第63話『KISSして』
――紬ちゃんのことが好きです。私と付き合ってくれませんか。
晴実さんはついに、紬さんに向けて彼女に対する想いを言葉にした。
それを受けて、紬さんはとても嬉しそうにしているけれど……彼女と負けず劣らず嬉しそうなのが水代さんだった。
「……私と付き合ってくれる、かな?」
「……もちろんだよ。とても嬉しい。付き合おうって私から言おうと思ったのにな。まさか、晴実の方から言われるとは思わなかった」
「先に言おうってことは、私の気持ちに感付いていたの?」
「そういうわけじゃないけれど、出会ってからはいつも一緒にいたから……いずれは恋人として一緒にいたいなって思ってたんだ」
「そっか……」
何というか、微笑ましい光景だな。一緒にいることが自然になっていて、2人の仲がいいからこそ、こういうやり取りができるのかも。
「ねえ、紬ちゃん。キスしてくれない? 口に……」
「い、いいけど……みんながいる前でするのはちょっと恥ずかしいというか」
紬さんは顔を赤くして恥ずかしそうにしている。
私も2人きりなら躊躇いなくできるけれ、誰かが見ている中でキスをするのは恥ずかしいよね。
「お姉ちゃんの前で……したいの。きっと、安心してくれると思って」
「……分かった」
そして、紬さんは晴実さんにキスをした。女の子同士のキスって見ていると結構ドキドキするものなんだね。
紬さんが唇を離すと、晴実さんは嬉しそうな表情を浮かべている。
「……私の初めてを紬ちゃんにあげることができて良かった」
「そう言われると何だかエロく感じるよ。まあ、私も初めてを晴実にあげることができて良かったよ」
初めてをあげる、か。絢ちゃんと初めてキスしたり、その先のことをしたりしたのはもう4ヶ月も前になるんだ。
「先輩、私と付き合い始めたときのことを思い出していたでしょう?」
「……まあな」
「ふふっ、私も同じです」
直人さんと彩花さんも付き合って間もない時期のことを思い出していたのかな。
「良かったね、晴実」
「うん、お姉ちゃん」
「……紬ちゃん。晴実のことをよろしくね」
「分かりました。晴実のことは私に任せてください」
「……うん」
「……あっ、円加の姿が消えかかってる……」
相良さんの言うように、水代さんの体が段々と消えてきている。彼女はそのことに気付くと寂しそうに微笑んだ。
「円加……」
「……そろそろお別れの時間みたいだね。悠子ちゃん」
「……嫌だよ。もっと、円加と一緒に過ごしたいのに。色々と話したいことがあるのに。いなくならないでよ、円加……」
相良さんは大粒の涙をいくつつもこぼす。きっと、20年前に水代さんが自殺したことを知ったときも、今のような感じで泣いていたのかもしれない。
「私もずっと悠子ちゃんと一緒にいたいよ。たくさんお話ししたいよ。でも、本当は20年前にそれができなくなっているの。今、こうして悠子ちゃんと話すことができるのは奇跡的なことなんだよ」
「……うん」
「この20年間、私はずっとこのホテルとその周りで霊として過ごしてきた。だから、悠子ちゃんの気持ちは何となくだけど分かってる。色々あって辛かったはずなのに、よくここまで頑張ったね。藍沢君や坂井君達と一緒によくあの人と決着を付けることができたね。本当にありがとう。とても嬉しいよ」
「……それができたのは、心霊現象が起こると聞いて円加がこのホテルにいるって思ったからなんだよ。見守っているかもしれないし、恨んで私を監視しているだけかもしれない。本当は円加の霊なんてなくて、私の思い込みなのかもしれない。ただ、ここに円加がいるって思えたことが大切だった。円加のことがずっと好きだから。ねえ、円加が消えちゃったら、もうこのホテルからいなくなっちゃうの?」
思い残したことがあって、氷高さんのことがあったからこそ、水代さんは霊としてこのホテルとその周辺を彷徨っていた。しかし、それらが全てなくなった今、彼女が彷徨っている理由はもうないんだ。
「……どうなんだろうね。でも、悠子ちゃんが私のことを好きでいてくれる限り、あなたの心の中でずっと生きているよ。だから、これからも好きでいてくれるかな」
「もちろんだよ」
相良さんが自分の気持ちを伝えると、水代さんは嬉しそうに笑った。
「……そう言ってくれると思った。悠子ちゃん、私も大好きだよ」
「……あのときは本当にごめんなさい。もう、今からはやり直せないけれど、やり直せる、かな……」
相良さんは時々、声を詰まらせながらも、20年前のことについて水代さんに謝った。本来だったらもうできないことが、20年の時を経て実現したんだ。
水代さんは涙を流しながらも可愛らしい笑顔で、
「……やり直せるよ。ううん、やり直せたよ。だって、こうしてまた会えたんだもん」
はっきりとそう言い切ったのだ。もしかしたら、こうして会えたことで2人の関係が元に戻ったのかもしれない。
「それは悠子ちゃんが私のことを想ってくれたことはもちろんだけれど、みんなの協力があったからだよ。本当に……ありがとう」
「お姉ちゃん……」
「晴実、私の分まで幸せになってね」
「……うん」
「……もうすぐ消えちゃうような気がする。ねえ、悠子ちゃん。最後に……キスをしてくれないかな。できるかどうかは分からないけれど、最後の思い出にしたいから」
「分かった」
そう言って、相良さんは水代さんの目の前に立って、ゆっくりと水代さんに顔を近づけた。2人の唇が触れているように見えるけれど、どうなんだろう。
相良さんが顔を離すと、相良さんは驚いた表情をしており、それとは対照的に水代さんは嬉しそうな表情を浮かべていた。
「……悠子ちゃん、昔と変わらず温かくて柔らかかったよ」
「円加も同じだよ。温かくて、柔らかくて、優しかった……」
実際に2人の唇が触れていたのか。さっき、水代さんはお兄ちゃんの手に触れることはできなかったのに。これは、2人が最後に起こした奇跡なのかも。
「……まさか、最後にもう一度、悠子ちゃんとキスができるとは思わなかった。とても嬉しいよ。最後に、最高の思い出ができた」
「私も幸せな思い出ができたよ。ありがとう、円加」
「……うん、ありがとう。じゃあ、またね。悠子ちゃんが亡くなったら、また会おうね。でも、だからって早く死なないでね」
「……円加の分も生きるよ。だから、ゆっくりと待っていてほしい」
「うん、約束だよ。さようなら、また会おうね」
そして、水代さんは笑顔を浮かべながらゆっくりと姿を消していった。彼女が最後にこぼした涙だけは、彼女が私達とここにいたことを証明するかのように、床の絨毯にゆっくりと染み渡った。
「……頑張るよ、円加。見守っていてね」
相良さんはぽつりとそう呟くと、右手で涙を拭った。どうやら、ようやく本当の意味で彼女は水代さんの自殺から一歩を踏み出せたのかもしれない。
これまで色々とあったけれど、水代さんがこうして消えてしまった今こそ、本来の状況なんだ。それでも、大きな存在を失ってしまったという感覚はなかなか消えない。それを実感させるかのように、静かにゆっくりと時が流れ続けるのであった。
水代円加さん。安らかに眠ってください。