第3話『バスの中で』
バスが出発し、遥香が見えなくなるまで大きく手を振った。これから金曜日の夕方まで会えなくなると思うとかなり寂しい。
「はあっ……」
遥香が見えなくなってしまったので、思わずため息。
「物凄くがっかりしているね」
私の隣に座っているのは黒崎先輩。彼女は苦笑いしている。
「恋人と約5日間会えなくなるのは寂しいんです」
「ははっ、それなら学校に来る前にイチャイチャしてくれば良かったんじゃない?」
「……してきましたよ」
遥香との寂しさが少しでも減らせるかと思って、今朝、遥香の家に行って軽くイチャイチャしてきたんだけれど、これが逆効果だったのかかなり寂しく思える。遥香の温もりや匂いを直に味わったからだろうか。
「それでも寂しいってことは、それだけ、坂井さんのことが大好きな証拠なんだね」
「もちろんですよ」
「……君が入部したとき、2年生や3年の先輩方までキャーキャー言っていたからね。もしかしたら、君は女子生徒と付き合うと思っていたけれど、それは予想通りだった」
「私は遥香一筋だったんで」
「ははっ、そうか。でも……君が結構早く彼女を作ってくれて良かった。いつまでも君にキャーキャー言っていたら、まともに練習できなくなるからね」
黒崎先輩はさらりとそう言った。けれど、その言葉はとても棘がある。何だか私のせいで一時期、陸上部の部員に悪い影響を及ぼしていたかのような。
「まるで、私が悪魔のような言い方ですね」
「そんな風に言ったつもりはなかったんだけれどな。傷ついてしまったらすまない」
「いえ、実際に以前は悪魔って呼ぶ人もいたので」
「……色々とあったんだね」
「ええ、まあ。でも、遥香のおかげで悪魔と言われなくなりましたし、ここまで乗り越えてきました。それに、遥香と付き合い始めてから、より調子が良くなったんですよ」
遥香がいるから、今まで以上に走ることを頑張ることができている。まあ、勉強の方も遥香のおかげで何とか赤点無しで期末試験を終えることができたんだれど。
「……君は面白いね。入部したときからそうだったけれど」
「私はただひたすら走り続けているだけですよ」
「ははっ、上手いことを言うね。確かに、君の場合は坂井さんという恋人がいることで、より成長しているんだろうね」
「……本当に、遥香には感謝してます」
遥香がいなかったら、今も卯月さんのことで思い悩んでいた可能性は十分にある。今のようにこうして陸上に集中できる生活を送ることができなかったかもしれない。私にとって遥香の存在はとても大きい。
「君が羨ましいよ」
「黒崎先輩は結構モテそうな気がしますけどね。黒崎先輩がかっこいい、って思っている1年生は結構いますよ」
黒崎先輩、結構ボーイッシュな雰囲気があるし。男女問わずにモテそうな気がするんだけれど、実際は違ったりするのかな。
「それが本当なら嬉しいけど、よほどのことがない限りは誰とも付き合う気はないよ。絢でいう坂井さんのような人と巡り会えるまでは、ね」
「そうですか……」
さっき、私に刺々しい言葉を口にしたのは、もしかしたらこれが理由なのかもしれない。恋人という存在が陸上に悪い影響を与えるかもしれない、と。
「さてと、ちょっと私は寝るかな。昨日はあまり眠れなくてさ」
「合宿が楽しみ過ぎて?」
「……それもちょっとあるかな。それに、合宿場所に到着して、顔合わせを兼ねた昼食が終わったら、さっそく練習に入る予定になっている。だから、今のうちにゆっくりしておいた方がいい」
「そうですね」
「じゃあ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
黒崎先輩はそう言うと、ポケットから取り出して黒いアイマスクを付けてさっそく寝始めてしまった。何だか今日の黒崎先輩は普段と違う気がする。他校と合同の合宿ということで緊張しているのかな。それとも、何かの理由で八神高校に因縁の相手がいるとか。
「……まあ、それは別にいいか」
ちょっと気になるけれど。
合宿所に着いたら夜までゆっくりできそうにないので、携帯音楽プレーヤーで好きな音楽を聴きながらうとうとするのであった。