缶コーヒーを買いに行く話
少しだけ自分を許せるようになれるように、と思っての話。スナック菓子を食す気持ちで読んでもらえると幸いです。
気がついたらゴミ箱の中身は溢れかえっていた。いつもふと気がつき、後でやろうと思っても結局はそのまま放置する。
似た様に、頭の中は繰返し同じ事を考える。金属疲労を起こす針金のように、人格ごと全てを分裂させるような錯覚がする。
部屋の中には暗闇が充満し、外に逃げる事も出来ずに飽和していくのが分かった。それがただの物理現象であるのか、自分の中から湧き出たものなのかは分からない。
ただ分かるのは、ゴミに埋もれる自分がここにいることだけだ。
「……あ……」
久々に口から洩れる声はひどく錆びついて、ガタガタしていた。声と呼ぶのはおこがましいのかもしれない。
上体を起こす。
今日はいつも以上に寝たような気がする。鈍く頭痛がする。
おもむろに立ち上がり、冷蔵庫に近づく。
冷蔵庫を開く。何もない。最後に買い物に行ったのはいつだっただろうか。もう大分、文明から離れていた気がしてならない。実際のところ、そういうわけではないのだが。社会的活動は案外しっかりしているから、離れていたとして二、三日程度だ。
「買いに行くか」
自分の恰好を確認する。パンツとティーシャツ。格好は案外文明的であると言っていいと思う。
そこらへんに落ちていたジーパンを穿き、一応ハンガーにかかっていたコートを羽織る。
「……」
コタツの上にのっていた財布だけをコートのポケットにつっこんで、アパートの外に出た。
「うっ」
冬の突き刺さるような風が、身体を貫く。一回身ぶるいして、近くの自販機へと向かった。
近くの自販機は歩いて二分の所にある。
普段、歩幅を大きくセカセカと歩くが、こういう時、なぜだかいつものように足は動かない。なるべくゆっくり、地面から跳ね返ってくる力を感じながら、辺りに視線をうろつかせながら歩く。
季節によって感じるモノは違ってくる。
今、冬の時期は、ありがちであるが、木枯らしの哀愁を肌で感じながら歩くのが好きだ。
全てを時間とともに捨て置いたような、そんな感じ。灰色のフィルターを覗くような、そんな感じ。
さほど湿っぽさはない。
空虚さも感じない。
至極主観的であるが、自分の感性ではその逆のイメージを抱いていた。
夏とは違う充足感。目には見えない、呼吸をするのも恐れてしまうほどの清純さが空間を埋めているように思えた。
足が唐突に止まり、顔を上げる。自販機の前に来たようだ。いつもの習慣で、身体には一連の動作がしみ込んでいるみたいだ。思わず苦笑してしまう。
財布から硬貨を取り出し、投入口に入れる。ピッと軽い音がした後、取り出し口に缶コーヒーが落ちてくる。それを手に取る。
自販機の隣には公園が設置してある。
いつもはこのまますぐ帰るのだが、どうしてだか今日は立ち寄ろうと思った。
とても小さな公園だ。遊具はブランコしかない。ベンチも、煤汚れたものが二つだけだ。休日の昼間であれば小学生がいる事もあるが、今は真夜中。さすがに誰もいない。
公園に足を踏み入れ、汚いベンチの一つに腰を落ち着かせる。
両手で缶の熱をしばらく感じてから、プルタブを開け、一口含む。
もう何年も慣れ親しんだ味が舌を撫でる。それだけで、今まで感じていた窮屈な感じが少しばかり軽くなった気がした。
ふぅ、と一息吐く。吐息に合わせ、口から白い軌跡が走る。けれどそれはすぐに霧散し、見えなくなる。
ここの冬を経験してから、今年で何年目だろうか。最初の年の事は覚えてない。去年の事も覚えてない。
それでも、今と似たようなものであった事は想像できた。
空を見上げる。年々悪くなっていく視力でも、星の瞬き程度は認識できた。
こうやって眺めていると、どうしても空に壁を感じてしまう。壁と言うよりも、天井であろうか。
世界は閉じている。それは言葉で、認識で、希望によって。
その他多くのもので、世界が閉じているような気がする。それが勘違い、錯覚である事は分かる。
けれど、思わずにはいられない。
でなければ、この充足感、窮屈さ、飽和感は説明できない。勘違いと一言で片づけて良いものなのか、その判断がつかない。
世界は色々なもので溢れている。
おそらく、そのほとんどは自室に溢れるゴミのようなモノばかりだと思う。そのゴミの中には、自分も含めて。
廃棄する事も叶わないゴミが世界を満たす。
それが意味する事ははたして何なんだろうか、と思考を広げる。
脳幹にカフェインが刺激を与えているような感じがした。五感が鋭敏になり、世界を普段以上に正確に捉えようとする。
副次的に、思考回路は加速度を含んでグルグルと回り出す。
灰色の風景に色が重ねられていく。存在しない光源が辺りを照らしていく。
人の認識する風景とは、実際に存在する事物と、自身が記憶する風景の重ね合わせであるらしい。そうやって築かれた世界も、なぜだか変わり映えのしない、美学と言うものがない愚鈍なものであるのは、自分の認識が原因であるのか、現実がそういうものかは分からないが。
鼻頭を撫で、ツンとする鼻孔を我慢する。まるで刺激臭を嗅いだ様な感覚がなおに思考を加速させる。
ざわざわと木々がざわめく音が聞こえた気がした。
ピリピリと肌が粟立つ気がした。
「これは世界からの攻撃だ」
なんて、訳の分からない事を呟いてみる。世界はこんな考えを容認しない。自分という異物を世界が拒んでいるのだ。
「そういう特異性を望んでいる」
多勢に否定されるモノは異質であり、特別であり、価値がある。
善いモノになれないのならという、詮無い打算。
徐々に釣り上がる口端は、余裕があるからなのか、ないからなのかは分からない。それでも、思わず笑みを浮かべてしまうものである事には変わりがない。
この感覚を明確に表現するのならば、一体どういったものなのだろうか。
「ゴミは徐々に腐り、臭いを放ち、輪郭を失っていく。そうして土に帰ればまだ良いのだけど、そうはならずに、ただうず高くカスが積もっていくだけだ」
その中に自分もいる事が、非常に嫌で、自身からも放たれる腐臭に嫌気が差し、輪郭を失っていく感覚がひどく恐ろしい。
空の向こうに、いや、世界の天井を突き破りたい。外側に行く事が出来るのならば、今の状況から脱するとともに、知的好奇心を満たす事によるカタルシスも手に入りそうで、その他もろもろよく分からない期待があった。
「妄想、乙」
なんて言葉で、どうしようもない思考に区切りをつける。
少し中身が残った缶コーヒーをベンチに置いて、その場から立ち去る。
そういう悪徳が非常に気持ち良くて、明日もまた普通に暮らせそうだと安心する。
了