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時は来たれり。
◇◆◇◆◇◆
美波さんの話を受けて、ぼくにも思うところがあった。
そういやぼく、この病院の屋上に行ったことがなかったんだよね。
噂によると、この病院の屋上には植物庭園なるものがあるらしく、人気も高いようだ(303号室の吉岡富子さん調べ)。
そんな大層な物ではないようだが。
「んぐッ……」
ベッドの縁をつかみ、立ち上がる。
その瞬間に立ちくらみがした。長いこと運動していなかったせいもあって、歩くのもわずかに体力を浪費する。
「はぁッ……、気楽なもんじゃねーな……」
立ちくらみが収まり次第、病室を出て屋上へと続くエレベーターへと向かった。
時刻はすでに夕方5時を回っていた。
エレベーターで別の人と一緒になるのは未だに慣れない。
特にドアが開いた瞬間に中に人が入っているときが辛い。
ぼくが人見知りなだけか?
とにかく、ぼくがエレベーターを利用したくなかったのはそんな理由だ。
「ここが屋上かー……」
思ったより人がいない。というか一人もいない。
植物庭園はドーム状になっていて、屋上全体が植物庭園ではない。試しにドームに入る。ドームの中はとても暖かい。植物があるのはドーム内の外側、ドーナツ型の部分だけだ。
説明が分かりにくいだろうか。
ドーナツ型ではなく缶詰パイン型と形容したほうがいいか?
冗談はさておき。
「外にも出てみるか」
お世辞にも「今日はいい天気ですね」とは言えない。天気にお世辞を言うなんて妙な話だが。下手をすると雨が降っているかもしれないな。それぐらいの曇天だ。自慢じゃないが傘なんて持ってないぜ。
病人だし。
ぼく病人だし。
無駄に重いスライドドアーを開ける。
季節も季節なので室内と比べれば涼しい。
一歩。
「やっぱ降ってんなー雨」
モノローグで語る前に口から出た。ぱらぱらとかなり小ぶりな雨だが、室内にいたいと思わせる程度には不快だ。
みんなご存知。ぼくは雨が嫌いなのだ。
濡れるし。
踏み出した一歩を引き戻し、ドアーを閉め――――
「――――」
言葉にならなかった。
外をよく見ると、そこには人がいた。
エレベーターから出たときには気付かなかった(死角になっていたようだ)が、そこには確かに女の人がいる。
女の人。
綺麗な髪の、
長い髪の、
綺麗で長い―――ブロンドの髪の。
後ろ姿しか確認できないが、あれは天然のブロンドだろう。
背丈や体格からまだ学生なのだろうと推測できる。
学舎にて学んでいるかどうかは知らないが、年齢は15、16くらいだろうか。
しばらく人とのふれあいの機会が少なかったせいか、ぼくの目利き能力も減退の一途にあるからなぁ……。
しかしあの人、この雨のなかずっとあそこにいたら風邪ひくぞ。
……まったく、しょうがないやつだ。
ぼくは病院内で風邪をひこうとしている人を見過ごせないタイプなんだ。
雨に濡れることを覚悟で、ぼくは外に出た。
近づいてみたはいいが、どう声をかける?
『ぼくが傘になりましょうか?』
いや待てこれではぼくが変態みたいだ。
『ぼく、濡れてる女子高生って好きなんですよ。――――あなたは、どうです?』
駄目だ、どうしても自分の欲望が表に出てしまう。
逆転の発想だ。
もういっそ欲望をさらけ出してしまえ。
終わってから弁明でもすれば『んもーっ! 芳乃くんのエッチ馬鹿変態っ。露出狂っ』『ハハハ』くらいで笑って済むはずだ。ぼくの経験がそう物語っている。
色々と思考していたのだが、いつの間にかぼくは。
ぼくの手は。
ブロンドの髪を、撫でていた。
あれっ。
唐突に髪を触られた少女は、当然、振り向く。
しかしぼくの手は動かないので、結果的にぼくの手は触る対象が髪から頬に代わった。
「あの……」
「……………………」
柔らかい頬だ。
「あのっ……」
「あ、はい」
「どうしたんですか?」
…………。
し、しまったァァアァァァァアァァアアアア!
欲望に従順に興味本意で髪を触ってしまったぁぁぁぁあああ!!
なにこれどうやって言い訳すんだこれ!? えーと、正直に言う?駄目だ駄目だ! それじゃ確実に変態扱いだ! 勢いで犯罪を犯すようなかなりヤバめの人だっ!!
あまりにも沈黙が長いと逆に辛いと悟り、最初に口から出たのは、
「ぼくが傘になりましょうか?」
だった。
こんなに自分を呪った日はない。
ともかく、良くも悪くも、これが彼女との邂逅であった。
カウントダウンの0に相応しい、ぼくの人生における転機だ。