Case 6『隼人と奈央』
7月7日、日曜日。
今日は潮浜国立大学で奈央、水澤、岩坂と一緒に試験監督のアルバイトをした。奈央は当初バイトに行く予定ではなかったのだが、彼女の友人の変わりとして急に参加することになった。
英語検定の面接試験ということで高校生くらいの女の子が結構来ていた。面接室前の担当だったので、順番を待っている女の子にちらちらと見られることがしばしば。前なら女性恐怖症のせいで冷や汗ものだったけれど、今日は何も症状が出なかった。本当に女性恐怖症を克服できたんだなと実感した1日だった。
午後五時、俺達はバイト代をもらって大学のキャンパスを後にする。初めての報酬だけれどお金を貰えるというのは嬉しいもんだ。
水澤、岩坂とは反対側なので駅の改札を通ったところでお別れ。奈央と2人で八神方面のホームに行く。
「隼人、お疲れ」
「奈央もお疲れ。しっかし、夏にスーツは暑いな」
「今日は晴れたもんね」
暑い、と奈央はワイシャツの第1ボタンを外した。彼女の首から胸元にかけて汗が滲み出ているのが分かる。
晴れたけど、雨が降らないだけまだマシかもしれない。空気がジメジメしておらず蒸し暑くないから。
「そういえば、本当に女性恐怖症が治ったんだね。近くで見てたけど」
「そうだな。雅先輩との一件で治ったんだと思う」
「女性恐怖症が治ったからって、その……浮気しないでよね」
そう言って、奈央は俺の手をぎゅっと握ってくる。
「安心しろ。奈央以外に好きになる女子はいないから」
「……うん」
嬉しそうに笑顔を見せる奈央は可愛いな。
俺が他の女性に浮気する可能性が出たら、おそらく女性恐怖症が再発するだろう。あれは奈央のことが好きだからこそ発症するものだから。
そんなことを話していたら、八神行きの潮浜線の電車がやってきた。
電車に乗ると中はとても涼しい。日曜日ということもあって、俺や奈央のようなスーツ姿の人はいない。
「ねえ、隼人。帰る途中に七夕祭り行こうよ」
「鏡原駅の近くでやってるやつか」
七夕祭りは毎年行っている。小さい頃は遥香と3人で行っていたけど、ここ数年は奈央と2人で行っている。去年は大学受験だったけれど、奈央と祭りに行ってそれなりに楽しんだ記憶がある。
「分かった、行くか」
「うん!」
そういえば、昨日の夜に遥香が言ってたな。絢さんと試験勉強をした後に七夕祭りに行くんだって。確か、午後5時に始まるから今頃2人で祭りに行っているんだろう。
今年は晴れているから浴衣で行く人も多そうだ。そんなところにスーツ姿で行くのはなかなかのチャレンジャーだと思う。
「そういえば、さ。隼人」
「なんだ?」
「……今の私達って周りからどういう風に見えてるのかな」
「どういう風にって……」
普通にカップルじゃないのか? それかバイトを終えたカップル。大人っぽく見られれば、休日出勤を終えた職場の同僚2人。様々に見えるだろう。
奈央は何かに期待した視線を俺に浴びせる。まさかとは思うけど。
「……仕事帰りの若夫婦?」
「もう、何言ってるのよ。日曜日なのに」
そんなこと言いながら物凄く嬉しそう。頬を真っ赤に染めてデレデレしている。やっぱりこれを言って欲しかったのか。
でも、奈央がそう思う気持ちも分かる。ずっと好きだった幼なじみの俺とようやく恋人として付き合い始めたから。その嬉しさで奈央は有頂天なのだろう。
「やっぱり、夫婦に見えちゃうかな? スーツ着てるから」
「……そう見える人もいるんじゃないか?」
「そうだよね」
奈央は俺と腕を組んで寄りかかってくる。どうやら、奈央は既に俺の奥さんになっているつもりのようだ。まあ、いずれは本当になると思うけど。
そういえば、段々と浴衣を着た人が乗ってきている。おそらく、鏡原で行われる七夕祭りに行く人達だと思う。俺の見ている限りだと女性が多い。
「今年は晴れているから浴衣を着てお祭りに行くのかな」
「そうだろうな」
「私も浴衣の方が良かったかな……」
「でも、スーツで行く祭りもレアでいいんじゃないか。雰囲気には合わなそうだけど、その方が思い出深くなると思うし」
「言われてみればそうだね」
良かった、納得してくれて。
気付けば次は鏡原駅というところまで来ていた。浴衣姿の人もより多くなっている。
「遥香ちゃん達と会えるかな」
「どうだろうなぁ。毎年結構な人が来るからなぁ」
歩き回っているなら会えないと思うけど、祭りの名物である笹の前にずっと立っていれば会えると思う。毎年、遥香は願い事を書いた短冊を笹に結んでいるから。
そして、電車は鏡原駅に到着した。予想通り、浴衣を着たほぼ全ての人がここで下車する。
暗くなり始めているのでさっきよりも涼しくなっていた。雨も降っていないし、まさに祭り日和だ。
鏡原駅を出ると、祭り会場まで人の流れができている。俺と奈央はそれに身を任せて会場まで歩く。会場はまさにお祭り状態。例年よりも人が多い。だが、俺達のようなスーツ姿の人間はどこにもいない。
「奈央はどこか行きたいところある?」
「う~ん、やっぱり短冊コーナーかなぁ。願い事を書いて、屋台をちょっと回っていこうよ」
「そうだな」
俺達ははぐれないように手を繋いで短冊コーナーの方へ行く。
さすがに名物だけあってか、願い事を書く場所までの行列ができていた。俺達は行列の最後尾に並ぶ。
「みんな願いたいことがあるんだね」
「まあ、1つや2つくらいはあるだろう」
既に笹には様々な色の短冊が飾られているので結構カラフルな状態に。何だか初詣のおみくじ結びと似ている感じ。
10分ほどして俺達の番になった。スタッフの女性から俺は青い短冊を受け取り、奈央は赤い短冊を受け取る。
今年になって色々なことがあったから、俺の願い事は既に決まっていた。それを短冊に書く。
『大切な人を守っていけますように。』
大学入学以降、こう思うことが増えたな。
「た、大切な人って私のこと?」
「奈央のことはもちろんだけど、春以降……色々なことがあったじゃん。遥香と絢さんは色々なことを乗り越えてきた。きっと、これからも2人を阻むことがあるかもしれない。そういう時に手助けできる一番身近な人間って俺達だから」
雅先輩との一件によって、同性で付き合うことの価値観を考えさせられたからな。雅先輩が遥香と絢さんのことを脅迫に使った以上、2人にとっての壁は実際にあるわけだ。2人に何か問題があったとき、すぐに支えられるのは俺や奈央だと思う。あとは奈央のことを悲しませないって意味を込めてこの願い事を書いた。
「何だか隼人らしいね。よく考えているっていうか」
「……兄として、妹とその彼女のことを守ってやらないわけがないだろ」
「うん、遥香ちゃんのことになると熱くなるのも隼人っぽい」
何せ、可愛い妹とその彼女だからな。2人を傷つける奴はそう簡単に許さない。
「それで、奈央の願い事は何なんだ?」
「え、えっとね……」
奈央は恥ずかしそうに俺のことをジロジロと見るが、そんなことはお構いなしに奈央の短冊を見る。
『ずっとずっと好きな人の隣にいられますように。』
なるほど、奈央らしい願い事だな。
「叶っているけど、神崎先輩のことがあったから。何があっても隼人の側にいられますように、って」
「……そうか。奈央の願いが叶えられるように頑張らないと」
俺は奈央の頭をゆっくりと撫でる。
いつ、今回のようなことがまた起きるか分からないからな。
「隼人はさらりとそういうことが言えちゃうから、他の女の子に言わないように気をつけてよね」
「奈央以外には言えないよ」
まるで俺が女たらしみたいじゃないか。
さてと、そろそろここから離れないと。長居してしまったから。
「ほら、屋台を回るんだろう? 行こう」
「う、うん」
短冊を笹に結び、俺と奈央は手を繋いで歩き出す。
「……ねえ、隼人。今夜、家に泊まりに来ない?」
「俺は構わないけど、いきなり行って大丈夫か?」
「大丈夫だよ、隼人だもん。夕ご飯とかがダメなら、家で食べてくれば良いんだし」
「まあ、そうだな」
何せ、俺と奈央の家は数件ほどしか離れてないからな。
「小さい頃みたいに一緒にベッドで寝ようよ。あの時とは意味合いが違うけれど」
「……そうだな」
小さい頃は幼なじみ。今は恋人。奈央の言うとおりベッドで一緒に寝ることも随分と意味が変わってくる。あの頃は躊躇わずにできたことが、今は緊張する。それだけ俺達が互いに大人になった証拠なんだと思う。
「隼人、大好き」
奈央は俺にだけ聞こえるような大きさの声でそう言い、帰りの電車の時のように腕を絡ませてくる。そんな奈央が愛らしい。
「俺も大好きだ」
俺もまた奈央だけに聞こえるよう、彼女の耳元でそう囁いた。
夜空を見上げると無数の星が光っている。もちろん、天の川も見える。今頃、織り姫と彦星は年に一度の出会いを喜び、一緒にいられる僅かな時間を楽しんでいることだろう。
そして、俺と奈央も。共に過ごすこの時間を大いに楽しむのであった。ただし、俺と奈央の場合は明日からもずっと続くけれど。
Short Fragrance 2-ヨゾラノカオリ- おわり