第62話『我に帰る』
逮捕された氷高さんを連れて行くパトカーの見送り、警察からの相良さんの事情聴取、氷高さんの旦那さんからの謝罪などがあって、私達がようやく落ち着けるようになったのは午後10時を過ぎてからだった。
今は私達が宿泊している部屋にいる。絢ちゃんと2人きりだと広く感じた部屋でも、10人もいるとさすがに狭く感じてしまうな。
「皆さん、本当にありがとうございました。彼女の逮捕があったことで、少しの間は慌ただしくなるとは思いますが……平和な時間が取り戻せそうです」
そう言って、相良さんは私達に深くお辞儀をした。
「いえいえ。最終的には相良さんと水代さんで解決しましたね。俺達は……2人のお手伝いをさせてもらった感じです」
「……そうかもしれませんね、藍沢様」
生きている人だけで解決して欲しいと水代さんは願っていたけれど、ああいう風にして姿を現したということは、彼女自身が相良さんと一緒に解決すべき状況になったからなんだと思う。
「しかし、氷高さんと決着を付けて、彼女が逮捕されても氷高さんはこうして俺達の前に立っているんですね」
「そうだね、坂井君。まあ、幽霊だからか、体を触ったりすることはできないんだけどね」
ほらっ、と水代さんがお兄ちゃんの手を触ろうとしても、お兄ちゃんの手には触れることなくすり抜けてしまう。
「まあ、円加にはまだやるべきことが残っているからじゃない。それが終われば、きっと……成仏するんでしょうね」
儚い笑みを浮かべながら、相良さんはそう言った。
今までは氷高さんとの決着が果たされていなかったので、霊としてこのホテル周辺を彷徨っていた。それが果たされた今もここにいるってことは、おそらく……私と彩花さんの体を元に戻したら水代さんは成仏され、完全にこの世から消えてしまうのだろう。
「そうだろうね、悠子ちゃん。成仏してしまうことは寂しいけれど、やるべきことはしっかりとやらないとね」
「……うん」
「ほら、泣かないの。若い人達がいる前で。それに、いつまでも宮原さんと坂井さんの体を入れ替えたままじゃ2人が可哀想だからね」
「……そうね」
どうやら、水代さん自身も最後にやるべきことが、私と彩花さんの体を元に戻すことであることは分かっているようだ。
「水代さん。遥香と彩花ちゃんの体を元に戻してください」
「……いいけれど、原田さんや藍沢君にとっては衝撃的な光景を目撃することになるかもよ」
「ど、どういうことですか?」
絢ちゃんや直人さんにとって衝撃的な光景ってどんなことだろう? ま、まさかとは思うけれど。
「宮原さん。坂井さん。大切な人のことを想いながらキスをしなさい。そうすれば、2人は元の体に戻るわ」
水代さんははっきりとした口調でそう言った。
やっぱり、私と彩花さんがキスをすることなんだ。大切な人を想いながらってことは、私は絢ちゃん、彩花さんは直人さんのことを想うってことか。
「自分自身とキスをするんですよね、直人さん」
「……そういう考え方もできますね」
キスをしないからか、絢ちゃんと直人さんは意外と冷静だ。
「キ、キスですか……」
「相手は自分自身でも緊張してしまいますよね、遥香さん」
「そうですね、彩花さん」
でもね、誰とキスをすることになっても、キスをする本人にとっては結構恥ずかしいんだけれど。
「2人とも恥ずかしがっているじゃない。円加が何とかできないの?」
「こればっかりはね。2人の体が入れ替わったときも、2人の頭が触れた瞬間に私が魂を入れ替えたのよ。だから、戻る場合は唇が触れたときに私が2人の魂を元に戻すの」
今の水代さんの話を聞くと、触れているところが私と彩花さんの魂の通り道になるってことかな。
「あなたが関わっているなら、入れ替わったときと同じように2人の頭をぶつければいいんじゃないの?」
「……それでもいいけれど、その場合は相当強くぶつからないといけないからね。痛い目に遭うのと、唇を触れさせるんだったら、唇の方を選ばない? 相手が相当嫌な人じゃなければ。それに、体は自分自身なのよ?」
「まあ、痛い目に遭うのは嫌だもんね……」
考えてみれば、キスをするか、相当強くぶつかるんだったら、キスをする方を選ぶかな。その相手が自分自身だとしたら尚更。
「あの、水代さん」
「何かな? 坂井さん」
「……大切な人というのは、好きな人ということでいいんですよね」
「一番大切な人が好きな人だったらね」
「……分かりました。私は心の準備ができましたけれど、彩花さんの方はどうですか?」
「私の方も……大丈夫です。遥香さん、お願いします。その……女の子同士のキスは遥香さんの方は慣れていると思いますので、遥香さんが私に……」
「……はい」
女の子とのキスは絢ちゃんで慣れているからね。
「彩花さん、しますよ」
「……お願いします」
彩花さん、顔を真っ赤にしている。でも、姿は自分自身だしちょっと複雑だなぁ。
そして、私からという形で彩花さんとキスをした。唇が触れてからゆっくりと目を閉じる。
「そのままキスしていてね。2人の魂を……」
何だろう、とても温かい感じがして。ふわふわとした感覚で……今、私はどうなっているんだろう。
「唇を離していいよ」
水代さんがそう言うので、私は彩花さんからゆっくりと唇を離し、目を開ける。
すると、目の前には彩花さんの姿があった。
「戻ったよ! 絢ちゃん!」
「直人先輩! 元の体に戻ることができました!」
私達、元の体に戻ることができたんだ!
彩花さんはベッドから降り、直人さんのところに駈け寄り抱きしめる。
「はあっ、やっぱり元の体に戻って直人先輩のことを抱きしめると幸せですね」
「良かったな、元の体に戻って」
私も絢ちゃんのところに駈け寄り、絢ちゃんのことを抱きしめる。この体で、絢ちゃんの温もりや匂いを感じられる日がまた来るなんて。嬉しいな。
「遥香ちゃんも彩花ちゃんも元の体に戻って良かったね!」
「ああ、これで一件落着だな。それは、俺達のことに関してだけだけれど」
「どういうこと? 隼人」
「水代さんの姿が消える気配が全然ないからな。まあ、そもそも問題が全て解決すれば消えるかどうか限らないけれど。ただ、この場で何かすべきことがあるかどうかっていうのは、本人達が一番分かっているんじゃないかな?」
お兄ちゃんはそう言うけど、おそらく……水代さんにはこの場ですべきことが残っていると思っているようだ。私も同じことを考えている。本人達が何をすべきなのか分かっているはず。
「……お姉ちゃん」
「ん? どうしたの、晴実」
「……見守っていてくれる? 藍沢さんも、坂井さんも」
晴実さん、顔を赤くしている。ついに、その決心をしたのか。
「……うん。頑張りなさい、晴実」
「ど、どういうことなんですか? 先輩」
「それはすぐに分かるさ。晴実さんのことを見守っていよう」
「……先輩がそう言うのであれば」
晴実さん、自分で気持ちを伝えたいから内緒にしてほしいと言っていたからな。ただ、その気持ちをついに自分の気持ちで伝えるときが来たか。
「……紬ちゃん」
「うん」
紬さんは何となく察しが付いたのか、頬をほんのりと赤くさせて晴実さんと見つめ合っている。
ふうっ、と晴実さんは一度、大きく息を吐いて、
「紬ちゃん。私……紬ちゃんのことが好きです。私を付き合ってくれませんか」