第21話『牡丹』
「遥香、ごめん。私が側にいながら、遥香のことを守れなくて……」
「大丈夫だよ。ただ、両手と両脚を縛れているだけだから」
「そうか。今、解いてあげるから」
絢ちゃんは私の両手と両脚を縛る紐を解いてくれた。そして、私の顔を見て安心したのか、微笑みを見せる。
「さすがは王子様。ここぞというタイミングで現れる」
「君は確か、片桐さんだったね。君が遥香を誘拐したのか!」
「……そうよ」
やっぱり、絢ちゃんに恨みを持っているだけあって、杏ちゃんの表情がかなり険しいものになっている。後ろにいる女子達も。
「遥香、大丈夫か!」
「お兄ちゃん! それに、奈央ちゃんと美咲ちゃんまで……」
お兄ちゃんと奈央ちゃん、一緒に遊園地に約束でもしていたのかな。
それよりも気になるのは美咲ちゃんだ。美咲ちゃんがどうしてここにいるのか。
「遥香を探しているときにお兄さんと奈央さん、広瀬さんに出会ったんだ」
「そうだったんだ……」
みんな、私のことを探してくれたんだ。
「遥香、赤い髪のツインテールの女子がお前を誘拐したのか?」
「……うん」
お兄ちゃんはいつになく目を鋭くして、杏ちゃんのことを見る。
「どんな理由であっても、俺の可愛い妹を誘拐するなんて兄として許せないな」
「ちょっと待って! 杏ちゃんは私の親友で……」
「彼女が親友でもお前を誘拐したことに変わりはないんだぞ! たとえ女子でも――」
「落ち着いて、隼人!」
奈央ちゃんが必死にお兄ちゃんを宥める。
お兄ちゃんがここまで感情的になるなんて珍しい。しかも、奈央ちゃん以外の女子に対して怒るところなんて初めて見た。女性恐怖症なのに。
そして、絢ちゃんも杏ちゃんに向けて鋭い視線を送る。
「私の大切な人を……好きな人を傷つけようするなら、私が許さない。たとえ遥香と親友である片桐さんでもね」
えっ、今……私のことを好きって言った? 聞き間違いかもしれないけど絢ちゃんの声で「好き」という言葉が耳に入ったので凄くドキドキしている。
杏ちゃんは私達を見て深呼吸をする。
「……そんなことを言える資格が原田さんにあるのかな」
「遥香に対する気持ちは本物だ!」
「ふざけるな!」
絢ちゃんが自分の想いをぶつけたことが引き金となってしまったのか、突如、杏ちゃんは豹変する。
「昔から女子の気持ちを踏みにじってきて、挙げ句の果てには1人の女子を殺したお前なんかに、ハルを好きになる権利なんてない! お前は……最低最悪の悪魔だ!」
杏ちゃんの怒号は教会の中に響き渡った。それもあってか、絢ちゃんは青ざめた表情をして俯いてしまう。小刻みに体が震えている。
その様子を見た杏ちゃんは絢ちゃんを見て嘲笑う。
「そうだよ。その醜い姿が見たかったんだよ! 高校生になっても王子様なんて呼ばれてる原田絢があたしの前で跪く姿をね!」
「杏ちゃん、もうやめてよ! 絢ちゃんがかわいそうだよ……」
「ハルにそんなことを言う権利はないよ。ハルが知っているのは、高校に入学してからの原田さんだけ。そんな一部分しか知らないハルに、原田さんがかわいそうだなんて言えるわけがないんだよ!」
杏ちゃんの気迫に圧されて、私は何も言うことができない。絢ちゃんに対する復讐の気持ちが想像もつかないくらいに強いんだ。
「原田さんが来たからって私の復讐が失敗したわけじゃない。手紙のことは予想外だったけれど、原田さんが間に合ったときには……彼女の犯した罪を全てハルに暴露する。そうやって、ハルの心を原田さんから奪っていく」
絢ちゃんの罪……それが、あの手紙に書かれていたことだったんだ。1人の女子を「殺した」こと。
「ちょうどいい。第三者の方々にも原田さんの罪を聞いてもらいましょう。きっと、彼女がどれだけ酷い人間……いえ、悪魔なのか分かるだろうから」
杏ちゃん……絢ちゃんを精神的に孤独へ追い込むつもりだ。お兄ちゃん達の心までも杏ちゃんの手中に収めようとしている。絢ちゃんは1人の女子を「殺した」とんでもない悪魔なのだと。
でも、私にそれを止めることはできない。絢ちゃんの犯した罪についての話を聞かない限り、誰も望まない結末に向かうだけだろうから。
「……卯月牡丹って名前は覚えてるよね、原田さん」
絢ちゃんはその名前に過剰な反応を示す。
「ど、どうして君がその名前を……」
「……中学生の時からのあたしの親友だから。原田さんは知らなかったと思うけど、あたし……あなたと同じ中学出身だったのよ」
「ちょっと待って。その卯月さんっていう子は……」
「ハルの持っている写真に写っている赤い髪の女の子だよ。とっても可愛くて、ハルに似ているところも多かった」
写真に写っていた赤い髪の女の子、確かにかなり可愛い雰囲気を持っていた。彼女が杏ちゃんの親友だったんだ。そして、絢ちゃんによって「殺された」のか。
「でも、ハルと違うのは自分の想いがすぐには絶対に言えないこと。何にしても心の準備をしてからでないと言葉にすることができなかった。そのせいで友達は全然できなかったの。それでも、牡丹が良い子だってことは分かっていたから、牡丹と友達になって、いろいろなことを話したの。そうしたら、牡丹もあたしに対してだけなんだけど、思ったことをすぐに言ってくれるようになって、牡丹と親友になれた気がしたの。親友だよね、ってあたしが言ったときの牡丹の嬉しそうに笑った顔は今でもよく覚えてる。その笑顔はハルにそっくりでとても可愛かった」
親友のことを話すときはさすがに杏ちゃんの目つきも優しい。
私に必要以上に彼女になれと迫ったのは、親友の卯月さんに似ていたからだったんだ。心の穴を埋められるのも私だけと言ったのも同じ理由。
「中学でも原田さんは陸上部に入っていて、今みたいに周りの女子から人気を多く集めていた。毎日誰かに告白されていたけど、それらの告白は全て断ってた」
「それが、多くの女子の気持ちを踏みにじったことだって言いたいの?」
「当たり前じゃない。好きだっていう気持ちを捻り潰すんだよ?」
「ひ、捻り潰すって……」
まるで、絢ちゃんが女子を振ることを楽しんでいるみたいに聞こえる。絢ちゃんはそんな歪んだ心の持ち主じゃないのに。
絢ちゃんは卯月さんの名前が出てから、まともに杏ちゃんの顔を見ることができていない。無表情で俯いている。
「ちょうど1年前、中学3年になったときに牡丹に言われたの。原田さんのことが好きになったって。この先、どうすればいいのかって」
「それで、杏ちゃんはどう答えたの?」
「……早く告白した方がいいってアドバイスした。その頃も原田さんに彼女はいなかったけど、毎日誰かから告白されていたから。早くしないと誰かに取られちゃうかもしれないって言って、牡丹を後押しした」
「それで、どうなったの?」
「……決まっているでしょ? 牡丹は原田さんに勇気を振り絞って告白したけど、見事に振られたわ」
「でも、それがどうして絢ちゃんが『殺した』ことになるのかな。絢ちゃんはただ、卯月さんを振っただけじゃない」
私がそう言うと、杏ちゃんの目の色が変わる。
「ただ振っただけ? 冗談じゃない! 原田さんは牡丹の心を深く傷つけた! あたしには笑顔で振られちゃったって言っていたけど、牡丹の心は抉られていたんだ。原田さんという存在が誰よりも大きかったから。原田さんに振られたことで牡丹は先を見失ったんだよ。だから、牡丹は……原田さんに振られた日の夜に、自分の部屋で首を吊って自殺をしようとしたんだ!」
自殺。
その強烈な単語もあってか、誰も声を出すことができない。お兄ちゃんでさえ、厳しい表情をして黙ってしまっている。
「でも、自殺をしようとしたときの物音で気づいたのか、彼女の両親がすぐに首を吊っている牡丹を見つけることができて、何とか一命を取り留めることができた。でも、意識は今も戻っていない。目が覚めるのは明日かもしれないし、1年後かもしれない。もしかしたら、一生目覚めずに命を終えるかもしれない」
杏ちゃんは幾つものの大粒の涙をこぼしていた。
これが……絢ちゃんの罪だったんだ。卯月さんを振ったことで彼女の心を傷つけてしまい、自殺未遂に追い込んでしまった。
そして、あの手紙の表記が、
『悪魔は1人の女子を「殺した」のだ』
というようになっていたのは、卯月さんが今も意識を取り戻しておらず、取り戻すことのないまま死を迎える可能性もあるから。
「牡丹は殺されたようなものよ。そう思った瞬間、原田さんが悪魔に見えた。牡丹を殺して、告白してきた女子をなりふり構わず振っていく最低な奴だって。友達にそのことを言っても、みんな原田さんが好きだからあたしがおかしいって言ってきた」
「でも、その後ろの女の子達は……」
「彼女達は原田さんに振られた子と、牡丹の数少ない友達よ。原田さんを恨んでいる人はこれでもほんの一部」
じゃあ、後ろの女の子達の中には過去に私と同じ恋心を抱いたんだ。でも、振られたことで復讐をするほど絢ちゃんを恨んじゃうものなのかな。
「あたしは原田さんへの復讐の心を忘れないためにも、牡丹のお見舞いは定期的に行っていた。その度に、牡丹は原田さんのせいでこんな風になったんだって思って、たまに原田さんへ贖罪を勧める手紙を書いたわ。もちろん、原田さんを悪魔だって揶揄してね」
今の杏ちゃんの冷たい笑みは、絢ちゃんに対する強い復讐の心を象徴しているような気がした。
いつも明るく振る舞うから、誰かを復讐しようだなんて思いもしなかった。本当に信じられない。
「今の話を君は知っていたよね、広瀬さん」
突然、お兄ちゃんがそんなことを言い始めた。私にはお兄ちゃんの言葉の意味が分からなかったけれど、美咲ちゃんは複雑な表情を浮かべていたのであった。