第22話『Negotiation』
午後1時15分。
私と直人さんはアクアサンシャインリゾートホテルに戻る。
確か、このホテルのチェックアウトは午前11時まで。そして、チェックインは午後2時からだったと思う。だからなのか、今はロビーに人があまりいなくて静か。ホテルの人に20年前のことを訊くなら、今が一番いいかな。午後1時を過ぎているので、お昼休みが終わった方も多いだろうし。
「20年前の事件を知っていそうな方、ということは若くて40代半ばくらいですよね」
「そうなりますね」
そうなると、かなり偉い方になるのかな。ただ、仮に知っていたとしても一般の客である直人さんや私に、20年前の事件について教えてくれるかどうか。
ただ、実際にやってみないと分からないよね。周りを見てみると、入り口からパンツルックの女性が入ってきた。あの女性と同じ服を着ている人が何人もいるから、きっとこのホテルで働いている人だと思う。その証拠に胸ポケットの所に名札のようなものが付いているのが見える。
「直人さん、あの女性に訊いてみましょうよ」
例の女性の方を指さす。茶髪のセミロングが特徴的で、年齢は……見た目だけでは30代前半くらいだと思われる。綺麗な大人の女性だ。
「じゃあ、俺が訊いてみます」
私と直人さんは女性の方に向かって歩いて行き、
「すみません、このホテルについてお伺いしたいことがありまして」
「はい、どのようなことでしょうか」
さすがにホテル関係者ということもあって、女性は素敵な笑顔を見せてくれる。胸ポケットに付いている名札を見ると『相良』と書いてあった。『さがら』って読むのかな。
「今朝、ホテルの中でちょっと不思議な体験をしまして。このホテルについて調べたら、マニアの間では心霊系のスポットとして人気であることを知りまして」
「心霊写真が写っていた、という話はお客様から何度か聞きますね」
夏に多く撮影されるみたいだから、そういう問い合わせが宿泊客からあるんだと思う。きっと今年の夏も。
「そうですか。その原因とされているのが、20年前の夏……名前が変わる前のこのホテルで当時女子高生だった少女が飛び降り自殺をした事件です。その事件についてお話を伺いたいんです」
「……20年前の事件、ですか」
何か心当たりがあるのか、相良さんは儚げな笑みを浮かべている。
「どうして、20年前のことを? お客様、かなりお若いですよね。お客様が今朝、体験したという不思議なことが理由でしょうか」
今の相良さんの態度からして、彼女……20年前の事件について詳しく知っているように思える。
「……はい。信じていただけるかは分かりませんが……実は彼女、今朝、同い年の女の子と体が入れ替わってしまったんです」
「入れ替わり……」
さすがに、相良さんの顔から笑みが消える。突然、何を言っているんだ、って思っているんだろうなぁ。
「20年前、自殺した少女はいじめを受けていました。ただ、そんな少女にも家族ぐるみで一緒に旅行するほどのクラスメイトの女の子がいました。しかし、クラスメイトの女の子は少女が自殺する直前に突き放してしまったと証言しました。もしかしたら、少女は寂しさや悲しさを抱く中で自殺したのかもしれません。そんな思いを知ってほしくて、入れ替わりが起こってしまったのだと考えています」
「……随分と想像力に長けているんですね」
相良さんは真剣な表情をして直人さんや私のことを見ている。
「他の可能性も考えましたが、この地域で人が亡くなった事件というのは、20年前の少女の自殺が最後なんです。それ以前にも特に目立った事件もありません。何の関係もない可能性もありますが、俺達は20年前の事件が関わっていると考えています。入れ替わってしまった2人には恋人がいますし……」
直人さん、一生懸命になって説明してくれている。分かりやすいけれど、今回の入れ替わりに何の関わりの無い人が聞いたら、想像力に長けている人にしか思われないのかも。
少しの間、無言の時間が過ぎて、
「……分かりました。チェックインまでもあと30分以上ありますし、20年前の事件について私がお話しします」
「あ、ありがとうございます!」
意外だ、20年前の事件について私達に話してくれるなんて。入れ替わりが起きたと話したときから笑顔がすっかりと消えていたので、知っていたとしても私達に話すのは嫌なのかなって。
「いえいえ。20年前のことについて訊かれたこともありましたが、これまでの方とは違ってお客様は入れ替わりという深刻な事情を抱えております。それに、入れ替わってしまった2名は恋人がいるということですが、どちらも付き合っている方とこのホテルに来ているんですよね」
「そうです。私の恋人は女の子ですが……」
私がそう言うと、相良さんは目を見開いた。
「……女性、なのですか」
「はい、そうですけど……」
「……それならば、尚のこと話した方がいいですね。お客様の考えている通りかもしれないので。それに、あなた方なら20年前のことを話しても大丈夫だと思いますから」
入れ替わりのことを話しても、私達のことを信用してくれるのは嬉しい。
あと、相良さんは私が女性と付き合っていることに、何か思うところがあるようだ。もしかして、20年前に自殺した少女とクラスメイトの女の子も同じような関係なのかな。
「あっ、自己紹介がまだでしたね。私、このアクアサンシャインリゾートホテルの総支配人の相良悠子と申します」
総支配人、ってつまりホテルの最高責任者ってことだよね。まだまだ若そうなのに。キャリアウーマンというのは彼女のような人のことを言うんだろう。
「藍沢直人と申します。昨日からお世話になっております」
「坂井遥香です。ただ、この体は直人さんの彼女さんである宮原彩花さんのものです」
「……なるほど。つまり、坂井様と宮原様の体が入れ替わってしまったということですね」
「そうです。今朝、食事会場の近くのお手洗いで、出会い頭に彩花さんと頭をぶつけてしまって……」
「そうですか。今はあまりお客様もいませんから、そちらのソファーで20年前のお話をしましょうか。何か飲まれますか? 緑茶、コーヒー、紅茶ならホットとアイスの両方をお出しすることができますが」
「俺は冷たい緑茶をお願いします。遥香さんはどうします?」
「私も同じく冷たい緑茶で」
「かしこまりました。では、すぐに持って参りますので、そちらのソファーにお掛けになってください」
そして、私は直人さんと一緒に近くのソファーに行って、隣同士で腰を下ろす。
「まさか、最初に訊いた方から20年前の話を聞けるとは思いませんでしたね」
「でも、彼女はどう見ても40代半ばには見えないんですよね」
「直人さん、あまり女性の年齢を勘ぐってはいけませんよ」
「……申し訳ない」
直人さんにそう注意したけれど、実は私も相良さんの年齢が気になっている。20年前から働いていたとしたら、若くても40代前半くらい。
「ただ、私も相良さんが40代半ばには見えないというのは同感です。当時から従業員として働いていたから詳しく知っている、という私達の考えは一度無くした方がいいかもしれません」
「つまり、別の理由があって当時のことを詳しく知っている、と……」
当時の報道を鮮明に覚えているとしても、それだけならネットにあるような情報とたいして変わらないかも。
ということは、自殺した少女やクラスメイトの女の子の知り合いだった。もしくは、事件当日にこのホテルに滞在していたか。
「お待たせしました。冷たい緑茶になります」
「ありがとうございます」
相良さんが持ってきてくれた冷たい緑茶を飲む。最近は紅茶ばかり飲んでいたからか、緑茶がとても美味しく思える。
「……あの事件は今の時期に起こったので、毎年、夏になると思い出します」
「そうですか」
「……20年前のあの日も今日のように晴れていて暑かったです。でも、夜になって彼女が自殺したことを知ったときはとても寒かったことを覚えています」
「そう、なんですか……」
今の口ぶりからして、20年前の事件が起こった当日、相良さんは従業員として働いていたり、たまたま来た旅行に来ていたりしていたというわけではなさそう。
「自殺した少女の名前は水代円加。事件当時、彼女は高校のクラスメイトでした」
「クラスメイトということは、まさか……自殺した水代さんと一緒にこのホテルに旅行に来ていた女の子というのは……」
それが分かった瞬間、これまでの相良さんの反応がどういう意味だったのかようやく分かったのだ。
相良さんの眼からは一筋の涙。
「……そうです。私は円加が自殺する直前に、彼女のことを振ってしまったんです」