神の敵
茉莉によって隔離された人間界の上空。そこに佇んでいるのは、ツギハギだらけのぬいぐるみを抱え、足元まで届くほど長い髪を二つに結った少女。
見た目こそあどけない少女だが、彼女こそが十世界に所属し、王すら殺す簒奪の力――「愚者の行軍」を与えた、反逆の神の眷属だ
「あ~あ、ジェイド君死んじゃったかぁ……残念」
遥か彼方でジェイドが新たなる人間界王によって消滅させられたのを知覚した少女は、まるでおもちゃが壊れてしまったかのような、残念ではあっても惜別の念や死別の悲愴といった憂いを一切感じさせない声音で笑みを浮かべる
「――まあ、いっか。遊びは終わりって事で」
まるで……否、まさに遊びに飽きた子供のように、好奇心と興味を失った表情で小さく嘆息した悪意の眷属たる少女は、ツギハギだらけの人形を抱えて小さく微笑み、既に人間界側の勝利で収束しようとしている戦場を睥睨した
広げられた純白の四翼が隔離された夜の闇を切り裂き、美しく映える。仮初の月光に金色の髪を煌めかせて中空に佇む美しき天使「マリア」は、相対する人物――十世界に所属する堕天使「ラグナ」に翡翠色の視線を向ける
「……どうやら下の戦いは終わったようですが、どうしますか?」
「そうだな、どうするかな……」
マリアの抑制の利いた声に、夜の闇に溶ける漆黒の翼をはばたかせたラグナは、身の丈にも及ぶ巨大な両刃の斬馬刀を手にして目を細める
「お互い、これ以上の戦力と時間の浪費は避けるべきかと思います」
「……そう、かもな」
マリアの言葉に、全身から漲らせていた純然たる殺意を収めたラグナは静かに応じる
(やはりこの人は、少なくともこの戦いに本気で勝つつもりがないのですね……)
そんな堕天使・ラグナの様子を見たマリアは、自分が戦闘中からずっと抱いていた疑問に確信に近い答えを得ていた
戦闘に突入して以降、マリアとラグナの戦闘は拮抗し、膠着していた。決してラグナが手を抜いていた訳ではない事も分かっているが、マリアには眼前の堕天使が本気で――望んで戦っているようには見えなかった。
ラグナの目的は時間稼ぎ。この戦いに参加したのも十世界への義理立て程度。理由は定かではないが、少なくともラグナと呼ばれるこの堕天使に限っていえば、この戦い――自分との戦いか、あるいは眼下で繰り広げられていた人間界と十世界のそれについてかは判断がつかないが――については、全く勝つ気がないであろう事が分かる
(この人、一体何が目的なの……?)
何かを企んでいるのか、単に気分が乗らないだけか……判別がつきかねるラグナの思惑に、マリアは訝しげに目を細めて戦意を収めた堕天使を見る
「あなたは、一体――ッ!?」
しばしの沈黙の後、悩んでいても始まらない、何かきっかけが得られればと考えたマリアがラグナに問いかけようと声を発した瞬間、その知覚をその力が塗り潰す
その力を知覚して絶句するマリアの正面で、同様にそれを知覚していたラグナが驚愕を隠せない様子でその人物が現れるであろう方向へ視線を向ける
「まさか、出てくる気か!?」
隔離された人間界の夜空の下、簒奪の悪意の鎧を纏った十世界に所属する女性――メリッサは、己の知覚から最愛の人の存在が消失した瞬間、先程まで漲らせていた戦意を失って項垂れるように佇んでいた
「そんな……ジェイド、様……」
戦意と殺意をむき出しにして、武器を携えているレイヴァー・ブレイゼルと対峙しているにも関わらず、メリッサからは覇気が消え、大きな傷を負っている訳でもないのに今にも死んでしまいそうなほど弱々しく見える
「どうやら、ジェイドは死んだらしいな」
メリッサと同様、ジェイドが息絶えた事を知覚しているブレイゼルは、抑揚のない声で簒奪の悪意の鎧に身を包んだ女を見る
「どうやらあの男がお前にとっての戦う理由だったようだな」
無論、その少し前にゼルとヒナ――二人の人間界王が窮地に陥っていた事をブレイゼルは正しく知覚して理解していた。
他の戦地ではその瞬間だけ目に見えて戦意が衰えていたが、この戦いに勝利し、王ではなく神に世界の頂点に立ってもらおうと考えていた神仰教会代表「レイヴァー・ブレイゼル」には、その事実は微塵も戦意を殺ぐものではなかったが故に、ゼルが倒された時も、ヒナが破れた時も動じることなくメリッサと戦う事ができていた。
しかしメリッサはそうはいかない。メリッサにとって十世界に所属している意味も、戦う理由も全てが想いを寄せるジェイド・グランヴィアのためだ。
ジェイド・グランヴィアという精神的支えを失ってしまったメリッサには、もはや戦意はおろか、生きる気力すら消え失せつつある。――そうでなければ、戦闘中に戦意を解いて呆ける事などありえない
「……興が醒めた」
おそらくは、不意をつかれて止めを刺されてもいいとすら思っているであろうメリッサを見て嘆息したブレイゼルは、自身の武器を装霊機に収める
「殺さないのですか……?」
「ああ、殺意も戦意もない女を殺す趣味は無い――まあ一応、人間界への義理立てでお前の身柄は拘束させてもらうがな」
今にも泣き崩れそうな声で、簒奪の鎧の下から自嘲交じりの声を向けてくるメリッサの声に、ブレイゼルは淡々とした口調で答える
自らに禁忌の技を施し、人の身で唯一世界創世の頃から生き続けているブレイゼルは、今まさに悠久の時を経て完全なる人間界王が降誕した事を知覚によって知っている。さらに今の人間界には、新たなる光魔神がいる。
真の神が消えたこの世界において、最強の異端神の一角である光魔神を擁している時点で、これまで九世界最弱の世界だった人間界は、遅かれ早かれ世界の頂点に躍り出るだろう。そして、光魔神が真の覚醒を行えば、十世界を駆逐する事も可能になる。
それを思えば、今メリッサを仕留める必要性は無く、その身柄を捕縛すれば十分に役割を果たした事になる――ブレイゼルはそう考えていた
「そうですか……」
そんなブレイゼルの言葉に、メリッサは覇気のない声で答えて俯く
恋人になったわけでもなければ、特別な関係という訳でもない。まして妻になった訳でもない。
しかし、少なくともメリッサにとってジェイドは、十世界の理念などどうでもよく思えるほどに大切な――世界の全てだったのだ
「あなたがいないこの世界で、私はこれからどうやって生きていけば……」
まるで自分の魂に大きな穴が穿たれてしまったような喪失感と絶望に打ちひしがれるメリッサは、簒奪の鎧の下で震える声で唇を引き結ぶ
「そんな心配はいらないよ」
「――っ!!」
虚しく虚空に消えていくはずだったメリッサの独白に、無邪気な声が答える
「なっ……!?」
その声にメリッサとブレイゼルが反応したのは全く同時。しかし、二人に出来たのはそこまででしかない
「だって、あなたはここで死ぬんだから」
先程までの声音とは一変し、感情の消えた無機質な声が聞こえたのと同時、大きく口を開いたツギハギだらけのぬいぐるみが、簒奪の鎧ごとメリッサの身体を噛み砕く
「っ、ああああああああああーーーッ」
巨大なぬいぐるみに鎧ごと身体を噛み砕かれ、咀嚼されるメリッサの苦痛に満ちた声が、ぬいぐるみの口の動きに合わせて口腔内から響く
「――っ!!」
かつて王族の名を冠し、最強の人間の一人に数えられていた「レイヴァー・ブレイゼル」を以ってすら何一つ抗う事が出来ず、瞬く間にメリッサの身体は巨大なツギハギだらけのぬいぐるみに噛み砕かれてその胃袋に収められる
「ごちそうさま」
咀嚼したものを嚥下する生々しい音を響かせて、メリッサを体内に取り込んだぬいぐるみは、またたく間にその大きさを一メートル程度に縮め、そこにいた小さなあどけない少女の腕の中に収まる
「……貴様」
殺気に満ちたブレイゼルの視線を受けたあどけない少女は、並みの人間ならばそれだけで殺せるのではないかと思われる七大貴族の長にして、かつての王族の一人の力の波動を意に介した様子もなく受け流し、抑制の利いた――しかし、なぜか隔離された仮初の世界中に響く声で言葉を紡ぐ
「さて、と。もういいよ。茉莉、紅蓮、ラグナ」
「……っ」
その頃、突如戦場に乱入してきた少女をほぼ同時に知覚した大貴と紅蓮は、刃を合わせた状態でその存在に意識の全てを奪われる
「なんだ……!?」
(この力の感覚は神能……って事は、あいつ全霊命か!? しかもこの波長は、さっきまで下で活発に動いていた力と同じ。――つまり、あいつが十世界の人間達を強化していた張本人って事か?)
突如現れたあどけない少女の存在を知覚した大貴は、その人物の力を分析して目を細める
少女が全霊命である事は知覚から疑いようがない。しかも、その身体から出ている神能の波長は、神格を除けば先程まで眼下の戦場を埋め尽くしていた数え切れないほどの力のそれと同じもの。――つまり、先ほど現れた少女こそ、十世界の軍勢に簒奪の力を与えていた張本人だという事だ
「オイオイ、ふざけんなよ……何でてめぇがしゃしゃり出てくるんだ!?」
突如現れた少女を知覚し、そちらへ意識を向けていた大貴は、刃を合わせたまま忌々しげに吐き捨てる紅蓮の言葉に意識を戻す
「――……!?」
(怯えてるのか……?)
小さな声で吐き捨てた紅蓮の表情を見た大貴は、好戦的で攻撃的な印象が強い紅蓮がその表情をわずかに強張らせているのを見て目を細める
(けど、何だこの違和感? ……あいつの力の波長、どこかで感じた事があるような……)
初めて見る紅蓮の様子を訝しみながら、意識と知覚をぬいぐるみを抱えた少女に向けた大貴が思案を巡らせていると、不意に天空に亀裂が入った
茉莉によって隔離された仮初めの人間界が軋み、次いでガラスが砕け散るような音と共に世界を隔てる空間の壁が破壊され、そこから四つの神能と一つの界能が侵入してくる
「なっ……!?」
「っ、あれは……!」
世界を砕いて天空から乱入してきた人物達に、その場にいた全員の視線が集中する
「私の空間隔離を力任せに砕いて来ましたか……さすがですね」
魔力と光力の斬撃を歌うような音を奏でる槍の一撃で斬り払った茉莉は、距離を取った最愛の悪魔と共闘する天使を一瞥して天を仰ぐ
「ようやく来たか……」
茉莉によって隔てられた空間を力任せに破壊して侵入してきた人物達を知覚し、視線だけを動かして笑みを浮かべる紫怨の傍らで、大剣を携えた天使「クロス」は遅れてきた縁の深い悪魔を見る
「遅かったじゃないか、神魔」
漆黒の魔力を纏い、世界を砕いて仮初の世界へと侵入してきた神魔は、自身の存在が戦う武器という形に顕現した身の丈にも及ぶ刀身を持つ槍――「大槍刀」を携え、クロスの声に穏やかな表情で応じる
「桜さん」
そして、その神魔と並んで降り立つのは、腰よりも下に届くほど長い、癖の無い艶やかで美しい桜色の髪をなびかせる絶世の美女。
マリアの声に淑やかな花のような笑みを浮かべて応じた桜の背後には、頭の後ろで一つに結いあげた漆黒の髪をなびかせる、芸術作品のように洗練された造形を持つ氷麗な印象と美女と、その力によって構築される結界に守られているゆりかごの人間の少女がいる
「姉貴……と、確かあの時の……」
神魔と桜の背後に詩織の姿を見止めた大貴は、双子の実姉を結界で守っている黒髪の女悪魔を見て、記憶を邂逅させる
神魔達と共に現れた黒髪の女悪魔は、先日地球に魔界の使いとしてベルセリオスと共にやってきた「瑞希」と名乗った悪魔。
神魔と桜を死刑に処すために、力づくで魔界へと連行していった悪魔本人が神魔達と共に人間界に現れたという事に、大貴、クロス、マリアをはじめ、事情を知っている者達は僅かばかりに驚愕を覚えながら三人の悪魔へと視線を向けていた
「お待たせ……と言いたいところだけど」
「どうやら、大方片が付いているようですね」
戦場を見回した神魔の言葉に、桜が淑やかな声音で続ける
「――チイッ」
今現在の時点で勝敗はほぼ決し、戦いはほぼ収束しているのを見て、神魔達ともに空間を突き破って空間隔離内に侵入してきたもう一人の存在――瞳の無い白い眼を有し、鹿の仲間に形状が酷似している巨大な角が特徴的な人物は、忌々しげに舌打ちをする
「もういいよ、戦兵の人」
「……ッ」
自身の存在の力が武器と化した、銃倉を備える片手剣を手にした男――ジュダは、ツギハギだらけのぬいぐるみを抱えた少女の抑揚のない言葉に声を詰まらせる
眉間にしわを寄せ、不服の感情を露にしつつ目を逸らしたジュダに意味深な笑みを浮かべた少女は、自身の存在の意からが防御の形として顕現した全霊命特有の衣――霊衣の端を指先でつまんで、丁寧な所作で一礼する
「丁度役者も揃ったようだし、改めて自己紹介をさせてもらいますね。十世界所属、『円卓の神座№2・反逆神・アークエネミー』のユニット『悪意を振り撒くもの』が一人『弱さを振り翳すもの』です」
丁寧な所作で名乗ったセウの正体など、その場にいた全員が知覚によって理解し、最初から警戒心を露にしてその様子を注視している。例外的に分かっていないのは、ゆりかごの世界出身の詩織と大貴くらいのものだ
「……悪意を振り撒くもの?」
「最強の異端神、円卓の神座№2――光魔神と双璧を成す、最強の異端神達の中でも最高位に位置する神、『反逆神・アークエネミー』のユニットの総称です」
少女に対して警戒感と敵意を露にする全員を見て首を傾げる詩織に、詩織を魔力の結界で守っている瑞希の前方の桜が簡潔に答える
「反逆神はその名の通り、反逆と敵対の神。あらゆる事象に敵対し、あらゆる存在を敵とする悪意の神――即ち、彼女達悪意の神とその眷属は、我々の全てと世界そのものの絶対なる敵対者――『神敵』なのです」
「神敵……あんな、小さな子供が?」
桜の言葉を引き継いだ瑞希の言葉に、結界の中の詩織が言葉を詰まらせる
全てに敵対する神「反逆神・アークエネミー」は、あらゆるものを敵とするこの世において唯一の完全なる敵対者。故に、反逆神が最も最初に敵対するのはこの世界そのもの――即ち、神と神が作りたもうた理と摂理の全てだ。
故に、反逆神とその眷属である悪意を振り撒くものは、神敵とも呼ばれ、唯一九世界全ての存在から忌み嫌われる存在でもある
「んふふ……神の眷属たる全霊命を外見で判断するなんて軽率だね。ゆりかごの人間のお姉さん」
「っ……!」
詩織の言葉に視線だけをその声の主であるゆりかごの人間に向けたセウは、子供のような無邪気であどけない満面の笑みを浮かべて皮肉混じりに嗤う
セウ・イークはその名の通り『弱さを振り翳すもの』――弱者による強者への叛意を司る簒奪の悪意。愚者の行軍はその特性を象徴するような能力であり、あどけない少女の姿は弱者という存在の象徴でもある
「十世界のよしみで……まあ、本音を言えば面白そうだったからなんだけど、一応ジェイド君に力を貸してあげていたんだけど、やっぱりあの子じゃ力不足だったみたい」
やれやれとばかりに肩を竦め、セウは子供のように無邪気な口調で言いながら周囲を見回し、満面の笑みを浮かべる
「――だから、私がここにいる全員を殺す事にしたの」
「ッ!!」
刹那、悪意の力が茉莉によって隔離された世界を呑む込む
「ひっ」
「く……」
結界もなにも全てをかき消して世界を満たす悪意の力に、人間界の精鋭達も含めてほぼ全員が立っている事が出来ずに崩れ落ちて膝をつく
「これが……本物の悪意……ッ」
この場で最も高い神格を持つ人間であるヒナが、至宝冠を介して反射的に全員を至宝旗の権能によって守っていなければ、王族、七大貴族の大半すらその力だけで殺してしまうであろう程の神格の力が、その場にいた全員に純然たる殺気を以って圧し掛かる
「この力、は……っ」
見た目は少女に過ぎないセウから放たれた悪意の力は、ヒナを筆頭とする人間達はもちろん、人間とは隔絶した神格を持つ全霊命達までも、その力の前に屈服させる
(あいつの力……今まで会った誰よりも強い!)
知覚と神能で構築された全霊命の身体をも存在ごと喰い尽くさんばかりの圧倒的な力に、大貴は歯を食いしばる
セウが放出しているこれまで知覚した誰よりも神格の高い強大な力に、空中で膝を屈している大貴の本能が、死を確信して警告をかき鳴らす
「――ふふ」
微笑を浮かべて佇む「セウ・イーク」の身体から放たれる、反逆神の力に列なる者が持つ神格の神能――「反逆」の力は、その場にいる全員に絶対的な敗北と死を確信させる中、大貴はその力の持つ違和感に眉をひそめる
(けど、強い以上に、なんて気持ちの悪い力だ……!)
世界を悪意に塗り潰すセウの力は、その強大さと神格もさることながら、何よりも気持ち悪い力だった。
これまで対峙してきた全霊命の神能は、本能と理性が完全に統一された純然たる殺意だけを伝えてきた。
力の大きさは問わず、混じりけのない純粋な「殺意」や「戦意」のみで放たれる神能から感じられる者は死と破壊、滅びへの恐怖だけだった。
しかし、悪意の神能は違う。死への恐怖以外に、それと同等以上の嫌悪感を感じさせる。――それはまるで、蛇や虫などの苦手な生き物を見たような本能的な嫌悪感と、ガラスをひっかく音のような生理的嫌悪感が入り混じったような、不愉快で今にも吐いてしまいそうなほど気持ちの悪い感覚を知覚に刷り込んでくる
(これが、神敵って事か……)
これまでに感じた事のない気持ち悪い力を知覚しながら、大貴はその力の主である少女を見て歯を食いしばる
セウの力に対して大貴達が抱く嫌悪感の理由は至極単純。全ての敵である反逆神とその力に列なる眷属は、この世界におけるすべての存在から忌み嫌われる存在。
その力であり存在そのものである反逆の力に対し、この世界に存在する全ての存在は無条件で嫌悪感を抱かずにはいられない。それが存在そのものからの拒絶心――「嫌悪感」として知覚されているのだ
「抵抗してもいいけど、『神片』である私と戦っても勝てない事くらい、あなたたちなら分かるよね?」
世界を塗り潰していた悪意の力の放出を止め、ツギハギだらけのぬいぐるみを抱いたあどけない少女が満面の笑みを浮かべる。
その言葉が何の傲慢でもなく、ただの事実である事は、先ほどの力の解放でこの場にいる全員が理解していた。この場にいる全員――仮に茉莉やジュダを戦力に加えて一斉に攻撃しても、セウに傷一つつける事は叶わない……少なくとも、セウの力はそれほどに隔絶し、突出したものだ
「……っ」
(まさか神片ユニットが出張ってくるとは予想外でしたね……)
力の圧力から解放された瑞希は、その彫刻のように整った顔を忌々しげに歪め、悪意の化身たる少女を睨みつけるように目を細める
「……神片?」
セウとの力の差を知覚して実感しながらも、聞き覚えのない単語に大貴は怪訝そうに眉をひそめる
「神片っていうのは、神の力を持つ神の欠片の事だ」
大貴の独り言のような呟きに答えたのは、意外にも先程まで刃を交えていた、十世界に所属する緋色の髪の悪魔――「紅蓮」だった
「……?」
「一口に神って言っても、神はその力に応じて六つの神格に分けられてるんだ――『神位第一位・絶対神』、『神位第二位・完全神』、『神位第三位・極神』、『神位第四位・至高神』、『神位第五位・主神』、『神位第六位・神』って具合にな。
で、神位が一に近いほど神の力は強く、数も少ない。……円卓の神座に名を連ねる異端神は、一柱が神位第五位と同じ程度の力で、光魔神と反逆神は四位と五位の中間くらいの力だと思えばいい」
意味を掴みあぐねて首を傾げた大貴の疑問を解消するように、セウから視線を逸らす事無く、淡々とした口調で紅蓮が補足する
「それで、だ。自神の力に列なる眷属を生みだす能力――「ユニット能力」には、光魔神の『人間』のように、ユニットそのものが数を増やしていく『繁栄型』と、反逆神のように決められた数だけしか存在できない『欠片』っていう二種類がある」
前置きをしてから本題に入った紅蓮は、光魔神と人間、セウへと順番に視線を動かして説明する
紅蓮の言うように、ユニット能力には「繁栄型」と「欠片」という二通りが存在する。
人間のようにユニット同士が交配し、増殖していくのが「繁栄型」。そして創造主たる存在の力の一片が具現化して生まれたのが「欠片」。
反逆神の欠片ユニットである「悪意を振り撒くもの」は、一人一人がその神である反逆神の力の一部――つまり、弱さを振り撒くものの簒奪の悪意は、反逆神の力の一端であるという事だ
「まあ、覇国神や護法神みたいに、その両方を持っている奴もいれば、そもそもユニットを作れない奴もいるけどな」
簡潔に補足を付け加え、紅蓮はその視線を向けるセウを睨みつけるようにして大貴に説明を続ける
「そして、神位第五位『主神』以上の力を持つ異端神の力を分けた『欠片ユニット』には、神位第六位以上――つまり、『神』って呼ばれる力を持つ現定数のユニットがいる場合がある」
ユニット能力は自分と同等以上の存在を生みだす事が出来ない。世界に存在するこの絶対法則によって神位第五位以上の力を持つ神は、神位第六位の力を持つユニットを作り出す事ができる。
ただし、神位に列なる存在を量産する事は世界の摂理上不可能。必然的に「神位」を持つユニットは、「反逆の力の中の簒奪」というように、その創造主たる神の力の破片が具現化した、欠片ユニットとして世界に顕現する事になる
「それが、『神片』。――神から生まれし、神に等しき力を持つ存在だ」
最後にそう締めくくった紅蓮を一瞥した大貴は、一向に視線を合わせてこない煉獄色の髪を持つ悪魔に笑みを向ける
「そうか、助かった」
「勘違いするな。お前を倒すのは俺だ。あんな奴にお前を殺されるなんて御免だからな」
「――ああ、知ってるよ」
それを教えた所で事態が好転しないことなど分かり切っているであろう紅蓮の言葉に、その表情を無意識に綻ばせた大貴は、照れ隠しと地の半々でぶっきらぼうな表情を浮かべている悪魔に苦笑混じりに応じる
大貴が紅蓮と言葉を交わしている頃、奇しくも詩織も同じ内容の話を神魔達から聞いていた。
「そして、九世界における『神』は、神以外の存在には、決してその存在を害される事のない絶対の存在の事を意味するんだ」
知覚能力が皆無に近いために、感覚的にセウがどれほど強いのかを聞いても漠然としか理解できない詩織に、緊張感を孕んで強張った神魔が悪意に視線を向けたまま言う
「……っ!」
「神と同等以上の力を持っているという事は、神以外には殺せないという事。――つまりここにいる全員どころか、九世界の全戦力を結集させようとも、我々が彼女に勝つ術は存在しません」
神魔に続いた桜の死刑宣告のような言葉に、詩織は声を失う
「そん、な……」
神とは、この九世界において最も高い神格を有す存在した全霊命の始祖ともいえる存在。その隔絶した神格と、それに伴う力は九世界の王たる全霊命すらもはるか及ばぬほど高く、神と呼ばれない存在には決してその存在を害される事は無い。
「全霊命をも生み出した世界の始原にして最高位に位置する最強の存在、『完全存在』――それこそが『神』という存在なのです」
「……完全存在……!」
桜の言葉を引き継ぎ、会話を締めくくった瑞希の言葉に詩織は声を失う
全霊命とは、神から最初に生まれた存在の意。
即ちその原型である神は、正確には全霊命のように存在そのものを神能で形作られていながらも、全霊命ではなく、「完全存在」と呼ばれる世界最初にして最高位の最強の神格を有す存在
厳密に言えば、異端神は光と闇の神から生まれた全霊命になるのだが、神位第六位以上の神格を持つ存在は完全存在として、混同されて扱われる事が多い
全てを超越した次元に立つ神は絶対不可侵の存在。異端神の神片とはいえ、神位第六位の神格と同等の力を持つセウに勝つ手段は現状存在しないと言ってもいい
「唯一勝つ手段があるとすれば、奇跡的に大貴君が覚醒してくれることだろうけど……」
セウの創造主たる反逆神と同格の神である光魔神の力を持つ大貴が完全に覚醒すれば、セウを退ける事は難しい事ではない。
「あまり、期待できそうにないわね」
一縷の望みを託した神魔の声につられて視線を動かした瑞希だが、そんな都合よく覚醒してくれる事を期待する事もできないだろうと、その氷麗な表情で諦めの色が混じった息をつく
「ですが、帰ってきて早々殺されては、何のために戻って来たのか分かりません」
自身の存在を武器として顕現させた槍を携え、淑やかな中にしなやかな強さを宿した視線でセウを見る桜の言葉に、大槍刀を構えた神魔が小さく頷く
「――だね、まあ精一杯抵抗させてもらおうか……主に逃げる方向で」
「えぇ!?」
神魔の口から紡がれた言葉に、思わず詩織が目を丸くする
神の力を持つ相手に、玉砕覚悟で突っ込んだところで何もできずに終わってしまう。それは根性論はもちろん、奇跡が起きても絶対に変わりえない不変の事実だ。実質この場から生きて帰るためには、逃げるしかない
「はい」
「そうね」
それを分かっている桜と瑞希は、神魔の言葉に応じてそれぞれの武器を構える
「夫婦漫才なんて随分余裕だね? ――まあ、すぐに終わらせるけど」
そのやり取りを横目で見ていたセウは、小さく肩を竦めて嘲るように嗤うとその身体から、神に等しい悪意の力を噴き上げる
「……っ」
全霊命であろうと、完全存在であろうと、神格が高い方が強いというのは変わらない。つまり神位第六位の神格を持つセウは、単純な能力でこの場にいるだよりも強いのだ。
それだけの力を持つ相手から生きて逃げる事自体がすでに奇跡に近い。神魔達はもちろん、その様子を無言で見守ってる大貴もまた同様の考えに至っていた
「って言っても、ヒナ達を見捨てるわけにはいかないんだけどな……!」
(せめて、光魔神の力が完全に覚醒すれば……)
仮に命からがらセウの手を逃れたとしても、自分の替わりにこの人間界がセウの手にかかって殺されるだけになってしまう
戦っても勝ち目がなく、逃げるわけにもいかない状況の中でセウを見る大貴は、自身が覚醒していない不甲斐なさと、覚醒を望む焦燥に心を板ばさみにされながら歯を食いしばる
「大丈夫。痛いのも、怖いのも一瞬もないから」
あどけない笑みを浮かべ、その口を三日月形に吊り上げたセウの身体から神の力が立ち昇り、悪意色をしたどす黒い簒奪の神力が敵味方問わず、その存在そのものを押し潰す
世界すら滅ぼす悪意の神力が小さな少女の身体を渦巻き、そのあどけない外見とは真逆ともいえる暴虐にして強大な力が、茉莉によって空間を隔離して作られた仮初の人間界を軋ませる
ツギハギだらけのぬいぐるみを抱きしめていた片腕を離し、その手を天に向けて掲げたのと同時にセウの身体から生まれた悪意の力がその上空で一点に収束し、この場にいる全てを殺す悪意の力へと変わる
「――じゃあ、さような……」
そして収束した悪意の力をそのまま解放しようとした瞬間、凛とした聖鐘のような澄んだ声が仮初の人間界に響き渡る
「そこまでです」
「……なっ!?」
その声に攻撃を中断したセウの視線の先、茉莉によって隔離されているはずの空間が揺らぎ、世界と世界を繋ぐ時空の門がその口を開く
「っ、あれは、時空門……?」
隔離されて作り出された仮初の人間界に開いた時空の門が波のように揺らぎ、そこから白金色の髪をなびかせた見目麗しい女性がその姿を表す
見る者の目を奪う流れるような金糸の髪。腰まで届く白金色の髪からのぞくのは、雪のように白い肌と何者かによって作られたかのように整った顔立ち。
その存在が纏う雰囲気は、ただ現れただけで先程まで殺伐としていた空気を一瞬にして和らいだものに変えてしまうほどに優しく、この場の雰囲気をまるで花畑の中にいるような穏やかなものへと変えていた。
「突然の介入で恐縮ですが、皆様戦意を収めていただけますか?」
白を基調とするドレスに似た衣と羽織りを翻し、風に遊ばれる花弁のように柔らかな所作で降り立った金髪の女性は、慈悲と慈愛に満ちた聖母のような笑みを浮かべて仮初の世界とそこにいる全員を見回す
「あれは……っ!」
白金色の髪をなびかせる美女の姿を見たヒナは、驚愕を隠しきれない声を零し、遥か上空に佇む神魔と桜は、初めて見るその姿に訝しげに視線を交錯させる
「……誰?」
「存じません……知覚から、異端の全霊命である事だけは分かりますが……」
神魔と桜が交わす言葉をに耳を傾ける詩織は、桜にも引けを取らない程に整っているその美貌に見惚れながら怪訝そうに目を細める
「女の、人……?」
空間を繋いで出現したところから見て、その女性がただ者ではない事くらいは容易に判別できるが、その女性が何者なのかまでは、未だ九世界の知識に乏しい詩織には分からない
「…………」
警戒と観察に加え、美貌への感嘆が混じった視線を向ける詩織を横目に、瑞希は荒野に咲く一輪の花のように美しく、気高い白金色の髪の女性の姿にその切れ長の目をわずかに細めた
「誰だ……?」
「なんで、ここに……?」
その頃、突如出現した白金色の髪の女性を見て警戒を露にする大貴の傍らで、紅蓮は声を詰まらせる
その紅蓮を筆頭に、突如出現した女性の正体を知っている、茉莉、ラグナ、ジュダ、セウ達十世界に所属する者達は、絞り出すような声でその名を呼ぶ
「――姫」
戦場にいる全員の意識と視線を一身に集めた白金色の髪の女性は、恭しい所作でヒナ達に一礼してから戦場を見回す
「お久しぶりですね、人間界の皆さん。そしてはじめまして光魔神様とそのお仲間の方々」
優しく穏やかな声で挨拶をした金色の髪の女性は、自身の胸にそっと手を添えて慈愛に満ちた聖母のような笑みを浮かべる
「私は『奏姫・愛梨』。――十世界の盟主を務めさせていただいている不束者です」
愛梨と名乗った白金色の髪の女性――十世界を統べる美しき盟主に、それを知らなかった者達が言葉を失う
「盟主!? ……あれが、十世界のリーダーって事か……!?」
予想を裏切る十世界の盟主――「愛梨」の姿に、大貴は絶句して花のように可憐に佇むその姿に目を奪われる
「うそ……あの人が十世界の?」
(もっと怖そうな人だと思ってた……あんな綺麗な人が、十世界のリーダーなの?)
一方で、瑞希の結界に守られる詩織も驚愕に目を見開き、信じ難い様子で愛梨を見つめて息を呑む
声を詰まらせる詩織の前方では、愛梨に勝るとも劣らない絶世の美貌を携え、癖の無い桜色の長髪をなびかせた桜が、合点がいったように目を細める
「……なるほど、あれが噂に名高い十世界の姫でしたか。姿を拝見するのは初めてですね」
「そうだね。それに『奏姫』って事は……彼女が、あの『神の巫女』か」
桜の言葉に同意を示した神魔は、その視界と知覚に捉えた白金色の髪の美女――「奏姫・愛梨」を見てその目に険しい色を宿していた