第16話『ココロパンク』
7月25日、木曜日。
合宿4日目。昨日までとは違って、今日は雲が広がっている。陽差しがないだけマシだけれど蒸し暑さは相変わらず。5日間の合宿も後半になり、疲れも溜まり始めているので無理せずにやっていかないと。
今日も短距離走とリレーの練習を行なっていく予定になっている。
まずは昨日までと同じように、恩田さんと一緒に短距離走の練習をする。恩田さんはむすっ、とした表情をしており、昨日も辛うじてあった会話も今日は一切ない。黙々と走る本数を増やしていく。
「絢、今日も調子いいね」
「ありがとうございます」
黒崎先輩に褒められて嬉しいな。ただ、調子がいいのは、恩田さんという強力なライバルが隣にいるおかげだけど。
その恩田さんは昨日までと違って、調子はかなり悪いように思える。初日よりも遅いタイムを連発してしまい、未だに私よりも速くゴールを突破したことがない。
「真紀ちゃん。ちょっと休憩した方がいいんじゃない?」
今日から短距離走の方も指導する草薙さんが、恩田さんに向かってそう言う。
しかし、恩田さんは首を激しく横に振って、
「いえ、このままやらせてください! 原田さんと一緒に走らせてください! そうじゃないと、タイムを伸ばせない……」
「真紀ちゃんが焦る気持ちも分かるけれど、昨日までとは違って様子がおかしいわ。顔色も良くないし。今日は休みを多く入れながら練習した方がいいよ」
「……はい、分かりました」
恩田さんは悔しそうな表情を浮かべながら、グラウンドを後にして、合宿所の側にある誰もいないベンチに腰を下ろした。タオルで汗を拭ったり、水分を取ったりするようなことはせず、ただ俯いている。
「原田さん、ごめんなさいね」
「いえ、いいんです。黒崎先輩から聞いているかもしれませんが、その……恩田さんとはちょっとありまして。そのせいで、きっと……調子が悪くなっているんだと思います」
「……そういえば、悠ちゃん、言ってたわね。真紀ちゃんと原田さんが喧嘩しているような感じだって」
「……ええ」
きっと、遥香のことで心を痛めているんだと思う。本当に好きな人は遥香以外にいるんじゃないか、と問いただしてしまったから。
「原田さんも無理しないでね。3日間の練習の疲れも溜まっているだろうし、今日と明日は休憩時間を多く取るようにしましょう。インターハイも近いからね。ここで体調を崩して出場できなくなったらそれこそ悔しいから」
「そうですね。分かりました」
「じゃあ、真紀ちゃんも休憩しているから、原田さんも休憩に入って」
「はい」
恩田さんの所に行って昨日のことを謝るべきかどうか。今はまだそっとしておいた方がいいのかな。
「あれは……」
ベンチに座っている恩田さんの所に向かう月岡さんの姿が見えた。中距離や長距離の方も休憩に入っているのか。
月岡さんがいる場なら謝れるかもしれない。そう思って、私は恩田さんの所へと向かう。
「原田さんも休憩なの?」
恩田さんの背中をさすっている月岡さんがそう言う。
「ああ、そうだよ。今日と明日は休憩を多めに入れて練習を進めようってことになっているんだ」
「そうなの。……真紀ちゃん、大丈夫? 今日の真紀ちゃん、結構調子が良くなさそうだったから」
「大丈夫だよ。大丈夫だから、心配、しないで……」
笑顔を見せながら月岡さんにそう言うけれど、その笑みは明らかに作り笑いであることは私にでも分かった。恩田さんは再び俯いてしまう。
「そんなこと言っても、今も苦しんでいるのが痛いほどに分かるよ。だから、真紀ちゃんの力になりたいの」
「彩葉……」
月岡さんの顔は真剣そのものだった。そして、月岡さんは恩田さんの両肩を掴んで、
「ねえ、真紀ちゃん。しっかり聞いてね」
そう言うと、恩田さんはゆっくりと顔を上げる。
月岡さんは頬をほんのりと赤くして、
「私、真紀ちゃんのことが好きなの。私と付き合ってくれませんか」
恩田さんに対する想いを彼女に伝えた。
すると、恩田さんは視線をちらつかせ、首を横に振った。
「……何で、そんなことを言うの」
そう言う恩田さんの声は今までに聞いたことがないような低さだった。
「真紀ちゃんの様子が気になって、原田さんから真紀ちゃんのことを聞いたの。真紀ちゃんが色々と悩んでいることは分かってる。だからこそ、真紀ちゃんのことを支えたくて――」
「ふざけないでよ!」
恩田さんは激昂して、月岡さんのことを突き飛ばした。
「あたしがこんなにも困っているときに、あたしに告白なんてしないでよ! これ以上、あたしを困らせないで!」
遥香が本当に好きではない、と私に指摘されたことで、恩田さんの想いが揺らいでいる中での……月岡さんからの告白。恩田さんがそう言いたくなる気持ちも分からなくはないけれど……。
「困らせたら謝るわ。ただ、私は真紀ちゃんのことを……」
「うるさいうるさい!」
月岡さんの声を掻き消すかのように、恩田さんは声を荒げる。そんな恩田さんの眼からは大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちていた。
「彩葉のことなんて大嫌い! もう、あなたの顔なんて見たくない!」
恩田さんは逃げるようにして合宿所の中へ姿を消してしまった。
まさか、月岡さんが告白するとは思わなかった。でも、あんなに辛そうにしている恩田さんを見たらいても立ってもいられなくなったんだろう。
「どうしよう。私、真紀ちゃんに嫌われちゃった……う、ううっ……」
「大丈夫だよ。大丈夫。きっと、さっきの言葉は本音じゃないだろうから」
月岡さんの頭をゆっくりと撫でるけれど、月岡さんは大声で泣き始め、私の胸に顔を埋めた。
そして、この一部始終を見ていた生徒によって、黒崎先輩と草薙さんに伝えられ……練習が一時中断されるのであった。