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魔界闘神伝  作者: 和和和和
妖界編
94/305

星数の子





 果てしなく広がる妖界の大地。豊かな自然に包まれ、多くの人属半霊命(ヒューマレイス)が暮らす街を眼下に見下ろす山頂に大小二つの影が佇んでいた。

「ここが妖界かぁ。でも、本当に堕天使王様が仰るものがこの世界に存在するんですか? ――堕天使王様が命を下されて千年近く、それらしいものの情報なんて何一つ見つかっていないのに」

 立ち並んだ大小二つの影の片方――前髪だけが漆黒に染まった金色の髪。漆黒の縁取りがされた白い霊衣を身に纏い、その背に漆黒の四枚の翼を携えた小柄な青年ががっくりと肩を落とす

「ロギア様を疑っているのか? 『オルク』」

「べ、別にそういう意味で言ったんじゃ……っ」

 「オルク」と呼ばれた前髪だけが黒い金髪の小柄な堕天使の青年は、自身の隣にいる紋付袴に似た霊衣を身に纏った背の高い精悍な男の言葉に、慌てた様子で取り繕う。

 それを一瞥したしたもう一人の男――背の中ほどまで届く鬣のような白銀の髪を持ち、その顔の下半分を武者の面のような漆黒の鎧で隠した漆黒の二枚翼を有す堕天使は、隣にいるオルクから、眼下に広がる妖界の勇壮な大自然へと視線を移す

「……堕天使王・ロギア様は、かつて十聖天の長として限りなく世界創世の初期からこの世界の中心を担って生きてこられたお方であり、おそらくこの世界で唯一『神の加護』を受けたお方だ。

 だからこそ、あの御方には分かっておられる。――「『在ってはならぬ者(・・・・・・・・)』の誕生もその始まりに過ぎず、この世界がいつ壊れてもおかしくない程に綻び、壊れかけている事が」

 強い信念と忠義の宿った声で、応じる男の眼には微塵の迷いもなく、まさに主君のために命をかける武士(もののふ)と呼ぶにふさわしい

「……っ」

 まるで子供に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いだ男の視線を受けたオルクは、微かに唇を引き結んで、その言葉に聞き入る

「ロギア様は仰った。『この世界の歪みには必ず原因がある』と。それを絶ち、世界を救う事こそがロギア様の願いだ。――分かっているな? オルク」

「……はい。『ザフィール』さん」

 顔の下半分を鎧武者の面のような甲冑で隠した堕天使の男――「ザフィール」の言葉に、オルクは何かを言いかけてその言葉を呑み込む

「分かっているならいい。我等の目的は、世界の歪みの原因たる(・・・・・・・・・・)神の力(・・・)だけだ」

「はい」

(……ボクは、創世の頃の話は詳しくないから、堕天使王様の言葉の真偽は分からないけど、腑に落ちない事もあるんだよなぁ)



 堕天使は、光に背を向けた天使でありながらも、その力は闇に敵対する光に寄っているために、世界の中では微妙な立ち位置にある。

 元十聖天最強の天使であり、初代天界王を務めたロギアの事を世界の王達が無下にする事も信用していない事もないのだろうが、堕天使王はそれを伏せて行動している。

 混乱を防ぐため、確証がない、あるいは堕天使になって(・・・・・・・)間もない自分にはまだその理由が教えられていない――その理由はいくつか考えられるが、オルクには今一つ腑に落ちないところがある


(なんで堕天使王様は、その事を言わないんだろ? ……もしかして、言いたくない理由でもあるのかな……)

 自分の中に生じた小さな疑問を心の中に押し込めたオルクは、中空へ跳び上がったザフィールの後を追って天空へと舞い上がっていった




 その頃、妖牙の谷(ザナフバレー)の奥底に作られた巨大な屋敷のような街。玉章(たまずさ)が統治するその屋敷の一室に通された一行は、その部屋でくつろいでいた

「申し訳ありません。何分大所帯ですので、この部屋に押し込めるような形になってしまいまして」

「いえ、ありがとうございます」

 巨大な宴会場を思わせる一室――実際にそのように使われているであろうその部屋へと案内した矛津(むつ)の言葉に、一行を代表して瑞希が答える

「失礼いたします」

 その時、澄んだ声と共に扉が開き、輝く亜麻色の髪をツインテールに束ね、花のような飾りをつけた可愛らしい印象を持つ少女が姿を見せる

「およびでしょうか、お兄様」

「来たか、『棕櫚(しゅろ)』」

(わ、可愛い子……)

 矛津(むつ)が「棕櫚(しゅろ)」と呼んだ少女を見て、詩織は思わず目を瞠る


 整った顔立ちに大きな瞳。あどけなさを感じさせる面差しは、綺麗というよりは可愛いと表現される類のそれ。全霊命(ファースト)として最盛期を保っている肉体は、人間で言えば二十歳前後なのだろうが、その見た目から詩織と同程度――十代後半程という印象が強い。

 矛津(むつ)の妹であるという事は、玉章(たまずさ)の娘であるという事。母親が異性を惹きつけて止まない妖艶な色香と魅力を纏う大人の女性だとすれば、娘の棕櫚(しゅろ)は、庇護欲をかきたてる無垢な小悪魔といった印象がある


「お前には、この方々の世話係を申しつける。くれぐれも粗相のないようにしろ」

「心得ました」

 抑制の利いた矛津(むつ)の言葉に、フリル付きのスカートのようになっている霊衣の裾を指先でつまんで恭しく頷いた棕櫚(しゅろ)は、まさに可愛らしいお姫様といった雰囲気を醸し出している

「色々至らぬ妹ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」

「お願いいたします」

 矛津(むつ)に倣って、再度頭を下げた棕櫚(しゅろ)が満面の笑みを浮かべると、大貴達一同も、それにつられるように会釈を返す

「それにしても、ご兄妹で働いていらっしゃるんですね」

 矛津(むつ)と肩を並べている棕櫚(しゅろ)に交互に視線を送り、微笑ましそうに微笑んだ詩織の言葉に、わずかに目を丸くした兄妹は互いに顔を見合わせて小さく苦笑する

「ええ、まあ……妹もというよりは、ここにいるのは全員俺の家族なんですがね」

「え?」

 何気なく話しかけた詩織の言葉にさらりと応じた矛津(むつ)の言葉に、その話を聞いていた李仙以外の全員が一斉に視線を向ける

「――(うてな)様から聞いていないんですか? この街にいるのは、玉章()の夫達と、その間に生まれた血を分けた子供ばかりなんですよ。兄弟、異父兄弟の集まりという事ですね」

 背後から一斉に視線を受けた事に気づいた矛津(むつ)は、その様子に苦笑しながらさらりと衝撃の事実を口走る


「ええええええええええええっ!?」


 その事実に詩織が驚嘆の声を上げ、他の面々もさすがに驚いたように目を丸くする

「だ、だって、数百人はいますよね?」

「ハハハ、そんな程度では桁が足りませんよ。何しろ母は九世界で最も多く伴侶と子供を持っている人ですからね。母と母の夫を中心として、その間に産まれた我々でさえ、正確な兄弟の数を把握していないんです。まあ、星の数ほどの子供たちがいるということですね」

「へ……へぇ、そうなんですか」

 あまりにも予想を超えた答えを、事も無げに言う矛津(むつ)の言葉に、詩織は声にならない声を返すので精一杯だった



 矛津(むつ)棕櫚(しゅろ)の母――「玉章(たまずさ)」は、まるで九世界で最も多く伴侶と子供を有している人物だ。

 恋愛に対しては、何よりもその想いを重視するため、互いの想いさえ通じ合っていれば、何人でも伴侶を持てるというのが全霊命(ファースト)達の世界では当然の考え方だ。とはいえ、滅多に複数人の伴侶を持っている全霊命(ファースト)は存在しない。


 なぜならば、子孫を残す事に重点を置く半霊命(ネクスト)の生殖とは異なり、殺されない限り永遠に生き続ける事が出来る全霊命(ファースト)にとっての愛とは、生殖の色と同等以上に、永遠を共に歩く伴侶を求める要素を強く孕んでいるためだ。

 そして、神魔と桜がそうであるように、全霊命(ファースト)にとって契りを交わすという事は、自身の存在の力――魂や命の力を共有する事を意味している。

 無条件で自分の命を委ねられる程の信頼、無償で相手の命を背負える覚悟を伴う愛情を要求される全霊命(ファースト)同士の婚姻において、多くの伴侶を持っているという事は、単純にそれだけの数の相手に命を預けさせるだけの魅力と存在感を持ち、自分の命を多くの人に預けられるほど他者を信用している事を意味していると言っても過言ではない



 玉章(たまずさ)は多くの男性を惹きつけて止まない女の色香と魅力を有し、それに答えられるほど人を心から信用できる人だ。

 そうして、玉章(たまずさ)を中心として形作られたその集まりは、玉章(たまずさ)の夫達、そして玉章(たまずさ)を愛した男を愛した女……とその関係性を広げていき、その間に産まれた子供たちまでも含めると、血縁者だけで一つの都市が成立する程の規模となっている



(……おそるべし、全霊命(ファースト)世界……)

 改めてゆりかごの世界(地球)と九世界の感性の違いを認識し、戦慄に心身を凍てつかせる詩織は、何事もないかのように微笑んでいる矛津(むつ)棕櫚(しゅろ)姉妹に視線を向ける


 詩織は知らないが、全霊命(ファースト)世界の出生率は、百を超えている。

 肉体の最盛期を保ったまま永遠に生きられるのだから、千年に一人子供を作っても、それを一万年繰り返せば単純計算で十人の子供を生む事ができるのだから、その数字も埒外というわけではないだろう


「ところで矛津(むつ)さん。一つ、お願いをしてもよろしいでしょうか?」

「何でしょう?」

 全霊命(ファースト)世界の常識、自分の非常識を垣間見て目を丸くする大貴と詩織を横目に、瑞希がその表情を怜悧なものに変えて抑制の利いた声を向ける

「こちらで保管されている神器(しんき)を見せていただけませんか?」

「神器を?」

「ええ。あくまでも可能ならば(・・・・・)、ですが」

 怪訝そうな表情を浮かべる矛津(むつ)に、瑞希は表情も声音も変える事無く、淡々とした口調で話を続ける


 神器とは「神の欠片」。そこに秘められたあまりも強大な力は、世界を脅かす脅威になりかねないため、所在が分かっている者に関しては各世界が厳重に管理している。

 いつ何時、誰が所有者に選ばれるのかが分からないため、信用の置けない者――特に他世界からの訪問者に魅せる事など、これまではないことだった。

 それを鑑みれば、瑞希のお願いは本人にその意図がなくとも、ある意味で妖界を試していると思われても不思議ではない、一種の挑発行為だ


「……構いませんよ。誰に使える訳でもなく、その場に置いてあるだけの物ですから」

 瑞希の言葉をどう受け止めたのかは分からないが、矛津(むつ)はこれまで通り人当たりの良い笑みを浮かべて了承すると、その視線を瑞希の背後にいる大貴達一行へと移動させる

「瑞希さんだけでよろしいですか?」

 その視線を受け、神魔とクロスがゆっくりと立ち上がる

「じゃあ、僕も見せてもらおうかな」

「……なら俺も行こう」

 立ち上がった神魔がさりげなく向けた視線を受けた桜は、正座をしたまま穏やかな声で応じる

「……では、わたくしはこちらでお待ち致しております」

「私も待たせてもらいます」

「あ、オイラもそうさせてもらうよ。興味ないし、(姐御)を待ってないといけないし」

 桜の言葉に、マリアと李仙が続いたのを聞いた詩織は、神魔達と桜達を交互に見て思案気に目を細める

(どうしよう、神魔さん達の方についていきたいけど、それだとちょっと露骨すぎるかな? 大貴と一緒に行けば変に思われないかもしれないけど……桜さんとマリアさんが残るって言ってるし……)

 恋慕の情を寄せる相手と一分一秒でも長く共に過ごすべきか否か――恥じらいの多い乙女心での葛藤を経て詩織は一つの結論へと至る

「私も、こっちに残ります……大貴、あんたは行って来なさい」

「……ああ」

 本心では未練を引きずりながらも、今が今生の別れでもあるまいしと思い直して、大貴だけを行かせて今回の同行を否定した詩織の心中など察するはずもなく、矛津(むつ)は小さく頷いて瑞希、神魔、大貴、クロスの四人へ視線を向ける

「そうですか、では参りましょう。――棕櫚(しゅろ)、後は任せたぞ」

「はい。お兄様」

 内心で、「一緒に行こう」と神魔に言ってほしいと思っていた詩織の願いは儚くも無に帰し、矛津(むつ)に先導された四人は、そのまま屋敷の外へと連れ出されていく


「……ところで、あの女何なんです?」


 後悔と未練の念に苛まれつつ、肩を落としていた詩織の耳に、不意に暗い怨嗟の念が込められた声が届く

「へ?」

 その声に思わず顔を上げた詩織の目に入ったのは、その目に明確な殺意を宿して神魔達が出て行った扉へ地獄の冷気を纏った視線を向けている棕櫚(しゅろ)の姿だった

(あれ? 雰囲気が……)

 可愛らしく可憐な花といった印象が強かった棕櫚(しゅろ)が見せる、毒々しい感情の籠った姿に、綺麗な花には棘がある――どころか、毒があるという言葉を無意識に心身に刻みこみつつ、詩織は逃げるように半身後退する


 元々が整った顔立ちだけに、殺意と怒りを抑制された無温の瞳の恐ろしさがさらに引き立てられている。

 その視線の迫力たるや、常軌を逸したものがあり、まともにその視線を受ければ、人間界を出発する際にヒナから授かった装霊機(グリモア)の拡張データによって全霊命(ファースト)の存在の圧力から身を守っている今の詩織すらも、一瞬にして絶命してしまうだろう程の殺意が込められている


「まるでお兄様を疑ってかかっているかのような慇懃無礼な口の利き方。お兄様がいらっしゃらなければ八つ裂きにしているところですよ」

 突然の豹変ぶりに、詩織だけではなく桜、マリア、李仙さえも驚きを隠せないでいる中、棕櫚(しゅろ)はその存在すらも忘れてしまっているかのような呪詛の言葉を吐き続ける

「……他意はないと思いますが?」

 どうやら、矛津(むつ)に向かって忌憚のない意見を向けた瑞希に対して怒りを募らせているらしい事を察した桜が、動揺を抑えながら瑞希を擁護する言葉を紡ぐ

「フン、愛想の無い女ですね。あんなんじゃ、一生男に構ってもらえませんね……そう思いませんか?」

 桜の言葉をそのまま受け取ったのか、あるいはそう思っていなくとも無理に否定して関係を悪化する事を避けたのかは計りかねるが、納得いかないといった様子の棕櫚(しゅろ)は、不機嫌を隠そうともせずに唇を尖らせる

「……人の好みはそれぞれですから」

 無論、瑞希が異性にモテるわけがないという棕櫚(しゅろ)の主観的な嫌味に同調する訳にもいかず、当たり障りのない言葉で桜がその意見を曖昧に終わらせる

 桜の言葉に、この場にいない人物への悪口をこれ以上続けても意味がないと思ったのか、或いは感情的になり過ぎていた事を反省したのか、体内に鬱積した感情を吐き出すように大きく深呼吸をした棕櫚(しゅろ)が言葉を続ける

「まあ、あんな女の事なんでどうでもいいんですけどね。一応釘をさしておきますけど、あなた達、いくらお兄様達が素敵だからって、色目を使ったら許しませんよ」

 瑞希に次いで、桜とマリアへ鋭い視線を向けて警告を発した棕櫚(しゅろ)に、詩織はその姿にとある確信を抱いていた

(こ、この人……超猫かぶりのブラコンだ!!)

 それが異性としてのものか、単純な血縁的なものなのかは判別しかねるが、棕櫚(しゅろ)が可憐な容姿の裏に隠し持つ本性を垣間見た詩織が愕然としていると、その姿を見た輝く亜麻色の髪を二つに束ねた少女は、興味なさげに鼻を鳴らす

「そっちのは……まあ相手にもされないでしょうけど」

「……」

(べ、別に、あの人に好かれても嬉しくないもん……)

 冷ややかな言葉を棕櫚(しゅろ)から投げかけられた詩織は、内心では強がりながらもショックを隠せない様子でがっくりとうなだれる。


 自慢ではないが、詩織の容姿はゆりかごの世界(地球)では、割といい方の部類と言われていた。客観的に見ても、中の上から上の下くらいだろう。

 しかし、桜を筆頭に、全霊命(ファースト)やヒナ達人間界の美女達を目の当たりにしてきた詩織は自分が井の中の蛙だったと、思い知らされている。

 容姿だけが魅力ではないと、常々言い聞かせながら神魔に想いを伝えようと懸命に努力している詩織にとって、たとえそれが詩織自身に興味がない相手だったとしても、面と向かって「相手にされないだろう」と言われて、何事もなく受け流す事は難しいのだ


 複雑な乙女心に傷を負い、力なく項垂れている詩織を一瞥した棕櫚(しゅろ)は、一通り毒を吐いて満足したのか、宝石のように輝く瞳にこの場にいる唯一の半霊命(ネクスト)である少女の姿を映して話しかける

「っと、そんな事よりもお兄様に言われ通り、しっかりとおもてなしをしなくてはいけませんね。そちらの彼女は半霊命(ネクスト)でしたよね?何か召し上がられますか?」

 ふと思い出したように言葉の前半を独り言として呟いた棕櫚(しゅろ)は、行儀よく可愛らしい妹の仮面をかぶって、今更ながら白々しいほど満面の笑みを向ける

「……あ、お願いします」

 その様子に半ば唖然としながらも、丁度小腹が空いてきた事もあって、詩織はありがたく棕櫚(しゅろ)の申し出を受けることにする


 無限にエネルギーを生み出せるため、食料を必要としない全霊命(ファースト)と違い、半霊命(ネクスト)である詩織は肉体を維持し、生命活動に勤しむために外部からのエネルギーの供給を必須としている

 一応装霊機(グリモア)の中に非常食のようなものが備えられてはいるが、やはりその世界独自の食文化などを試してみたいという好奇心も詩織の決断を後押しした要因の一つになっている


(やっぱり、おなかが減ったら戦も出来ないもんね)

 自分でも少々現金だとは思いつつ、もっともらしい理由を自分の中で言い訳しながら戦意を奮い立たせる詩織を見た棕櫚(しゅろ)は、その視線を桜とマリア、李仙の三人に向ける

「皆さまはどうされますか?」

「そうですね……妖界の食事というものには少々興味がありますので、是非」

「私も」

「オイラもお願いします!!」

 桜、マリア、李仙がそれぞれ頷いたのを見た棕櫚(しゅろ)は、ゆっくりと立ち上がって一同に視線を向ける視線を向けて、スカートの端をつまんで行儀よく一礼する

「分かりました。お兄様にあなた達の世話を頼まれた以上、精一杯のおもてなしをさせていただきます」

「あの、もしよろしければ調理をなさっている所を拝見してもよろしいでしょうか?」

 背を向けて部屋を出て行こうとした棕櫚(しゅろ)は、不意に自分を引き止めた桜の言葉に、その大きな瞳をわずかに細める

「……別に、変な物は混ぜませんよ?」


 この世にあまねく万象を、ことごとく凌駕する全霊命(ファースト)には、毒などは一切効かない。だが、この中で唯一の半霊命(ネクスト)――しかも、とりわけ脆弱な存在であるゆりかごの人間である詩織には、他の半霊命(ネクスト)に無害な食品でも害が出る可能性がある

 そんな事は重々承知していると、暗に言う棕櫚(しゅろ)に、桜は気分を害した様子も見せず、淑やかに微笑みかける


「いえ、そうではなく、わたくし個人が単純に妖界の食材や調理技術に興味があるのです」

 やや不機嫌そう――というよりも、不本意だと言わんばかりの笑みを浮かべる棕櫚(しゅろ)の言葉に、桜はそのお淑やかな表情を崩す事無く優しく微笑みかける


 桜の言葉に嘘偽りはない。

 九世界として同様に世界に君臨する全霊命(ファースト)世界同士には、交流というものがほとんどない。いくら世界の進化の系譜が神の影響を受けてある程度近似しているとはいえ、各々の世界にしかないものはいくらでも存在する。

 少しでも神魔に美味しいものを食べてもらいたいと考えている桜は、積極的に異世界の技術を取り入れようと考えているのだ


「ふぅん……そう言う事でしたらまぁ構いませんよ」

 桜の言葉を、憮然としながらも了承した棕櫚(しゅろ)の言葉に、桜はどこまでも謙虚に頭を垂れる

「ありがとうございます」

「べ、別に感謝されるような事ではありませんよ」

 決して小さくない嫌悪の感情を向けているというのに、そんな事を気にも留めず感謝の言葉を述べる桜に毒気を抜かれたのか、棕櫚(しゅろ)は頬を赤らめて視線を逸らす

「あ、あの、私も手伝います」

「では、私もお願いします」

 同じ人に想いを寄せているという意味で同志であり、自分と違ってその人の寵愛を受けているという意味で自分に勝っている桜に対して、小さくない敵対心を持っている詩織が負けじと手を上げると、マリアもそれに倣って手を上げる

「……物好きな方達ですね、お客様なのに」

 本来はもてなされる側だというのに、もてなす側を積極的に手伝おうとする桜、詩織、マリアの三人に呆れたようにため息をついた棕櫚(しゅろ)はそう言いながらも、その表情を優しく緩めていた


「……あの、オイラは……」

 その輪に入り損ねた李仙は、棕櫚(しゅろ)に連れられて自分以外の全員が部屋を出て行くのを見送って、一人寂しくその場に、取り残されていた。

 余談だが、その少し後に部屋に玉章(たまずさ)との会話を終えて(うてな)が部屋にやって来た時、部屋の隅で膝を抱えてうずくまっていた李仙に首を傾げる事になるのは別の話。





 その頃、矛津(むつ)に連れられた瑞希、神魔、大貴、クロスの四人は屋敷の地下へと続く階段をゆっくりと下っていた

「……やっぱり、特に力を感じる訳じゃないんだ」

「ええ。完全に発動していない神器は、全霊命(ファースト)の知覚も及びにくいですからね。よほど近くで注意深く探らない限り見つけられない辺りは、さすが神の力の欠片と言ったところでしょう」

 知覚を張り巡らせて目を細める神魔の言葉に、矛津(むつ)が抑揚のない声で応じる。

「……そういうものなのか」

 その言葉を聞いて小さく独白した大貴は、確かに知覚に特別な力がかからないのを確かめて「なるほど」と心中で呟く


 力が全く発動していない神器は、その力を全くと言っていいほど放っていない。その隠蔽能力は極めて高く、全霊命(ファースト)の知覚を軽々とかいくぐってしまうほど。

 それ故に神器の発見は困難を極め、世界に散った全ての神器が回収される事無く、未だ発見されていない神器までが存在している理由でもある。


 石造り螺旋階段は、蛍光色に光る苔が絡みつき、天に舞うその胞子が天に昇り、日の差し込まない地下を幻想的に照らし出しており、まるでここではない別の世界へと続いているかのような錯覚を覚える階段を進んでいくと、やがて大きく開けた場所へと辿りつく

「これが、我々が守護する神器です」

 簡潔に、要点だけを話した矛津(むつ)の言葉に神魔達が視線を動かすと、そこには巨大な女神像が佇んでいる。


 まるで天使を模したような女性は、羽衣のような薄い衣を身に纏っており、その両腕に愛おしげに両刃の剣を抱きしめている。

 それは、傍目に見れば単なる女神像――人工的に作られた芸術品にしか見えないただの彫像。しかし、地下の空間一帯を包み込む、光る苔がその像にだけは一切絡みついておらず、幻想的な光に抱かれ、作られたまま時間が止まったしまったかのように佇む女神像は、確かに見る者に不思議な感覚を与えてくる


「御覧の通り、この神器は完全に眠っている。……名称も能力も不明だ」

「……神器って、あの剣ですか? それとも……」

「石造そのものの方です」

 神魔の問いかけを見越して、矛津(むつ)が簡潔に、端的に応じると、瑞希は、人間界で資料映像として見た「神器・神眼(ファブリア)」を思い出してわずかに目を細める

「珍しい形の神器ね。人間界で見せてもらったものとは少し趣きが違うわ」


 詩織の身体に融合した宝珠の形状をした神器・神眼(ファブリア)、神魔、桜と戦った際に愛梨が見せた槍の形状をした墜堕星(グラーシュ)だけを見ても分かるように、神器には決まった形は無い。

 だが神器には、それそのものが神器として機能するという共通点がある。即ち、墜堕星(グラーシュ)ならば「槍」、神眼(ファブリア)なら「玉」として行使され、その能力を発現する

 石像やオブジェクトの形をした神器の存在も否定されるべきではないだろうが、その法則を当てはめれば少々違和感がある事は否めない。――そして、その例外的な形状をした神器には、ある可能性(・・・・・)が生じてくる


「もしかして、真の神器(・・・・)?」

「そうかもしれません」

 思わず息を呑んで言葉を発した神魔の言葉に、肯定とも否定とも取れる言葉で、矛津(むつ)が応じる。

(真の神器……?)


 誰にもこの神器を使う事が出来ない以上、神魔の問いかけに答えられる人物はこの場にいない。そうかもしれないし、そうではないかもしれないという曖昧な返事を返す以外に答えを持たないのだ


 聞き慣れない言葉に怪訝そうに首を傾げる大貴は、話の腰を降りづらい神妙な面持ちで像を見つめる神魔達を見て、その質問は後にしようとその言葉を意識から外す

「十世界は、これが真の神器の可能性があると知って狙っているのか?」

「向こうには、三十六真祖の一人にして、三巨頭の一人である『クラムハイド』がいます。少なくともこの神器の形状は情報として伝わっていると思いますが」

 大貴がささやかな気遣いをしている事を知ってか知らずか、目の前に立つ女神像の如き神器を見て険しい表情を見せるクロスの言葉に、矛津(むつ)が小さく首を縦に振って応じる

「……とりあえず、手に入れて確かめてやるって事?」

「でしょうね」

 結局の所、手に入れて見なければわからないから狙っているのだろうと予想した神魔に同意を示し、矛津(むつ)は慈愛に満ちた聖母のような笑みを浮かべる女神像の神器を一瞥して厳かな声音で応じる

「仮にこれが真の神器であるならば、いかに奏姫であろうとその力を使えない(・・・・・・)はずなのですから」

(あいつにも使えない? ……どういう意味だ?)

 大貴の記憶では、十世界の盟主である「奏姫・愛梨」には、全ての神器を使う事が出来る能力があるとのこと。

 しかし、紛い物であるのならまだしも、真の(・・)と呼ばれる神器の能力を全ての神器を使える奏姫が使えないという言葉の意味の食い違いに、強い違和感を覚える。

(あとで聞いてみるか……)

 しかし、会話を挟みにくい神妙な面持ちをみせる神魔、クロス、瑞希、矛津(むつ)を見て、機を改めようと考えた大貴は、無言のまま佇んでいる歪な程美しい女神像へ視線を向ける。

 光る苔に覆われた巨大な空洞となっている地下の空間の中で、女神像を見る者達は、それぞれの胸に疑念と疑問を抱えていた





 大貴達が神器の許へ辿りついていた頃、詩織は強張らせた表情をわずかに引き攣らせながら、ただ茫然と佇んでいた

「…………」

(正直、侮ってた……)

 内心で呟いた詩織の眼前に置かれているのは、全長三メートルにはなろうかという巨大な猪。妖獣(ようじゅう)と呼ばれる妖界に住まう半霊命(ネクスト)であるそれには既に生気が宿っておらず、詩織にも一目で絶命している事が理解できる

 そして、その前に佇む詩織の手に握られているのは、装霊機(グリモア)に収納されていた人間界製の包丁。――仮想の刃を持ち、半永久的に切れ味を維持でき、その刃の形状もある程度自由に変化させる事ができるものだ。

「どうしたんですか?」

 すでに死んでいるため、界能(ヴェルトクロア)が失われている猪に似た妖獣にならば、この詩織の持つ包丁の刃でも十分に解体する事が出来るだろう。

 しかし何もせずにただ茫然と立ち尽くしている詩織を見て、自分の担当していた食料――巨大な蛇のような体型をした竜種の妖獣を肉片に変えていた棕櫚(しゅろ)が小首を傾げる

「もしかして、捌けないんですか?」

(まさか、ここからだとは――ッ)

 意外そうに目を丸くする棕櫚(しゅろ)の言葉に、詩織は力なく項垂れる

 視線を横にずらすと棕櫚(しゅろ)と共に竜種を解体していた桜と、他の料理をしていたマリアが視線を向けているのが見える


 確かに料理を手伝うとは言った。――だが、地球生まれ、地球育ちの詩織にとって料理とは食材を加工する事を指すのであって、食料を食材にするところからだとは思ってもいなかった。

 動物の解体など、一般の素人がなんとなくで出来るようなものではない。なにもする事が出来ず、ただ立ちつくす事したか出来ない


「情けないですね。この程度の事が出来ないようでは良い妻になれませんよ?」

(私達の世界ではなれますから!!)

 腰に手を当て、たしなめるように言う棕櫚(しゅろ)の言葉に、思わずそう声をあげそうになる詩織だったが、現実にこの場で自分だけが何もできていない事実にしょんぼりと肩を落とす

「……すみません」


 確かに、地球に生きる自分としてそれが出来る必要性はない。だが、自分が負けたくないと思っている相手である桜に、劣っている事をまた一つ思い知らされた詩織の脳内では、「いい妻になれない」という棕櫚(しゅろ)の言葉が、残酷なほど鮮明に反響し続けていた


「ま、出来ない事は仕方ありませんね。元々あなたはお客様なのですから、ゆっくり見物でもしていて下さい」

「……・はい」

 目に見えて表情を暗いものに変えた詩織に、言いすぎたと感じたらしい棕櫚(しゅろ)が慌てて取り繕うように言って、詩織に任せた猪の解体を始める

 その様子を見ながら、自分の世界と九世界の間にある文化や考え方の違いの前に、詩織は、己の無力さを噛みしめながらただ立ちつくしている事しかできなかった








 世界と世界の間にある時空の狭間。――その空間に漆黒の髪をなびかせて佇む悪魔、「紫怨」は自分の魂に溶け込んだ愛する者の力の残滓を知覚し、その行く先を探り出す


 一時とはいえ、十世界に在籍していた紫怨にはその本拠地の場所など分かり切っている。それどころか、十世界の盟主である「姫」は、その本拠地の場所を九世界にも隠していない。

 しかし、今まで一度もその本拠地が責められたことがないのは、単にそこにいる円卓の神座に数えられる二柱の異端神「№2・反逆神」、「№9・覇国神」への対抗手段を九世界が持たないためだ


 そして、茉莉を自分の下に連れ戻す事を目的としている紫怨にとって、返り討ちにあるに決まっている本拠地へ戻るような自殺行為をする事などできない。故に、最も効果的な手段は茉莉の行く先に立ちはだかる事なのだ


「……妖界か」

 命を共有した愛する者の行く先を、自らの魂で感じ取った紫怨は、厳かな声音で、その目的地を呟くと同時に、閉じていた目を開く

「待っていろ、茉莉。今度こそ、俺はお前を取り戻す……!」

 魔力によって作りだした、異なる世界を繋ぐ扉――「時空の門」へと飛び込んだ紫怨は、その先にいるであろう最愛の女性をその瞳に幻視しながら、強い決意をその瞳に宿していた






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