王位継承
「……っ」
父であり、この世界を統べる王でもある男から差し出された金色の冠を前にしたヒナは、それを見て言葉を紡ぐ事もできず、かといってそれを手に取る事もできず、ただ目を奪われて佇んでいた。
(私が、王に……)
「神意」を司る十二至宝の中核を成す冠――「至宝冠・アルテア」によって次代の王として選定された瞬間から、いつかは訪れると思っていた王位継承を前に、ヒナは自分が怯えている事を理解していた
王になるという事は、この世界とこの世界に生きる全てのものを守るという事。自分のこの背にはそれだけの責任と覚悟がのしかかる事も理解し、覚悟していた。
しかし、ヒナにとって全く予想だにしなかった形での王位継承――人間界最強であるはずの父が倒れ伏し、世界の命運をかけて自分が王を継いで戦うという事態に、それらの重みが恐怖となって全身を駆け巡る
「……ヒナ」
「っ!」
父の――人間界王「ゼル・アルテア・ハーヴィン」の抑制の利いた声に突き動かされるように、ヒナは恐る恐る手を動かし、その手に握られていた金色の冠を手に取る。
至宝冠を手に取ったヒナは、自分の手が震えている事に気づき、手の中にずっしりと伝わってくる冠の重さに、まるで世界そのものを持ち上げているような重責を覚える
「こんな形でお前に王を継がせるのは不本意極まりない。……だが、もうお前しか奴と戦える者はいないのだ」
自分の血の海に仰向けに寝転がったゼルは、わずかに表情をしかめて、その視線を上空でリッヒと戦っている十世界の長「ジェイド・グランヴィア」に向ける。
禁忌の術によって王族と同等以上の力を手にし、失われたはずの二つの至宝――「至宝剣・セイオルヴァ」と「至宝珠・イグニシス」を携え、悪意の簒奪の力によってその力を神格へと堕としたジェイドの力はもはや半霊命の領域を超越している。
今のジェイド・グランヴィアに勝てる人間がいるとするならば、それは至宝冠と至宝竜の権能によって神格へと己を昇華させた人間界王しかあり得ない
「はい、分かっています……それは、分かっています……ですが……」
父の言葉を理解しながらも、突如自身に世界の命運の全てが託された重圧に、ヒナはどこか弱々しく声を震わせる
「恐ろしいか」
「……はい」
両手で包み込むように至宝冠を持つヒナの手が小刻みに震えているのを見て、ゼルは厳かな声を王族としての責任と、次期王としての覚悟という重圧に懸命に向き合っている愛娘へと向ける
「それでいい」
「……っ」
ゼルがまるで安堵するように息をつきながら発した言葉に、ヒナは息を呑んで血の海に倒れ伏した実の父へと視線を向ける
「それが分かっていれば、もうお前は立派な王だ」
「……!」
その言葉に目を見開いたヒナの脳裏に、かつてゼルから向けられた言葉が甦ってくる。――それは人間界王として、父として、次代を受け継ぐ自分に向けられた王として、そして親としての言葉。
《――ヒナ。人が人として人の上に立つ時、その人に求められるものは何か分かるか?》
人間が人間として人間を支配する時、支配する者とされる者の違いは何か――父から問いかけられた王としての問いかけに、ヒナは一瞬黙考して答える
《力と意志、でしょうか》
《そうだ。人として誰よりも優れた、人を導き守る力を持つ事。そして一人でも多くの臣民に、「この人のためなら死ねる」とまで思わせられるような高潔な意志と在り方。――王は頂きに立つ王であるが故に、誰よりもその背で民に語りかけ、導かねばならん》
ゼルの言葉に込められた強い意志とその言葉が宿す重みに、ヒナは表情を引き締めて厳かな声で頷く
《……はい》
次期王としての心構えを諭したゼルは、それを噛み締めるように表情を険しくするヒナに柔らかな笑みと視線を向ける
《だが、それは王の在り方の話だ。》
《……?》
《確かに王は、己の意志と身一つで世界を統べねばならないかもしれん。だが、それは一人で全てを成すという事ではないのだ。――王も一人の人間、何でも一人で成す事など出来る筈もない》
神妙な面持ちで言うゼルの言葉に、ヒナはわずかに目を細めてその言葉に聞き入る
確かに、人間界王が世界最強の半霊命である事に変わりは無い。しかし、その最強の力を以ってしても、全てを守る事などできはしない。――だからこそ、王は忘れてはならない。王は孤高であったとしても孤独ではなく、一人だとしても独りではないのだと
《王に必要なのは、誰かのために奮う意志と誰かのために振るう刃。――その背に背負う全てがお前の背を押してくれる》
《背負うものが、背を……》
王として、父としての言葉にヒナはまるでそれを自分の心に刻みつけようとしているかのようにその言葉を反芻する
「――失う事を恐れろ。守れない事を拒絶しろ。お前自身が何を守りたいのか、誰を守るのか……お前が求める世界の未来を思い描くのだ」
最高位の半霊命としての強靭な生命力があっても、決して軽くない傷と苦痛に苦悶の表情を浮かべながら、それでも懸命に笑みを作るゼルは、自分の後を継ぎ、世界の先頭を歩く決意を固めようとしている娘に激励の言葉を送る
「私の……」
「そうだ。」
唇を引き結び、不安に揺らいでいたヒナの瞳に強い覚悟と意志が宿っていくのを見たゼルは、小さく頷いて穏やかな声を向ける
「何より、今のお前には――あの御方がいるだろう」
「……っ」
そう言って視線を天に向けたゼルに、ヒナは思わず声を詰まらせて父の視線を織って天を仰ぎ、そこに煌めく黒白の力を見る
(大貴さん……)
世界の全てを超越する神速を持つ全霊命の戦闘は、いかに王族に名を連ねるヒナの目を持ってしても残像すら捉える事はできない
しかし、天に咲く神色の黒と白の力と、そこから伝わってくる心が鎮まるような優しい存在の波動を御感じるヒナには、まるで人間の創造主たる光魔神――大貴が自分を見守り、守ってくれているように感じられた
「そうですよね、私は……」
言葉を交わす訳でもなく、心を通わせるわけでもなく、ただ遠くからその姿を見ているだけで、その存在がそこにあると感じるだけで、ヒナは自分が誰のために……そして、何のために戦いたいと願っているのかをはっきりと思い出す事ができる。
たとえそれが自分の一方的で勝手な思い込みだとしても、ヒナは大貴が見てくれていると思うだけで――大貴に王の責任から逃げるような自分を見せる訳にはいかないと心の底から思う事ができる
いつの間にか身体の震えが収まっている事に気づいたヒナは、天空で戦っているであろう大貴に視線を伏せて最上級の敬愛の念を向けると、意を決したように父から授かった王を定める十二至宝――「至宝冠・アルテア」を静かに頭にかぶる。
人と神の繋がり――「神意」を司る至宝冠は、大貴と自分との架け橋。そう考えれば、まるで自分が大貴と心を通わせたような気持ちになれる……これまで以上に明確に、自分が望む未来を思い描く事ができる
「――私が人間界王なのですから」
至宝冠を冠り、厳かな声で宣言したヒナの目には、一点の曇りもない強い意志がはっきりと宿っていた
この瞬間、世界の中心から世界を見つめ続けてきた冠が、自ら選んだ次の王の頭上に置かれた事で、王位が継承され、この世界の歴史と未来、命運と運命の全てが次代の王へと引き継がれる
そしてゼルからヒナへと王位が継承されたその刹那、それを証明するかのように眩い光を放って輝いた至宝冠がその形を変化させていく。
「……至宝冠が生まれ変わったか」
至宝冠は十二至宝の中で唯一、決まった形状を持たない至宝。新たな王へと受け継がれる度、その王に合わせて形状を変える特性を備えている。ヒナへと継承された至宝冠は、その特性よって、ヒナに合わせてゼルのいかにもといった形状の大型の王冠から、淑やかな印象のティアラへと大きく形状を変化させていた
神々しい光を宿した宝玉を煌めかせ、花を思わせる可憐で慎ましやかな金色の冠本体がヒナの黒髪に鮮やかに映え、そこから伸びる翼を思わせる装飾が、髪の流れによって腰の辺りまで伸びている
「中々様になっているじゃないか」
至宝冠を継承し、新たな王となった実の娘の凛々しい出で立ちを見て、ゼルの表情がまるで苦痛を忘れたかのように無意識に綻ぶ
「ヒナ」
再度娘の――新たなる王の名を呼んだゼルの言葉に、見違えるほど凛々しく佇むヒナは強い意志の宿った瞳を向ける
「はい」
「――いってこい」
ゼルの言葉を受けたヒナは、凛とした出で立ちで一度頷くと、そのままその身を翻す
「ザイアローグ」
「キュウッ!!」
至宝冠を継承し、新たなる王となったヒナの厳かな声に応えて、天空から舞い下りた至宝竜は、その身体を光に変えて新たなる己の主を光輝くその身体で抱擁する
自身の権能を発動し、新たなる王にして新たなる主の力の性質を読み取ったザイアの光が砕け散った瞬間、その中から神格化された鎧を身に纏ったヒナが顕現する。
均整のとれたヒナの身体のラインをはっきりと浮かび上がらせるドレスは、女性の身体が持つ特有の曲線美を際立たせながらも、いやらしさなど微塵も感じさせないほどの気品と芸術性を兼ね備え、胸と右肩、両腕と腰部、そしてその長い脚全体を覆う純銀の鎧が凛々しさと力強さを演出している。
腰部を覆う足元まで伸びる下半身だけを隠すマントのような布には金色の刺繍と宝玉があしらわれ、足元の部分には色鮮やかな飾り羽のような装飾が施されている。
それはゼルが纏っていた敵を倒し、人々を守る力強さを感じさせる戦うための鎧というよりも、いかなる逆境でも力強く咲く一輪の花のように、人の目と心を惹きつける無垢な強さと美しさを感じさせる天女のような姿だった
至宝竜の鎧を身に纏い、凛とした出で立ちで静かに天を仰いだヒナは、至宝槍を手に、先代の王である父に見守られながら天空へと昇っていく
光を貫くような速さで飛翔しているにも関わらず、天を翔けるヒナには優美で見惚れてしまうような美しさと柔らかさが同居していた
「……どうやらご無事のようですね」
天へ昇っていくヒナの姿を見ていたゼルが、不意に聞こえた穏やかな声に視線を向けると、そこには不安と安堵を同時に宿した微笑を浮かべて佇む妻――「フェイア・ハーヴィン」が淑やかに佇んでいた
「フェイア……」
その様子から、自分の身を案じて来てくれたのだと一目で分かる様子のフェイアが歩み寄ってくるのを見つめるゼルの表情には、娘|に人間界の命運を託す事になってしまった事への謝罪と自分の不甲斐なさを憂いる感情が同居していた
「困ったお方ですね」
そんなゼルの考えなどお見通しといった様子で血だまりに横たわるゼルの傍らに膝を下ろしたフェイアは、治癒の力を夫に注ぎ込みながら苦笑を浮かべる
「あの子はもう王として十分にやっていけるだけの力も経験も持っていますよ。あなたが王位に長くいすぎただけです。……年寄りがいつまでも幅を利かせているものではないという思し召しでしょう」
「……すまないな」
皮肉混じりに穏やかに微笑むフェイアの気遣いに表情を緩ませたゼルは、妻と共に天空へと昇っていくヒナを見送る
「私達の娘の――新たなる王の初陣だ」
悪意に染められたどす黒い力が噴き上がり、自分の命を滅ぼそうと襲いかかるのを紙一重で回避したリッヒは、その力を放ってきた敵――「ジェイド・グランヴィア」を見て、その整った顔を苦虫をかみつぶしたように歪める
すでに至宝書の権能によって顕現させていたもう一人の自分は、簒奪の悪意によって神格へと堕とされたジェイドの前に成す術もなく倒されてしまっており、もうその権能を発動するほどの力も残っていないリッヒには、逃げ回りながら時間を稼ぐ以外に方法が残されていなかった
(……まだ、ですかお姉様。このままでは……)
肌をただれさせるような大きさも格も桁外れに高いジェイドの力を前に、リッヒの脳裏に「死」がよぎる
実際ジェイドと自分の間には、埋めようのない大きな力の差があり、このまま戦い続けていれば自分が敗北して命を落とす事をリッヒは認識していた
「もう限界か? シェリッヒ・ハーヴィン」
渾身の気を込めた気の力の爆撃を至宝剣の一薙ぎでそ造作もなくかき消し、ジェイド・グランヴィアは嘲笑混じりにリッヒへと視線を向ける
口ではそういいながらも、ジェイドはこの戦況を当然のものだと考えていた。簒奪の悪意によって神格へと堕ちた自分の力は、世界最強の半霊命である人間界王「ゼル・アルテア・ハーヴィン」を退けるまでになっている。
もはや、この世界で自分に適う者が存在しない事を確信しているジェイドは、この計画に置ける己の絶対的な勝利を確認するために王族に名を連ねる者の一人であるシェリッヒを新たなる自身の力を試すための実験台にし、確信を持つに至っていた
「いや、やはり私が強くなりすぎたのだな」
自身に宿った人間の限界を超える力を確かに感じながら、ジェイドは最強の人間へと至った喜びとそれによって欲望が満たされてしまった事で感じるどこか物悲しい感情を抱えながら、興味が失せたように悪意色の力を宿した至宝剣を振るう
「っ……!?」
その瞬間、これまでの攻撃を遥かに凌ぐ速さと破壊力が込められた斬撃が、リッヒを持ってすら反応する事が出来ないほどの速さでその眼前に迫っていた
(そんな……)
回避はおろか防御すら出来ない程の速さで肉迫したジェイドの斬撃に、リッヒは自身の命が刈り取られる光景を幻視する
しかし、リッヒが思い描いた結果が現実になる事は無く、天を切り裂いて走った黒白の力の波動が、ジェイドの斬撃を容赦なく粉砕し、遥か高い天空へと吸い込まれていった
「……!」
自身の攻撃が軽々と相殺された事で、面白くないとばかりにわずかに眉を寄せたジェイドの視線の先にいるリッヒの前に純白の花が咲き誇る
「遅くなりました」
突如ジェイドのリッヒの間に咲いた純白の花――至宝竜が顕現した天女を思わせるドレスを纏ったヒナが背後にいる妹に穏やかな声と視線を向け、同時にそれによってジェイドを牽制する
優しく包む込むような雰囲気を纏いながらも、どこか穢し難い高貴で神聖な雰囲気を纏うヒナの姿――そしてその頭上から漆黒の髪にそって翼のように伸びた煌めく金色の冠を見て、リッヒとジェイドが軽く目を瞠る
「お姉様……」
「ほう、至宝冠を継承してきたか」
ヒナの頭上に煌めくティアラ――人間界王の証足る至宝冠が何を意味しているのかが分からないリッヒとジェイドではない。
ヒナに合わせて形状を変化させた至宝冠を見て何が起きたのかを瞬時に理解したジェイドは、愉快そうに目を細めて花のように凛とした佇まいを見せる新たなる王を見る
「……下がっていてください」
王位を継承し、至宝冠と至宝竜を従えたヒナは、ジェイドに意識を向けながら背後に庇っている限界まで消耗している妹へ声をかける
「お姉様……」
ヒナの言葉を受けたリッヒは、なぜ姉が至宝冠を携えてやって来たのか、そしてこれほどまでに援護までの時間を要した理由を把握し、王位継承と同時に世界の命運を背負って戦う姉の重圧を案じつつ距離を取る
これから始まろうとしているのは、世界最強の半霊命による世界を懸けた戦い。その力の前では、たとえこれほど疲弊していなくとも自分が足手まといでしかない事を理解しているリッヒは固唾を呑んで姉とジェイドを見る
胸の前で腕を組み、勝利を祈るリッヒの視線を背に受けながら、その手に金色の槍――至宝槍・ラキスヴァインを構えたヒナは、至宝冠の権能を解放して、神格へと昇華された光と闇を表す黒白の神気を纏う
「……太極気か。さすがの圧力だな」
感嘆の声を漏らすジェイドの視線の先で、神格化された光と闇の気が具現化した黒白の力――「太極気」を放出し、己の身体と至宝槍へ纏わせるヒナが力強く厳かな声音で声を紡ぐ
「ジェイド・グランヴィア。この世界も、世界に生きる人々もあなたの思い通りにはさせません――人間界王、『ヒナ・アルテア・ハーヴィン』。参ります!!!」
自らを王と名乗り、世界と世界に住まう全ての命を背負って立つヒナは、至宝冠の権能によって神格化された気――「太極気」を纏ってジェイドに向かっていく
「――こい!!」
新たなる王を継承したヒナと簒奪の悪意を纏うジェイド。黒白の神気と悪意色の力が世界を二分し、今ここに人間界の命運をかけた最後の戦いが始まろうとしていた
その頃、夜天の月に照らされ、夜の闇よりも尚暗い漆黒の髪が妖しく輝いて夜空に舞う
「……準備はいいかしら?」
軽く空を仰いで夜の闇の中で一際輝く月を見上げた黒髪の女性が切れ長の目で背後へ視線を送ると、そこには漆黒の髪を携えた青年と、桜色の髪をなびかせる和装の情勢が無言で頷いて見せる
二人の首肯を受けた黒髪の女性は、その氷麗な表情に意味ありげな微笑を刻んでその視線を前方へと戻す。
「さあ、行くわよ――人間界へ」
「――……っ」
現実の人間界王都。そこで繰り広げられているのは、十世界による人間界王都に眠る秘宝――「神器・神眼」を巡る人間界と十世界の戦い。
神庭騎士・「シルヴィア」によって張り巡らされた結界の中で刻々と変化していく戦況を見つめながらも、そこに介入する事すらできず、ただそれを見ている事しかできない詩織は、己も無力さと何が起きているのか分からないまま、ただ一人で時を過ごす孤独感と不安に苛まれていた
(私は一体どうしたら……)
光魔神に列なる正統な人間ではなく、戦う力も持たない一般人に過ぎない自分には何もすることができない。
何もしない事しかできない自分に歯痒さを覚えながら、詩織は城の中庭で戦っているミリティア達をはじめとする人間界軍、宝物庫の中で戦うシルヴィアとジュダ達の戦いの行方を見守りながら、胸の前で重ねた手に力を込める
(大貴、マリアさん、クロスさん……)
不安と恐怖に胸を締め付けられる詩織の脳裏によぎるのは、今ここにいない家族と仲間達。彼らさえいれば何かが違ったのにと考えつつ、今ここにいない最愛の人が思い出される
(神魔さん……)
決して届かない想いを向ける想い人に想いを馳せながら、詩織はただ祈るように、戦火の中でただ結果が示されるのを待つしかなかった
詩織が結界に守れた宝物庫外側で成す術もなく佇んでいる頃、十世界の目的である神器「神眼」が安置されている宝物庫内では、三人の全霊命達による戦いが佳境を迎えていた
「はああああっ!!」
煌めく光が天を貫き、世界を守護の力が焼き払う。
守り、育み、慈しむ――そんな「守護」の概念を内包した力が宿ったハルバートを力任せに振りかざすのは、戦乙女を思わせる風貌の女性――神庭騎士・シルヴィア。
煌めく守護の光を纏った戦乙女は、自身の神能が自分自身の特性に合った戦う形へと姿を変えた武器の刃で貫いた漆黒の影を地面に叩きつける
「ぐっ……!」
ぐもった声を上げ、シルヴィアの武器たるハルバートに貫かれた漆黒の人物――最強の異端神「円卓の神座」の一角を成す異端神「覇国神・ウォー」の力に属するユニットの一つ「斥候」と呼ばれる存在――は、その胸の中心を貫かれ、自身と対になる異端神「護法神・セイヴ」の力に列なるユニットである神庭騎士の刃に貫かれ、苦悶の声を上げながら、その力によって存在を浄滅させられていく
存在そのものである霊の力――神能によってその存在の全てを構築されている全霊命は、「命」を失う事により、その身体を形作る神能が力を失い、その身体ごと世界から消滅してしまう
殺されない限り命を落とす事は無く、自分たちと同じ全霊命以外に害されないという絶対的な強さと存在を併せ持つ全霊命だが、その最期には形あるものを遺す事ができずに消滅する定めを背負っている
「――ハァ、ハァ……」
限りなく永遠に近い命を持っていても――あるいは持っているが故に儚く幻想的にこの世から消失する全霊命という存在の終焉を見つめるシルヴィアは、血炎を立ち昇らせながら乱れた荒い呼吸を繰り返す
その存在の全てが、神に次いで高い神格を持つ「神能」と呼ばれる霊の力で構築された全霊命の存在は、その命と意志、魂によって世界に具象化し顕現している。
それが本来とは違う形――半霊命における流血という形で体外に漏れ出した場合、神能の具現化が失われ、さながらその身体から炎が立ち昇っているかのような状態を作り出すのが全霊命における傷という現象だ
その肉体や心――全霊命という存在そのものを構築する神能が世界に溶ける血炎を立ち昇らせるシルヴィアを瞳のない白い眼で睥睨しながら、戦兵と呼ばれる全霊命であるジュダは感嘆の声を漏らす
「……見上げた根性だな」
自分と先ほど葬られた斥候の男――シルヴィアが属する神庭騎士とは対極に位置する「戦と闘争」を司る神の眷属である二人を相手取り、満身創痍ながらも勝利を収めた戦乙女を見るジュダは、その手に持つ光り輝く宝珠――神器・神眼に一度視線を落とす
「生憎と、あなた達に神器を渡す事はできないわ……この命に代えても」
ジュダの言葉に抑揚のない声音で応じるシルヴィアの瞳には、微塵の迷いもない。その言葉の通り己の命が尽き果てるまで眼前の戦乙女が戦い続ける事をジュダは確信していた。
守護を司る神に列なる神庭騎士は「守る」事に命をかける。自分や他者の命、あるいは心、約束や命令――。彼女達にとって、守れない事は死と同義なのだ
本来ならば目的の神器を手に入れた時点で空間転移で帰還するつもりだったのだが、この場を封じ込めるシルヴィアの結界にはそんなジュダの行動を見越した上で封印の力が込められており、少なくとも今のままではジュダの力を持ってしてもここから空間の扉を繋ぐ事は出来ない。
それに気づいて、一瞬生じた隙をつかれて同胞の斥候が葬られた事を思い返したジュダは、シルヴィアを葬り去る以外にここから神器を持ち帰れない事を理解してその手に持った自身の武器――回転式弾倉が備えられた剣にその力を注ぎこむ
「そうか。ならばお前を殺してこれを持ち帰る以外に方法は無いな」
一般的な神能とは異なり、意識外で永続発動する力を持つ神庭騎士の神能「守護」は意識せずともその効果と発動にシルヴィア自身の意志と力を割く必要はなく、その力はジュダの持つ戦の力と対極にして同格。
つまりジュダがこの結界を突破するには結界を破壊せねばならないが、それをすればその隙をシルヴィアにつかれて自分が命を落とす。ならばご丁寧に思念通話すら遮断するように作られた結界ごとシルヴィアの命を奪うのが今ジュダの取れる最善にして唯一の手段だった
「できるものなら、ね」
その身に決して軽くない傷を負いながらも、微塵も衰える様子を見せないその高潔で純粋な穢れない心を具象化したような力をハルバートに宿したシルヴィアは、閃光よりも眩い閃光となって、時間も世界の理すらも及びえない速さでジュダに肉迫する
時間や距離など存在しないかのごとき神速で距離を詰めてきたシルヴィアを全く同じ速さで迎え撃つジュダは、自身の破壊と征服の力が宿った戦の剣で戦乙女を迎撃する
「オオオオオオオッ!!」
「はあああっ!!」
シルヴィアとジュダ。――守護と戦乱の力を有した相反する力を有する二人が戦意と覇気の込められた斬撃を同時に放つ
何の制限もなく放たれれば、世界すら容易く消滅させる程の力を持った二人の斬撃が完璧な制御の下に放たれ、その力に込められた破壊の意志だけが、世界に破壊の現象を顕現させて空間軋ませながら結界に包まれた宝物庫内を荒れ狂う
互角の力を持つ二人の攻撃が真正面からぶつかり合えば、刃と力が拮抗する。しかし、眼前で起きた予想外の事態に、ジュダは瞳の無い目を限界まで見開く
「なっ……!?」
ジュダの眼前に立ち昇るのは、視界を埋め尽くさんばかりの紅蓮の炎――否、炎と錯覚するほどの血炎が噴き上がっていた
それもそのはず。シルヴィアを迎撃するために放たれたジュダの刃は鎧を身に纏った戦乙女の鎧を斬り裂き、その胸元まで深々とその刃を食い込ませていたのだ
「……っ」
もしこれが半霊命だったならば、確実に命を落としているであろうと思われるほど深々と食い込んだジュダの刃を横目に、苦痛に表情を歪めたシルヴィアは、その手に持ったハルバートを振り抜く
「――っ!」
そのやりとりが行われたのは、一瞬よりも短い刹那の時間。しかしそれをはっきりと視認し、知覚していたジュダは、わざと自分の攻撃を受けてまで一撃を繰り出したシルヴィアの真の目的を理解する
(――こいつ、神眼を破壊する気か!?)
その存在の全てが霊の力によって構築されている全霊命だからこそ放つ事ができる、一点の混じりけもない純然たる殺意と破壊の意志が込められた刃を振るうシルヴィアの標的は、ジュダの手に握られた光を内包する宝珠だけにむけられていた
(彼らから守り通せないなら――神眼を破壊するしかない)
使命を果たすべく頑なな意志を持って最後の賭けに挑んだシルヴィアの目的は、ジュダを倒す事でも神器を奪取する事でもなく、十世界の手に渡る前に神器そのものを破壊する事にあった。
だからこそ、神庭騎士としての守護の力を用い、強化した身体でジュダの攻撃をあえて受ける事で一歩先手を取り、その瞬間の隙をついて神器・神眼の破壊を試みたのだ
「くっ――」
まさか神器を破壊しに来るとまでは思っていなかったジュダは、シルヴィアの行動に反応するまでに一瞬の空白を要してしまった
シルヴィアの思惑通りに反応が遅れたジュダは、一陣の神光となって放たれたシルヴィアの渾身の槍撃から神眼を守ろうとするが、完全に回避する事が叶わず、かろうじて紙一重でその攻撃を躱す
だが、一度は完全に虚をつかれた状態からの条件反射。かろうじてシルヴィアのハルバートの刃が神器の宝珠に食い込むのを避ける事はできたが、完全にその攻撃から守り切る事はできなかった
「しまっ……」
シルヴィアの放ったハルバードの刺突の衝撃で、ジュダの手に収まっていた光を抱く神の至宝――神眼が吹き飛ばされ、澄んだ鈴の音のような音を立てて地面に激突すると、その衝撃に道美化荒れるように甲高い宝物庫の床を転がり、まるで誘われるように扉の外へと転がっていく
「チィッ!!」
「させません!!」
地面を転がっていく神眼を見たジュダがそれを回収しようとするのを、シルヴィアの煌めく白刃の横薙ぎが妨害する
「……っ」
紙一重でシルヴィアの刃を回避したジュダの首筋には、小さくもはっきりとした傷が刻み込まれており、そこから立ち昇る血炎と鈍い痛みにジュダの眉がわずかに歪められる
「邪魔をするな」
あと一瞬反応が遅れていれば自分の首が斬り落とされていたであろう傷に、ジュダは全身から混じり気のない殺意と怒気が宿った力を放出し、まるで炎に焼かれているかのように全身から血炎を立ち昇らせているシルヴィアに、激情のままその手に持つ剣を叩きつける
「――っ!」
殺意と敵意に塗り潰されたジュダの暴虐の力をハルバートと自身の守護の力を収束させた結界で防いだシルヴィアは、先の攻防で既に満身創痍となった身体と魂の奥底にまで響くようなその力と殺意の圧力に苦悶の表情を浮かべる
ぶつかり合う破壊と守護の対極の力は渦を巻き、世界を焼き尽くしても、なお余りある力が世界を二分する。
そこに込められた世界最高位の神格を持つ存在である二人の意志が、その力である神能とは別に世界に現象として顕在化し、意志と意志のせめぎ合いが暴風となって吹き荒れる
ジュダとシルヴィア――ぶつかり合う二人の力に込められた意志が巻き起こした暴風は、戦場となっている無限に広がる宇宙を思わせる宝物庫の中を蹂躙し、その風が地面に転がっていた神器を軽々と吹き飛ばし、宝物庫の外へと運んでいく
「――っ!?」
「……っ、何!?」
宝物庫の中から吹き荒れる、これまで以上に強力な意志の暴風を懸命に堪えながら、その方向へ視線を送っていた詩織は、そこから噴きつけてくる意志の暴風に乗って飛来してくる光輝く宝玉を見て怪訝そうに目を細める
「あれは……」
意志の風によって宝物庫内から吹き飛ばされてきた宝玉――神器・神眼を見止めた詩織は、地面に落下して転がってきた神秘的な光を内包する玉に恐る恐る手を伸ばす
「触ってはいけません!!!」
「触るな!!!」
その瞬間、空気をつんざくような男女の声が響き、宝物庫内からもつれ合うように出てきたジュダとシルヴィアの姿に身体を強張らせた詩織の指先が、神眼と接触する
「え?」
詩織の指が神器と触れたその瞬間、神秘的な光を内包した宝玉から光が溢れだし、その形をさながら蛍のような光の粒子へと変化させる
「……これは……」
そして極彩色に輝く蛍は、突如眼前に生じた幻想的で神秘的な光景に目を奪われていた詩織の身体へと吸い込まれていく
「なっ……!?」
極彩色の蛍が身体の中に入り込んでくるのを見て、その表情を驚愕に染める詩織は、それに伴って身体に生じる魂に何かが溶け込んでくるような不思議な――しかし、決して恐ろしくものではない感覚に目を細める
(何これ? ……凄く優しくて温かい……)
宝玉の形をしてはいるが、神眼は全霊命と同様にその全てを霊の力で構築された神器。それが融合するという事は、存在の根幹に溶け込んでくるという事。
人間の――それも、世界最弱レベルのゆりかごの人間でしかない詩織にとって、神眼に宿った神能の力はあまりにも大きく、神々しいもの。それが自身の存在の根幹へと溶け込んでくる感覚は、信じられない程の幸福感と安心感を与えてくる
「神眼が……」
詩織の身体に神器が吸い込まれていくのを見たシルヴィアとジュダは、一瞬の空白の時間を置いて、すぐにその表情を険しいものへと変える
それと同時、人間界ではないどこか。白亜に輝く神殿の中に佇んでいるのは、膝裏まで届くほど長い癖のない淡い燐光を帯びた金色の髪を揺らす女性。
純白のドレスを思わせる衣に身を包んだ女性は、淡く煌めくその髪から生まれる外から差し込む光よりも輝き、それよりも優しく温かな金白色の光の蛍に包まれながら、薄い紅で彩られた唇を微笑みの形へと変えた