前編『遥香の場合』
短編です。これを読まなくても、今後の本編を読む上で支障はありません。
ただ、時系列は繋がっています。
また、本編はFragrance 4-アメノカオリ- となります。
Short Fragrance 1-カゼノカオリ-
5月20日、月曜日。
午前11時、私はベッドで横になっている。何故かというと、39度近い高熱と腹痛が原因で学校を休んでいるからだ。
昨日は5月にしては珍しく、30度以上の真夏日になったからクーラーを解禁したの。暑さに慣れていなかったから強めに設定したら、逆に体を冷やしてしまった。昨日は何ともなかったんだけど、今朝になったら急に具合が悪くなって今に至るというわけ。
絢ちゃん、杏ちゃん、美咲ちゃん、瑠璃ちゃんには風邪で学校を休むとメールをしておいた。すると、すぐにみんなから「お大事に」って返事が来たんだけど、絢ちゃんだけは「お見舞いに行く」という一文が加わっていた。
風邪を移しちゃいけないから来なくていいよ、ってメールを返したんだけど、絢ちゃんだったらそれでも来そうな気がする。
……それでも、来てくれるなら凄く嬉しいんだけどね。
近所のお医者さんに行って、処方された薬を飲んだから、起きたときよりも幾らかだるさは取れた。けれど、ベッドから出るのはまだ辛い。寝返りを打つのがやっと。
寒さが原因だから、今は冬のふとんをかけているんだけど、高熱が出ているからとても暑く感じる。汗も出るから寝間着が変に体についちゃうし。今こそ冷房をかけたいけれど、悪化させてはいけないのでそれはできない。
漫画を読んだり、音楽を聴いたりして時間を潰す気にもなれないし。とりあえず、目を瞑ろう。さっき、薬も飲んだし、自然と寝ちゃうかもしれないから。
目を瞑ってみると、不思議とちょっとだけ体が軽くなったような気がした。眠る体勢に入ったからかな?
少し時間はかかったけれど、私は眠りに入るのであった。
夢の中でも全身が熱くて。だるくて。息苦しくて。
こんな状況だといつも想ってしまう。
――絢ちゃんが側にいてほしい、と。
お見舞いに来なくていいなんて言ったけど、本当は凄く嬉しいの。学校を休んで一番辛いのは、絢ちゃんに会えなくて、心配をかけちゃうことだから。
せめて、夢の中だけでいいから今すぐに会いたい。
すると、すぐに、
「遥香……」
私の名前を呼ぶ絢ちゃんの声が聞こえた。やっぱり、夢って凄いな。会いたいって想えば次の瞬間に絢ちゃんの声が聞こえるんだもん。
絢ちゃん、今頃……どうしているのかな。授業を受けているのかな。部活に励んでいるのかな。誰か友達と楽しく喋っているのかな。どんなことをしていても、一瞬だけでいいから私のことを考えてくれていたら、私は嬉しい。
ゆっくりと目を覚ますと、部屋の中にはオレンジ色の光が差し込んでいた。スマホで時刻を確認すると、午後5時を過ぎていた。
「あっ、起きたんだ。遥香」
「えっ……」
頑張って体を起こすと、湯気が上る鍋が乗るお盆を持った制服姿の絢ちゃんが部屋に入ってきた。
まさか、夢で聞こえた絢ちゃんの声って、実際に絢ちゃんが言ってたことなの?
「遥香のお母さんが、遥香が目を覚ましたらおかゆを食べさせてあげてって。お昼ご飯食べてないんでしょ?」
「う、うん……」
11時過ぎからずっと寝てたから……お昼ご飯、食べられなかったんだ。
「どうして、ここにいるの? まだ五時過ぎだよ?」
「部活が早めに終わったからね。それに、遥香に来ないでって言われてもさ、こういうときって余計に会いたくなっちゃうんだよね。だから、来ちゃった。遥香が嫌ならすぐに帰るけれど」
「……そんなことないよ。私、絢ちゃんに凄く会いたかった。だから、むしろ……来てくれて嬉しいよ」
私がそう言うと、絢ちゃんはいつもの爽やかな笑みを浮かべた。
「遥香ならそう言ってくれると思ってた」
「……もう、絢ちゃんったら」
「遥香、食欲はあるかな」
「うん、今朝よりもずっとある」
「じゃあ、さっそくおかゆを食べようか。私が食べさせてあげるから」
絢ちゃんは椅子に座り、私のことを気遣ってくれたのか、左手で私の体をずっと支えてくれている。
「ほら、あ~んして」
私は絢ちゃんに言われたように口を開けて、おかゆを食べさせてもらう。少し塩っ気があって、ご飯の甘みも感じられて美味しい。これも、絢ちゃんが私のことを抱きながら食べさせてくれているからかな。
「ねえ、絢ちゃん」
「どうかした? おかゆ、熱かった?」
「ううん、そうじゃないの。私、今……凄く幸せだなって。絢ちゃんにこんなに優しくしてもらっているんだもん。風邪、引いて良かったかな」
思ったことをそのまま言葉にして絢ちゃんに伝える。
「……私がしたいと思うことをしてるだけだよ。それに、遥香には早く元気になって欲しいから。だって、遥香がいなくて学校ではずっと寂しかったんだから」
「絢、ちゃん……」
互いの目が合うと、絢ちゃんはキスをしてきた。最初は唇をそっと重ねるだけだったけれど、絢ちゃんの方から下を絡ませてくる。厭らしい音を立てながら。
せっかく熱も引いてきたのに、絢ちゃんとこんなことをしたら、また体が熱くなってきたよ。
「遥香の口の中、とても熱くて……甘いよ」
「当たり前だよ。風邪引いてるんだし、それに……絢ちゃんにこんなことをされたら、熱くならないわけないよ」
心も体も熱いけれど、さっきとは違って嫌な熱さじゃない。だって、この温もりは絢ちゃんがもたらしてくれたものだから。
「私に風邪、移していいんだからね」
「そんなことできないよ。互いに健康なのが一番なんだから。でも、嬉しい」
今度は私の方からキスをした。
「……キスをしたら、お腹空いちゃった。だから、食べさせて?」
「うん、分かった」
絢ちゃんが食べさせてくれたおかげもあって、全てのおかゆを食べることができた。そして、忘れずに病院で処方された薬を飲む。
「ねえ、絢ちゃん。お願いがあるんだけど、いいかな?」
「どうかした?」
「ずっと寝てたら汗掻いちゃって。背中を絢ちゃんに拭いて欲しいの」
「い、いいの? そんな大役」
「大げさだなぁ。お願いします、絢ちゃん。タオルはそこにあるから」
「……分かった」
絢ちゃんがタオルを取る間に、私は寝間着を脱ぐ。絢ちゃんと一緒にお風呂も入ったこともあるけど、前を見せるのは恥ずかしいのでふとんで隠しておく。
そんな私の姿を見たからか、絢ちゃんは少し頬を赤くしている。
「何だか、遥香がそうしていると、初めて家に来たときのことを思い出すね」
「……そうだね」
初めて絢ちゃんの家に行ったとき、私と絢ちゃんは自分の全てを見せ合って、体を重ね合っていたから。もう、あのときから1ヶ月以上立っているんだなぁ。
「遥香、拭くよ」
「……うん」
絢ちゃんはふわふわのタオルで私の背中を優しく拭いてくれる。温かいのと同時に、ちょっと涼しく感じた。
「何度見ても、遥香の肌は綺麗だって思うよ」
「そうかな……」
「うん」
きっぱりと絢ちゃんがそう言うと、
――ちゅっ。
と、背中の真ん中辺りにキスされる。
「ふえっ、何やってるの?」
私がそう言っても、絢ちゃんは何も答えずに私の背中にキスをし続ける。それが変にくすぐったくって、気持ち良くて。キスされる度に私は喘いでしまう。
「絢ちゃん、やめて……」
「私に寂しい想いをさせた罰だよ。……なんてね」
絢ちゃんはもう一度、タオルで私の背中を優しく拭いた。
「どうしてもキスがしたくなっちゃった。背中ならキスマークも残らないでしょ?」
「普段は大丈夫だけど、体操着に着替えるときに見えちゃうよ!」
「……そうだった」
絢ちゃんは思わず苦笑い。
お母さんに変に思われないように、こっちは大声が出さないように必死だったんだからね。いつか、絶対にこの仕返しをしないと。
その後、絢ちゃんには扉の方へ向いてもらい、前の方は自分で拭いた。
「もういいよ、絢ちゃん」
私の方に振り返った絢ちゃんの表情はちょっとだけ不安そうだった。
「ねえ、遥香」
「うん? なあに?」
「……明日か明後日には学校でまた会えるよね?」
「明日は大事を取って休むかもしれないけど、明後日には絶対に学校で会えるよ」
半日寝ただけで気分も大分良くなったし。今週中には必ず学校に行けると思う。
絢ちゃんはほっとしたのか、胸を撫で下ろしている。
「良かった」
ただ一言、笑顔でそう言った。
もしかしたら、一年前のこともあって、絢ちゃんは親しい人が病気で休んだことを凄く心配してしまうのかもしれない。ましてや、高校生になって初めて休んだから。先週まで元気に会えていたのに、突然休んでしまうと不安で仕方なくなるのかもしれない。
「明日もお見舞いに行くからね」
「分かったよ。でも、部活はちゃんと参加してきてね」
「うん」
「あと、学校に行き始めてからでいいから休んでいた間のノートを見せて」
「もちろんだよ」
何気ない会話で、絢ちゃんは再びいつもの笑顔を見せてくれるようになった。
絢ちゃんの優しさと、ちょっとえっちな可愛さに触れられたひとときでした。
火曜日は大事を取って学校を休み、水曜日から再び学校に行き始めた。教室で絢ちゃんが抱きしめてきたときはちょっと恥ずかしかったな。
これからまた、学校で毎日、絢ちゃんと元気に会うことができると思っていた。
だけど、その翌日。絢ちゃんは体調不良で学校を休んだ。
――私に風邪、移していいんだからね。
絢ちゃんの言ったその言葉が、現実になってしまったのであった。