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ハナノカオリ  作者: 桜庭かなめ
Fragrance 3-メザメノカオリ-
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第5話『二者択一』

 片桐さんのことは遥香と広瀬さんに任せよう。2人ならきっと、片桐さんの側に寄り添って彼女の心を救うことができるだろう。

 私も自分にしかできないことをしないと。


「卯月さん、気持ちも落ち着いてきた?」

「……ちょっとずつ、ね」


 片桐さんが病室から飛び出して10分ほどが経った。

 卯月さんも段々と落ち着いてきていて、これならまともに話すことができそうだ。さっきまでの荒々しい雰囲気はなくなっている。

 私は窓の側にあった椅子を卯月さんの寝るベッドの近くまで寄せ、腰を下ろす。


「……また、原田さんと話せて嬉しいな」


 そう言う卯月さんはとても嬉しそうな表情をしていた。1年前に告白してきたし、さっきの話を聞いている限り私への好意は今もあるだろうから、それは当たり前か。


「私も嬉しいよ。こうして卯月さんと話せる日が来たんだから」

「……そっか」


 遊園地での出来事があってからも、時々卯月さんの夢を見ていた。告白された瞬間を中心に鮮明に思い出す。


「1年前から随分と大人っぽくなった気がする。髪が長くなったからかな」

「寝ているだけなのに、ね。点滴で、生きるために必要な栄養分は摂取していたみたい」

「そうか」

「だからこそ、目覚めて数日足らずでこうしてあなたと喋れているのかも」

「……そうかもしれないね」


 1年前から変わったことはもう1つある。


「前はそんなにしっかりと喋れてなかったよね。告白してきたときは、言葉を詰まらせながらやっとのことで言っていたような。緊張しているのもあっただろうけれど。寝ている間に変わったのかな」

「……どうなんだろうね。はっきりとした理由はよく分からない」

「そっか」


 でも、今の卯月さんは1年前と別人のように感じる。今だったらさらりと告白できてしまいそうだ。

 さてと、世間話はこのくらいにして……そろそろ本題に入ろうか。遥香の代弁者になることを約束しているし。


「卯月さん」

「なに? 真剣な顔になっちゃって」

「……どうして片桐さんに対してあんなことを言ったんだ? ああ言ったら、片桐さんの気持ちが傷つくことくらい、親友の君なら分かっていたはずだろう?」


 遥香も、そして私もこのことを言いたかった。卯月牡丹という人間が、片桐さんに対して言葉という刃で無残に傷つけることが信じられなかったから。

 卯月さんは目つきこそは鋭くなるものの、口角は上がったままだ。


「……分かっているからだよ」

「えっ?」

「分かっているからこそ、杏ちゃんに酷い言葉をぶつけた。そうすれば、杏ちゃんは私を嫌って会いに来なくなる。それだけだよ」

「そんなのあんまりだ! どうしてそんなことをする必要があったんだ! 1年間眠っている中で、片桐さんのことがそんなに嫌いになったのか!」


 思わず立ち上がって、卯月さんに罵声を浴びせてしまった。分かって言ったというのが本当に信じられなかったから。


「……ごめん」

「別にいいよ。原田さんに怒られることも覚悟して言ったから。私は杏ちゃんのせいで心を傷つけられて、追い詰められたんだよ。仕返ししないでどうするの?」

「でも、片桐さんは定期的に君のお見舞いに来ていたんだよ。君の目覚める日が絶対に来ると信じて」

「そんなの、せめての罪滅ぼしでしょ?」

「そ、そんな……」

「だったらどうして、杏ちゃんは泣いて病室から飛び出したと思う? 私に対する罪悪感があるからだよ。だから、私が眠っている間にお見舞いに来たのは罪滅ぼしなの」



 確かに、片桐さんは卯月さんが眠ったのが自分のせいだと思っただろう。

「だけど、片桐さんは卯月さんと以前と同じような生活を送りたいと思っていたはずだ。言っていたじゃないか。君のことが好きなんだって」

「……あんなの、私を懐柔するためでしょう? 杏ちゃんが私のことをどう思おうが関係ない。私が好きなのは原田さんだけ。それは今でも変わっていないんだから」


 どうやら、卯月さんは片桐さんに『裏切られた』と心に刻んでしまっているようだ。背景は何であれ、私に振られるアドバイスをしてしまったから。片桐さんと仲直りさせることはかなり難しそうだ。


「ねえ、原田さん」

「なに?」

「……言っておくけどね、私は原田さんにだって言いたいことがあるんだよ」

「私にも?」

「そうだよ。原田さんが私を振ることさえしなければ、私が眠ることだってなかったんだからね」

「……そうだね」


 いつか、はっきりと卯月さんからそう言われると思っていた。

 そう、私が卯月さんを振ってさえしなければ、卯月さんが1年もの間眠ることはなかったんだ。実際に私もそう思ったから、あの日から幾度となくそのことで苦しんだ。

 遥香と出会い恋人同士になり、卯月さんのことにも前向きになれたと思っていた。けれど、本人が目覚めて分かっていたことを実際に言われると、卯月さんを振ってしまったことがどれだけ彼女を苦しませてしまったのか改めて思い知らされる。

 だからこそ、卯月さんが私に何を言おうとしているのか分かっていた。


「……ねえ、原田さん」

「なに?」

「……坂井さんと別れて、私の彼女になってよ」


 そう、遥香と別れて卯月さんの彼女になって欲しいということだ。さっきまでの卯月さんの態度や言動を見ていれば容易に想像できた。

 卯月さんは私のことが今でも好きなんだ。1年間眠りについていても、その想いが消えることはなかった。


「嫌だなんて言わないでね。今回も断れちゃったら、今度こそ……自分を殺しちゃうかもしれないから。次はナイフで手首を切るのがいいかな……」

「そんなこと言わないで! 卯月さんが傷つくのはもう嫌だよ……」

「だったらさっさと私の彼女になってよ。そうすれば話は済むんだから」

「で、でも……」


 卯月さんの彼女になるということは、遥香を振らなければならない。遥香は私の過去を知った上で、私のことを信頼して彼女になってくれた。ここで遥香を振ったら、それこそ遥香の気持ちに対して裏切ることになる。遥香は優しいから、友人として仲良くしてくれるかもしれない。それでも、遥香の心を傷つけることはしたくない。

 でも、ここではっきりと卯月さんを振ってしまったら、卯月さんは本当に今度こそ自殺してしまうかもしれない。一度は自殺を図った人間だ。有言実行の可能性は非常に高い。卯月さんが死んでしまうような決断はしたくない。

 どうする。私はどうすればいいんだ!


「私、は……」


 それ以上、何も言えなかった。

 究極とも言えるこの二者択一な問いに、すぐに答えなんて出せるはずがなかった。考えれば考えるほど、胸が苦しくなる。


「……原田さん。1日だけ時間をあげるよ」

「えっ?」

「今すぐに私と付き合うって言っても、ちゃんと坂井さんを振ってからでないと気持ち良く付き合えないでしょ? 坂井さんを振るための時間を1日あげる。私への返事は明後日の午前中にして」


 その言葉こそ自分中心だけれど、悩んでいる私の姿を見て卯月さんが猶予を与えてくれたような気がした。


「今日はもう帰っていいよ。私の今日の目的は杏ちゃんを突き放すことと、原田さんにもう一度告白することだから。それができて満足してる。あとは原田さんが私の彼女になってくれれば幸せだよ。良い返事を期待してる。期待しても……いいよね?」


 上目遣いで私のことを見つめる卯月さんに、一瞬……心が奪われそうになってしまった。彼女が魅力的だからなのか。あるいは、私の中にある罪悪感がそうさせているのか。その理由はよく分からなかった。

 卯月さんの期待に応えられるかどうか。そんなことが今の私に分かるわけがなく、


「じゃあね、卯月さん。明後日の午前中にまた」

「……うん。絶対に来てね。来ないで何にも返答なしっていうのは一番嫌だから」

「それだけは絶対にしないよ。必ずまたここに来て、返事するから」

「うん。楽しみに待ってる」


 卯月さんの可愛らしい笑みがとても恐く感じてしまって、私は逃げるようにして病室を後にしたのであった。



 潮浜総合病院から出たとき、スマートフォンの着信音が鳴る。

 遥香だったらどうしようと思いながら、画面を見て発信者を確認すると『広瀬美咲』となっていた。少しほっとした。


「広瀬さんか」

『ごめんなさい。突然電話をしてしまって。まだ卯月さんの病室ですか?』

「いや、たった今……病院を出たところ。そっちはどうなの?」

『杏ちゃんを見つけて、何とか彼女の家まで辿り着いたところです。今は遥香ちゃんが杏ちゃんの側で慰めています。卯月さんに絶交とも思える言葉を言われたせいか、元気を取り戻す気配が全く無さそうで……』

「それは仕方ないよ。卯月さんの家に行こうと思ったけれど、今はそっとしておいた方がいいかもしれないね」

『そうですね。それに、原田さんは1年前の出来事に関わっています。今の杏ちゃんに会ったら、何かのきっかけで衝突してしまうかもしれません』

「そう……かもね」


 私が振ったせいで追い込まれたと卯月さん本人が言っていた。卯月さんを眠らせた原因とも言える私のことを片桐さんは恨んでいるかもしれない。もし、今はそうでなくても、何かのきっかけで私に恨みを抱く可能性は否めない。

 これ以上、片桐さんを刺激しないためにも、私は彼女から距離を取っておくべきなのかもしれない。


『そういえば、そちらの方はどうでしたか?』


「あんな言い方はないんじゃないかって言ったけれど、全く折れる気配はなかった」

 遥香と別れて私と付き合ってくれ、と言われたことは言えなかった。


『そうですか。2人の関係を元に戻すのは相当難しそうですね』

「そうだね。片桐さんの方はまず、気持ちを立て直すことが必要だからね」

『それが第一ですよね。杏ちゃんのことは遥香ちゃんと私に任せてください』

「……うん、頼むよ。卯月さんのことは私に任せて」

『分かりました。何かあったら連絡を取り合いましょう』

「ああ、分かった。今のところこっちは大丈夫だって遥香にも伝えておいて」

『分かりました。では、失礼します』

「うん」


 私の方から通話を切った。


「はあっ……」


 思わずため息をついてしまう。

 大丈夫なわけがなかった。遥香か卯月さんか。どちらの彼女になればいいのか、今も全く答えが出ていない。片桐さんと卯月さんの関係を戻すことは二の次で、今は自分のことで精一杯だった。

 どちらを取るか。いや、どちらを失うか。

 それだけをずっと考えながら、重い足取りで家に帰るのであった。

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