第57話『彼女が彼女であるために』
お兄ちゃんが直人さんや晴実さんと一緒に、姿が見えなくなるのを静かに見守る。お兄ちゃんや直人さんだけに話したいことが何なのかとても気になる。
「いったい、お兄ちゃんと直人さんに何を話したいんだろうね」
「私にもさっぱり。男性になら話せることじゃないかな。それに2人が誠実そうに見えたから話していいと思ったんじゃない?」
「そうだろうね、きっと」
戻ってきたら、お兄ちゃんから何を話したのかこっそり訊いておこうかな。
でも、絢ちゃんの言うとおり、お兄ちゃんも直人さんも誠実で信頼できる男性だからなぁ。それに加えてかなりのイケメンだし。初対面ながら、2人は晴実さんの心を掴んだのかもしれない。
「藍沢さんと坂井さん……真面目そうな方ですもんね。晴実は男の方が苦手なので、お2人だけに話がしたいと言ったときは驚きました。もしかして、お2人のどちらかに一目惚れでもしちゃったのかなぁ」
「えっ!?」
彩花さんがそんな声を上げる。
紬さん、彩花さんのそんな反応を見て笑っている。意外と紬さんの方が、お兄ちゃんや直人さんのことが気になっていたりして。
「隼人は元々女性恐怖症だったから、あまり浮気はしないタイプだと思うけれど、隼人って押しには弱そうなタイプだから……彩花ちゃん、今から2人で行ってみようか!」
「そうですね! 直人先輩も押しに弱いタイプなので!」
彩花さんと奈央ちゃんが2階の方をちらちらと見ている。恋人のことが気になっているみたい。
「じょ、冗談ですよ! 藍沢さんも坂井さんも付き合っている方がいると言っていましたし、そのような方に好意を抱く事なんてないと思いますから! それに、晴実にも色々とあると思いますので、彼女のことはお2人に任せましょう」
「つ、紬さんがそう言うなら……」
「2人のことを待ってみましょう。それに、先輩のことを信じられなかったら彼女として失格のような気がしますし」
「……彩花ちゃんの言う通りね。私も隼人のことを信じてみる」
お兄ちゃんも直人さんも誠実そうだから、そういうことは大丈夫だと思う。直人さんには昨日の夜に私のわがままを色々と聞いてもらっちゃったけれど。
「それに……晴実がここにいなくてちょうどいいなと思って」
「どういうことなの? 紬ちゃん」
もしかしたら、晴実さんと同じように紬さんも何か話したいことがあるのかもしれない。あるとしたら、それはきっと晴実さんに関わることだろう。
「……人生の先輩である相良さんと、女性同士で付き合っている遥香さんと絢さんがいるから……話してみようかな」
相良さんに絢ちゃんに私、か。紬さんがどんなことを私達に話したいのか……おおよその見当がついた気がする。
「私……晴実のことがずっと好きなんです」
紬さんははにかみながらそう言った。やっぱり、女の子の晴実さんのことが好きなんだ。
「……そっか。晴実のことが好きなのね」
「ええ。晴実も好きだと嬉しいんですけど、彼女……いつも寂しそうな笑顔を見せて。晴実のことを守りたいと思って。ですから、晴実からこのホテルに一緒に行かないかって誘われたときは二つ返事でOKを出しました」
それだけ、晴実さんの側にいてあげたいってことなのかな。確かに、さっきも晴実さんは時折悲しそうな表情を浮かべていた。
「ですから、相良さん達に協力するかどうかは晴実の判断に尊重します。ただ、協力するしない関係なく、晴実の側にいるつもりです。きっと、今の晴実に必要なのは、自分が誰かの代わり者じゃないと思える気持ちだと思いますから」
晴実さんは昔、御両親がお姉さんのことを話したら、自分はお姉さんの代わり者でしかないのかと泣きじゃくったそうだから。
「その気持ちを持つためには、私が勇気を出して告白すればいいのかもしれません。晴実のことが好きなんだって。ただ、お姉さんの話は聞いていましたので、なかなか言えませんでした。もしかしたら、自分が告白することで晴実をお姉さんのような悲しい目に遭ってしまうかもしれないと思って。それに、今のように友達という関係でもこうして一緒にいられるなら、それでもいいのかなって……」
なるほど、水代さんが女性を好きになったことでいじめられたことを知ったから、自分が告白することで、晴実さんをお姉さんと同じ目に遭わせてしまうかもしれないと思ったんだ。だから、友達として上手く付き合っている今の状況を続けた方がいいのかも、と思っているのか。
「……もしかしたら、円加のことを教えてくれたときは……晴実ちゃんは円加のような目に遭わせたくないと思ったのかもね。でも、どうして晴実ちゃんはそんなあなたをこのホテルに誘ったのかな。私は晴実ちゃんに事情を伝えたよ。そして、晴実ちゃんは私に……生まれたきっかけを向き合いたいって言ったの」
「向き合いたい……」
「……これは私の想像でしかないけれど、生まれたきっかけに向き合いたいって意味は……晴実ちゃんが円加の代わりではなく、自分自身になりたいってことなんじゃないかしら。そして、紬ちゃん……あなたが側にいればきっと自分自身になれると。だから、危険な人のいるこのホテルに来たんじゃないかな」
相良さんは優しい口調でそう言った。
生まれたきっかけと向き合うことで、晴実さんは自分自身に生まれ変わろうとしているのかも。そのために、今回のことを生まれ変わるきっかけにしたいのかもしれない。
「……そうだといいんですけど」
紬さんは苦笑いをしながらそう言う。
「私が晴実さんと同じ立場だとしたら、相当信頼している人でなければこのホテルに行こうと誘わないですね。私で言えば遥香ですけど」
「絢ちゃん……」
もう絢ちゃんったら。キュンとなることに体は関係ないんだね。ドキドキしてきた。
「晴実さんが紬さんに好意を抱いているかどうかは分かりませんが、紬さんのことを信頼していることは確かだと思います。そして、一緒にいてほしいことも。晴実さんはきっと不安でいっぱいだと思いますから、晴実さんが私達に協力するかどうかは関係なく、彼女の側にいてあげてください」
「……分かりました」
きっと、晴実さんは紬さんのことが好きだと想うけどな。だからこそ、このホテルにも連れてきたんだと思う。側にいて欲しいのはもちろんだと思うけど、自分のことをもっと知ってほしいから。私にとってそういう人は……絢ちゃんしかいないかな。
「あの、私が晴実を好きなこと……彼女には内緒にしておいてください。この気持ちは私の口で伝えたいですから」
「分かったわ、紬ちゃん。皆さんもお願いします」
告白は自分で……か。
そういえば、絢ちゃんから告白してくれたとき……とても嬉しかったな。2人きりの観覧車の中で、夕陽に当たりながら。あの時の絢ちゃんは格好良くて、可愛かった。そんなことを思い返すと自然と心が温かくなってくるな。
お兄ちゃん達が戻ってくるまでしばしの間待つのであった。