第4話『裏切り者』
杏ちゃんとは二度と会いたくない。
きっと、その言葉で……杏ちゃんにとっては卯月さんとの距離が再び開いてしまったように感じていると思う。
「牡丹! 一度だけでもいいから聞いて」
杏ちゃんは涙を流しながら卯月さんの両肩を掴む。
それに対して卯月さんは体を振るなどして抵抗する。
「いやっ! だからもう――」
「牡丹のことが好きなんだよ! それが素直に言えなかったから、ついあんなことを言っちゃったんだ。だから、本当にごめん……」
杏ちゃんはその場で泣き崩れる。
私を誘拐したときに言っていた。1年前、杏ちゃんが卯月さんに告白を急かすアドバイスをしたのは、絢ちゃんに振られて自分の方に振り向いて欲しかったからだと。卯月さんに好きだってこと素直に言えなかったからだと。
卯月さんはそれらの全てを分かっているようなことを言っている。1年もの間眠り続けながらも、杏ちゃんが自分にどうしてあんなアドバイスをしたのかを考えていたのかもしれない。
「あたし、牡丹のためなら何だってするから! 一年前のことはそう簡単に許されることじゃないって分かってる。だから、牡丹のために……」
「それなら、早く私の前からいなくなってよ。私は杏ちゃんの顔なんて見たくないから。私のためなら何だってしてくれるんでしょ?」
「そ、それは……」
杏ちゃんは言葉を詰まらせる。卯月さんの側から離れるというのは、どうしてもしたくないから。
そんな杏ちゃんの様子を見ても、卯月さんの冷徹な視線は変わらなかった。
「……杏ちゃんはいいじゃない。私以外にもたくさん友達がいてさ」
「えっ?」
「私はこの1年間、1人でずっと眠ってたんだよ! それなのに、杏ちゃんは天羽女子に進学して、坂井さんや広瀬さんのような素敵な友達ができて。どうせ、目が覚めて……私をもう一度傷つけるために2人を連れてきたんでしょ! お前は独りぼっちだって思わせるために!」
「そんなわけない! あたしは牡丹の元気な顔が見たくて、できる限りお見舞いにも来て……ハルやサキを連れてきたのは、2人が牡丹と会って友達になりたいと思ったからで……」
「そうだよ。私達は杏ちゃんが卯月さんを誰よりも心配して、早く目を覚まして欲しいって願っていたのを知ってるよ」
「それに、卯月さんと仲良くなりたい気持ちは本当です。以前は孤独だったかもしれませんが、今は違いますよ」
杏ちゃんの言うとおりだ。私や美咲ちゃんは早く卯月さんに会いたいと思ったし、友達になりたいと思っている。
私達が杏ちゃんのフォローをしたからなのか、卯月さんは少し動揺しているようだった。杏ちゃんの気持ちが分かってきたのかな。
「私は……」
卯月さんはそう言ったきり、次の言葉が出てこない。
彼女が今、何を思っているのかは分からないけれど、色々な想いが複雑に絡み合っていることだけは私にも分かった。
どうにかして、2人の溝を埋めたい。
だけど、今の私ができる精一杯のことはさっきのフォローだった。杏ちゃんが卯月さんを心配していることと、卯月さんと仲良くなりたいことを伝えること。
杏ちゃんや絢ちゃんにとっては時が流れて、ちゃんと今を生きている。
でも、1年間眠り続けた卯月さんにとっては、1年前で時間が止まっているんだ。この春に杏ちゃんと親友になった美咲ちゃんや私には、卯月さんを納得できるような言葉を言うことができない。黙って見守ることしかできないんだ。
卯月さんは何かと葛藤したかのように、一度、歯を食いしばった。そして、ようやく彼女の口が開く。
「……私は、原田さんのことが好きだった。本気で好きだった。他の子から告白されていたのは知っていたから焦りもあった。だから、信頼できる杏ちゃんに相談したのに。酷いよ、原田さんに振られればいいって思ってたなんて」
「それはさっき言った通り、牡丹に好きだって言えなくて……」
「そんなの関係ないよ! どんな理由でも、原田さんに振られて欲しいって思ったのは変わらないじゃない! 私は真剣に原田さんと付き合いたかったんだから!」
卯月さんの目からは涙が流れる。
「原田さんに振られて、何も見えなくなった。そして、全てを失ったと思った。アドバイスしてくれた杏ちゃんもきっと、女の子が好きな私を気持ち悪がって離れてしまう。何もないなら生きる意味は無い。だから、あの夜……私は首を吊ったの!」
杏ちゃんに向けられた卯月さんの言葉には、物凄い気迫がこもっていた。それは1年の眠りの間に溜まったものを全てはき出しているように見えた。あまりにも凄いので、私に向けて話しているような気がして身震いしてしまう。
「杏ちゃん。私が首を吊るときの気持ち、あなたに分かるの? 分からないでしょ。分からないから、ニコニコして原田さんや高校のお友達を連れてくることができるのよ!」
「牡丹……」
「……裏切り者」
「……えっ?」
裏切り者、という言葉があまりにもショックだったのか、杏ちゃんは目を見開いてしまう。
「杏ちゃんは裏切り者だよ! 初めてできた親友で、杏ちゃんだったら信頼できるって思ってたのに。よりによって、原田さんに告白する一番大事なことで、裏切られるなんて思ってなかった。私は真剣に悩んでたんだから」
「牡丹! 私は……」
「さっきも言ったでしょ。理由なんてどうでもいいって」
卯月さんは腕で涙をぬぐい取り、再び杏ちゃんに向けて冷徹な視線を送る。
「杏ちゃんなんかに出会わなければ、あんな想いを味わうこともなかったし、首を吊って1年間も眠ることはなかった。杏ちゃんなんて大嫌い!」
無情にも卯月さんの叫びは病室に響き渡った。
卯月さんの激しく、尖った言葉に杏ちゃんは耐えられるはずもないだろう。
「……ごめん」
それだけ言って、杏ちゃんは泣きながら病室を出て行ってしまった。
「杏ちゃん!」
「急いで追いかけましょう! 私は杏ちゃんの所に行きます!」
「そうしたいけど……」
追いかける前に1つ、杏ちゃんの親友としてやりたいことがある。
事情は分かっているし、卯月さんの気持ちだって分かるけれど……あんなに酷い言い方はないと思う。杏ちゃんの親友として、卯月さんに物申したい気分だった。
「卯月さん。杏ちゃんにあんな言い方って――」
「遥香」
絢ちゃんは私の肩の上に手を乗せ、首を横に振る。
「遥香は広瀬さんと一緒に、片桐さんのところに行ってあげて。それに、卯月さんだって片桐さんと同じように、心を痛めているだろうから」
「でも……」
「遥香の言いたいことはちゃんと私が言っておくから。それよりも今、片桐さんの側にいてあげられるのは親友である遥香や広瀬さんだけだ。彼女が寂しい想いをしないように、少しでも早く卯月さんのところに行って」
「原田さんの言う通りですよ。私達が杏ちゃんの側についていてあげましょう」
美咲ちゃんは絢ちゃんと頷き合った。
冷静に考えれば絢ちゃんの言う通りだ。杏ちゃんについていてあげられるのは、親友である私や美咲ちゃんだけだと思う。
それに、言わなかったけれど……絢ちゃんはきっと、今の卯月さんとまともに話せることができるのは、自分しかいないと思っているんじゃないかな。
「分かったよ。美咲ちゃんと一緒に杏ちゃんの側にいるよ」
「……うん、頼んだ」
「遥香ちゃん、急いで杏ちゃんを追いかけましょう!」
「そうだね。行こう!」
私と美咲ちゃんは病室を出て、杏ちゃんの後を追いかけるのであった。