第22話『素直に言えなくて』
「ど、どういうことなの? お兄ちゃん。美咲ちゃんに突然……」
「遥香も広瀬さんがいることに違和感を抱いているように見えたけど?」
「……まあ、そうだけど」
私がそう言うとお兄ちゃんはふっ、と笑った。どうやら、お兄ちゃんには何か分かったことがあるみたい。
「……まあいい。遥香、昨日の手紙……俺が見たことも覚えているだろう」
「そういえば、そんな変な手紙は処分しろ、って言っていたね」
「ああ。原田さんから誘拐された話を聞いて、手紙に書いてあった『悪魔』という単語を思い出した。そして、この遊園地に1人で来ていた広瀬さんと出会い、悪魔という言葉を呟くと彼女は表情を変えたんだ」
美咲ちゃん、1人で遊園地に来ていたんだ。最近は遊園地にも1人で来るのが流行っているのかな。ていうか、悪魔という言葉で反応するってどういうことなの?
「片桐さんだったか。彼女の話によると、悪魔って言葉は片桐さんや原田さんにしか分からないはずだ。小学校の時から遥香と同じ学校の広瀬さんには分からない。だけど、広瀬さんは俺の発した『悪魔』という言葉に異常な反応をしてしまったんだ。そこから考えられるのはただ1つ。広瀬さんは原田さんの『悪魔』に関することを知った上で、遥香宛てに例の手紙を書いた。違うかな?」
お兄ちゃんの推理に対して美咲ちゃんは暫く答えずにいたけど、
「……はい、そうです。あの手紙は……私が書きました」
と、例の手紙を書いたことを認めた。
「どうして、そんなことをしたの?」
小学生のときからの優しい親友である美咲ちゃんが手紙を送ったからこそ、理由がどうしても分からなかった。
「……学校で原田さんが悪魔であると小耳に挟んだからです」
「それだけのことで……」
「私にとってはとても大切なことだったんです!」
美咲ちゃんは声を張り上げてそう言う。
杏ちゃんとはもちろん別の想いだけど、同じくらいの強さを感じる。
「だって、小学生の時から親友が好きになった人が悪魔と呼ばれているんですよ? その人のことが気にならないわけないじゃないですか」
「でも、美咲ちゃんは絢ちゃんのこと、高校に入学するまで知らなかったはずだよ。ましてや、美咲ちゃんが悪魔って揶揄されていることなんて。どうやって、卯月さんに関係することを調べたの?」
「……お忘れですか? こう見えても私は日本有数の会社を経営する人間の娘。私が一つ言えば、周りの大人はその言葉通りに動いてくれるんですよ」
「だから、写真を同封することができたんだね……」
「ええ。そして、私自身も天羽女子に通っている同級生に色々と聞き込みをしました。卯月さんのことはその時に知りました」
「卯月さんが今も意識不明だってことも?」
「……そうです」
ということは、美咲ちゃんは昨日の時点で分かっていたんだ。絢ちゃんが悪魔と揶揄されている理由の全てを。それなら当然、
「ねえ、美咲ちゃん。どうして、そのことを私に直接言ってくれなかったの? 美咲ちゃんの話なら私、どんな内容でも逃げないで聞いてたよ」
美咲ちゃんが今まで教えてくれなかった理由を知りたい。
そたとえ、絢ちゃんが卯月さんを「殺した」話だとしても、私はきっと最後まで話を聞いていたと思う。美咲ちゃんは嘘を絶対につかないって分かってるから。
美咲ちゃんは頬に一筋の涙を流す。
「……私が弱い人間だからです」
「美咲ちゃん……」
「……怖かった。卯月さんの件を話すということは、原田さんのことを悪く言うことですから。そのことで遥香ちゃんに嫌われてしまうんじゃないかって。それでも、遥香ちゃんを悪魔と揶揄される原田さんから引き離したかった。だから、匿名で写真を同封したあの手紙を遥香ちゃんに送ったんです」
「それは絢ちゃんへの信用を失わせるためだよね……」
美咲ちゃんはこくり、と頷いた。
「あの手紙さえ読めば遥香ちゃんは原田さんと遊園地に行かないと思っていました。けれど、遥香ちゃんは行った。だから、私は……遥香ちゃんを尾行するために1人でここまで来たんです」
「それも、私を絢ちゃんから守るためってこと?」
「原田さんは一度も告白を受け入れたことがないと聞いていましたし、遥香ちゃんも告白するかもしれないって言っていましたから。遥香ちゃんが振られたときには私がすぐ遥香ちゃんを抱きしめようって思いました。でも、途中で見失ってしまって。まさかその時に遥香ちゃんが誘拐されるとは思わなくて。遥香ちゃんを探しているときに隼人さん達に出会ったんです」
全然気づかなかった。美咲ちゃんが私を尾行していたなんて。そして、そのきっかけが私と絢ちゃんを引き離そうとしたことだったなんて。
「……ごめんなさい、遥香ちゃん。こんな卑怯なことをしてしまって。私、最低な人間ですよね。本当は原田さんの彼女になって遥香ちゃんが離れていってしまうのが嫌なだけなのに、その気持ちを素直に言えなかった。相手は親友の遥香ちゃんなのに」
「そんなことないよ。美咲ちゃんは最低なんかじゃない! 確かに、美咲ちゃんの取った行動は間違ってる。でも、それが分かったってことは最低じゃないと思うよ」
そう言えるのも、美咲ちゃんの流す涙が本物であると分かっているから。それに、随分と遠回りしたけど、私に対する気持ちをちゃんと伝えることができたから。
「たとえ、私が絢ちゃんの彼女になっても、美咲ちゃんから離れないよ。それはもちろん杏ちゃんも一緒だから」
何をしようとも、私は親友である2人から離れる気は端からない。
杏ちゃんは私の言葉に無反応。むしろ、気持ちを揺るがないようにしているのか、私から意図的に視線を逸らしているように見える。
美咲ちゃんは私に対して一度頷き、真剣な表情で杏ちゃんのことを見る。
「私の行動が間違っていたのは分かりました。でも……原田さんの怯えた目を見ると、彼女が本当に悪い人だったかどうか分からないんです! 果たして、原田さんは一度でも卯月さんを殺そうと思ったのでしょうか?」
「故意だったかどうかなんて関係ない! 牡丹は……原田さんに振られたから首を吊って死のうって決意したんだ! 原田さんが悪いに決まっているじゃない! 自分で調べたんだったら、そう思って当然のはずだよ、サキ!」
絢ちゃんに振られたことで卯月さんは自殺しようとしたから、故意であるかは関係なく絢ちゃんが全面的に悪いと思っている杏ちゃん。
対して、絢ちゃんが卯月さんに死んでほしいと思っていないのなら、絢ちゃんは一切悪くないと思う美咲ちゃん。
どちらの考えも筋が通っていないわけではない。どちらが正しいかどうか第三者である私が判断していいものなのかな。
「こうなったら、何が何でも認めさせる。原田さんが悪魔で、牡丹が今の状態になった原因は全て原田さんにあるってことをね!」
杏ちゃんはそう言うと、スカートのポケットから小さな容器を取り出す。そして、その容器で手に何かを吹き付けている。甘い香りがし始めたということは、手に付けているものは香水か。
「原田さん、この香水の香り……何の花の香りか分かる?」
「分からない……」
「教えてあげる。……牡丹の花の香りだよ。お互いに花の名前だと知ってから、休みの日に遊ぶときには自分と同じ名前の花の香りがする香水をつけていた。杏の花の香りはもちろん好きだけれど、牡丹の花の香りはもっと好きだった」
杏ちゃんは牡丹の花の香水を手だけでなく腕や首、足までつけている。そのためか牡丹の花の香りが段々と強くなっていく。
「杏ちゃん! まさか……」
「……ハルは気づいたみたいだね。そう、私は今から牡丹になる。この香りは牡丹の匂いそのものなんだから。そして、この時のために私は必死に練習してきたんだから」
そう言うと、杏ちゃんはゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
『ねえ、原田さん』
持ち前の七色の声の能力で、杏ちゃんの声色が完全に別人のものに変わった。
これが、卯月さんの声なんだ。とてもキュートな印象を持たせる。
牡丹になる、というのはこういうことだったんだ。卯月さんの香りと声を使って彼女を再現するということ。
「き、君は……卯月さん?」
『そう、私は……あなたに振られた卯月牡丹』
「絢ちゃん、聞き入っちゃダメだよ! 両手で耳を塞いで! これは卯月さん本人が言っているんじゃないんだから!」
「私は……卯月さんを振った……」
駄目だ、絢ちゃん……私の言葉を聞いていない。杏ちゃんの作り出した卯月さんの声色に翻弄されている。これじゃ、杏ちゃんの思う壺になっちゃう。
『そう、あなたは私を振った。いや……私を殺したのよ!』
そして、杏ちゃんは絢ちゃんの胸元を掴んだ。
『私はあなたのことが好きだったのに、どうして私のことを振ったのよ! それがどれだけ辛いことなのか分かってるの? とても辛くて、何も希望がなくなって……生きる意味を失ったのよ! 原田さんは最低の人間。いえ、悪魔よ!』
杏ちゃんは深呼吸をして、
「一度も目が覚めないまま、牡丹の命は消えるかもしれないんだよ」
自分の声に戻して話を続ける。
「そんなこと、あたしは嫌だ。原田さん、返してよ。牡丹の笑顔を返してよ! あなたは学校で王子様って呼ばれているんでしょう? 王子様なら、女の子の1人くらい眠りから覚めさせることくらい簡単にできるんじゃないの!」
「杏ちゃん! もうそのくらいにして。絢ちゃんがかわいそうだよ」
「そんなことない! 原田さんは悪魔で――」
「いい加減にしてよ。どんなことをしたって絢ちゃんは人間だよ。これ以上絢ちゃんの心を傷つけるようなことを言うなら、私が許さない」
たとえ、私の知る絢ちゃんが杏ちゃんの知るほんの一部だとしても。私はあの優しい絢ちゃんを信じて、彼女を全力で守る。
私は杏ちゃんを絢ちゃんから強引に引き離す。そして、絢ちゃんの両肩を掴んで彼女のことをじっと見つめる。
「絢ちゃん、あなたが卯月さんにしたことって何なの? 正直に話して。どんなことでも全てを受け入れる覚悟は私にはあるから。嘘をついたり隠したりしないで」
一連のことで大事なことはたった2つだ。絢ちゃんが卯月さんにしたことと、卯月さんを一度でも死んでもいいと思ったことがあるかどうかだ。本人の口から真実を聞かない限り、進むべき結末に辿り着くことは絶対にできない。
絢ちゃんは頭を抱えて俯いたまま話し始める。
「私は……卯月さんと何回か話したことがあった。でも、恋人として付き合うとかそういうことは考えられなくて。だから告白を断ったんだ。でも、卯月さんを殺そうとか死んでもいいとかなんて思ったことは一度もない! 卯月さんが自殺未遂をしたって聞いて私のせいじゃないかってすぐに思ったよ。でも、周りの女子が私のせいじゃないって言って、それに私が甘えたせいで一度も卯月さんに向き合えなかった……」
「……そうだったんだね。杏ちゃん、これでも絢ちゃんを悪魔だって言えるの?」
「そ、それは……」
杏ちゃんが言葉を詰まらせる中、絢ちゃんは私の手を掴む。
「遥香、私のことを守ってくれるのは嬉しいけれど、ごめん。私は悪魔だ。卯月さんが自殺をしようとしたきっかけは私にある。だから、私は悪魔としてこの先一生、罪悪感に苛まれ続けなきゃいけない運命なんだ……」
「そんな……」
分かっている、絢ちゃんが悪魔じゃなくて心優しい女の子だってことは。
でも、絢ちゃんが悪魔だと言い続けている以上、私にはどうすることもできない。
絢ちゃんの今の一言に、杏ちゃんは満面の笑みを浮かべる。
「そう、それでいいのよ。悪魔だって認めてくれれば。これで、あなたの全てを奪うことができる。今まで培ってきた地位も、あなたの側にいる大切な人もね……」
高らかに笑い飛ばした。復讐は果たされたと言っているかのように。
これが、私達の進むべき結末なの?
私にはまだ何か隠されているような気がしてならない。
絢ちゃんに振られたことで卯月さんが自殺しようとしたことは事実だ。あの写真はきっと卯月さんが絢ちゃんに告白する場面を写したものだろうから。それによって杏ちゃんは絢ちゃんを悪魔だと言い、絢ちゃん自身も同じように自分を悪魔だと言っている。
だけど、それだと何故かすっきりしない。杏ちゃんの話にはどこか違和感がある。実際にあったことを話しているだけのはずなのに、どうして?
「妙だな……」
そう呟いたのはお兄ちゃんだった。
「今の話、俺にはどうも納得できないんだ。奈央もそう思ってるか?」
「はっきりとした理由はまだ見つからないけど、違和感は抱いてる」
「それを聞いて安心した。片桐さんは事実を話しているだろう。嘘をついている様子には見えなかったからな。卯月さんが自殺をしようとしたきっかけは、間違いなく原田さんが彼女を振ったことだろう。だけど、俺にはある一点については納得できない」
お兄ちゃんや奈央ちゃんも違和感を持っていたんだ。
「それってどのことについてなの? お兄ちゃん」
「……悪魔は本当に原田さんなのか、ってことだ」
お兄ちゃんの一言に誰もが驚いた。
まさか、絢ちゃん以外の誰かが悪魔だって言うの……?