後編『遥香の場合』
何かが唇に当たっている気がする。
それはとても柔らかくて、ほのかに温かい。それが唇だったら、遥香の唇がいいな。ううん、そうじゃないと嫌だよ。
当たっては離れる。その繰り返し。それが妙にリアルに感じて。夢なのか現実なのか分からなくて、ゆっくりと目を開けた。
「……やっと目を開けてくれた」
視界は遥香によって覆われていた。遥香は寝間着を着ているけど、何故か前のボタンを全て開けていた。そのことで遥香の胸が見えてしまっている。
「遥香、その……」
何でこういう状態になっているのか分からない。チョコレートを食べたところまでは覚えているんだけど。その後のことは遥香とキスをしたかもしれない、という朧気な記憶しかなかった。
「……私のことを寝かせないって言ったじゃん」
「そ、そんなこと言ったんだ……」
「それなのに、私と一度だけキスして寝ちゃうなんて。絢ちゃんの嘘つき」
「ご、ごめん……」
記憶が曖昧でも、嘘つきと言われてしまったことはショックだ。何の理由もなしに遥香はそういうことを言わないから、原因は全て私にあるんだろう。
「絢ちゃんに起きて欲しくて、何度も何度もキスしたんだよ」
「……そっか。夢にしては凄くリアルだと思ったけれど、やっぱり遥香が実際にキスをしていたんだね。感覚で分かったよ」
「……うん」
私が怒らせてしまったこともあってか、今の遥香は何時になく甘えん坊さんだ。それがとても可愛らしかった。
「そういえば、さ。遥香」
「……なあに?」
勘違いかもしれないけれど、遥香の口からチョコレートの甘い匂い以外も感じるんだけれど。それは私の口の中で微かに残っている匂いと同じだった。
「もしかして、遥香……酔ってる?」
チョコを食べてすぐに眠ったなら、私の食べたチョコにお酒が入っていたとしか考えられない。
「やけ酒ならぬやけ酒入りチョコレートだよ」
遥香は頬を膨らませていた。酔っていたとはいえ、遥香を寝かせないと言っておきながらすぐに寝てしまったことが凄くショックだったのだろう。
「ごめんね、遥香。今度はもう寝ないから」
「……絶対に寝かせないからね」
「うん」
どのくらい眠ってしまったか分からないけど、ぐっすりと眠った感覚があって、今はスッキリとしている。遥香よりも先に眠ってしまうことはないだろう。
「絢ちゃんが起きなくて寂しかったんだよ」
「そっか。寂しい想いをさせちゃってごめんね」
「どうすれば絢ちゃんが起きるか考えて、口以外のところにもたくさんキスしたんだよ。それなのに、全然起きてくれないの」
「……うん、ごめんね」
「でも、ピクッて体が震えたのがとても可愛かったのぉ」
ふふっ、と遥香は満足げな表情をしている。遥香って酔うとドSになるんだ。
とっても気持ちのいい夢を見ることができたなぁ、と思っていたけれど、実際に体が気持ち良くなっていたんだ。
でも、いつまでも私ばかりが気持ち良くなっていちゃダメだよね。
「じゃあ、今度は遥香の気持ちよくなっているところを見せてよ」
「えっ……」
体勢逆転。今度は私が遥香を押し倒す形になる。
「眠っている間に私を気持ち良くさせてくれてありがとう、遥香。そのお礼に今度は私が遥香を気持ち良くさせるから」
「絢、ちゃん……んっ」
遥香の唇を口で塞ぐ。舌を絡ませて唾液という名の媚薬を飲み込む。チョコレートのおかげでとっても甘い。
「もう、気持ち良くなってきちゃったよ」
「……どれだけ遥香は感じやすいんだか。本当に可愛い」
酔っているからなのかな。遥香はいつもよりも体をびくつかせて、喘ぎ声もたくさん出して、その声がとても甘くて。そんな可愛い遥香にいつしか、私も酔ってしまっていて。遥香に対する想いが加速する。
「遥香、もっと遥香を感じさせて。インターハイが終わるまでは一緒にいられる時間があまりないから、こういうときには遥香をずっと感じていたいんだ」
「……私も同じだよ。だから、寝てほしくなかったんだよ。絢ちゃんのことをずっと感じていたかったから」
「……ごめんね、遥香。じゃあ、一緒に気持ち良くなろっか」
「……うんっ」
一緒にいられる時間が少ないからこそ、一緒にいるときには濃厚な時間を味わいたい。まるで口に含んだチョコレートのように、とても甘くて、深みがあって、時には酔ってしまうような時間を。
触れて、舐めて、入って。遥香のことを感じて、遥香に私のことを感じてもらった。夏のジメジメとした暑さは好きじゃないけれど、遥香と一緒に作った暑さは嫌いじゃない。むしろ好きだ。
「遥香、私、インターハイで優勝するからね」
「……うん。頑張って、絢ちゃん。私、応援するから」
期待、不安、緊張……インターハイに向けて色々な気持ちが混ざり合う。
でも、遥香のおかげで頑張れば優勝できるだろう、っていう安心した気持ちだけは変わらないんだ。
「ありがとう、遥香」
「うん」
高校最初の夏休み。
その幕開けはとても暑くて、愛おしいものになった。そして、私達にとって闘いの夏へと着実に向かっていたのであった。
Short Fragrance 3-ヨイノカオリ- おわり