王都戦乱
茉莉によって隔離されたもう一つの人間界の遥か上空で、白と黒の力が渦巻き、暗黒色の力を呑みこんでいく。
「――チッ、厄介な奴だ」
吐き捨てるように言いながらも、燃えるような真紅の髪を持つ悪魔――紅蓮は、歓喜の色に染まった獰猛な獣の笑みを浮かべて、自身が相対する相手へ殺意と戦意の籠った視線を向ける
紅蓮が殺意という親愛の情を向けるのは、白と黒の二色に染まった左右非対称色の翼を持つ存在――最強の異端神の一人である「光魔神・大貴」だった
「諦めて戦いをやめる気はないか?」
自身の存在が武器として顕現した刀「太極神」を構える大貴は、左右非対称の瞳で真紅の髪をなびかせる紅蓮に視線を向ける
地球にいた時にその本来の性質を取り戻した光魔神の神能――「太極」には、陰陽統一による完全なる世界の力が宿っている。
この力の前では、たとえ全霊命の神能であろうと、あらゆる力や存在が「太極」に統合されて無力化され、その力が全て大貴のものとなる。
太極――この世に存在する森羅万象善悪陰陽の全てを司る力を持つ光魔神の能力は、全てを自分の力としてしまう力を有しているのだ
「嗤わせるな」
しかし、それを分かっていて紅蓮は、微塵も衰える事のない殺意が込められた視線で大貴を射抜き、その存在を構築している神能――魔力を戦意で染め上げる
「……だろうな」
予想していた通りの紅蓮の言葉に、どこか嬉しそうにも聞こえる声で小さく息をついた大貴は、黒白の力を纏わせた刀を真紅の髪の悪魔に向けて放つ
敵の神能すらも自身の力へと変える太極の力を纏った刃は、攻撃に用いられようと防御に用いられようと、例外なく紅蓮の魔力を己の力に変えて敵と定めた存在を滅却する――はずだった
「っ!!」
黒白の神能を纏った斬撃を放つ大貴を真正面から迎え撃った紅蓮は、自身の魔力の込められた刃の一撃でその攻撃を弾き飛ばしていた
世界すら容易く滅ぼせる程の神に最も近い力がぶつかり合い、その力に込められた、その身体と魂――存在の全てを神能によって構築された全霊命だからこそ持ちうる一点の曇りもない純然たる殺意と戦意が、現実世界に顕在化し、破壊の衝撃を振り撒く
互いの攻撃が相殺された事で生まれる意志の衝撃波を浴びながら目を細めた大貴に、紅蓮はすかさず魔力の込められた斬撃を打ち込む
「オラァア!!」
全霊命の力は『事象そのもの』。それは異端神である光魔神でも変わらない。破壊、防御、殺意――あらゆる事象として世界に作用する神能は、この世の万物万象に対して絶対的な優位性を誇っている。
しかし、神能の力が事象そのものを世界に顕現させる力である以上、全てを貫く矛と全ての攻撃を阻む盾が同時に存在できないように、同格同士の力では互いの現象が相殺される事になる
つまり、全ての力を己の力として吸収統一する「太極」の能力も、同格以上の神格を持つ相手には相殺され、無力化されてしまうという事であり、未だ光魔神として不完全な大貴では、紅蓮の神格と拮抗しているためにこのような現象が引き起こされる
「……っ、この」
自身の力が破られても、冷静さを欠く事無く紅蓮の斬撃を受け止めた大貴は、歓喜と殺意を併せ持って自分と戦う悪魔を見て、不思議と高鳴る己の鼓動を感じていた
(ったく、俺はそんなのじゃないつもりなのに、誰かさんにつられて、いつの間にかこの戦いが楽しくなってきやがった……!)
常に心身の全盛を維持し、殺されない限り不死。そして食事や睡眠は娯楽。――全ての現象を望むままに顕現させてしまう神能の力を持つが故に、何もしなくても生きていくのに不自由しない全霊命は、半霊命とは違い、自身の存在意義を戦いに求める傾向が強くなる
生命体として限りなく完全に近いであるが故に、「戦い」という生命が持つ根幹の存在認識行動に強く惹かれる全霊命としての本能もあるのだろうが、それ以上に紅蓮の無邪気な殺意と純粋な戦意は、なぜか大貴の心をも高揚させてくる。
戦いの中で自らの生を実感し、死の恐怖に命を感じる――余計な感情の入り込む余地のない至高の戦闘がもたらす純粋な命のやり取りの中、大貴もまた何かを感じ取っていた
「まったく、面倒くさい奴だな」
紅蓮に共鳴するように、いつの間にか戦いに喜びを感じてしまっている自分に戸惑いつつも、自分の中から湧き上がる衝動を自然に受け入れている大貴は、魂の内側から突き上げてくるような己の感覚を抑えきれずに全身から黒白の力を噴き上げる
「あァ、そうかもな」
太極の力に晒される紅蓮と大貴の視線が交錯し、互いの表情が無意識に綻ぶ
「良い顔をするようになったじゃねぇか」
「余計なお世話だ」
自分と同じ表情を見て笑みを浮かべた紅蓮に、大貴は言葉と同時に斬撃を放つ
まるで言葉を交わすように刃を交わし、殺し合いながら心を合わせる――そうして戦う大貴と紅蓮は、気の置けない友人同士のようにすら思えた
その頃、現実世界の人間界王城内では、到るところが破壊され、瓦礫と煙を上げる王城の中庭に戦場を移して十世界に所属する「ガウル・トリステーゼ」とミリティア・グレイサーを筆頭とする人間界軍の戦いが熾烈さを増していた
「どうした、もう終わりか?」
「――……っ」
さながら大樹のように佇むガウルの言葉に、肩で荒い呼吸を繰り返すミリティアは、小さく唇を噛み締めてたった一人で自分達の包囲網をものともせずに戦う大男へ視線を向ける
(やっぱり強い……)
ミリティアは、貴族の中でも特に七大貴族に近いと言われている人物の一人。にもかかわらず、その七大貴族の人手である「ガウル・トリステーゼ」はそんな事などあざ笑うかのような圧倒的力を見せつけてくる
「こ、の……っ!!」
ガウルの言葉に触発された訳ではないが、ここでガウルを止めなければならないという決意を胸に秘め、ミリティアは渾身の気を纏って地を蹴る
「……覇光か」
加速能力に優れるミリティアの気が何度も重複されて効果が増大すると、そこに込められた霊の力が物理の限界を超越させ、瞬間的に光を超えた速度へと舞戦祭の戦姫を導く
「はああっ!!」
霊の力によって心身や能力を強化されている人間ですら、よほどの実力者でなければ視認も反応も出来ない物理の限界を超越した速さへと到達したミリティアは、瞬間的に回帰させた物理の力を手にした細身の剣に乗せてガウルに力任せに叩き込む
物質が音速の壁を超えた瞬間に、周囲の空気が大気の壁として立ちはだかるように、光の速度を超える際、世界を満たす光が一点に収束される事で生まれる、物理の限界を超えた破壊力と熱量を持つ超光炎の力がガウルに炸裂し、夜の帳が下りた世界を真昼へと塗り替えるような光の奔流が吹き荒れる
「――っ!!」
物理の限界を超えて生みだされる全てを焼き払う破壊の光炎を放ちながら、それを繰り出した側であるミリティアはその光の波動の中で唇を噛み締める
ミリティアが光炎を纏わせて叩きつけた二本の細剣の先――その刀身は直立不動のまま佇むガウル・トリステーゼの腕に阻まれ、世界の限界を超えて生み出された光炎もまた、その身を撫でていくばかりで決定的なダメージを与えるには至っていない
(っ、やっぱり通らない……!!)
覇光の威力は障壁程度なら造作もなく焼き払う事ができる程度には協力。今ミリティアの攻撃を阻んでいるのはガウル自身の単純な気の力。
全霊命の神能程ではなくとも、事象と現象へ干渉する力を持つ界能の力が、物理を超越して放たれた破壊の光炎すらも阻んでいるという事は、単純にガウルの力がミリティアのそれを遥かに上回っている事の証明となる
「むぅんっ!!!」
しかしミリティアも貴族である自分が、七大貴族に数えられるガウル・トリステーゼに地の力で勝るなどとは微塵も思っていない
それでもあきらめずに渾身の力を込めて刃を押し込もうとするミリティアは、防御として鉄壁を成していたガウルの気が、さながら大海が揺らぐような重厚な圧力を纏って鳴動するのを感じ取る
「――っ!!」
反射的にミリティアが身体を後方へ引いた瞬間、脈動していたガウルの気が火山が噴火するような地響きを伴って天を貫く
触れたものを破壊する程高密度に圧縮された気の奔流を持ち前の速さで回避したミリティアが体勢を整えると同時、光の柱を貫いてその身に気の力を纏ったガウルが肉迫してくる
「っ!?」
(疾……っ)
目を瞠るミリティアの視界には、既にその間合いに自分を捕らえた大男が、気を纏った拳を振り上げる姿が鮮明に映し出されていた
「ハアッ!!!」
研ぎ澄まされた闘気を纏ったガウルの拳が振り下ろされ、その一撃がさながら大地と見紛うばかりに広大な人間界城の庭園の大地を粉砕し、地盤を天空へと巻き上げる
「くっ……!」
自分達の目では見えない速さで繰り広げられる二人の戦いを見守っていた人間界に属する軍人たちは、地面を天空へとさらう程の威力を持つ暴虐の衝撃に晒されて歯を食いしばる
「援護を!」
その暴虐の嵐の中を貫いていくのは、かろうじてこちらの世界に残されていた人間界城に仕える貴族級の騎士達の言葉。
大貴達を人間界へと連れてきた真紅の巨竜艦・テスタロッサの官庁であるクーロン・ラインヴェーゼを含む貴族達がその言葉に応じて全方位から一斉にガウルに攻撃を仕掛ける
「無駄だ!!」
しかしガウルの咆哮と共に放たれた気の衝撃波が、さながら爆風のように炸裂し、貴族達を巻き込んで吹き荒れる
「くっ……!」
(せめて、第一騎士団の方々が残っていて下されば……っ!)
身体を引きちぎられるような破壊の衝撃に晒されながら、金属製の鞭を地面に突き刺して身体を支える
クーロン・ラインヴェーゼは歯噛みをしながら、その爆発の中心にいるガウルを見て目を細める
空間隔離によって、ガウルの妨げとなるであろう七大貴族、王族級の人間は全員この現実の人間界城から姿を消してしまっている。
つまり、今この現実世界にいる人間界軍の中でガウル・トリステーゼと真正面から切り結べるような者は一人もいない。だからこそ今この場にいる者達に出来るのは、ガウルと距離を取って戦い、人間界の主戦力達が帰ってくるのを待つ事だけなのだ
「あまり見くびらないでください!」
戦場にいる誰もがそんな歯がゆい思いに苛まれている中、爆風を切り裂いて一人の女性がガウルに向けて手をかざす
純白のローブを思わせる衣装をなびかせる二十代半ばほどの見目麗しい女性の手が燐光を帯びると、その力の光を宿した木がその袖から伸び、木製の巨大な牢となってガウルの身体に絡みつく
「……これは」
(土の過剰適合者か……)
自身の身体に絡みついた大樹が、瞬時に金属として硬化していくのを見たガウルは、それを操っている女性に視線を向けて目を細める
「神仰教会の……!」
ガウルを拘束した女性は、七大貴族の一人「レイヴァー・ブレイゼル」が興した「神仰教会」と呼ばれる王よりも神を崇拝する集団に属する女性。
空間隔離をされた際、ミリティアと同様に七大貴族に及ばない力のために現実世界に取り残されたままになっていたところ、ガウルとの戦いが始まり、ブレイゼルと共に来たもう一人の女性と一緒に合流し、この戦いに参戦しているのだ
(この力……エクレールと同じ属性の過剰適合者か。樹――いや、物質や細胞そのものに自身の気を同調させて支配しているところから見て土属性だな)
自身を拘束する樹と神仰教会の女性を交互に睥睨し、ガウルはその力を冷静に見極める。
ガウルの推測の通り、女性には、土属性への過剰適合能力がある。
自身の存在から生み出される界能の力を伝達する五つの霊的な回路の内、「個体」を介する特性を持つ「土属性」に極めて強い適性を持つため、自身の気を同調させる事で大地や土、金属などを意のままに操り、自身の気の力さえ勝っていれば、「樹」や生物の肉体そのものに干渉し、過剰に成長させたり、変質させる事すら可能としている
「まだです!」
自分が操る樹がガウルを拘束したのを見た神仰教会の女性がさらなる力を注ぎこむと、その木が瞬時にその構成を変換し、強力な気を帯びた金属へと変質する
「強度」を霊の概念強化によって上昇させるために金属へと変換させた女性は、さらにたたみかけるように、物質が持つ基本的概念「質量」を瞬時に強化して強度と質量、二重の力でガウルの動きを封殺する
「今です」
自身の力でガウルを拘束した神仰教会の女性は、そう言い放つと同時に地を蹴って自身の身体そのものを金属へと変換し、その四肢を刃へと変化させる
己の肉体そのものを金属へと変換し、己そのものを武器と変えた女性を横目に、もう一人の神仰教会に属する女性が、両刃の刃を備えたYに似た形状の武器を取り出し、それに気を纏わせてブーメランの様に投擲する
「続け!」
「オオッ!!」
王ではなく、神に仕える二人の女性に続き、周囲を取り囲んでいた貴族達が武器を手にガウルに向かい、背後に大小様々な機械と鋼の鎧に身を包んだ人間界軍の軍人たちが援護の砲撃を放つ
「見くびるなよ、女……ハアッ!!」
金属と質量の二重の拘束を受けた状態で全方位から向かってくる貴族達と攻撃の雨を見たガウルは、それに怯む事無く全身から気の力を放出して、自分を拘束している金属の枷を、本来のそれを超過して過剰に強化されている質量と強度の戒めごと破壊する
「――っ、何て馬鹿力……!」
自身が施した拘束を力任せに軽々と破壊したガウルを見て、神仰教会の女性が唇を噛み締める
七大貴族に数えられるガウル・トリステーゼの力は、この場にいる誰よりも優れている。この場にいる何百人という貴族と人間界軍が総出で戦って足止めするのが精一杯だというのに、たった一人の力で拘束するなど不可能に等しい
「むぅんっ!!」
自分を戒めようとする金属の枷を破壊したガウルは、自分に向かって放たれていた刃を拳で弾き飛ばし、それに合わせて向かって来ていた貴族達や、軍の援護までもを気の竜巻によって吹き飛ばす
「ぐっ……!」
「防御!!」
力の暴風に晒された貴族達が結界で己の身を守り、背後にいる軍人たちが障壁の重複発動によってその力の爆撃を防御する
全身を襲う骨の髄から軋むような衝撃に誰もが歯を食いしばって耐える中、クーロン・ラインヴェーゼはその爆風の中に佇むガウルを視界に捉え、険しい表情を浮かべる
(せめて、第一騎士団の方が残っていて下されば、こんな事をしなくても済んだというのに……!)
心の中でクーロンが苦々しげに言い放った刹那、これまで数百人の騎士と兵士に囲まれていながらもほとんど動かずに戦っていたガウルが反射的にその場を飛び退く
「――っ!!」
生来の才能と後天的な努力で勝ち取った世界最高峰の実力と、確かに戦闘経験に裏打ちされた危機回避能力に従って反射的に飛び退いたガウルは、先程まで自分が立っていた場所が瞬時に消滅し、巨大なクレーターが出現するのを視界に捉える
「これは……」
「白化風……なんちゃってね」
そこにあった万物が瞬時に焼失した事に息を呑むガウルの耳に、どこか緊張感の抜けた声が届く
「っ、シグロ・虹彩……!」
その声に視線を向けたガウルは、遥か天空に静かに佇んでいる、どこか幼い印象を受ける白髪の青年を見止め、その姿を睨みつける
(確か、風属性の過剰適合者だったな……道理で。さしずめ『風化』の力といったところか)
自身の気を気体に通す事で気体を自在に操る事ができる風属性の過剰適合者である「シグロ・虹彩が、風が保有する「風化」の概念を強く強化し、万物万象に対して風化――構造の崩壊を引き起こさせたのだと推測したガウルは、自分と同じ七大貴族の名を冠する――己を確実に害する事ができる力を持つ相手を前にこれまで以上に警戒感を露にする
「何でこんな事になってるのか、いまいち理解できないけど……とりあえず、こいつを倒せばいいんでしょ?」
「……はい、お願いします」
あくまでも普段通りにマイペースに振舞うシグロに、クーロンは小さく頷く
茉莉によって隔離された王族と七大貴族は、人間界王城内にいた者に限られていた。念のために実妹であるセリエを介して、王都内にある学院に在籍しているシグロ・虹彩の所在を確認したクーロンは、シグロが空間隔離に巻き込まれていない事を確認すると同時に、自己判断でこの場に来るように伝言を頼んだのだ
場合によっては、この事態を説明せねばならず、大貴や光魔神の事を話す必要も生じてくるだろう。万が一、それに対して責任が生じるならば、己が全てを引き受けるほどの覚悟を以ってクーロンはシグロを呼んだのだ
「――さて、なら始めようか」
静かな口調で言い放ったシグロの背後の空間が揺らぎ、装霊機の中に収納されていたおびただしい数の小剣がその周囲に浮遊する
その言葉を受けたガウルは、これまでとは比較にならない緊張感と戦意、そして殺意を纏って自分の前に立ちはだかったシグロへと視線を向けた
その頃、隔離空間内の人間界王都では、天空を覆い尽くす悪意に毒された機械軍の軍勢と相対したシェリッヒ・ハーヴィンが、金色の髪をなびかせながら無数の武器を次々に行使してその敵兵を駆逐していた
「この……ッ!」
剣、槍、弓……あらゆる武器を一度に、そして交互に使って悪意に毒された兵隊を切り捨てていくシェリッヒ――リッヒの姿を見て、それら悪意の軍勢を操っている魔法生命体のネイドが忌々しげに唇を噛み締める
人間の限界を超えた知覚領域を有し、完璧な統制と統率を以って悪意に毒された機械兵達を支配するネイドの戦力は、いかに王族とはいえ、到底一対一で相対する事ができるようなものではない
それであるにも関わらず、ネイドはリッヒを前に決定打を与えられないどころか、自分が決定的に不利な状況に老いこまれている事を否が応でも理解していた
(なんて、厄介な力……これが、『神の叡知』――記憶と情報を司る十二至宝――至宝書・ファルシュ・メティウラの力……!)
圧倒的な力で敵を屠っていくリッヒの腰部。そこにある辞典に似た形状の本――「至宝書・ファルシュ・メティウラ」を見たネイドは、苦々しい表情を浮かべながら内心で吐き捨てる
記憶と情報――即ち、記憶と情報を司る至宝、至宝書の力は、記憶と情報解析による対処の確立。――即ち、戦った相手の情報を記憶し、その力、行動、構造を完全に理解、把握、掌握し、その力に対する抵抗、無力化を可能とする能力。
戦えば戦うほど敵の力を知識として獲得し、その霊的情報を元にして敵対者の界能を無力化する事ができるようになるのだ
「はあっ!!」
戦いの中で「敵」――悪意に毒された機械兵に関する情報を十分に獲得したリッヒは、既に悪意に蠢く機械兵たちの身体構造と霊的構造、およびその能力と性能を完全に解析し、至宝書の力によって絶対的な優位性と能力を獲得している。
強さに反逆する「愚者の行軍」の力によって簒奪の力を得ているはずの、悪意に蠢く兵隊たちの力を無力化し、防御を破壊し、その動きを先読みして封殺するリッヒは、その圧倒的な力によって全ての敵を一撃の下に屠っていく
たった一人で全方位を取り囲む悪意に毒された兵器達を屠っていながら、殺伐とした印象を一切与えないリッヒは、舞っているのではないかと錯覚するような優美さと、花のような可憐さ、そしてどこか幻想的な美しさを纏って次々に悪意に蠢く兵士達を斬り捨てていた
「さて、そろそろですね」
手にした剣と槍を一閃させ、全方位の悪意兵を両断したリッヒは、周囲を冷ややかな視線で睥睨してから静かな声音で言葉を紡ぐ
「……!?」
リッヒの言葉の真意を掴みあぐね、怪訝そうに目を細めるネイドの眼前で、金色の髪をなびかせる人間界の王女は、腰につけていた至宝書を手にし、目の高さへ掲げて見せる
「少々時間がかかりましたが、これからあなたには、特別にこの至宝書のもう一つの権能をお見せいたしましょう」
「もう一つの権能……?」
おもむろに、閉じていた至宝書を開いたリッヒが視線を向けると、ネイドは警戒感を露にして反射的に身構える
そんなネイドの姿をあざ笑うかのように、その形の良い艶やかな唇を微笑む形に変えたリッヒは、自身の身に宿った王族だけが持ちうる膨大な量の気を至宝書に注ぎ込む
「――記憶解放!!」
リッヒの唇が静かに言葉を紡いだ瞬間、至宝書が強烈な光を放ち、その光が瞬時に形を成して、もう一人のシェリッヒ・ハーヴィンをこの世界に顕現させる
「なっ……!?」
突如、至宝書から出現したリッヒの姿を見て、ネイドはその光景に驚愕と動揺を露にして目を見開く
「参ります」
二人に増えたリッヒが全く同時に声を発し、召喚した複数の武器を一斉に解放すると、一撃の下にこれまでの倍以上の悪意の兵隊が屠られる
「っ、これは……まさか、自分を記憶しているの!?」
「ご明察です」
声を詰まらせたネイドに、悪意に毒された軍勢を剣と槍で薙ぎ払った、至宝書を持つ本物のリッヒが静かに答える
「至宝書は、『記憶』をも司る十二至宝。私の力と戦闘形態を記憶し、それを世界に再現しているのです」
十二至宝の一つ。至宝書・ファルシュ・メティウラには大きく分けて二つの権能が備わっている。
一つは悪意の軍勢の力を無力化していたように、既に存在する既存の「情報」を「知識」として抽出し、対応や抵抗手段を得る権能。そしてもう一つが、現在進行形で新たな情報を知識として蓄積し、世界に再現する権能。
「知識」と「記憶」を識り、「未来」を形作る――まさに人間が文明を作り上げ、進歩と発展を繰り返すように叡知を築き上げる。それこそが、至宝書・ファルシュ・メティウラの権能なのだ
「ぐっ……!」
(なるほど、情報を蓄積して作った、いわば即席の無霊命って訳ね。……分身でも偏在でもないこれなら、世界の摂理に反しない。まあもっとも、一度に複数人の自分を存在させたら、完全に神の領域の能力だものね)
リッヒの言葉に軽く歯噛みして、ネイドは目を細める
リッヒが二人になったのは、分身でもなく、複数人の自分を同時に存在させる因果律の棄却でもない。至宝書がリッヒの気と行動パターンを「記憶」し、それを先ほど注ぎ込まれたリッヒの気を元に仮想的に肉体と能力を複写したものだ。
複製されたリッヒはリッヒではなく、現実の殺傷力を持って、一定の行動を選択、反復する立体映像のようなものという事になる
「――そしてもう一つ」
「まだ……っ!? これだから至宝っていうのは……!」
さらにリッヒが紡ぐ言葉に、ネイドは至宝の持つ理不尽な力に対して敵意を露にする
人の神の手によって作り出された、限りなく神に近い力。その一つ一つがあまりにも理不尽かつ強大な力を秘めている
「――複製」
そんな理不尽に歯噛みするネイドをあざ笑うかのように、リッヒの口から静かな声が淡々と紡がれる
「なっ!?」
それと同時、先ほど出現したもう一人のリッヒが、淡い光に包まれて二人のリッヒへと変わる
(まさか、記憶した情報をさらに記憶して複製している!? こんな事が……!?)
三人に増えたリッヒを前に、思わず半歩後ずさったネイドは、開いた至宝書を構えたオリジナルのリッヒがその美貌に、微かな笑みを浮かべるのを見て最悪の可能性がその脳裏をよぎる
(まさか……っ)
「複製、複製、複製――」
自身の予想が外れていなかった事に、絶望の表情で愕然と佇むネイドは、眼前で倍倍に増えていくリッヒの姿に顔を青褪めさせる
一度の複製で二人、二度の複製で四人、三度で八人――分割では無く複製であるために、数が増えてもその能力が減少する事無く数を増大させていくリッヒの姿にネイドは恐怖と戦慄に身を竦ませる
「う、嘘……でしょ……!?」
「複製!!」
そしてリッヒが最後の複製を終えた所で、その数は百二十八人。たった一人でも苦戦していたリッヒが、同時に百人を超える数となって立ちはだかっては勝機などあるはずがない
(個を軍へ変える権能――!!)
「さあ、終わりにしますよ」
恐怖と絶望に身を振るわせるネイドを横目に、百人を超えるリッヒ達が一斉に武器を構え、渾身の力を注ぎこむ
「――っ!!!」
なまじ、人と同じ心を有すが故に恐怖を理解し、絶望に打ちひしがれる事ができてしまう無霊命であるネイドが意識を現実に回帰させた時には既に手遅れ。
百人を超えるシェリッヒ・ハーヴィンが気を注ぎ込んだ武器を一斉に一閃し、その全ての力が万物を滅ぼす破壊の嵐となって、隔離された偽りの王都を蹂躙する。
百人を超えるリッヒの生み出した破壊の力が一つとなり、天空に鎮座している巨大な戦艦すらもその力の渦に巻き込んで消滅させ、大地を消し去り、建造物を跡形もなく世界から抹消していく
霊の力特有の破壊対象限定の効果によって、限界まで余計な破壊を抑制しているにも関わらず、ほんのわずかにこぼれる破壊の力と意志が、大陸のように広大な王都の一角を世界から消失させる
「ば、化け物め……」
世界が破壊されていく様を吹き荒れる破壊の渦で見ていたネイドは目を細める
この一撃によって、ネイドが持ってきた全ての戦力は跡形もなく世界から消失してしまっている。簒奪の力を得た戦艦と機械兵達を一度にすべて失った魔法生命体にできるのは、戦略的撤退という名の敗走だけだった
「っ、でも私は……っ!?」
破壊の渦の中に巻き込まれながら、情報生命体そのものであるネイドはその破壊の影響を極小にしか受けない。
用心深いネイドは、自分の本体をこの場所には持って来ておらず、今の彼女は実在する映像そのものだ。先日もこの手段で六帝将の一人であるシャロ・ハーヴィンから逃れたネイドは、今回もそれで逃げられると疑っていなかった
「――なっ!?」
しかし、そのネイドの目論見は自身の身体の崩壊によって裏切られる事になる
「なんで!? 私の身体が……!?」
情報生命体とはいえ、その情報を破壊できるだけの力を霊の力が兼ね備えている事はネイドも十人承知している。
しかし、現在自分の身体を蝕むこの破壊が、リッヒの破壊の力に巻き込まれたために自分の姿を維持できなくなったのではなく、本体そのものが自分の情報ごと破壊されているからなのだとネイドは理解し、理解できずにいた
「驚く事はありません。至宝書の力は、情報を解し、それを支配する能力です。――これまでの戦いで、魔法生命体の身体を構築する霊的情報の全てを解析し、ここにはない本体ごとあなたを破壊する情報を付与しました……いわば、霊のウイルスですね」
「っ!!」
自身の存在が崩壊していく事に半狂乱に陥っているネイドの耳に、リッヒの涼やかな声が届く
いかにこの場に本体がないとはいえ、ここにいる虚像のリッヒと本体の情報は直結している。そうでなければ、ここにこうして結像している事ができない
だからこそリッヒは、ネイドの霊の力を至宝書の権能によって解析し、ネイドの情報を逆行して本体そのものを破壊する攻撃を繰り出していた
「そんな、嫌だ、死にたくない……・っ」
崩壊していく身体を見ながら顔を引き攣らせるネイドは、皮肉にも心を持っているが故に感じる死の恐怖に苛まれながら、最期の時を迎える
「た、助けて、ジェイドさ……」
自身を構成する情報の全てを完全に破壊され、破壊の光の中に消失していくネイドを見送りながら、リッヒは複製を解除する
「……ふぅ」
小さく息を吐き出したリッヒは、乱れた呼吸を抑え込みながら、自嘲じみた笑みを浮かべる
「……複製は本来、もう一つの至宝と併用して使うもの。さすがに至宝書だけで、これだけの複製を作ってしまうと私の気も底をついてしまいますね」
至宝書の複製は、自身の気を注ぎこんで複製する技術。数を増やせばふやすほど自身の気の力を大きく消耗していまうという致命的な欠点を兼ね備えている。
本来はその欠点を補うための至宝と併用するものなのだが、それを持ち合わせていない状態でその権能を行使したリッヒは、既にこれ以上戦うだけの気は残されていなかった
「少し気を回復させないと、足手まといになってしまいますね……あとは頼みましたよ――人間界王様」
肩で呼吸を繰り返しながら、リッヒは敵の首領であろうジェイド・グランヴィアと城内で相対している父――人間界王「ゼル・アルテア・ハーヴィン」に届くはずの無い視線と声を向けた
その頃、人間界王都を空間隔離に閉ざした張本人である、悪魔・茉莉は、クロスと紫怨の二人に相対していた
「――紫怨」
元々実力ではこの場にいる全霊命の中で群を抜いて最強の茉莉にとって、クロスと紫怨の二人を同時に相手にして勝利する事はそこまで難しい事ではない。
しかしそれが出来ないのは、茉莉にとって紫怨がかつて――否、今も変わらずに愛し続けているたった一人の最愛の人だからだ
「茉莉、俺と来い」
「な……!?」
最愛の人と刃を交える事を嫌い、最強の実力も全く振るう事が出来ずにいた茉莉は、不意に紫怨から向けられた穏やかな声音に小さく目を見開く
「いや、違うな……何を今さら、見当違いな恰好つけようとしてるんだか」
そんな茉莉の様子を見た紫怨は、一度目を伏せると自嘲の笑みで自分自身を嘲ると、軽く頭を横に振ってから真っ直ぐな目で今まさに対峙している愛する女性に言葉を向ける
「茉莉、もう一度俺の傍にいてくれないか?」
「――っ!」
強い決意と意志を宿して向けられた紫怨の言葉に、茉莉は思わず息を呑んだ