第22話『1 or 8』
7月27日、土曜日。
今日は午前中から絢ちゃんが遊びに来ていて、今夜は泊まる予定になっている。
外は晴れているけれど、絢ちゃんが昨日まで合宿だったので外に出るよりも家でゆっくりと過ごす方がいいということになった。それに、外は暑いから涼しい部屋の中にいた方がいいよね。
「やっぱり、遥香と2人きりの時間が一番落ち着けて好きだなぁ」
「インターハイが終わったら、こういう時間をたくさん過ごそうよ」
「そうだね。一緒に課題をやったり、写させてもらったり……」
チラッと私の方を見てくる絢ちゃん。きっと、私の課題を写させてっていうサインだ、これ。
「確かにちょっと課題は進めたけれど、一緒に頑張ろうね」
「ええっ、見せてくれてもいいじゃん」
絢ちゃんは不機嫌そうな表情をしながら頬を膨らませる。これはこれで可愛い。そんな姿を見せられても心を鬼にしないと。
「ダメだよ。期末テストだって、直前の追い込みで何とか赤点を免れることができたじゃない。インターハイが終わったら、しっかりと勉強しようね」
「……遥香が教えてくれるならいいけれど」
「もちろんだよ。それに、ちゃんとできたら……ご褒美もあげるつもりだし」
ちゅっ、と絢ちゃんに軽くキスをする。
キスとかその先のことはご褒美という形じゃなくても、私の方からしたいけれど……今の絢ちゃんにはこれが一番いいかなと思って。
「分かった。インターハイが終わったら、一緒に課題を頑張る」
「うん、約束だよ」
「……あとさ、遥香。合宿を5日間頑張ったから、そのご褒美はくれないのかな」
そう言って、絢ちゃんは私の手を掴んでくる。
「き、昨日……たくさんキスしたじゃない」
「遥香と5日間も会えなかったんだよ? もっと遥香を感じたいんだ。それに、遥香がキスしてくれたり、その先のことをしてくれたりしたら……インターハイをもっと頑張れそうな気がするし」
絢ちゃんは私の気持ちを自分と一緒にさせたいのか、私のことを抱きしめてくる。
絢ちゃんの匂いや温もりが私のことを包み込む。昨日、キスをたくさんしたとはいえ、昨日までの5日間、絢ちゃんと全然いられなかったから……絢ちゃんのことをたくさん感じたい気持ちは重なっている。
「……もう、絢ちゃんの甘え上手」
「遥香……」
私の名前を囁くと、ゆっくりと私のことを押し倒す。
「ねえ、イチャイチャしようよ、遥香」
「ダメだよ。夜の楽しみじゃないの?」
「……明るいうちからしてもいいと思うよ。だって、今は夏休みじゃん」
「……何それ」
そう言いながらも、私は絢ちゃんのことを抱きしめる。誰の目も気にせずにできるんだったら、今すぐにだって……したいよ。けれど、実際はそうじゃない。家にはお母さんだっているし。
「ふあっ」
絢ちゃん、私の耳を咥えてきた。あまりされたことがないから、新鮮な感じがしてこれも気持ちいい。
「絢ちゃん、ちょっとだけなら……」
イチャイチャしてもいいよ、って言おうとしたときだった。
――プルルッ。
スマートフォンが鳴る。物凄くビックリした。
「私の方だ。ええと」
発信者は『恩田沙良』となっていた。何かあったのかな。通話モードにする。
「もしもし、沙良ちゃん」
『もしもし、遥香ちゃん』
「もしかして、真紀ちゃんのことで何かあったの?」
『ううん、むしろ何もなくて。真紀ちゃん、自分の部屋に閉じこもって誰とも口をきいてくれなくて。どうすればいいのか分からなくて』
「そっか」
『私の気持ちを伝えてもいいかもしれないけれど、今の真紀ちゃんに伝わるかどうか心配で。むしろ、真紀ちゃんに断られて、姉妹の関係もなくなりそうな気がして怖いの』
沙良ちゃんは何とかして真紀ちゃんと話をしたいけれど、今もまだ真紀ちゃんは誰とも話したがらないのか。
「無理して今すぐに気持ちを伝えなくていいと思うよ」
『でも、このまま何もしなかったら、真紀ちゃん……自分の殻に閉じこもっちゃう気がするの。それに、今のままだとインターハイにも出場できなくなるかもしれない。遥香ちゃん、どうすればいいのかな……』
沙良ちゃんの震えた声が聞こえてくる。
確かに、今の真紀ちゃんを考えれば、そっとしておくのが一番いいかもしれない。けれど、インターハイがあと数日と迫っている。真紀ちゃんが目標にしてきたであろう大会で全力が出せなかったら、それは彼女自身が悔しい想いを味わってしまうに違いない。
「遥香、沙良さんからの電話なの?」
「うん、絢ちゃん」
絢ちゃんも話すことができるように、スピーカーモードにしてスマートフォンをテーブルの上に置く。
「恩田沙良さんですね」
『あ、あなたは?』
「初めまして、原田絢です。その、遥香から聞いているかもしれないけれど、私は遥香と付き合っているんだ」
『遥香ちゃんから聞いてるよ。今回の合宿で真紀ちゃんと一緒に練習してくれた天羽女子の生徒さんだよね』
「そうだ。今も……真紀さんは自分の部屋に閉じこもっていて、誰とも話したくないと言っているんだね?」
『うん、そうだよ』
「……なるほど」
絢ちゃん、何か考えている様子だけれど、良い案でもあるのかな。
「合宿では私も、月岡さんも、草薙さんともまともに話そうとしなかった。そして、沙良さんとも」
『ごめんなさい。迷惑を掛けてしまって……』
「気にしないで。話を戻すけれど、真紀さんに話すことをまだ試みていない人が1人だけいる。そう、遥香だよ」
「わ、私?」
「おそらく、真紀さんは本当に好きな人への想いを断ち切るために、遥香を彼女にしようとした。それは遥香に対して、相当な信頼感を抱いているからだと思うんだ。遥香なら真紀さんの本心を聞き出せるかもしれない。……どうかな、遥香」
「そう、だね……」
絢ちゃんの考えた作戦なら、真紀ちゃんの本音を引き出せる可能性は……あるかもしれない。ただ、このタイミングで訊こうとすることで、真紀ちゃんの心を更に閉ざすような事態にならないかどうかが心配だ。
「……迷っちゃうな。早く解決した方がいい気持ちもあれば、時間を置いた方がいいっていう気持ちもあるの」
『でも、遥香ちゃんはまだ真紀ちゃんに話そうとしていない。これでダメだったら、時間をかけて真紀ちゃんと話していきたいと思う。だから、遥香ちゃん、真紀ちゃんと話せるかどうか……』
「……分かった。やってみる」
何もしないよりは、とりあえずやってみる。もしかしたら、私だけには話してくれることがあるかもしれないし。もしダメだったら、その時に考えればいいか。
「じゃあ、今から絢ちゃんと一緒にそっちに行くよ。ただ、真紀ちゃんにはこのことを一切伝えないで。変に構えちゃうかもしれないから」
多少強引だけれど、彼女の部屋に入って真紀ちゃんと2人きりで話してみたいと考えている。今はそれしか思いつかない。
『分かった。待ってるよ。家の前に着いたらLINEの方にメッセージを送って』
「うん、分かった。じゃあ、今すぐにそっちに向かうね」
『うん』
そして、私の方から通話を切った。
「そういうわけだから、今から2人の家に行こう、絢ちゃん」
「ああ!」
まさか、真紀ちゃんとの再会がこういう形で実現しようとしているなんて。沙良ちゃんの時のように平和な形で再会したかったんだけど、こういうのも何かの縁だろう。
私は絢ちゃんと一緒に2人の家に向かうのであった。