第12話『思惑』
7月24日、水曜日。
合宿3日目。一昨日、昨日に続いて今日も快晴で、合宿をしている地域も猛暑日になるとの予報。せめて曇りになってくれないかな。それか、適度に風が吹くか。連日、強い日差しの中で練習をするのは結構きつい。
昨晩、遥香と電話をした後に恩田さんと会ったり話したりすることはなかった。そして、恩田さんのことを心配そうにしていた月岡さんから何か訊かれるかなと思ったんだけれど、昨晩の夕飯以降は彼女の姿を見ることはなかった。
練習が始まる時間になるにつれ、緊張感が高まってくる。恩田さんがどんな感じで私の前に現れるのか。
「おはよう、原田さん」
すると、体操着姿の恩田さんが私にそう言ってきた。彼女の顔を見ると一昨日や昨日とは違って、どこか気を張っているように思える。
「おはよう、恩田さん。その……やらなきゃいけないことは大丈夫だった?」
「……うん」
返事はしてくれるものの、私の方は見てくれない。やはり、遥香と付き合っているというあの一言が恩田さんの心に刺さっているのだろうか。
「さあ、早くグラウンドに行きましょう」
「ああ、分かった」
恩田さんのことも気になるけれど、練習はしっかりしないと。
そして、合宿3日目の練習が始まる。
気持ちを立て直し、ゆっくりと寝たので私自身の調子は上がっている。実際に昨日よりもタイムが上がっていた。
しかし、調子がいいのは私だけではない。
恩田さんのタイムも昨日よりも上がっていたのだ。100m、200m共に。タイムが上がったら私はいちいち喜んでしまうけれど、恩田さんは「そうなんですか」と言うだけで喜ぶ様子は全くない。昨日までの恩田さんなら喜ぶような気がするんだけどなぁ。
休憩を取るときも、昨日までとは違って私と一緒に過ごさなくなった。
「ちょっと、原田さん」
「あっ、月岡さん、お疲れ様」
「……お疲れ様」
水筒を持った月岡さんは私のすぐ隣に座る。
「昨日の夜ご飯のときから急に真紀ちゃんの様子がおかしくなったんだけど、いったいどういうことなのよ。一晩経てば元気になるかなと思って、真紀ちゃんやあなたに敢えて何も訊かなかったけれど」
「……私も寝れば元気になると思っていたんだ。けれど、昨日までとは様子が違うことは私も気付いているよ」
やはり、月岡さんも気にするよな。おそらく、夕食後の彼女の様子も知っているだろうし、ここは話せることを話した方がいいだろう。
「……いいか、このことは誰にも言わないで。実は昨日の夕食の時、恩田さんが小学生の時の友達の話になったんだよ。それは双子のお姉さんである沙良さんの友達でもある。昔話をしているときは楽しそうだったんだけど、実はその友達が私の彼女だって言ったときから様子がおかしくなったんだよ」
その流れを考えたら、私の彼女……坂井遥香のことが恩田さんは好きなんじゃないかと思ってしまう。もし、本当にそうだとしたら私はどうすればいいのか。
「……原田さん」
すると、急に月岡さんは私の胸ぐらを掴んでくる。
「それって、真紀ちゃんがあなたの彼女のことが好きってことなんじゃないの!? それについては分かってるの!?」
「そこまでは確認してない! 私もその可能性は考えているけれど、元気のない恩田さんの顔を見たら私から訊くことなんてできないよ」
「そ、その気持ちも分かるけれど……うううっ、真紀ちゃんの気持ちも知りたいけれど、真紀ちゃんの今の状況を考えたらそれはできない……」
どうすればいいの、と月岡さんは頭を抱えてしまう。おそらく、恩田さんが元気でないことと、恩田さんが遥香を好きかもしれないという疑惑にショックを受けているんだろう。
「私の彼女にも相談したけれど、私と彼女の関係は揺るがない。それは確認し合ったよ」
「……あなたの彼女の名前は何なの。もし、真紀ちゃんがあなたの彼女のことが好きだったら、傷の一つでも付けてやるわ……」
「付き合っている人間の前で、そういうことを堂々と言わないでほしいな……」
私の方が頭を抱えたくなってしまうよ。まったく、私との恋人関係が揺るがないと言っているのにどうしてそこまで危機感を抱くのか。
「その子の名前を教えなさい、さあ」
「……さ、坂井遥香っていう女の子だよ。八神高校じゃなくて、私と同じ天羽女子高校に通っているよ」
「坂井遥香……胸に刻んでおくわ」
「念のために言うけれど、遥香は私と付き合っている。その関係は何があってもそう簡単には崩れない。それだけは覚えていてほしい」
「……そうあってほしいものね」
そう言って、月岡さんは持っていた水筒を飲む。
できれば、遥香のことが好きであることが本当であってほしくないけれど、あの様子からしてその可能性は高そうだ。
「原田さん」
噂をすれば……というのはこういうことを言うのか。
背後から名前を呼ばれたので振り返ると、そこには恩田さんが立っていた。真剣な表情をして私達のことを見ている。
「昨晩はごめんなさい。遥香があなたと付き合っていることを知ったとき、凄く動揺してあんな態度を取ってしまって。彩葉にも心配掛けちゃったよね。本当にごめん」
恩田さんはそう言うと、私に向かって深く頭を下げた。
「ううん、確かに心配だったけれど……気にしなくていいよ」
「……ありがとう」
これで一件落着……なのか? 半信半疑な気持ちだったけど、
「原田さん、あなたには言わなくちゃいけないことがあるわ」
「……何だろう」
恩田さんが私に言わなくてはいけないこと。それが何か分かりきっていた。昨晩のあの時の様子を思い返せば。
「あたしは……あなたと付き合っている坂井遥香のことが好き」