第7話『君と温泉に恋をする。』
私は絢ちゃんと一緒に1501号室を後にして、1階にある大浴場へと向かい始める。
絢ちゃんとは手を繋いではいるけれど、さっきのお兄ちゃんと奈央ちゃんの何とも言えない会話で、絢ちゃんに声を掛けづらい状況に。
上の階からエレベーターが到着すると、中には誰一人乗っていなかった。この15階で乗る人も私と絢ちゃんしかいないので、扉が閉まると自動的に2人きりの空間に。
1階のボタンを押したら、もう何もすることがなくなってしまう。1階に到着するのはあっという間なんだろうけれど、とても長く感じる。
「……温泉、楽しみだね、遥香」
「そ、そうだねっ! 絢ちゃん!」
絢ちゃんに声を掛けてもらったことにビックリしちゃって、思わず大きな声で返事をしちゃった。絢ちゃん以外に人がいないのは幸いだけど、ちょっと恥ずかしいよ。
「ははっ、お兄さん達の会話を聞いて色々と意識しちゃったのかな」
「絢ちゃんは……何も感じなかったの?」
「……そんなわけないよ」
お兄ちゃんと奈央ちゃんの会話を聞いてドキドキしたのはもちろんだけれど、隣にいる絢ちゃんの赤い顔を見たら凄く興奮しちゃって。今のような2人きりの空間になるとキスしたいくらいに。
「遥香」
「えっ?」
絢ちゃんの方を向くと、彼女がちゅっ、とキスをしてきた。
「2人きりだから、ついキスしちゃった」
「……もう、誰かが来ちゃったらどうするの。それに、防犯カメラだってあるし」
「……み、見えてないからいいよ、きっと。それに、しちゃったものはしょうがない」
「……そういう思い切りの良さも好きだよ」
私ならできないところ、絢ちゃんは難なくすることができる。時として、そんな彼女が私のことを引っ張ってくれるから心強い。
そして、エレベーターはノンストップで大浴場のある1階に到着した。花火大会が終わってから少し時間が経っているからか、1階には人はほとんどいない。
大浴場に到着し、女湯の暖簾をくぐると、午後9時過ぎという時間だからなのか全然人がいなかった。
「みんな、早めに入っちゃったのかな」
「そうかもね。後は部屋のお風呂に入っているお客さんもいるんじゃない? 浴室、結構立派だったし」
「あぁ、確かに」
他の人がいる中で入るのが苦手な人もいるだろうし、部屋の浴室が広いので大浴場を利用しない人もいるのかもしれない。
「まあ、私も人が大勢いるよりはあまりいない方がゆっくりできて好きかな」
「へえ、そうなんだ。絢ちゃんならワイワイできる方が好きイメージがあったけど」
「小学生くらいまではね。でも、今は遥香っていう恋人がいるし、好きな人と一緒にゆっくりと浸かりたいなぁ、って」
「そっか。まあ、私も絢ちゃんと一緒なら静かに入れる方がいいかな」
もう、旅行に来てから絢ちゃんのことでキュンキュンしっぱなしだよ。温泉に入ってのぼせないように気を付けなきゃ。
私と絢ちゃんは服を脱いで、タオル一枚で大浴場へと入っていく。
大浴場の中も人はほとんどいない。なので、人の声はあまり聞こえず、お湯の流れる音が絶え間なく聞こえる。この独特の蒸し暑さといい、温泉旅行に来たって感じがする。
「あそこで髪と体を洗おうか」
「うん」
洗い場にも人は皆無。
私と絢ちゃんは隣同士で座って、髪と体を洗い始める。その際、目の前にある鏡で体にキスマークがないかどうかを確かめることに。
「どうしたの、遥香。時々、鏡をじっと見ているけれど」
「いや、その……変な痕が体についてないかどうか確かめるの」
小さい声で言ったつもりなのに、意外と声が響いてしまっている。ううっ、恥ずかしいよ。人が少ないときに来て良かった。
「……ああ、そういうことね。気を付けたけれど、どこかにあった?」
「ううん、ないと思うよ」
「良かった。私も確かめておこう」
そう言って、絢ちゃんも鏡をじっと見始める。
こうして絢ちゃんのことを見てみると、絢ちゃんって本当に肌も綺麗だし、くびれもあって……うらやましいな。
「んっ」
思わず、絢ちゃんの頬にキスをしてしまった。そのことで絢ちゃんの可愛らしい声が聞くことができた。
「もう、何するんだよ。ビックリしたじゃない」
「……さっきのエレベーターでのキスのお返しだよ」
海では絢ちゃんにキスされっぱなしだったので、ここで1回キスをしておきたかった。頬だったこともあってか、キスしたときに柔らかい感触があったな。
「あのときも今も周りに人は全然いないけれど、ここは声が響くからね」
「……ちょっと罪悪感を抱いてる。ごめん」
「ははっ、気にしないでいいよ。……あと、私の体にも変な痕はなかったから」
「うん」
明日からも海やプールで遊ぶから、絢ちゃんの体にキスをするときは変な痕が付かないように気を付けないと。
髪と体を洗い終えて、私と絢ちゃんはさっそく露天風呂の方に向かう。
「あぁ……」
温泉の温度がちょっと熱めだからか、露天風呂に入った時に絢ちゃんはそんな声を挙げた。
「あぁ、気持ちいい」
「何だかおじさんみたいだよ、絢ちゃん」
「だって、熱くて気持ちいいからさ」
「その理由も何だかおじさんっぽい。別にそれが嫌だとは思っていないけど」
「ははっ」
ただ、絢ちゃんの言うとおり……この温泉は気持ちがいい。意外と夜になると涼しいので、このくらいの熱さでちょうどいいかも。
「まさか、露天風呂に誰もいないなんて。まるで絢ちゃんと私の貸し切りみたいで贅沢な気分だね」
「確かに。家の近くにある銭湯は、繁盛しているからか結構な人と一緒に入るからね。時間のせいもあるだろうけど。遥香と一緒だからかより贅沢な気がするよ」
「……うん」
私は絢ちゃんに寄り添い、手を重ね、彼女の肩に頭を乗せた。絢ちゃん、とっても柔らかいなぁ。
「……幸せだなぁ。絢ちゃんとこうしてゆったりと時間が過ごせて」
「……ははっ、遥香だって人のこと言えないじゃない。そんなことを言うなんて、まるでおばあちゃんみたいだよ」
「そうだね。でも、おばあちゃんになっても絢ちゃんと一緒にいたいなぁ」
出会ったときは絢ちゃんと付き合いたい、としか思わなくて、それが叶わない夢のように感じた。でも、今は……絢ちゃんとずっといるんだろうな、って自然に思えるようになったんだ。ただ、おばあちゃんになった自分や絢ちゃんの姿はなかなか想像できないけど。
「……それって、プロポーズとして受け取っていいのかな」
プロポーズ、という言葉が聞こえたので、思わず絢ちゃんのことを見る。絢ちゃんはいつもの爽やかな笑みを浮かべていた。
「プ、プロポーズのつもりで言ったわけじゃなかったけれど、素直に……絢ちゃんとはずっといたいと思って」
「ははっ、そうか。ただ……一緒にいたいっていう気持ちが遥香と重なっていて良かった。おばあちゃんなっても一緒にいようか」
「それってプロポーズ?」
「まあ、そうだね。ずっと一緒にいようよ、っていう約束だから」
「……あっさりしてるなぁ。でも、今みたいな感じなのもいいかも」
綺麗な景色が見られるところで、ちょっと格好付けたような言葉で絢ちゃんから言ってくれるってイメージしていた。でも、こうしてさりげなく、自然に一緒にいようって言い合えるのって、実は凄く幸せなことなのかも。
「ねえ、遥香」
「……うん?」
「……約束してね」
絢ちゃんはそう言うと、私にそっとキスをした。
「誓いのキス。誰かが入ってくるかもしれないから、一度だけね」
絢ちゃんはそう言うと、私にウインクをしてきた。つくづく格好良くて、私のことをキュンとさせてくれるんだから。もう、絶対に絢ちゃんが他の人と付き合ってほしくない。
「……もう、ビックリしちゃったよ。それに、誓いのキスなら事前に言って欲しかったな」
「ごめんね。したくなっちゃって」
「そっか。でも、ありがとう。じゃあもう一度、誓おうか」
そう言って、今度は私の方から絢ちゃんにキスをした。いつもよりも潤っていて、心なしか普段よりも唇が柔らかいというか。
「……ありがとう、遥香」
「うん。……それにしても、温泉って気持ちいいね。今回の旅行で一段と好きになったかも」
「そっか。今度、私の家の近くにある銭湯へ一緒に行こうか」
「うん!」
温泉の温かさに、穏やかに流れる風の涼しさ。それらがとても心地よくて、いつまでも絢ちゃんと一緒に温泉に入っていたいと思うのであった。