼女の心当たりが許婚の話だったってことね。夏帆さんはずっと、このことで雨宮会長が苦しんでいるんだと疑っていたんだ。


「お姉様には許婚がいるのです。……松雪という名前は聞いたことありますよね」

「有名な食品メーカーだよね。家でも幾つか買ってるよ」

「あたしの家にもあるね」

「……そう、坂井さんや片桐さんがすぐに反応するくらい、松雪家が運営する食品会社は大きいのです。規模はうちの方が大きいですが、それでも日本有数であることに変わりはありません」

「でも、どうしてそこに許婚の話が?」

「……合併のためなのです。2つの会社が合併すれば、日本有数どころか世界有数の規模を誇る会社になるでしょう。合併を確かなことにするために、お姉様と松雪家次期当主を結婚させる話が進みました」


 会社の規模を大きくするために結婚なんて、私には縁の無いことだし、理解ができないことだ。こういう結婚のことを政略結婚って言うんだっけ。


「私達の代は女性しか生まれていないのです。松雪家当主はそこをつけ込んで、長女であるお姉様との結婚の話を持ちかけたのです」

「そうだったんだ……」


 というか、一族経営に拘る必要もない気がするけど。信頼できる人に会社を任せてもいいんじゃないのかな。もちろん、雨宮会長はしっかりしていそうだから、会社経営をできそうだけれど。


「明後日にそのことについての話し合いがあるのです。早ければそこで結婚の話が成立すると思います。まあ、現時点でほぼ決まっている状況ですが」

「もうすぐそこまで来ているんだね」

「ええ、そうです」


 なるほど、これで雨宮会長の苦しむ理由が大分分かった。昨日、私達が救えることじゃないって雨宮会長が言ったことも納得できる。


「……雨宮会長は苦しかったんだ。霞先輩のことが好きなのに、実際には許婚がいて……その人との結婚が間もなく決まってしまうから」

「きっと、雨宮会長は霞先輩と付き合ってはいけないと自分に言い聞かせるために、遥香ちゃんと原田さんに別れろと言ったんでしょうね。女性同士で付き合うのは間違いだと言うことを口に出すことで、自分の本心を抑制していたんだと思います」

「きっとそうだと思う」


 あのとき、会長はわざと過剰に怒っているように感じられた。でも、霞先輩への好意と、許婚の話を聞けばその態度にも納得できる。美咲ちゃんの言う通り、雨宮会長は霞先輩と恋人同士になりたいという本音を抑えるために私達に別れろと言ったんだ。

 このまま、許婚との結婚が決まってしまうことが雨宮会長の本望ではないというのは分かっている。昨日の涙がその証拠だ。


「どうやら、ハルはこのままじゃいけないって思ってるみたいだね」

「うん。昨日、雨宮会長が泣いていたから」

「でも、早急に動かないといけないんじゃない。明後日には許婚との結婚が決まっちゃうんでしょ?」

「そうだね」


 杏ちゃんの言う通り、明後日には結婚が決まってしまう。そこまでに何とかして雨宮会長の本音を引き出すようにしないと。そうしない限り、雨宮会長を纏う苦しみを取り払うことはできないだろう。


「……霞先輩にしか雨宮会長を救えないと思います」

「で、でも……」

「雨宮会長は私にでも救えるならとっくに助けを求めていると言いました。それは、許婚の結婚が本望ではないと言えるのではないでしょうか。きっと、今でも雨宮会長は霞先輩と付き合いたいと思っているはずです。だから、霞先輩にしか救えないって言ったんです」


 私の言っていることは自分勝手なのかもしれない。会社のこととかそういうことを考えずに、気持ちの面だけで話してしまっている。

 でも、雨宮会長が苦しんでいるのは確かだ。助けて欲しいと思っているのも。だから、


「霞先輩の気持ちを雨宮会長に伝えてみてはどうでしょうか」


 霞先輩の本音を伝えることで、雨宮会長の本音を引き出す。それしか、雨宮会長を救える道はないと思う。

 茶道室はしばしの間、沈黙の空間となる。そして、


「……分かったよ。明日の放課後に夏芽ちゃんに告白してみる。夏芽ちゃんのことが好きで、付き合いたいっていう気持ちは揺るがないから。このまま言えないのは嫌……だから」

「……そうですか。分かりました」


 霞先輩は自分の気持ちを伝えることで一歩を踏み出すことに決めたんだ。


「坂井さん達に夏芽ちゃんのことが好きだって言うことができて、ちょっとスッキリしたよ。本人じゃなくても、自分の本音を言うと心が軽くなるんだね」


 霞先輩は本来の優しい笑顔を見せる。

 雨宮会長に今の言葉を聞かせたいよ。本音を言えば少しでも心は軽くなるのに。例えそれが分かっていても、許婚の話があるとなかなか言えないのかな。

 今後どうなるかは明日の放課後にかかっている。霞先輩の告白が上手くいって欲しいし、何よりも雨宮会長が本音で向き合えるようになって欲しい。そうすればきっと、雨宮会長の苦しみはなくなっていくだろう。

 私は絢ちゃんに今の話のことをメールで送る。あともう少しだから大丈夫だと書いておいた。絢ちゃんは明日から関東大会に向かうので、そちらの方に集中してほしい。


「もう日が暮れそうですし、そろそろ帰りましょうか」


 今日できることはもうないだろう。明日の放課後、霞先輩が告白するまでは何も行動しないようにしよう。

 私達は茶道室を後にするのであった。

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