第18話『彷徨う少女』
気付いた時には、マシンがゆっくりとスタート地点に帰ろうとしていた。どうやら、タイミング良く意識を取り戻せたようだ。
すぐに横にいる奈央を見ると、満足そうに笑っている。きっと、俺が意識を失っている間も大いに楽しんだのだろう。
マシンがスタートラインに到着し、俺はようやく生還することができた。
「ああ、怖かった!」
とびきりの笑顔で言われると全く心がこもっていないように思える。
せめて、綺麗な海が見ることができれば少しは印象も良くなったと思うけど、あのタイミングで急降下されるとね。元々悪い絶叫マシンの評価が更に悪くなった。
マシンを降りると途端に嘔吐を催してしまう。しかし、いつもよりかは酷くない。これも途中で意識を失っていたおかげなのか。
奈央はそんな俺を気遣って、近くのベンチで休憩しようと言ったので、彼女の言うとおり近くのベンチに腰を下ろした。
「大丈夫? 隼人」
「いつもよりはマシだけど……ちょっと気持ち悪い」
俺がそう言うと、奈央は優しく背中をさすってくれる。優しい幼なじみが側にいてくれるのは本当に有り難い。
ほのかに香る甘い匂いが気分を和らいでくれる。こういうのをアロマテラピーと言うのだろう。振り返ると、ベンチの後ろに赤いチューリップが植えられている。この甘い香りはきっとチューリップの花の香りだろう。
ベンチで少し休み、時計を見ると……午後1時過ぎだ。昼食の時間帯を過ぎているけれど、どうするか。
「奈央、もう1時過ぎだけど……フードコートもあるようだし、何か食べに行くか?」
「私はまだいいかな。実はさっきの絶叫マシンのせいで、食欲がなくなっちゃったし」
「そうか。じゃあ、ちょっと缶コーヒー買ってくる。コーヒーでも飲んで気分転換がしたい。奈央もリクエストがあれば何か買ってくるぞ」
「私は別にいいよ。でも、1人で大丈夫?」
「そこに自販機あるし、このくらいなら大丈夫だって」
俺は財布を持って1人で近くにある自販機へ向かう。
しかし、俺が1人になった瞬間……何か視線を感じる。それも一つじゃない。
おそるおそる周りを見てみると、決まって女性だけの集団が俺の注目している。
「気にするんじゃないぞ、俺……」
俺のすべきことは、自販機で缶コーヒーを買うことだけだ。それに集中しろ。
自販機の前に到着し、お金を投入する。
しかし、右手の人差し指が震えてしまってなかなかボタンを押すことができない。女性恐怖症のせいだな。
左手で右手の震えを抑えることで、微糖の缶コーヒーのボタンを何とか押すことができた。
「えっ!」
どうやら、さっきの絶叫マシンなんてまだマシだったみたいだ。
奈央の待つベンチに帰ろうとすると、女性達が俺のことを取り囲んでいた。まさに地獄絵図だ。全身が震え、冷や汗が出る。
とにかく、ここから逃げないと。
「お、俺……彼女待たせているんで!」
俺がそう言うと女性の群衆は見事に散らばっていった。咄嗟に嘘をついてしまったけれど、女性を待たせていることには変わりはない。
こんな体験をしてしまうと、奈央の存在はとても大きいんだと改めて思い知らされる。ベンチに戻り、奈央の顔を見たときに安心できるのがその証拠だろう。
「汗かいているけど、何かあったの?」
「……やっぱりお前が側にいないと、俺は生きていけないみたいだ」
「えっ! えええっ?」
「自販機でコーヒーを買ってたら、女性達に囲まれちゃって……」
「そ、そういう意味だよね。そこに女性がたくさんいると思っていたけど、やっぱり原因は隼人だったんだね……」
何だかがっかりしているように見えるけれどどうしたんだろう? もしかして、一緒に飲み物を買いに行かなくて後悔しているのかな。
俺は缶コーヒーを開け、一口飲む。コーヒーの苦味でようやく気分を落ち着かせることができた。
「美味しい?」
「ああ。コーヒー飲んで大分スッキリした。奈央も飲んでみるか? 砂糖とミルクが入っているから飲みやすいと思う」
「えっ、い、いいの……?」
「ああ、お前が飲みたいなら俺は別に構わないけど」
「じゃ、じゃあ……い、いただきます……」
何故か頬が紅潮している奈央は俺から缶コーヒーを受け取り、そっと一口飲んだ。その後に唇を舐める仕草が可愛らしい。
「やっぱり苦い……」
「そりゃ、コーヒーだからな」
「でも、その……凄く甘くてまろやかで飲みやすかった。は、隼人が一口飲んだ後だからかな?」
「……それは関係ないと思うぞ」
そういえば、間接キスとか気にせずに飲ませちゃったな。まあ、幼なじみだし昔からこういうことは何度もあったから、奈央もあまり気にしてないか。
俺達がそんなことをしている中、周りは少し騒がしかった。女性の声が聞こえるけれど、いったい何があったのか。
周りを見ると、金髪のポニーテールの女性がほとんどのすれ違う人に何かを訊いているようだった。そして、周りの女性達はその女性を見て興奮している。
「何だかかっこいい女の子だね」
「ああ、そうだな……」
背は奈央よりも高そうだ。でも、少し幼そうな顔にも見えるし、高校生かな。服装も7分丈のジーンズに白いワイシャツ……と、まさにボーイッシュな感じだ。これなら、女性が興奮するのも無理はない。
そして、俺達が噂したからか、例の女性が俺達の所へやってきた。
「あ、あの……すみません。私、人を探していて。クラスメイトの女の子で……」
「どんな女の子なの?」
相手が女性なので、奈央が対応する。
「ええと、髪は茶髪で赤いワンピースを着ている女の子です。身長は……160センチくらいだと思うんですけど」
「私はそういう人は見てないな。隼人は見た? さっき、自販機の前で女性に囲まれていたんでしょ?」
「いや、俺も見てないけど。ていうか、誰かとはぐれている人が、興味本位で俺の周りには来ないと思うけれど」
「それもそうだね」
奈央は笑ってごまかした。
しかし、こんな広いところではぐれるとは。金髪の彼女がいちいち人に訊いて探していくのには無理な気がするが。
「その女の子とは連絡は取れる? 君は高校生ぐらいだろう? はぐれたクラスメイトの女の子も、きっと携帯かスマホを持っていると思うけど」
「何度もかけたんですけど、繋がらなくて」
「……そうか。確か、入り口の近くに遊園地の本部があったから、そこに行った方がいいかもしれないね」
「……そうですね。ありがとうございます」
金髪の女子は俺達に一礼をして走り去っていった。
ここまで広い遊園地だと、場合によっては高校生同士でもはぐれてしまうかもしれないな。早く見つかるといいんだけど。
「何だか慌てていたね」
「まあ、はぐれれば慌てちゃうよ。しかも、連絡も取れないとなれば」
「それにしても、かっこいい女の子だったね。きっと、原田さんっていう子も、今の女の子みたいにかっこいいんだろうね」
「ああ、そうだな――」
ちょっと待て。そういえば、一緒に行っている遥香の好きな女の子……原田さんの特徴って、何だったっけ?
『背は奈央ちゃんよりも高くて……金色の髪がとても綺麗で。そして、何よりもお兄ちゃんに引けを取らないくらいにかっこよくて』
そうだ、思い出した。原田さんの特徴は、さっきの女性と完全に一致している。
そして、あの時は何とも思わなかったけど、今日……遥香の着ていた服は赤のワンピースだった。髪が茶色というのも同じだ。
「まさか、さっきの女子が探していた女の子って……遥香だったんじゃないか?」
「と、突然何を言い出すの?」
「遥香から原田さんの特徴を聞いていたんだ。背が奈央よりも高くて金髪で、女子から人気のある女の子だって」
「確かにさっきの女の子と重なるね。じゃあ、もしかして彼女が原田さん?」
「ああ、多分。だから、ちょっと彼女を追いかけてくる。見つけたらここに連れてくるからさ。コーヒーは全部飲んだから捨てておいてくれ」
「分かったよ。気を付けてね」
俺は奈央に空き缶を渡して、金髪の女性を探しにベンチから走り出した。