心の在処
――いつの頃からだろうか。自身の存在に違和感を覚え始めたのは。
作られた機械仕掛けの身体、紛い物の命。けれども、そこに宿るのはきっと本物の心。少なくともリューネリアにとって、その心も魂も本物だと肯定してくれる人が傍にいた
「申し訳ありません」
「……なんだよ、唐突に?」
それは、今から遥か昔、リューネリアとディートハルトが二人で過ごしていた時の記憶。
人間界のとある街に滞在していた二人が、街の一角でくつろいで居た時、なんの脈絡もなく、突如リューネリアの口から紡がれた謝罪の言葉に、ディートハルトはすでに見慣れたその無機質な表情を見ながら目を丸くする
「私が魔道人形で」
「……ああ、そういう事か。お前が気に病む事じゃないだろ?」
リューネリアがゆっくりと動かした視線の先には、無邪気に遊ぶ子供たちの姿がある。
多夫多妻制をしいている人間界では、血の繋がりよりも心の繋がりを大切にする傾向がある。加えて生活の全てを世界と機械が運行してしまっているために、労働に従事している人間は全人口の一パーセントを割り込んでおり、公共施設や公共の乗り物の料金は全て無償になっている。
人が働く必要がないほど発展したこの世界では、ある一定年齢に達すれば、人間界が運営している集合住宅の一室を一人一室借り受けてそこで暮らす事ができる。
子供の内は親と暮らす事が多いのだが、多夫多妻制という社会体系の特性上、血縁に対する意識が低い人間界の社会では、子供は大人が育てるものという意識が根強く、社会全体で子供達を育てていると言えるため、全ての子供たちはまるで兄弟のように過ごし、時には名も知らないような子供が家に泊りに来る。そんな事が日常茶飯事だった
「ディートハルト様は、そんななりをしている割に、意外と家庭的で子供好きですからね」
「……意外とは失礼な」
さらりと言い放ったリューネリアの容赦ない言葉に、ディートハルトは不満げに唇を尖らせる
「私が人間だったら、あなたとの間に子供を生んで差し上げられるのですが」
「別に、子供にこだわる事もないだろ。俺にとって大切なのはお前自身なんだから、人間だろうと魔道人形だろうと同じ事だよ」
魔道人形である以上、子供を生む事が出来ない身体であるリューネリアが、無機質な中にも申し訳なさそうな色を滲ませた表情を浮かべているのを見て、ディートハルトはわざとらしく肩を竦めてみせる
「ありがとうございます……ですが、できる事なら……」
ディートハルトの言葉に、どこか寂しげな笑みを浮かべたリューネリアは、無邪気に戯れる子供たちに視線を送り、静かに目を伏せる
「リューネリア?」
後半の言葉を小さな声で囁いたため、聞き取れなかったディートハルトは、隣に座っているリューネリアに視線を向ける
「――いえ、何でもありません」
そんなディートハルトの言葉に、リューネリアはいつも通りの無機質な表情で淡々と答えた
人間界の王族と七大貴族の猛者達と、悪意に毒された十世界の軍勢。二つの勢力が争いを激化させている中で、対峙している二つの影があった
「ゼェ、ゼェ……」
その内の一つ、悪意に毒された鎧に身を包んだ男――ディートハルトは、鎧の下で荒い呼吸を整えながら、自身の眼前にほとんど無傷のまま立っている男を見る
「まったく、強ぇな……さすがは人間界軍総指令様だ」
身の丈に匹敵する大剣を携えた男――人間界軍総指令「ガイハルト・ハーヴィン」を見たディートハルトは、悪意に染まった鎧の下で小さな声で独白する
十世界に所属する異端神、最強の異端神「円卓の神座」の№2と呼ばれ、この人間界の支配者たる「人間」の創造主でもある神、「光魔神」と同格の力を持つ「反逆神」。
その力に列なるユニット「悪意を振り撒くもの」の一人、「セウ・イーク」の「愚者の行軍」によって、強さに反逆する力を得たディートハルトは、人間界王族と同等以上の力を有している
しかし、人間の神が残した最強の力、十二至宝の一つである「至宝旗・クラウセイス」の権能によってその能力を引き上げられたガイハルトのそれは、悪意の洗礼を受けたディートハルトを凌駕するものだった
(単純な力の強さだけじゃなく、それを活かしきる技術も相当なもんだ……ちょっとヤベェかな)
生来の圧倒的な力と才に驕ることなく自身を高めたガイハルトの強さに、ディートハルトは悪意に毒された鎧の下で自嘲じみた笑みを浮かべる
(――つっても、俺もここで死ぬわけにもいかないからな)
ディートハルトは、相手の強さが分からない程抜けてはいない。これ以上自分がガイハルトと戦っても勝ち目はなく、奇跡が起これば相討ち程度にまで持ち込めるかも知れないという事は分かり切っている。
それでも、ディートハルトはその戦意を微塵も殺がれる事無く、ガイハルトに敵意を放ちながら手にした槍を構える
その瞬間ディートハルトの脳裏には、十世界に協力する前にリューネリアと交わした言葉が甦っていた
「ディートハルト様、一つお願いがあります」
「……珍しいな、お前がお願いなんて」
記憶にある中では、初めて自分から何かをお願いしてきたリューネリアに、ディートハルトはわざとらしく驚いて見せる
そんなディートハルトの意図を理解しつつも、それを受け流すのにも慣れているリューネリアはまるでそんな事には関心がないとばかりに、普段通りの無機質な表情と声音で用件を切り出す
「……欲しいものがあります」
「欲しいもの?」
「はい。それは――」
普段自分から何かを欲しがる事のないリューネリアからおねだりされたのだ。珍しい事だったのだから、ディートハルトは多少の無理をしてでもそれをプレゼントしようと考えていた
「――お前、それ本気で言ってるのか?」
しかし、そのディートハルトの考えは、リューネリアの口からが続けられた言葉に一瞬にしてかき消されることになる
「はい、こんな話を冗談でするほど、私もおめでたい思考はしておりませんので」
驚愕の表情を浮かべているディートハルトの目をまっすぐに見つめるリューネリアは、その仮面のように見える無機質な表情に、いつになく真剣な思いを込めた眼差しで見つめる
一見無機質で無感情に見える立ち振る舞いを見せるリューネリアだが、本当はとても繊細で感受性豊かな人物なのだという事を、つきあいの長いディートハルトは十分に承知している。そして、一度こうと決めたら、滅多な事ではその道を譲らない事も。
「けどな……」
それでもディートハルトは、リューネリアの願いを肯定する事が難しかった。
リューネリアが提案してきたのは、十世界に協力して人間界王城襲撃作戦に参加し、その対価として人間界王城の禁書庫に保存されている人格を別の身体に埋め込む禁忌の技術を得る事だった
「ディートハルト様なら、反対されるとは思っておりました。ですが私は、出来る事ならば……万に一つの可能性でもあるのならば、人間になりたいのです」
「お前が魔道人形であろうと人間であろうと、お前への気持ちが変わる訳じゃない!」
リューネリアの言葉に、ディートハルトはわずかに語気を荒げる
リューネリアが魔道人形である自分に複雑な感情を抱いていた事は、ディートハルトも承知していた。しかし、それで気持ちが変わるわけではないと考えていたディートハルトは、リューネリアが自分の想像以上に思いつめていた事に驚きを禁じ得なかった
人と魔道人形。命ある者と、造られた命。しかし、同じように持っている心。近いようで遠く、遠いようで近い――そんな自分達の関係に、ディートハルトは困惑を隠しきれなかった
そんなディートハルトを前にしたリューネリアも本当は分かっている。こんな事をしてまで、自分の願いが叶えられていいはずがない。こんな想いで想い人を戦わせても本末転倒でしかない
「分かっています。でも……それでも私は――」
頭では分かっている。人間のそれよりもはるかに優れた頭脳もそれを肯定している。
しかし、完全な合理性と効率性をもつ機械仕掛けの身体とは裏腹に、リューネリアに与えられた人間のそれとなんら遜色のない心が、それを割り切る事を否としていた
私はニンゲンになりたいのです
「これ以上戦っても無駄だというのが分かるだろう? 諦めて降伏しろ」
過去の記憶に意識を沈めていたディートハルトは、抑制されたガイハルトの声でその意識を現実世界に回帰させ、悪意の鎧の下で自嘲交じりの笑みを浮かべる
結局、ディートハルトはリューネリアの願いを聞き入れた。
しかし、本当は止めるべきだったのだと頭では分かっている。それでも、人と魔道人形の関係に葛藤するリューネリアの事を思うと、ディートハルトはそのたった一つの切ない願いを拒絶しきる事が出来なかった
(俺も甘いよな……でもやっぱ、惚れた女の一生に一度の願いくらいは、叶えてやりたいもんだ)
心あるが故に間違いを犯す。想いがあるが故に道を踏み外す。――人に作られた魂でありながら、人と同じ矛盾を抱えた心で懇願する世界で何よりも大切な人の言葉を受け入れてしまった自分の正しさと過ちに笑みを浮かべたディートハルトは、その身体に纏った悪意の鎧の力を解放し、己を睥睨しているガイハルトにその手に持った槍の切っ先を向ける
「――ハッ、誰が! これからが楽しくなるところだろうが!!」
「皮肉なものですね」
隔離された人間界王都外縁の上空に、光が放射線状に広がり、まるで龍を思わせる不規則な軌道を描きながら、天空を舞う四人の魔道人形の侍女達に襲いかかる
「……っ!」
悪意の力で物理を超えた破壊力を有するその閃光を空を縦横無尽に飛び回って回避し、時には障壁を使って阻むロンディーネ、ミネルヴァ、ヴァローナ、パセルの四人の魔道人形達に、悪意の鎧を纏ったリューネリアの抑揚のない言葉が向けられる
「願いや想い――そういった『心』が、過ちを生む。例え私がしている事が法や倫理、摂理において間違っているとしても、私の心にとっては正しい事なのです」
リューネリアの淡々とした言葉に、天を翔ける魔道人形達は目を細める
リューネリアの言葉はある意味で真理だ。魔道人形がただの機械ならば、命令された通り事しかしないのだから、過ちなど犯すはずがない。しかし、機械でできたその身体が、自分達が人間ではない事を如実に表している。
機械ほど忠実な訳ではなく、かといって人間のようには生きる事が出来る訳ではない。人でもなく、機械でもない矛盾した存在。――それが、魔道人形という存在を端的に表現する言葉なのかも知れない
「……そうですね、ですが、過ちを犯せるという事こそが、私達が本当に自由な心を持っている証明なのかもしれません」
リューネリアの放った光の雨をかいくぐりながら答えたヴァローナの言葉に、仮想の刃で光の雨を砕きながら飛翔するロンディーネが静かな声音で同意を示す
「それが、生きているという事なのでしょうね」
「……生きて、ですか」
その言葉に、リューネリアは淡々とした言葉でそれを反芻し、水晶のように透き通った瞳に眼下を飛び回す魔道人形達を映す
「ならば、私はそれを貫かせていただきます」
「それならば、私達はそれを阻止して見せましょう」
リューネリアの言葉にミネルヴァが続き、それに他の三人の魔道人形の侍女達が続く
同時にリューネリアから、悪意に毒された操作系武装が放出され、縦横無尽な軌道を描きながら天を翔け、ロンディーネ達に容赦なく襲いかかる
「パセル!!」
「はい、先輩!」
閃光のような速さで天空を飛翔してくるリューネリアの操作系武装を見たヴァローナの声に応じたパセルは、その手に仮想の剣を召喚し、自身の周囲に仮想の砲塔を顕現成せて縦横無尽に天を翔ける悪意の翼を追撃する
霊の力によって情報を構築して現界した仮想の刃と砲塔。情報が現実として世界に顕現した武器を携え、同様に仮想の翼で天を飛翔するヴァローナとパセルは、天を翔ける操作系武装を迎撃し、次々に撃ち落としていく
いかに悪意の洗練によって強化されているとはいえ、それを操っているのはリューネリアの思念。魔道人形である分、普通の人間よりははるかに性能を発揮している操作系武装もそれに的を絞れば、今のヴァローナやパセルになら容易に破壊する事ができる
「……!」
しかし、リューネリアもそれを指を咥えてただ見ているだけではない。天を飛翔するヴァローナとパセルの二人に照準を合わせ、その身に纏わせた巨大な砲塔の銃口を向ける
「させません!!」
リューネリアが操作系武装を撃墜されるのを拒んだように、ロンディーネもヴァローナやパセルが破壊される様を見物するような事はない。
仮想の刃を召喚して向かってきたロンディーネを確認したリューネリアは、反射的に自身を守護する障壁を展開してその攻撃を阻む
「……っ!」
悪意の簒奪の加護によって強化されたリューネリアの障壁は、至宝旗の加護によって強化されたロンディーネの力を上回っており、仮想の刃は仮想の盾のよって相殺され、その霊的情報構築を欠損して破損する
「なぜですか……?」
間髪いれずにリューネリアの鎧から放たれた破壊の閃光を回避しながら距離を取ったロンディーネは、再度仮想の刃を展開し、それに伴って自身の周囲に無数の仮想砲塔を召喚する
「……?」
自身の周囲に展開させた仮想砲塔から破壊のエネルギー砲を放ったロンディーネは、それが障壁と移動、そして巨大な仮想剣によって粉砕されるのを見ながら、怪訝そうに目を細めているリューネリアに肉迫する
「人間になる事だけが、愛する人と過ごす手段ではないでしょう?」
「そうですね。ですが、人間になるのも、愛する人と過ごす手段です」
ロンディーネの言葉に無機質な表情を以って返したリューネリアは、両手の装甲から伸びる巨大な仮想剣を、さらに巨大なそれに変えて薙ぎ払う
「……っ!」
巨大な刃の一撃を紙一重で回避したロンディーネは、離れ際にその掌から仮想のエネルギー砲を放ってリューネリアを牽制する
魔道人形には心がある。確かにその機械仕掛けの身体は人間のそれと違い、新たな命を育む事こそ出来ないが、愛し合う事は出来る。人間と同じでなくとも確かに想いを通じあわせる事ができるのだから、人である事に――人になる事にこだわる理由は無い。
しかしそれでは満足できない自分がいた。欲深い事を分かっていながら、それでも機械の身体に宿った歪な人の――女の心が、今以上の者を求めてやまなかった。
「ディートハルト様は、自分が魔道人形である事など気にしないと言ってくれました。ならば私が人間であってもいいはずです。
ディートハルト様が私が持つ特別な力が欲しいのではないのなら、私もこの身体に宿った力は求めない。ただ私と彼の幸せだけを求める――そう、願ったのです」
抑揚のない声に慟哭を乗せて、リューネリアが使役する砲塔が火を吹く
「この戦いでどちらかが命を落としたとしてもですか!?」
その砲撃を回避しながら、ロンディーネが声を上げる
――そう、これは命をかけた本当の戦い。どちらか、あるいは両方が命を落とす事も十分にあり得る。リューネリアがそれを分かっていないはずがない
「……死なせません、ディートハルト様だけは。例えどんな手段を用いてでも」
仮想の巨大刃でロンディーネを追撃し、砲撃の雨と操作系武装によって、ヴァローナとパセルの動きを封じる
《――駄目な女ですよね、私は》
《どうした、急に?》
《私は、私の我儘のためにあなたを死地に送り込もうとしています……あなたと共に生きる事を望む私が、あなたに死の危険を背負わせるなんて、なんとも滑稽な話です》
四人の同胞たちを戦いを繰り広げるリューネリアの脳裏によぎるのは、この戦いに参加する前にディートハルトと交わした言葉。
この戦いに参加する事をディートハルトが許諾してくれてから、それを考えなかった時は無い。戦いの中でディートハルトを失ってしまうくらいなら、今のままでもいい。自分の勝手でこの道に引きずり込んでおきながら、リューネリアは最愛の人を失うかも知れない恐怖に、その無機質に見える佇まいの下で身を震わせていた
もしかしたら、自分はディートハルトに己の愚かな考えを否定し、こうなる事を止めて欲しかったのかもしれない。――言葉には出せずとも、そんな考えがふとリューネリアの脳裏をよぎる
《もしこの戦いで俺が死んだら――俺をお前と同じにしてくれるか?》
《ディートハルト様……》
しかしその時、リューネリアの耳に届いたのはディートハルトの優しい声。
その言葉に驚愕を以って目を瞠るリューネリアを見て苦笑して見せたディートハルトは、再度優しく微笑んでそっと人間と変わらない触感と温もりを持つ魔道人形の恋人の肩に手を置く
《そしたら魔道人形同士だ。そうやって同じになって二人で暮らそう。お前が俺のために人間になりたいって思ってくれてるように、俺もお前と一緒にいるためなら人間なんていつでもやめるさ》
ディートハルトの優しい言葉に、罪悪感がリューネリアの胸を抉る
《違います。私はあなたのために人間になりたい訳ではありません……私は愚かにも私のために人間になりたいと思っているのです》
ディートハルトの言葉に、魔道人形である自分を肯定し、愛してくれた人の想いを振り切った事を本当は後ろめたく感じていた自分を抑えきれず、リューネリアが声を上げる
《……いつか、俺は死んじまうからな》
《――っ!》
しかし、次いで向けられたディートハルトの言葉に、リューネリアは絶句し言葉を失う
《なんだよ、俺が気づいていないって思ってたのか? 俺はそこそこ強いほうだけど、貴族じゃない。人間っていうのはいつか朽ちて死ぬ。けど、お前は俺が死んでも今のままだ……なら、一緒に生きて、一緒に死にたいだろ?》
そう言って子供のような笑みを向けてくるディートハルトに、リューネリアの頬を一筋の涙が伝う
魔道人形は、失敗作ではあっても、魔法による永久機関を搭載した生体機械。その寿命はほぼ無限に等しい。
対して強大な界能――「気」の力で老いを弱められるとはいえ、人間はいつか老いて死ぬ存在。それなりに腕が立つディートハルトでも、その寿命は億には届かないだろう。
――そう。リューネリアが何よりも恐れ、何よりも人間になりたかった本当の理由は、愛を知ってしまた自分の心と体がそれを失う事を何よりも恐れたからだとリューネリアは自覚していた。
先立たれてしまうくらいなら、同じ人間になって同じように老いて死にたい。仮にどちらかが死んでしまっても、同じ人間同士ならきっと死後同じ場所で会える――そんな想いが突き動かしたからこそ、リューネリアはこの道を選んだ
《……約束ですよ》
《あぁ、約束だ。俺達は二人で一人……ずっと一緒にいよう》
(私は……!)
「傲慢にも程がありますね」
「――っ!」
戦いの前に交わした言葉を脳内で再生し、共に暮らしている姿を幻視しているリューネリアを、ミネルヴァの淡々とした声で紡がれる言葉が現実に引き戻す
リューネリアを呼びとめたミネルヴァが手を天に掲げると、その上空の空間が揺らぎ、そこから金色の装甲と宝玉による装飾を施された銀色の輪が出現する
「傲慢……私がですか?」
「ええ」
静かなリューネリアの言葉に簡潔に応えたミネルヴァの言葉に応えるように、その天空に出現した輪が、周囲の物質を収束して還元し、その円の内側に収束させていく
「人間であれ魔道人形であれ、望んで生まれてくる者など誰一人としていません。それでも誰もがそれを受け入れ、生きているこの世界の中で、いくら望まないものであったとしても自分という存在を望んで捨てるなど、何様のつもりですか」
「――っ!」
(原始霊素……!)
ミネルヴァが召喚した輪の正体は、物質の堕格反応を還元し、物質を構成する界能――原始霊素を抽出する兵器。人間界でも屈指の破壊力を持つ兵装を展開したミネルヴァは、その照準を悪意の鎧を纏っているリューネリアに向ける
その視線を受けたリューネリアは、自分の周囲を囲んでいるロンディーネ、ヴァローナ、パセルの三人の魔道人形の侍女達を一瞥し、その意図を理解して目を細める
「……」
(なるほど……回避をさせないつもりですね)
いかに原始霊素の力が強大であろうと、回避されてしまえば意味がない。
先程までの時間を、この力を行使するまでの発動時間と想定するならば、一発目を回避すれば二発目を使うまでにかなりの時間を稼げるであろう事は想像に難くない。――だからこその時間稼ぎと回避妨害と考えれば合点がいく
「――発射!!!」
天に掲げた手を軽く振り下ろすのと同時に、天空に浮かんだリングから、極大の破壊波動がリューネリアに向けて放出される
「私を甘く見ない事です!!」
まるで太陽が落下してきたのではないかと錯覚するほどに巨大な、視界を埋め尽くす物質から抽出された霊の力による破壊光の閃光を前にしたリューネリアは、怯む事無く自身に纏った悪意の鎧の力を解放する
無数の障壁が重複して出現し、仮想の盾を作り出すのと同時に、戦闘に回していた操作系武装の全てを使って防御用の障壁を構築、さらには自身を悪意に毒された鎧の翼で包み込んで完全防御の姿勢を取る
それと同時に天空から降り注いた破壊の極光がリューネリアを直撃し、無慈悲なまでの破壊の力が隔離された人間界王都外縁の天空に、巨大な太陽を作り出す
単体ですら強力な原始霊素の力は、さらに至宝旗の加護を受ける事でその破壊力を増大し、その圧倒的な破壊力の余波は世界を震わせながら天と地の戦場を一気に薙ぎ払っていく
「――っ」
原始霊素の破壊の衝撃を、障壁で防御しながら、四人の魔道人形の侍女達は、その爆心地へと視線を向ける
物質から抽出された界能である原始霊素に、至宝旗の加護が加えられた一撃の威力はまさに絶大。見渡す限りの大地を世界から消滅させるほどの破壊力を持ったその一撃は、いかに悪意の鎧で強化しているリューネリアとはいえど、ただでは済まないのは間違いない
「っ――!!」
ミネルヴァの一撃によって生じた天地開闢の如き力の渦の中を、自身に備わった知覚機能を総動員して注視していた四人の魔道人形達は、その力の中に佇んでいる一つの存在を感知する
「残念でしたね」
何重にも重ねた障壁と操作系武装による障壁、そして悪意の装甲による防御によって、破壊の閃光を凌ぎきったリューネリアは、防御態勢を解いて渾身の一撃を放ったミネルヴァに勝利を確信した笑みを向ける
先ほどのミネルヴァの一撃は、この場にいる四人の魔道人形達が持つ最大最強の攻撃。リューネリアの見立てでは、これを凌ぎきれば自分の勝利がより確実なものになる
「……いえ、狙い通りです」
「!?」
しかし、その目論見はミネルヴァの静かな微笑によって打ち砕かれる
「転移時空門!!!」
リューネリアが行動を起こし、言葉を紡ぐよりも速くミネルヴァの鋭い声が空気を切り裂く
そしてそれを合図にリューネリアの胸部に魔法陣を思わせる紋様が浮かび上がると、ミネルヴァは通信回線を開き、抑制の利いた言葉を紡ぎ上げる
「レイヴァー様、願います!!」
「――っ!」
それと同時に、リューネリアが目を見開く。
異なる世界同士をつなぐ世界門、そして人間界城内にも設置されていた転移装置。――空間を直結し、移動に用いる技術は人間界ではそれなりに普及している技術だ。
そして、人間界城に仕える魔道人形を束ねる存在の一人であるリューネリアは、その空間制御能力に極めて特化している。
転移時空門とは、同一世界内の特定の空間と空間を繋ぐ門であり、性質としては転移装置に近い。しかし、その二つが決定的に違うのは、転移装置は別の転移装置と繋がっているのに対し、転移時空門は使用者が繋げる空間を指定し、限定する事ができる事にある
ミネルヴァが作り出した転移時空門は二つ。一つはリューネリアの前方。そしてもう一つは、遥か彼方で悪意の鎧を纏ったメリッサと戦っている、かつて王の姓を冠していた最強の七大貴族「レイヴァー・ブレイゼル」の手元だった。
「しまっ……」
(先ほどの原始霊素による攻撃は、転移時空門を遣うために、私の動きを止めるための囮! そして、それまでの空白の時間はレイヴァーとの打ち合わせの時間を稼いでいた……!)
ここに来てミネルヴァの目論見を理解したリューネリアが目を見開く。
転移時空門の最大の欠点は、空間の座標指定が困難な事にある。超高速で動き回りながら戦っていては、いくらミネルヴァとはいえ、リューネリアに照準を合わせるのは不可能に近い。
だからこそ、ロンディーネ達、三人の仲間の力を借りてリューネリアの動きを制限し、その上で原始霊素の攻撃を放つ事によって、その動きを止め、正確な空間座標を把握するための時間を稼いでいたのだ。
そしてそれと同時に、リューネリアの胸の前に出現した転移時空門と繋がる、対となった門は、思念通話を用いてあらかじめブレイゼルと決めておいた座標に顕現させる
メリッサを捌きながら、意図的にその空間座標の近くで待機していたブレイゼルは、突如出現した空間同士をつなぐ紋章を見て目を細める
「……来たか」
「――!?」
突如現れた転移時空門に、悪意に毒された鎧の下で困惑の表情を浮かべたメリッサの視線の先で、ブレイゼルは装霊機の力で別の空間に収納していた一本の槍を顕現させる
この作戦において最も大切なのは「時間」。転移時空門を固定し、二つの空間を繋いでも、その出入り口は固定されているのだから、リューネリアに回避されては意味がない。リューネリアが反応するよりも速く、空間の扉が開いて繋がったその一瞬を狙いすます必要がある
しかしそこはこの世界でたった一人、王族と同等の力を持つ七大貴族の長、「レイヴァー・ブレイゼル」。事前にミネルヴァから思念通信によって作戦を伝えられ、タイミングを見計らっていたために、時空を繋ぐ魔法陣の出現と同時に行動を起こしていた
元々が複数の武器を状況に応じて使い分ける戦闘スタイル。だからこそブレイゼルは自分専用の武器を複数種、複数個保有している。
悪意の鎧を纏ったメリッサを剣の一撃によって弾き飛ばしたブレイゼルは、同時に自身の装霊機から一本の槍を取り出し、それに気を纏わせて力の限りに時空の門に向って投げ込む
「はあっ!!」
いかに空間同士を繋いでいようと、世界に作用する霊の力を用いた攻撃は、その空間の門の作用を無視する力を有しているため、それを破壊してしまうだけの力を持っている。
しかし、ブレイゼルの意志で「空間の門をくぐらせる」という概念を宿した槍は、ミネルヴァが作り出した空間を繋ぐ扉を問題なく通り抜け、その反対側――出口として設定されたもう一つの転移時空門からその姿を現す
「――っ」
ミネルヴァによって異なる空間同士を繋げる転移時空門が形作られ、リューネリアがそれの正体と意味を理解したのと同時に、その身体を鈍く鋭い衝撃が走り抜ける
「……っ」
身体を貫く鈍い衝撃に目を瞠ったリューネリアがゆっくりと視線を下にずらすと、自分の胸を貫通している槍が目に入る
「――っ! ……」
王族と同等の力を持つブレイゼルの放った槍の一撃は、ミネルヴァによって作られた空間の道を通り抜け、その圧倒的破壊力を以って、リューネリアが纏っている悪意に毒された鎧を容易く撃ち抜き、その胸を貫いていた。
「……悪意の力で強化されたあなたの外装と身体を、私達の攻撃で破壊するのは極めて困難です――だから、確実にあなたを一撃で仕留める手段を取らせていただきました」
この世界で限られた数しか存在しない同胞の最期に、憐憫の情の籠った視線と声音でミネルヴァが静かに声をかける
ミネルヴァは理解していた。仮に原始霊素の力を用いた所で、悪意の加護により王族のそれに匹敵する力をえたリューネリアを殺す事は自分達には極めて困難な事だと。
四対一で囲んでいた今の状況を鑑みれば、決して不可能だとは言わない。だが、仮に勝利できたとしてもかなりの時間を消費するのは目に見えていた。
しかし時間をかければかけるほど、戦況は不利になっていく。だからこそミネルヴァは、確実に勝利するために、たまたま近くで戦闘を繰り広げていたレイヴァー・ブレイゼルの力を借りる事にしたのだ
「…………」
悲しみを押し殺したミネルヴァの言葉に、リューネリアは沈黙を以って答え、自身の最期を理解してそっとその目を伏せる
いかにその身体が機械で作られているとはいえ、魔道人形も不死身ではない。その身体を機能させる永久動力炉、そして人の手によって作られた魂と心は、「核」という機官としてその胸の中央に安置されている。
つまり、そこを破壊されてしまえば、魔道人形は本当の意味で「死」を迎える事になる。「リューネリア」という魂と人格は破壊され、仮に身体を復元してもその魂と心は二度と再生する事は無い
(申し訳、ありません……ディートハルト様)
自分の我儘で戦いに巻き込み、願いをかなえる事も約束を果たす事も出来ずに先に命を終わらせる自分の愚かさと不甲斐なさを呪いながら、リューネリアは最愛の人へと想いを馳せる
それと同時に、胸の中心――その命の源である「核」をブレイゼルの槍によって貫かれたリューネリアの身体からは力が抜け、その身体を天に留めていた仮想の翼が消失し、その身体が地面に吸い寄せられるように落下していく
しかし、その身体はすぐに周囲を取り囲んでいた同胞の一人――ロンディーネの手によって優しく受け止められる
「……!」
自分を優しく抱き止めた相手を、既にほとんど視力が失われてしまった目で見つめるリューネリアに、その身体を受け止めたロンディーネが優しい声で悲しく語りかける
「あなたの気持ちは、私たちには痛いほど分かります。私達もあなたと同じ。――だからこそ、一度はあなたと同じ悩みを抱いた事があります」
ロンディーネも機械の身体と作り物の魂。そして作り物ではない心の矛盾に苦しんだ事がある。――否、無霊命と呼ばれる人の手によって作り出された、「本物の命を持つ作り物」達ならば、必ず……あるいは、いつかは直面する問題。
だからこそ、ロンディーネもミネルヴァも、ここにいる誰もがリューネリアの気持ちを自分の事のように理解する事ができる
「……それでも」
しかし、リューネリアの心が痛いほど分かっていても――否、分かっているからこそ、ヴァローナは悲愴な感情を押し殺してその言葉を否定する
「それでも私達は、心があるが故に、時に心を否定し、押し殺さねばならないのです」
心がある事で、心に背かねばならない矛盾を説くヴァローナの言葉に、リューネリアは薄れゆく意識の中で静かに目を細める
心を持つという事は、心を否定する事ができるということ。求める事を求めないこと。――頭では分かっている事を心が否定するように、心あるものは心あるが故に、無機質な機械では抱き得ない矛盾を抱え、それに葛藤する定めを背負っていると言っても過言ではない。
罪を犯し、過ちを犯してしまう事が心によるならば、心とは完全を妨げるものであり、悩みや苦しみをも生み出す愛おしい不完全の因子なのかもしれない
人間のそれとは違っても、知覚能力を有する魔道人形は、霊の力を感知する事でその強さなどを計る事ができる。
腕の中にいるリューネリアの命の灯火が今にも消えそうになっているのを知覚したロンディーネは、一度唇を引き結んでから、腕の中で死を待つだけになった同胞に優しく微笑みかける
「ですが、心あるが故に人を愛し、その想いのままに正しく行動し、そして過ちを犯したあなたは、誰よりも――誰よりも人間らしかったと思います」
ロンディーネの言葉に、その腕の中に抱きしめられているリューネリアの無機質な口元が微かに笑みを浮かべる形に変わる
「……安い同情ですね」
同じ魔道人形である以上、リューネリアの事はロンディーネにとって、決して他人事ではない。
ロンディーネにとって、今のリューネリアの姿は、いつかの自分に重なり、もしもの自分の姿だと分かってしまう。何かが違えば自分がこうなっていたかもしれない――そう考えると、ロンディーネは、たとえ安い同情であっても、何か救いのある言葉を残さずにはいられなかった
「ありがとうございました」
そんなロンディーネの思いを汲み取って、リューネリアは最期にその腕の中で小さく微笑み、普段の無機質な表情とは違う、どこか安らかな顔でゆっくりと息を引き取る
(ディートハルト様……)
最愛の人を残して逝く事だけを未練に感じながら、眠るように息を引き取ったリューネリアを四人の同胞達が優しく見送っていた
戦嵐吹き荒れる戦場の中、そこだけがまるで戦場ではなくなってしまったような静寂に抱かれ、悪意の鎧に身を包んだディートハルトは、地面に倒れたまま戦火の花咲く天空を見上げていた
「殺してしまわれたのですか?」
無言のまま佇み、戦場に横たわるディートハルトを見下ろしている人間界軍総指令「ガイハルト・ハーヴィン」に、七大貴族の一人、天宗檀が静かに声をかける
戦場に横たわるディートハルトからは、その魂にして、命――存在そのものである霊の力が完全に消失してしまっていた。それは、今眼前に横たわっているのが、命なき人の屍である事の証明に等しい
「ああ、命尽き果てるまで己の限界を超えて戦い続けたのだ……敵ながら見事としか言えないな」
檀の言葉を受け、ガイハルト・ハーヴィンは心からの称賛を物言わぬ屍となったディートハルトに向ける
悪意の鎧の性能を得ていても圧倒的な実力差があったにも関わらず、悪意に身を包んだ槍使いの男――ディートハルトはガイハルト・ハーヴィンに挑み続けた。
己の命の力を限界まで振り絞り、その力がガイハルトに届かないとしても、まるで何かに取りつかれたように戦い続け、命がが燃え尽きるまでガイハルトの前に立ち続けた
防衛本能があり、本能的に生きようとする命あるものは、その命が燃え尽きるまで界能の力を行使する事はできない。――たとえ王族と呼ばれる者でさえも。
だからこそ、ガイハルトにとって眼前に横たわる男――ディートハルトが肉体と魂の限界を超えて戦ったという事実は、愚かしく感じられながらも、心からの畏敬の念を抱かずにはいられないものだった
(この男とは、出来れば味方として出会っていたかったな)
命を燃やしつくして戦えるほどの信念を持って戦場に立ち、散っていったディートハルトに愛悼の念の籠った視線を送ったガイハルトは、そんな男と仲間でなかった事を悔みながらその身を翻す
「……いくぞ、まだ戦いは終わっていない」
「はい」
ガイハルトの言葉に応じ、檀もその身を優美に翻す
「せめて名前を聞いておくべきだったな」
名前を聞く事無くこの世を去ってしまったディートハルトに背を向けたまま小さく呟いたガイハルトは、戦火に身を投じるためにその場から姿を消す
戦場に取り残された、戦火に晒されるディートハルトの屍は、誰にもその本当の心を見せる事無く、永遠の沈黙に支配されていた