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魔界闘神伝  作者: 和和和和
天界訪問編
91/305

九世界への出立





 まるで血に染まったような赤い空に漆黒の雲がかかり、世界を不気味な色に染め上げる。天に輝く神臓(クオソメリス)の陽光によって浮かびあがる凶兆のような天の下に、巨大な島を丸ごと一つ呑み込んで作られた城が佇んでいた。

 一点の曇りもない漆黒で染め上げられた継ぎ目一つない城は、島の自然を抱きしめるように包み込み、その中央には天を衝くほどに高い山のような黒神殿がある


 ここは「堕天使界」。九世界の天使の眷属でありながら、闇の力に染められた漆黒の翼をもつ者達が統べる「十番目の世界」。


 漆黒の城の最上階に設けられた「玉座の間」。外観からは天井があるにもかかわらず、内側からは真紅に染まった空をはっきりと仰ぎ見る事ができるその部屋で、黒亜の玉座に座った一人の人物がその空を仰ぎ見ていた

「『ロギア』様」

 不意に自分を呼ぶ声に視線を落とした男――堕天使王・ロギアは玉座の下で恭しく跪いている一対二枚の漆黒の翼を持つ女性を見る

 基調とした修道服に似たドレスに身を包み、流れるような亜麻色の髪の上につばの無い大きな帽子をかぶった女堕天使は、清楚な美しさを感じさせる容姿で玉座に座す眉目秀麗な堕天使の王を見上げる

「『フィアラ』か。首尾はどうだ?」

 フィアラと呼んだ女堕天使に、まるで白骨で形作られたかのような甲鎧を纏う四枚の漆黒の翼を持ったロギアが、長い漆黒の髪の間から金色の視線を送る

「残念ながら各世界に放った者達からは、未だ重要な証言は得られておりません

 自分の要件を見透かしているかのように声をかけてきたロギアに、恭しく頭を垂れたフィアラが淡々とした声音を向けると、堕天使を統べる王は落胆の色をわずかに滲ませた様子で息をつく

「そうか……急がねばならない。世界の歪みは時を重ねるごとに大きくなっている」

 分かり切っていた事とはいえ、フィアラの口から告げられた成果なしの報告に落胆を見せつつ、ロギアは抑揚のない声で言葉を紡いでいく


 堕天使王・ロギアは、世界の創世期に光の神から生み出された原初にして最強の天使――「十聖天」の長にして、初代天界王を務めていた最強の天使。

 創世の時代から息抜き、今は、闇の神の加護を得た堕天使王は光の神と闇の神の両方から加護を受けた九世界でも特異な存在。

 そんな彼だからこそ、この世界に生じているあまりにも大きな歪みに気づく事ができる。――正確には、その歪みに気づいたが故に闇の神によって堕天し、光を闇へと堕としめる能力を欲したのだが。


「ロギア様……」

「急げ。早急にその原因を見つけ出して対処しなければ、そう遠くない未来に全ての世界が滅び去る事になる」

「御意」

 堕天使を統べる王の言葉に、フィアラは深々と頭を下げる

「間に合えばいいのだが……」

 一礼して玉座から離れていくフィアラの背を見送ったロギアは、真紅に染まる天に世界の未来の不吉を感じつつ、その金色の瞳を瞼の下に閉ざした




 世界を照らす神臓(クオソメリス)の月光に照らしだされる、天を行く白亜の城――「天界城」の中核を成す「天王宮」。その一角にある高台の上には、金色の髪をなびかせた四枚の翼をもつ天使が静かに佇んでいる

「マリアちゃん」

 眼下に広がる城の街並みを、夜風に吹かれながら見下ろしていたマリアは、背後に降り立った十枚の翼をもつ朱髪の天使の声に、ゆっくりと振り返る

「……リリーナ様」

「そんなに畏まった呼び方をしなくてもいいのですよ?私とあなたの仲ではありませんか」

 マリアの背後に降り立った夕焼けのような鮮やかな朱色の髪を、孔雀の飾り羽のような装飾で彩った歌姫と呼ばれる天使の姫――「リリーナ」は、優しく微笑んでゆっくりと歩み寄っていく

「……はい、ありがとうございます」

 小さく頭を下げて感謝の言葉を述べたマリアに、リリーナは少し寂しそうな、困ったような笑みを浮かべる


 幼い頃から天王宮の中に軟禁状態で暮らしていたマリアにとって、リリーナは姉のような存在だ。

 混濁者(マドラス)として忌み嫌われ、表に出る事がほとんどなかったマリアにとって、自分に分け隔てなく接してくれた唯一の存在。――リリーナがいなければ、今の自分がどうなっていたかは分からない程に、かけがえのない存在だ


「父の言葉を気にしているのですか?」

「…………」

 呪い児である自分に慕われても迷惑だろうと思いながらも、姉のように感じているリリーナの言葉に、マリアは小さく息を呑む

 その様子からそれが図星であるらしい事を見抜いたリリーナは、「それももっともな事だ」と目を伏せる

「あなたに融合した神器は、混濁者(マドラス)であるあなたを守るために、アリシア様が封じたものです。――それが、こんな形で使われる事になるとは、アリシア様も思いもよらなかったでしょう……ですから、アリシア様を恨まないであげてください」

 リリーナの言葉に目を伏せたマリアは、まるで母を探すように視線を外して延々と広がる天界の夜空へ視線を向ける


 十聖天の一人であるアリシアは、自分と人間の間に生まれた混濁者(マドラス)の娘を死なせたくない一心で、自分と同じ十聖天であり、天界の女王を務めるアフィリアに預ける事を考えた。

 しかし、天界の女王(アフィリア)と親しいというだけでは、マリアの身の安全を保証できない。そこでアリシアは、生まれたばかりの娘に、神器を融合させた。

 いかに混濁者(マドラス)が滅ぼすべき相手でも、その身に神器が宿っているとなれば話は別。天界を第一に考え、天使と光の世界、九世界全体の事を優先して考える天界王ならば、そうすればいざという時の切り札としてマリアを囲ってくれるだろうという計算があった



 混濁者(マドラス)である事は変えられない。ならば少しでも幸せな人生をと一心に望んだ母の愛が、こんな事態を招く事になるとは、アリシア自身思いもよらなかった事だろう。

「分かっています。母の願いは……母が居てくれたから、私は生き永らえ、今の私があり、そしてリリーナ様やク……よい仲間にも巡り合えましたから」

 一番大切な人の名を言いかけて、その言葉を呑みこんだマリアに視線を向けたリリーナは、その表情に寂しげな色を浮かべつつも、それ以上何も言わずに話を続ける


 全てはアリシアの思惑の通りに動いていた。天界王(ノヴァ)達がその力を自分達に向けられる可能性を危惧し、神器を持つ者を無下にしないであろう事も、他の天使と同じとまではいかなくとも、それなりの安寧を約束されるであろう事も。

 口で言うのは簡単だが、これを実行するのは極めて難しい。なぜならば、神器はそれ自体を見つけるだけでも至難の業。それを神器を見つけ出したのは、もはや母の執念とも呼ぶべきものだろう。


「父も、あなたを殺める事は本意ではないでしょう。――なぜなら、あなたの神器は一度使ったら最後、この世界から消えてしまう可能性を孕んでいるのですから」

「……はい」


 これまで、マリアが天界の王宮の中で軟禁されるようにして暮らしてきた最大の理由はそこにある。

 マリアに融合した神器を天界が使う事ができるのは、最悪の場合たった一度きり。その使いどころを謝れば何の意味もない無用の長物と化してしまうのだから、それを使う事に慎重になるのは必然ともいえる事だった

 確かに今回の一件に関して、天界王(ノヴァ)はマリアの力を使う事も視野に入れている。しかし、それはあくまでも保険に近いのも紛れもない事実だ


「許してほしいとは言いません。ただ、これだけは信じて下さい。少なくとも私は――いえ、私と彼(・・・)は、あなたに消えてほしいなんて思っていません」

「……っ」

 包み隠さず、自身の心の内を言葉として語るリリーナに、マリアは小さく目を瞠る


 リリーナの言う彼がクロスの事を指しているのは、マリアには考えるまでもない事。自分の秘密を知らないクロスだが、この事を知れば、きっとリリーナと同じ言葉をかけてくれる、声をかけてくれなくてもそう思ってくれる――照れ隠しをしながら、そんな態度を取るクロスの姿が脳裏にはっきりと浮かび上がると、マリアからは自然と笑みがこぼれていた


「無事に帰ってきてください。あなたは私にとって、妹のようなかけがえのない存在なのですから」

「リリーナ様」

 慈愛に満ちた声で微笑んだリリーナに、抱きしめられたマリアは、姉のように慕う女性の腕の中でそっと目を閉じ、その温もりと優しさに身を委ねた




 その頃、世界と世界の狭間にある空間では、戦乙女のような出で立ちをした女性――円卓の神座・№10「護法神・セイヴ」の力に列なるユニット「神庭騎士(ガーデンナイト)」の一人、「シルヴィア」が思念通話を用いて、自身の上位存在であり、上役でもある人物と言葉を交わしていた

《――傷の具合はどうだ?》

《問題はありません》

 自身の身体を見回して、軽く手を何度が握ったり閉じたりしたシルヴィアは、先日人間界で自身の神と対となる神の眷属――「戦兵(レギオン)」の二人と戦って出来た傷が完全に癒えているのを確認して、小さく頷く


 元々、護法神の力は守護と癒しに長けている。必然的にその眷属である神庭騎士(ガーデンナイト)の力もその性質を強く継承している。その力は天使をはじめとする光の全霊命(ファースト)達と比べても何ら遜色はない


《ならば、お前はそのまま奴らについていけ。十世界、英知の樹(ブレインツリー)……数え出せばきりがない。これからが本当の戦いだと思え》

《はい》

 上役からの命令に厳かな声音で応じたシルヴィアは、「守護対象」を見つめるように荒野に咲く一輪の花を思わせる凛とした視線を何もない虚空に視線を向けるのだった

《頼むぞ。この世界の命運は、お前の働きにかかっているのだ》

《心得ております》





「……天界っていうのは居心地が悪いね」

「仕方がありませんよ。ここは天界なのですから」

 アースに案内された天界城の中心にある天を衝く巨大な塔――「天王宮」にある一室の窓からから夜空を見上げた神魔が疲れたようにため息をつくと、そのの左腕に両腕を絡めている桜が淑やかな微笑を浮かべて応じる


 天界は九世界にある世界の中でも、世界を構成する光の力の割合が最も大きい世界であり、しかもここは天使達の本拠地。活動に支障が出るという事はないが、闇の存在である神魔達にとって、決して居心地良く感じないのは仕方のない事だ


「そうなんだけどね……」

 まるで自分と一つになろうかとしているかのように腕を抱きしめながら紡がれた桜の言葉に苦笑を返した神魔は、自分に身を委ねている淑やかな伴侶の癖の無い艶やかな桜色の髪を優しく梳くように撫でてからその頬に手を添える

「……ぁ」

 頬に触れた神魔の手が自分の方を向くように、と促すと、それに身を委ねて顔を上げた桜は、いつになく真剣な眼差しを見せる最愛の人の視線に切ない吐息をこぼす


「桜は死なせない」


 まるで心の奥を見せるようにと真っ直ぐに視線を交わした神魔が強い決意の籠った言葉を向けると、桜は愛色に染まった薄紫色の瞳を幸福の色に染めて淑やかな笑みを返す

「……はい」


 九世界非干渉世界への干渉の罪によって極刑を言い渡された神魔と桜が、その刑を逃れる手段は「十世界を壊滅させる」こと。

 普通に考えれば、最強の異端神の内の二柱と、全ての神器を使う事ができる奏姫を相手にして戦っても生き残れる可能性は皆無に等しい。

 そんな神魔達に残された唯一の希望にして可能性は、円卓の神座最強の神である「光魔神・エンドレス」――大貴を完全な力に覚醒させる事だけだ


「だから、これからも一緒にいてほしいんだ……これからも、ずっと二人で生きよう」

「はい、喜んで」

 自分のために、最愛の伴侶に罪を背負わせた神魔と、自分のために神魔を止めなかった桜。互いが互いを想い合う二人は、共に死ぬのではなく共に生きる未来を誓い合って心を重ねる

「桜……」

「……神魔、様」

 いつの間にか神魔の左腕に回されていた桜の細腕は最愛の人の肩に添えられ、桜に抱きしめられていた左腕は桜を抱き寄せるようにその背に回されており、吐息がかかりそうなほどに近い二人は、その魂すらも焼きつけようとしているかのように、自分の視界を自身の伴侶で埋め尽くしている

「そのあたりでやめてもらえるかしら」

 雰囲気は十分。あとは、心のままに互いを求め合うばかりというところで、水を差すように横からかけられた神魔は、その声の主――「瑞希」を見て不満気な声を漏らす

「ええ!? せっかくいいところだったのに」

 この部屋にいるのは神魔と桜だけではない。瑞希もまた同じ部屋に案内されており、二人の一連のやり取りを見ていた

「仕方がないでしょう? 私は一応、あなた達の監視役という事になっているのだから」

 魔界の牢でも散々神魔と桜の甘いやり取りを見てきた瑞希にとっては慣れたものだが、だからと言って見ていたいというようなものでもない

 まさかここでもこのやり取りを見る羽目になるとは思わず、ため息混じりに言う瑞希の言葉に、桜を腕の中に抱き寄せたままで神魔が唇を尖らせて不満を露にする

「天界の人達も変な風に気を使わなくてもいいのに……」


 今の瑞希は大貴の護衛兼神魔と桜の監視役として同行している。天界の側としてはその本懐は了承しているはずだが、大貴に一室、詩織に一室あてがっているにも関わらず三人を同室にしたのは、大貴(対象)に対する名目を守るためなのかもしれない


「別にあなた達の邪魔をする気はないわ。ただ、さすがに目のやり場に困るから、そこから先は空間隔離でもして二人きりでしてくれるかしら」

 二人が伴侶の関係にある以上、任務に支障をきたさない限り、二人が何をしようと干渉するつもりはないと言う瑞希だが、神魔達としてもそんな事は百も承知なのだ

「天界の城の中で空間隔離なんてしたら、問題になるじゃないですか」

「だったら我慢なさい」

 分かり切った事を言う瑞希に神魔が抗議の声を向けると、魔界からの監視者たる氷麗な印象を持つ黒髪の女悪魔はそれを一刀両断にする


 その存在そのものがもっとも神に近い格を持つ霊の力で構成されている全霊命(ファースト)にとって睡眠は必要不可欠なものではなく、娯楽的なものでしかない。

 加えて他の世界と必要以上の交流を持たないはずの全霊命(ファースト)の居城に「個室」というプライベート空間が設置されているのは、天界王に仕える天使達の生活のためだ


 自身の神能(ゴットクロア)によって、世界そのものを写し取って作り出す空間隔離には、大別して二通りの使い方があり、その内の一つはこれまで何度も使われてきたように、強力無比な全霊命(ファースト)同士が戦闘する際、その力の影響を世界に及ぼさないよう守るためだ。

 もう一つの使い方もあるにはあるが、知覚に捉えられにくい特性を持つ空間隔離を無暗に行うことは敵対行動と取られる場合がある。

 特にここは天界の城。今の今まで敵対関係にあった悪魔が空間隔離をすれば、必要以上に警戒させてしまう可能性がある。それが分かっているため、瑞希も神魔も桜も空間隔離を使わないのだ


「僕達に気を使ってもらって、一晩部屋を空けてもらうっていうのは?」

「嫌よ。天界の城なんて居づらいもの」

 いくら頭で分かっていても、周囲に天使ばかりいるというのは悪魔の心情としていいものではない。瑞希の気持ちも十分に理解できる神魔は、仕方なく妥協を選択する

「……だよね。ま、仕方ないか」

 残念そうに呟いて桜を手放した神魔は、居住まいを正してから再度二人でソファに肩を並べる

「――別に、こうしてるのも好きだからいいけどね」

「はい」

 神魔の言葉に、愛色の火照りが抜けない絶世の美貌に幸せに満ちた淑やかな笑みを浮かべた桜は、最愛の伴侶にそっと身を委ねて目を伏せる

「……結局、二人でいられるなら何でもいいのよね、あなた達は」

 牢で二人のやり取りを散々見ている瑞希は、神魔とその肩に身を寄せる桜の姿を一瞥して、微笑を浮かべると、二人に背を向けてその表情を彫刻のような無機質なものに変える

「……私は、本当は誰といたいのかしら……」

 瑞希の自嘲めいた小さな独白は、神魔と桜の耳に届く事無く、本人の心の中だけで虚しく反響し続けていた




 それと同時刻、大貴は光魔神の姿で左右非対称色の翼を広げ、結界に包んだ詩織を連れて白亜の城の中を移動していた

「ったく、飯くらい一人で行けよな」

 基本的に食事をしなくても生きていける全霊命(ファースト)と違い、食事を定期的に摂取しないと空腹に苛まれる詩織は、「食堂は一階にあるから興味があれば下に行け」というアースの言葉を思い出して大貴に頼んで食堂へ向かっているところなのだ

「無茶言わないでよ! このお城、洒落にならないくらい広いんだから。私の足で歩いたら、何カ月かかっても辿りつける訳ないでしょ!?」

 突如呼びだされて食道までの足にされた大貴の不満を、詩織は一刀の下に両断する


 もちろん、詩織も最初は自分で移動しようと考えた。しかし、果てしなく広く巨大なこの城を脆弱なゆりかごの身体能力で移動しようとすれば、人生をかけた大冒険のようになってしまう。

 いくらなんでも、まさか天界の城の中の探索に人生をかけるつもりはない以上、最も近しい関係にある大貴に声をかけるのは当然のことだ


「……そうか。人間ってのは不便だな」

「つい最近まで人間だったあんたに言われたくない」

 光を超越する神速で移動できる自分の基準で話していた事を詩織の言葉で思い出した大貴は、次いで発せられた双子の姉の言葉に思わず目を見開く

「――っ!」

(人間だった……? 俺、何言ってるんだ……!?)

 いつの間にか自分の主観が、人間のものではなく、光魔神のそれへと変化している事に気づいた大貴は、当たり前のようにそう考えている自分に驚愕し、戦慄を覚える

(俺は、いつの間に……)

 例え光魔神の力を使おうとも、自分は自分だと、何も変わらないと信じていた。しかし、いつの間にか自分の中の意識が、人間のそれではなくなっている事に気づき、愕然としながら自分の――光魔神の身体を見る

「大貴!」

「……っ、何だよ?」

 自分の主観が変わっている事に気を取られていた大貴は、自身の背後で腰に手を当てている詩織の言葉で我に返ると、不満気にしている姉に肩越しに視線を向ける

「聞いてなかったの? 神魔さん達も誘おうって言ったでしょ?」

「……ああ」

 大貴が気の無い返事を返すと、その様子に詩織が怪訝そうに眉を寄せる

「どうかした?」

「いや、何でもない」

 視線を逸らして何事もない様に答えた大貴だが、長年双子の姉弟として連れ添ってきた詩織の目をごまかす事は出来ない。

 その姿に違和感を覚えながらも、詩織は本人が言いたくない事を無理強いするのも良くないだろうと、心配を押し殺してあえて明るい口調で応じる

「……じゃあ、行こ」

「必要ない」

「え?」

 予想外の言葉に目を丸くする詩織に、大貴は簡潔に答える

「最近、思念通話を覚えたからな。この城の中なら十分できる」

「……へぇ、そうなんだ……」

 何かにつけて神魔に会いに行きたい乙女心を理解してくれない良くできた弟の気遣いにがっかりと肩を落とす詩織に、その横で意識を集中して思念による会話を行っていた大貴が、瞬く間に会話を終了させて口を開く

「全員、遠慮しとくってよ」

「……本当に?」

「なんで嘘つく必要があるんだよ」

 疑いの眼差しを向けてくる姉に、呆れたように大貴が答える


 大貴の言葉に嘘はない。神魔と桜、瑞希はあまり天界の城の中で動き回りたくないと遠慮し、クロスとマリアもそれぞれの用事があると断わってきた


「はあ、そっか……」

 それを簡潔に説明すると、肩をがっくりと落とした詩織が盛大にため息をつく。


 詩織の本当の目的は神魔と食事をする事。しかし、呆気なく袖にされて本来の目的を果たせずに落ち込むものの、全霊命(ファースト)と違って食事を取らねばならない詩織にとって、食事は死活問題だった


「じゃあ……」

 神魔が一緒でなくとも空腹にはなる。仕方なく双子の弟と食事をする事を選択し、「行こうか」と話を続けようとした詩織は、険しい表情で自分に視線を向けてくる大貴に思わず息を呑む。

「な……」

「何の用だ?」

 「なに?」と訊ねる前に大貴の口から放たれた鋭い言葉に、「なんで今、私に何の用だなんて訊くのよ?」と憤慨しそうになった詩織だが、その視線が自分ではなく、自分の背後に向けられているのに気づいて、慌てて振り返る

「――っ!」

 振り向いた詩織の目に映ったのは、天界王の玉座の間にいた鎧に身を包んだ白金の髪の天使。鎧の上からでも分かる細身だが引き締まった体躯に、勇猛さと気高さが同居する精悍な顔立ち。

 大貴と相対して毅然とたたずむ純白と白銀、黄金色で彩られたその天使は、比喩や形容ではなく英雄や勇者のような人を惹きつけてやまない存在感を纏っていた

「光魔神」

 一瞬、その神々しく清廉な存在に呑み込まれていた詩織は、眼前の天使が発した抑制の利いた低い声でその意識を現実に回帰させる

「あんたは、玉座の間にいた……」

「そういえば、名乗っていなかったな。『四聖天使』の一人、『ファグエム』だ」

(……確か、魔を滅ぼす天使達の筆頭だったな)

 ファグエムと名乗った天使を見て、大貴の脳裏には昼間に聞いた四聖天使の情報が甦っていた。


 「聖一世界」――光で世界を見たし、魔と闇を滅ぼすという信念と使命感を持ち、いわゆる武闘派と呼ばれる天使達をを統率する最上位の天使。そう思えば、その身から放たれる世界を純白に塗り潰さんばかりの苛烈な聖気にも十分納得がいく。


「それで、その四聖天使が俺に何の用だ?」

「そう身構えるな。少し忠告をしておこうと思っただけだ」

 ファグエムの放つ穢れのない純白の力の圧力に、思わず声を高質化させていた大貴に、毅然とした態度を崩さない四聖天使の男は、光と闇の力を同時に持つこの世で唯一の存在に視線を向ける

「悪魔どもには気をつけろ」

「……どういう意味だ」

 まるで感情がこもっていないような表情と声音で向けられたファグエムの言葉に、大貴は怪訝そうに眉をひそめる

「悪魔をはじめとした闇の全霊命(ファースト)達は、自分達にとって大切なもののためなら、それ以外の全てを滅ぼす事を厭わない。

 言葉も通じる。心も通わせられる――だが、だからこそ奴らは我々天使とは違う。特に、伴侶の悪魔たちは互いが互いを世界で最も優先するだろう。必要に迫られれば、お前の命すら容赦なく奪いに来るぞ」

「……っ」

 冷淡に向けられたファグエムの予言とも取れる宣告に、大貴は目を細め、詩織は唇を横に引き結ぶ


 天と悪魔、光の全霊命(ファースト)と闇の全霊命(ファースト)。その決定的な違いは、光か闇かではなく、大切なもののために何を捨てられるかにあるとも言える。

 悪魔を筆頭とする闇の全霊命(ファースト)達は、自分にとって大切な物のためならば、なにを敵に回そうとも――たとえそれが、今日まで親しくしていた友の命でも、何千万、何億という命でも平然と切り捨てる。

 明確に大切なものに順位を持ち、それを守るために一切の躊躇も何もない闇の存在達は、最も大切なものと引き換えにしない限り、止める事が出来ない。

 それを誰よりも知っているからこそ、断言する事ができる。大貴と行動を共にしていた伴侶の悪魔――神魔と桜は、互いが互いを何よりも大切に想っているが故に、必要に迫られれば、クロスやマリアはもちろん、大貴や詩織でさえも容赦なくその手にかけるだろう


(そんな事……そんな事言われなくても)

 神魔にとって桜が一番大切で、桜にとって神魔が何にも変え難いほど尊いなど、ずっとそれを見て、見せつけられてきた詩織にとって分かり切っている事だ。

 その想いが自分に向いていない事にどれほど苛まれ、苦しんできたか分からない。あまりにも純粋で一途であるが故に、何よりも恐ろく、それであるがために憧れる――そんな関係を望んでやまないのだから

 噛み切ってしまうのではないかと思うほど唇を強く噛み締める詩織は、しかしファグエムの言葉が自分ではなく大貴に向けられているものだと分かっているために、今にも噴き出してしまいそうな感情を懸命に押し殺す


「知ってるよ」


 そんな詩織の隣で、ファグエムの言葉を受けた大貴はさも平然と答える。

 ファグエムの言うような事は、とうの昔に聞いて知っている事だ。今の大貴にとって重要なのは、それが確認のためだったとしても、この場でその話をするファグエムの真意の方にある

「そうか。分かっているならいい。ならば、光の側の連中にも気を許すな」

「……!」

 光を尊び、闇を駆逐しようとする天使が光の存在への警戒を促すとは思っていなかった大貴が目を見開いて声を詰まらせると、それを見たファグエムは抑制された声で淡々と話を続ける

「俺達は武闘派と呼ばれているが、一線は守る。不本意ではあるが、お前が連れている悪魔たちと敵対するつもりはない。だが、長年繰り返されてきた戦いの中で、愛しい者を失った悲しみから、俺達以上に魔や闇の存在を敵視し、問答無用で抹殺しようとする過激な連中がいるのも事実だ」


 ファグエム達は、光を尊んでいても崇拝している訳ではない。光が闇を殺すように闇が光を殺す。それは繰り返されてきた世界の歴史であり、真理でもある。

 確かに、決して闇の存在と分かり合えない訳ではない。光の存在(自分達)と闇の存在は分かり合う事も、手に手を取る事も出来る。だが、それをできるのは、限られたごく一部の者達だけだ。

 分かり合える事や心を通わせられる事を否定するつもりはない。しかし、その一部の者達の理想のために、そうではない者が、傷つき、失っていくのを容認する事がファグエムには出来ないというだけの事だ


 自分達の存在を脅かすものを排除すれば、自分と自分の守りたいものは傷つかずに済む。ファグエムが武闘派たたる所以はただそれを頑なに実行しているからにすぎない。

 しかし九世界の中には、闇の存在の存在そのものを拒絶し、滅ぼそうとする者がいる。大切なものを奪われ、失った者達を中心に生まれるその集団は、全ての闇の存在を滅ぼそうと虎視眈々と機会を伺っているのだ


「わかった。忠告、感謝する」

 もっと神魔達闇の存在に対して嫌悪感を露にするのだと思っていた大貴は、その対応にどこか拍子抜けしたような感覚を覚えながら、その忠告をしてくれたファグエムに感謝の意を示す

「気にするな。光が闇より優れている訳ではない。……当然その逆もな。ただ光を振りかざして自身を輝かせようとする輩に虫唾がはしるというだけの事だ」

 光が正しく、闇が間違っているから戦うのではない。互いに掲げる信念と理念が折り合わないから戦っているだけだと威風堂々と言い放ったファグエムは、その視線を大貴と肩を並べている詩織に向けて目を細める

「……ゆりかごの人間か」

「はい」

 自分を見たファグエムの眉が一瞬不快そうに歪められたのを見て、恐怖のあまり無意識に半歩後退した詩織を上から下まで見回していた天界最強の天使の一人たる天使は、おもむろにその目を真っ直ぐ捉えて口を開く

「お前は知っているのか? ゆりかごの世界が、なぜ『ゆりかご』と呼ばれているのか」

「……え?」

「……!」

 意味深な言葉を向けられて怪訝そうに眉を寄せる大貴と詩織を見て、自分の問いかけの答えが「否」だと把握したファグエムは、目を閉じてその場で身を翻す

「そうか。知らないならそれはそれでいい。その内知ることになるだろうからな」

「……どういう意味だ?」

 背を向けて歩き去っていくファグエムの背を見送りながら、大貴と詩織は視線を交わして目を細める

 疑問に満ちた二対の視線を背に感じながら、ファグエムは背後にいる光魔神――この世界において、唯一光と闇の力を同時に行使する事ができる全霊命(ファースト)へ意識を向ける

「光と闇を同時に持つお前の魂の在り方は、(俺達)(奴ら)のどちらに近いんだろうな?」

 そのファグエムの問いかけは、誰の耳にも届く事無く、白亜の廊下を歩く足音にかき消され、広大な神殿の如き塔の中に溶けていった





 当然のことながら、天界城にいるのが天使のすべてではない。天界城にいるのは、いわば天使の一握りであり、それ以外の天使は天界の各所に散っている。

 しかし、九世界の中で最も軍事的な社会体系をとっている天使の社会体系では、魔界のように必要に迫られた時に限らず、常に四聖天使の内の誰かの配下として天界軍という名の天界そのものに所属になっている。になっており、唯一の例外は、天界王が特例として囲っているマリアだけだ

 必然的に、四聖天使の一人であるアースはこの天界城の天王宮に席を置いており、その弟であるクロスも兄には及ばないものの、その能力の高さを評価されて、この天界城に仕えている

 そういう理由があったからこそ、天王宮の中で半ば軟禁状態で暮らしていたマリアと接点を持つ事ができたのだ


「しかし、まあ奇妙な縁があるものだな。成り行きとはいえ、お前が悪魔と一緒に行動を共にするなんて」

「余計な御世話だ」

 アースの言葉をつっけんどんに返したクロスは、不機嫌そうに視線を横に逸らす


 天界王すらも凌ぎ、天使の始祖である十聖天に次ぐとまで言われる天界最強の天使「アース」を実の兄に持つクロスは、常に兄と比較されてきた。

 自分は「アースの弟」であり、いくら懸命に戦っても「さすがはアースの弟だ」と言われて育ってきた。それ自体はクロス自身も仕方がない事だと思っているが、それとそれを割り切って受け入れられるかというと別の問題だ

 兄を超えようとすればするほど、世界の高みの前に膝を屈してきた自分に苛立ち、半ば八つ当たりのようにしてアースに接してしまうのは、クロスの心情ではいかんともし難い面があった


「やれやれ」

 そして、そんなクロスの考えなど手に取るように分かるアースは、その姿に微笑ましくも頼もしいものを感じて、いつものように苦笑を浮かべて弟のやり場のない鬱積した思いを受け流す

「クロス」

 久しぶりの兄弟水いらず。クロスとアースが肩を並べて仲がいいのか悪いのか分からない会話を交わしていると、その背後から透き通った声がかけられる

「お」

 その声に振り向いたアースが愉快そうな笑みを浮かべ、クロスがその姿を見て目を細める

「……『ティファ』」


 クロスに声をかけたのは、腰まで届く緩やかなウェーブがかった鮮やかなブロンドの髪を、頭の後ろで結い上げ、前髪の両側に花弁を思わせる飾りをつけた真紅の瞳を持つ天使の少女。

 レース地のついた純白のゴシックドレスに似た霊衣に、瞳の色を写したかのようなワインレッドの軽鎧を身に纏った「ティファ」と呼ばれたその少女天使は、クロスとアースにとってよく見知った相手だ


「来てたのか?」

「うん。クロスが帰ってくるって聞いて。アースさんも、お久しぶりです」

「ああ」

 目を輝かせながら、歩み寄ってきたティファは、熱を帯びた視線をクロスに向けてから、隣にいるアースに視線を移す

「じゃあ、俺は先に行くから。久しぶりに会ったんだから、ゆっくりと話していくといい」

「はい。ありがとうございます」

 ティファがクロスに向ける感情を正しく把握しているアースは、隅に置けない自分の弟に意味深な笑みを向けて、二人を置いてその場を離れていく

「あ、おい兄貴!」

(――っ、楽しんでやがるな……!?)

 意地の悪い笑みを浮かべる兄と、目を輝かせるティファを交互に見たクロスは、そそくさと自分達だけを置いて去っていくアースの後ろ姿を見送りながら、内心で小さく舌打ちをする

「あ、あの……クロス」

「お、おう……」

 聞き慣れたその声にぎこちなく振り向いたクロスは、頬を赤らめて俯きがちに上目使いで見つめてくるティファに応じる

「ひ、久しぶり……だね」

「ああ」

 熱を帯びた丸い目を細めて、手の指を絡ませながら言うティファに、クロスはその対応に困惑している様子で視線を逸らす

「ねぇ、この後何か予定ある? ……もしよかったら、一緒にどこかいかない?」

 照れ隠しをするように絡ませた指をせわしなく動かしながら、頬が赤らんだ表情で上目づかいに問いかけるティファの期待に満ちた視線を受け、クロスは一瞬渋い表情を浮かべて小さく首を横に振る

「……悪い。光魔神の護衛で、十世界と戦うために九世界を回る事になってるんだ。明日には出発するから、お前には付き合ってやれない」

「……っ、そんな、何でクロスが!?」

 光魔神の事は、天界でもまだ限られた数の天使しか知らない。突然告げられた事実に、期待に胸を膨らませていたティファは、その思惑の全てを無残に打ち砕かれ、困惑と驚愕を隠せない様子で声を揺らす

「まあ、成り行きみたいなものだな――偶然か必然か、そこまでは分からないけどな」


 何故と尋ねられれば、成り行きで光魔神と親しくなっていたからとしか言えない。自分には神魔や桜のような特別な事情がある訳ではなく、強いていうなれば、瑞希のように自分が所属する世界の命令によって同行するという表現以外に適切なものはない。

 だが、神魔と戦い、ゆりかごの世界に落ち、光魔神――大貴と出会ったのが偶然ではないのだとしたら、自分がこの旅に同行する事には全く意味がないのではないのではないかと思う事はできる


 苦笑を浮かべたクロスが「成り行き」というのなら、これ以上の追及は無駄だろう。しかし、例え追及を諦めても、何とかクロスに旅の同行を拒んでもらえないかと思考を巡らせる

「で、でもっ、別にクロスじゃなくても……!」

「そうはいかない。何しろ天界王様直々の命令だからな」

「――っ」

 懸命に絞り出した提案も、「天界王」の名が出てはどうする事も出来ない。

 天界に仕える天使である以上、天界王の命令は、よほどの事がない限り拒否する事が出来ない事など、ティファには分かり切っている

「……悪いな。折角会いに来てくれたのに、あんまり話ができなくて」

 反論する言葉を失うのと同時に、先程まで輝かせていた表情を曇らせて唇を引き結んで俯いてしまったティファを見て、クロスはさすがに罪悪感に苛まれて、おずおずと謝罪の言葉を向ける

「……マリアも?」

 しばらくの沈黙の後、俯いたティファから発せられた言葉に、クロスは目を細めて小さく首肯する

「ああ」

「私も行く」

「はあ? 無茶言うなよ」

 その目に強い意志を宿して言い放ったティファに、目を丸くしたクロスは困惑を隠せずに言う


 マリアが今回の件に同行する本当の理由を知らないクロスは、自分とマリアが選ばれたのは光魔神(大貴)と縁が深いからだという考えを疑っていない

 そして、今回の旅の目的が光魔神と十世界の間に決定的な溝を作るためなら、大勢で行って大貴が戦わなくても事態が収束する事態は何が何でも避けたいはずだ。何しろ、憎悪や敵意は間接的な相手よりも直接実行した相手に向き易い。

 九世界に同行し、仲間が殺されるのを傍観していた人物よりも、自分の仲間を殺した相手という認識の方がより敵意を植え付ける事ができるのは明白だ


「なんで!? なんでマリアはよくて、私は駄目なの? 私だって戦えるって、クロスも知ってるでしょ?」

「そういう事じゃなくてだな……」

 ティファの戦闘力が自分と同等以上である事を知っているクロスは、尚も引き下がろうとする。

 大貴が九世界を訪界させられる真実を神魔達から聞いているとは知らないはずの世界の上層部に、それが漏れる事を危惧して言葉を濁すクロスに、ティファはただクロスと一緒にいたい一心で感情を露にして言葉を続ける

「天界から同行者を出すなら、マリアを選ぶのはおかしいでしょ!? だって、マリアは……」

「やめろ」

 マリアばかりがクロスの傍にいて、自分だけがそれを指を咥えて見ているだけなど我慢がならないティファが、感情に任せて発しようとした言葉をクロスの鋭い声が遮る

「……っ」

 感情に任せて、マリアが本来は存在そのものを忌避される混濁者(マドラス)である事を口にしそうになったティファは自身の失言を後悔しながらも、それを許容できずに目を伏せる


 クロスがマリアに向ける感情の正体に気づいていない訳がない。そして、その感情を自分に向けてくれていない事も百も承知だ。

 だがただ遠くからクロスとマリアを見て、「自分には叶わない」と自分の想いを捨てる事などできない。――自身の心を偽る事など出来ないのだ

 自分でも愚かしいと思ってしまう。自分を見てもらうのではなく、感情のままに相手を貶めようとする自分の浅ましさに腹が立つ。しかし、クロスの隣にいるのが自分でないのが許せない。――あそこにいるのが自分ではない事を恨めしき思わずにはいられない


「――マリアはマリアだ」

 自責の念にかられ、捨てきれない想いを噛み締めるように唇を引き結ぶティファに、クロスが穏やかな口調で囁きかける


 クロスは別に色恋の話に鈍感という訳ではない。だから、これだけあからさまに好意を向けられて、全く気づかないという事もない。

 決してティファの事が嫌いという訳ではない。やや感情的になりすぎるところがあるが、素直な心と感情表現は好感に値する。

 だが、だがクロスにとって、ティファはあくまでも親しい友人でしかないのだ。マリアを思う時に感じるような、胸を焦がす想いを感じる事はない。


(それに……俺には、お前に好きだって言ってもらえる資格なんてないんだ)

 なによりクロスには、ティファに対して特別な感情を抱く以前に、素直にその心を受けとめられない負い目があった。

「本当に、そう思っているの?」

「…………」

 クロスが感じている、自分に対する負い目を承知しているティファは、「たとえ混濁者(マドラス)であろうとマリアはマリアなんだ」と言い放った想い人に、その心を問いかける

「なら、どうして『シャリオ』には――弟には、あんな事をしたの? あなたとシャリオは親友だったのに」

「……っ」

 その言葉に、ティファの弟にして、親友だった「シャリオ」の姿がクロスの脳裏をよぎり、クロスは締め付けるような胸の痛みを止めようとするかのように自身の胸を掴む

「それが……正しい事だと思ったからだ」

 唇を引き結び、自身の後悔と懺悔の念を殺すように冷たく言い放ったクロスは、そのまま歩を進めてティファの横をすり抜けていく

「――っ」

 咄嗟にクロスを引き止めようとしたティファだが、伸ばしたその手と声は発せられる前に止まり、虚しく歩き去っていくその背中を見送る

「あんな事言うつもりなかったのに……私、本当に馬鹿だ……最低……」

 クロスがシャリオの事をどれほど後悔し、自分を責めているのかを知っているというのに、感情に任せてその傷を抉る様な事を口走ってしまった自分を嫌悪し、その場で立ち尽くしていた






「準備はいい?」

 翌日。晴れ渡る天界の空の下で、瑞希が問いかけると、その後ろにいる神魔、桜、大貴、詩織、クロス、マリアがそれぞれ応じる

「うん」

「ああ」

「はい」

 一同がいるのは、天界王城の中心にある「天王宮」の門の前。広大な草原と見紛うばかりの広場にリリーナとアースを筆頭とする四聖天使が見送りに来ている。

 ここにはいないが、天界王・ノヴァとその伴侶、女王・アフィリアも天王宮の頂上からその出立を見守っている

「では、まず闇の全霊命(ファースト)の一つ、『妖怪』が支配する世界――『妖界(ようかい)』へ向かうわ」

 そう言って瑞希が手を軽くかざすと、その手が示す先の空間が開き、世界と世界を繋ぐ時空の門が顕現する

「お世話になりました」

「いえ、こちらこそ、大したおもてなしもできず申し訳ありませんでした」

 一同を代表して瑞希が深々と頭を下げると、天界側の代表としてリリーナが優しく微笑み返して、太陽のように眩しく慈愛に満ちた笑みを浮かべる

「皆さまの行く先に幸多からん事を」

 時空の門が閉じるのを見届け、全員を見送ったリリーナは誰もいなくなった空間を見送って、歌姫の名にふさわしい透き通った声で優しく微笑みかける

「お気をつけて」






 天界訪問編―了―

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