第11話『ボタン』
午後6時。
昨日と同じように、今日も卯月さんの家に行く。すると、卯月さんがとびっきりの笑顔で私を迎えてくれた。
私は卯月さんに手を引かれ、彼女の部屋に通される。
「今日も原田さんと会えて嬉しいな。ずっと楽しみにしてたの」
「そっか」
一度疑い始めると、この笑顔も全て作り物に見えてしまう。
「どうしたの? 難しい顔して。もしかして、2日連続は嫌だった?」
「そんなことないよ。卯月さんと会えることは私も嬉しいから」
と言って、卯月さんの頭をポンポンする。
それが思いの外に嬉しかったのか、卯月さんは頬を紅潮させながらも笑みを見せる。
「そっか。だったら良かった」
卯月さんは私のことをそっと抱きしめる。
「原田さんのことが好きだもん。嫌だって言われたら、ショックだよ」
そうだよ、その甘い声色に乗せた言葉が本当なのか疑っちゃうんだよ。
汐崎さんは言った。卯月さんの側にいて、彼女の話をとことん聞いてって。その話っていうのは卯月さんの本音なんじゃないだろうか。
このまま何もしなかったら、卯月さんと片桐さんの距離は永遠に縮まらない。
「ねえ、卯月さん」
「なに?」
「……本当は片桐さんと仲直りしたいんじゃないかな」
今の卯月さんなら大丈夫。そう信じて、私は卯月さんに問いかけてみた。
「今すぐに卯月さんと会わなくていいよ。まずは私に――」
「そんなことない!」
そう言って、卯月さんは私のことを突き飛ばす。
「何度も言ってるでしょ! 私はもう杏ちゃんの顔なんて二度と見たくないんだから!」
「それが卯月さんの本音なの? 二度と見たくないって言っている卯月さんは、苦しんでいるようにしか見えないよ。それって、本音じゃない何よりの証拠じゃないのかな」
「苦しんでない。そんなわけ、ない……」
卯月さんは目から一筋の涙を流して、ゆっくりと首を横に振る。
「私は杏ちゃんのことが、嫌いなんだから……」
「……卯月さんが片桐さんのことをどう思っていても、片桐さんが卯月さんのことが好きで大切に思っているのは絶対だよ」
「そんなの、嘘……」
「嘘じゃないよ。卯月さんのことがどうでもいいなら、学校を休み、君から逃げるようにして家出なんてしないと思う」
「それは、罪悪感を抱いているから……」
「じゃあ、どうして罪悪感を抱いているんだと思う? やっぱり、卯月さんのことが大切だからじゃないのかな。どうでもいいと思っているなら、傷つくことないよ」
広瀬さんの家に家出してしまっている今だってきっと、片桐さんは卯月さんのことを考えていると思う。
「それに、目を覚ました卯月さんのところにお見舞いに行くこともしなかったと思うよ」
「……それは私のことが怖かったからじゃないの?」
「えっ……」
突然、卯月さんの表情が険しくなる。それはあの日、片桐さんを病室から追い出したときの表情とそっくりだった。
「罪悪感があったんでしょう? 目を覚ましたってことを聞いたとき、いつか私に復讐されると思ったのよ。だから、面会に来てさっさと謝っちゃえばいいと思ったんだよ。それで許して貰おうって。甘いのよ、杏ちゃんは。彼女のせいで心が傷ついて、一年間眠ることになったんだから。謝るだけじゃ到底許せるわけがないじゃない」
冷たい視線を浴びせながら、卯月さんはそう言った。
今までは卯月さんに怒らないようにしようって決めていたけど、今の彼女の態度を見てさすがに我慢できなくなった。
「いい加減にしてくれないかな、卯月さん」
「原田さんからふってきた話じゃない。それなのにその言い草って……」
「どれだけ片桐さんを傷つける言葉を聞いても、卯月さんの本音が全く見えないんだよ! むしろ卯月さんはそんな言葉を使って自分を隠し続けようとしてる! 片桐さんは卯月さんに歩み寄ろうとしていたのは、他ならぬ君自身が一番分かっていることだろ!」
気付けば、私は卯月さんの両肩を強く掴んでいた。
「違う! 絶対違う! 杏ちゃんは私のことなんて……」
「本当だよ。君が眠っていた間、片桐さんは定期的に卯月さんのお見舞いに行っていた。それは御両親に訊けば分かることだよ」
「そんなの、形式的なことで……」
まだ、私の言うことに否定して自分の本音を隠し続けようとしているのか。
片桐さんのためにあまり言いたなかったけれど、あのことを言うしかないか。
「片桐さんは卯月さんのことが何よりも大切だった。だから、片桐さんは私に卯月さんを眠らせた張本人だって認めさせようとしたんだ。遥香を人質にしてね」
「えっ……」
「それって、卯月さんのことが大切だったからこそ犯した過ちだったんじゃないかな。それでも、片桐さんは自分のせいだってけじめをつけたんだよ。卯月さんとちゃんと本音で向き合うために」
間違ったことをしてしまったけど、全ては卯月さんを大切に想う片桐さんの優しい気持ちからだったんだ。
「今すぐじゃなくてもいいから、卯月さんも片桐さんと向き合ってみようよ。本音でぶつかってみなよ。1人だと不安なら、私が側にいるから」
私は卯月さんのことをそっと抱きしめる。
「だからさ、もう……卯月さんは卯月さんでいていいんだよ」
もう、自分に嘘をつく必要なんてないんだ。嘘をつくことに全力を注がなくていいんだ。
きっと、卯月さんは片桐さんと本音で向き合えるはずだ。だって、自分の本音はとっくに分かっているのだから。卯月さんが助けを必要とするときには、私はいつでも彼女をサポートするつもりだ。
「……原田さん」
「ん?」
「……もう、ここには来なくていいよ」
卯月さんは私の胸に顔を埋めながらそう言う。
そして、しばらくしてから私に見せた彼女の顔はやんわりとした笑みが浮かんでいた。それは1年前に見た、彼女本来の控えめだけれどとても温かな微笑み。
「あとは自分で何とかできそうだから」
「……そっか」
「けれど、もしかしたら……1人じゃ怖くなっちゃうかもしれない。その時はその……いいかな?」
「当たり前だよ。だって、私達は友達じゃないか」
「友達……か」
そう、私達は友達同士なんだ。その関係は永遠に変わることはないだろう。
「……そう、だね。原田さんはずっと、私と友達でいてくれるよね」
「そんなこと言われなくても、私はそのつもりだよ」
「……そっか。なら、安心できるよ」
今のやりとりで卯月さんの本音が分かった気がする。
卯月さんはようやく、片桐さんと向き合うことに決めたんだ。片桐さんに彼女の本心が伝わるのもそう遠くはないかな。
あとは片桐さんが再び卯月さんに向き合えば、2人の問題は全て解決する。2人が同じ時間を歩んでいけるはずだ。