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ハナノカオリ  作者: 桜庭かなめ
Fragrance 3-メザメノカオリ-
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第8話『憧れの姿』

 5月7日、火曜日。

 ゴールデンウィークも明けて、今日から授業が再開される。今年は卯月さんのこともあってか、家でダラダラするような日々ではなかったので五月病になる心配はないだろう。

 今日も朝練を終えてから1年2組の教室へと向かう。

 教室には既に遥香や広瀬さんがいた。片桐さんは……お休みなのかな。


「おはよう、遥香、広瀬さん」

「おはよう、絢ちゃん」

「おはようございます、原田さん」


 今までであれば、教室に入るなり多くの生徒に囲まれていたけれど、恋人宣言をしてからは自然と遥香達のところに行けるようになった。恋人宣言をしたのはやっぱり正解だったみたいだ。


「昨日はどうだった? 何とかなったってメールが来たけれど」


 開口一番に遥香はそう言った。

 昨日、家に帰ってから、遥香や広瀬さんに『とりあえず何とかなった』という一言のメールを送った。詳しいことを話していなかったから、遥香は気になって仕方ないのだろう。


「その言葉の通りさ。卯月さんにちゃんと遥香の彼女でいたいって言ってきた。それを言った直後はけっこう泣いていたけど、最後は私のことを諦めない……って」

「諦めない……ですか」

「うん。完全にはスッキリできないんだって。それはきっと、私のことを諦められないからだって言ってた」

「それだけ、卯月さんは原田さんのことが好きなんですね」


 と、広瀬さんは優しい目つきで言った。


「きっと、卯月さんがそう言えたのは、絢ちゃんが卯月さんと真剣に向き合ったからだと思うよ。卯月さんはそのことに安心したんじゃないかな」

「そう……だといいな」


 もう孤独じゃない、ということを卯月さんに伝えるようにした。その想いが伝わって彼女が「諦めない」と言ったのなら、それはとても嬉しいことだ。

 それにしても、遥香が表情一つ変えずに明るいのが意外だ。一瞬でも変わるかと思っていたのに。卯月さんの気持ちの変化が素直に嬉しいのか。私を信じているのか。それとも、一昨日の夜、私と……し、しちゃったからか。


「どうしたの、絢ちゃん。顔、赤いけど……」

「あ、朝練をしたからで体が熱いだけだよ」


 遥香と2人きりのときだけ、あのときのことを思い出そう。


「それよりも、片桐さんの方はどう?」

「昨日、美咲ちゃんと一緒に杏ちゃんの家に行ってみたけれど、誰とも会いたくないって言われて会うことができなかったよ」

「そっか……」


 やっぱり、すぐには癒えないか。ずっと、献身的に卯月さんのお見舞いに行っていただけに、土曜日の言葉が胸に刺さってしまったのだろう。


「今日……来るのかな。杏ちゃん」

「いつもはもう来ていますからね。今日はもしかしたら、来られないかもしれませんね」


 広瀬さんの言うように、普段なら片桐さんはもう来ていて、遥香や広瀬さんと談笑している。誰とも会いたがらないのなら、今日は来ないかもしれない。

 そんなことを話していると、私のスマートフォンが震える。メールが来たのか。


「送信者は誰だ……?」


 新着メールが1件来ていた。確認すると、送信者が『卯月牡丹』となっていた。彼女の名前を見るとドキッとする。さっそくメールの中身を見てみると、


『おはよう、原田さん。

 午前中に退院することになったから、放課後に家に来てくれないかな。もちろん、部活が終わった後でいいからね』


 という、彼女の家へのお誘いだった。


「卯月さんから?」

「……うん。放課後、家に来て欲しいって」

「嬉しそうだね、絢ちゃん」

「うん。やっと卯月さんと向き合えるようになったからね」


 自分の気持ちを示してくれることがとても嬉しかった。もう、あのときのようにはならないと安心できる。


「卯月さんの方は何とかなりそうですね」

「うん。様子を見ながら、片桐さんと仲直りできる方向に持って行きたいと思ってる」

「こちらの方はまず……元気を取り戻すことですね」


 と、広瀬さんは苦笑いをしながら言った。

 片桐さんの心に空いた穴は、たぶん、卯月さんにしか埋められないと思う。私の方も頑張らないといけないな。

 朝礼のチャイムが鳴り、私は自分の席に着く。慌てて入ってくるクラスメイトもいるけれど、その中に片桐さんの姿はなかった。

 休み時間になると遥香や片桐さんがメールを送ったりしたけれど、それでも卯月さんが来ることはなかった。



 午後6時。

 部活も終わって、私は約束通り卯月さんの家に行く。

 インターホンを押すと、卯月さん本人が元気よく出迎えてくれた。そんな彼女を見て一瞬、自宅療養に入ることが嘘のように思えた。

 私はすぐに卯月さんの部屋に通された。

 彼女の部屋はとても綺麗だった。ベッドの上に猫のぬいぐるみがあったりして、女の子らしい部屋になっている。

 部屋の中を見渡していく中、ある物が目に留まった。


「やっぱり、気になっちゃうよね」


 卯月さんは笑みを浮かべている。

 私の視線の先にあるもの。それは、勉強机の上に置かれている中学校の教科書だった。国語、数学、理科、社会、英語……同じ中学に通っていたので、見覚えのある教科書ばかりだった。

 そして、部屋の中にあるクローゼットの隙間から、私の通っていた中学校の制服が見えた。もちろん、それ以外の制服はない。

 この部屋の中は、彼女が首を吊った日から時間が止まっていたんだ。


「不思議な感覚なんだ、私」

「どういうこと?」

「鏡で自分の姿を見てたら、随分と大人っぽくなってて。体はちゃんと高校生になっているのに、心はまだ中学生のままなんだ。自分の部屋に入ると尚更そう思う」


 目覚めて1週間も経っていないから、一年経った実感がまだ持てないのだろう。ましてや、卒業した中学に通っているときに使っていた教科書を見たら。


「でも、私はそう思わないな。卯月さんはちゃんと心も成長してる。だって、私に会ってほしいって言えるようになったじゃない」


 偉そうに言ってしまったけど、彼女の心は確実に強くなっていた。それは今のこの状況が物語っている。


「……そうだと、いいな」


 卯月さんは頬を赤くし、私から視線を逸らしながらもそう言った。そんな汐らしい態度が、1年前の彼女を彷彿させるようだった。


「ねえ、原田さん。今日、私の家に来てもらったのはお願いがあるからなの」

「私にできることなら何でもするつもりだけど。どんなことなの?」

「……制服、着てみたいんだ。天羽女子の。私、天羽女子に行きたかったから。もし、普通に生活してたらどんな風になっていたのかなって」

「なるほどね。私の制服で良ければいいよ」

「ありがとう。あと、原田さんには体操着を着て欲しいな。部活帰りだから持っているでしょ?」

「うん、分かった。卯月さんがそう言うなら」


 まあ、制服を脱いだら下着姿になっちゃうからな。体操着は着るつもりだったけど、まさか着て欲しいと言われるとは思わなかった。

 お互いに着替えるということもあり、昨日のように卯月さんに背を向けることはせずに堂々と向かい合いながら着替えた。


「可愛いね、卯月さん」


 卯月さんの制服姿はかなり可愛い。天羽女子の制服を着ることで、彼女の成長がよりはっきりと分かった。

 卯月さんは等身大の鏡で自分の姿に見入っていた。目を輝かせ、頬を紅潮させていることから、きっと興奮しているのだろう。


「何にもなければ、この制服を着た今があったのかもしれないんだね」

「……そうだね」

「天羽女子の制服って可愛いなぁ。どう? 似合ってる?」

「うん、凄く似合ってる」

「坂井さんとどっちが可愛い?」

「どっちも可愛いけれど、遥香の方が可愛いかな」


 そこははっきりと断言しておこう。


「やっぱり、恋人さんには勝てないか。なかなか、坂井さんの右に出る女の子はいないよね」


 卯月さんはそう言うと、私のことを舐めるようにして見る。


「……今の姿を見て思い出したよ。中学の頃も、陸上部で頑張ってたこと」


 そして、私の胸の中に飛び込む。


「それに、分かる。原田さんの汗の匂いで、今も頑張ってること」


 彼女はゆっくりと私のことを抱きしめる。


「原田さんの匂い、大好き。原田さんの制服を着てると、原田さんに包まれているみたい。今は原田さんからも直に感じるし。だから、幸せなんだ」


 そう言う卯月さんの笑みが、艶めかしく思えた。私のことが好きでないと見せることのできない魅力的な笑顔だった。

 正直な話、一瞬だけど卯月さんに心を奪われてしまった。彼女の笑みと、抱きつかれたときにふんわりと香った彼女の甘い匂いの虜になった。


「私のことを彼女にしたくなった?」


 タイミングといい、心が読まれている気がした。


「……一瞬だけ、ね」


 そこは正直に言った。卯月さんが魅力的なことは本当だから。

 私の答えが良かったのか、卯月さんはとても嬉しそうだった。


「今日の目標達成。少しでも私に気を引いてもらえるようにすること。原田さんの彼女になる第一歩」


 確かに、一瞬でも彼女にしたいと思わせたのは、大きな一歩だろう。私のことを諦めないというっていうのは本気なんだな。

 卯月さんが第一歩を踏み出したのなら、こっちもそろそろ一歩を踏み出そうか。


「ねえ、卯月さん」

「なに?」

「片桐さんのことなんだけどさ。一度でもいいからさ、もう一回――」

「二度と会いたくないって言ったこと、忘れたのかな」


 口角は上がったままだけど、片桐さんの名前を出した瞬間、目つきが鋭くなった。彼女のことを話すのは時期尚早だったのか?


「杏ちゃんと会うつもりはないよ」

「でも、片桐さんはあのときに君が言った言葉で……」


 卯月さんはしばらく黙り込んだ。その時の表情は決して冷徹ではなかった。むっとしているけど、どこか後ろめたさがあるように見えた。そして、まるで私から逃げるように、わざと私から視線を逸らしていた。

 そんな彼女を見ていると、どうしても違和感が生まれてしまう。あの時の言葉が本心であったのか、と。


「あのさ、卯月――」

「もう、今日は帰っていいよ。天羽女子の制服が着ることができて嬉しかった。もう、夜になっちゃったから、また明日来てくれないかな」


 卯月さんの必死な作り笑顔を見て、ここは一旦身を引くべきだと思った。卯月さんとは何時でも話すことができるのだから、無理に急ぐ必要はないか。


「……分かった。制服が気に入って良かったよ」

「うん、ありがとう。土曜日からずっと着てみたいと思ってたから」

「そうだったんだ」

「……今日はありがとう。また明日も、部活が終わったら遊びに来て」

「そうするよ」


 そして、制服に着替え、卯月さんの家を後にした。

 卯月さん、本当は片桐さんのことをどう思っているんだろう。さっきの態度を見る限り、片桐さんのことが嫌いだとは思えなかった。

 彼女の本音を引き出すためにはどうすればいいのか、明日、彼女にアドバイスして貰おうかな。

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