解答と回答
空間によって隔離されていない人間界王城。その中にある宝物庫中で、神庭騎士・シルヴィア、戦兵・ジュダの二人の全霊命が、刹那すら存在しえない神速の速さで、全てを超越した戦闘を繰り広げていた。
互いに最強の異端神、円卓の神座に属する神に列なるユニット。光と闇、表と裏、善と悪のように互いに対となる神を主として持つ二人の力はまさに正反対。守護を司るシルヴィアの「守護」の力に対し、ジュダの力は全てを破壊する「戦」。
相反する二つの神能が、世界すらも破壊するほどの力を纏って、純然たる殺意と破壊の意志と共にぶつかり合う
「――……っ」
ハルバートとシリンダーを備えた剣の刃がせめぎ合い、相反する二つの力が互いを相殺し合いながら力の火花を散らす
「……少し時間をかけすぎたな」
刃を合わせた状態で、ジュダがまるで白眼をむいているような瞳の無い目をわずかに細めて忌々しげに呟く。
ジュダの知覚が捉えたのは今戦っているこの場所――宝物庫へと向かってくる界能の軍勢。それが意味するのは、人間界城に残されていた戦力が集結しつつあるという事だ
二人が接触し、戦闘を始めてから経過した時間は数分にも満たない。無論、世界最強の力である神能が城内で暴れ回っていれば、気づかれないはずはないのだが、元々神器神眼を手に入れてすぐさま退散する予定だったジュダ達にとって、人間界と事を構えるのは想定外の出来事なのだ
「では、どうしますか? 撤退するなら、これ以上深追いをするつもりはないわよ」
そんな考えを見通し、わずかに焦燥を浮かべているジュダへシルヴィアは、勝ち誇った微笑と共に問いかける
「……生憎だが、そうはいかないな」
シルヴィアの言葉に、ジュダが殺意を抑制した静かな声で応じるのと同時、ジュダの持つ剣――ジュダ自身の神能が戦闘の形としてこの世界に顕現した武器「爆雷天槌」に備えられた銃のシリンダーのような機構が音を立てて回転する
「っ!!」
その瞬間、小さく目を見開いたシルヴィアが神速でその場を離れると同時、先程まで守護の眷属たる戦乙女がいた空間を破壊の力が爆撃によって蹂躙する。
戦争を司る神の眷属である戦兵の戦闘力は絶大。対して守護を司る神の眷属である神庭騎士は護りに秀でている。
世界を灼き尽くさんばかりのジュダの破壊の洗礼から、抜け出したシルヴィアはその身に纏った鎧を防ぎきれなかった爆撃の力によって焦がしながら、睨むようにジュダに視線を向ける
「――……っ」
その様子をジュダの結界の中に包まれた状態で見ていたガウルは、人間の中でも屈指の実力者であるはずの自分が遥か遠く及ばない次元で行われている戦いから目を背けるように身を翻す
身を翻したガウルが、そのまま宝物庫の扉へと歩いていくのを戦いながら認識し、その目的を瞬時に把握したシルヴィアは武器を手に相対しているジュダに不敵な冷笑を向ける
「言っておくけど、私は彼を守らないわよ?」
ガウルが宝物庫の外に結集しつつある人間界の軍勢と戦いに向かったのを理解したシルヴィアの言葉を鼻で笑い、ジュダは瞳の無い目で眼前の戦乙女を見据える
「承知の上だ。――それにしても、やはりというべきかさすがというべきか……自身の意志の外で神能を永続的に行使できる者は違うな」
元々自分達に敵対する意志を持ってこの場に出てきた神庭騎士が自分の同胞を守るはずなどない事を十分に承知しているジュダは、シルヴィアに対して皮肉混じりの笑みを浮かべる
世界に対して絶対優勢の力を持ち、その神格と力が及ぶ限りあらゆる事象を支配し、現象を顕現させる力を持つ神能に弱点があるとするならば、それは「その力が意志によって左右される」という事だろう。
例えば神能を用いて結界を展開する場合、展開した結界を「維持」するために、そのための力と、そこに「結界を作っている」という意識を乗せ続けなければならない。
神能に限らず、霊の力は意志の力によって世界に対して干渉しているため、特に戦闘中などでは戦闘と結界の二つに自身の力と意識を振り割らざるを得ないため、戦いながら守るというのは同格の実力者を相手にする場合は難しいと言わざるを得ない
しかし、そんな霊の力が持つ弱点を持たない存在も例外的に存在する。それは、九世界の一角を担う全霊命の一種で、神器「神眼」を守るための結界を人間界に頼まれて施した者達。そしてその中には、円卓の神座№10「護法神・セイヴ」とその力に列なる者達も含まれている。
護法神とは、その名の通り「繁栄」と「秩序」、「栄華」と「維持」を司る異端神。――即ち、国土、国家、生活の安定と発展、そして維持を司っているといえる。護り、維持する特性そのものが顕在化し地得るかの神とその眷属達は、その特性によって、一度発動させた結界などを破壊されるか本人の意志で無効化するまで永続的に発動させ続ける事ができるという特性を備えている。
つまり、神庭騎士であるシルヴィアは、ジュダや他の全霊命のように、戦闘しながら結界を展開しようとその力と意識を殺がれる事がないため、全く能力を損なう事無く戦闘以外に力を遣ったまま戦う事ができるのだ。
「――だからといって、容赦はしないわよ」
ジュダに自身の特性を皮肉られたシルヴィアは、お返しとばかりに笑みを返してハルバードの切っ先を突きつける
ガウルに結界で力を割かねばならない分、ジュダの能力は十全に届かない。それがどれほど微々たるものであろうと、ほぼ力が拮抗しているジュダとシルヴィアの間で、力と意識を割くか否かの差は明確な違いとなって表れる。
「そうだな」
自身の優位を理解しているシルヴィアの言葉を受けながら、しかし劣勢に立たされているはずのジュダはさして動じた様子も見せずに自身の対となる戦乙女に不気味なほど落ち着いた視線を向ける
「……?」
その様子に怪訝そうに眉を寄せたシルヴィアに、ジュダは得意気な口調で言葉を紡いでいく
「我等の神は対となる存在。――故に知っているとは思うが、ユニットは一種類だけとは限らない。貴様たち『神庭騎士』にもいくつか系統が存在するように、俺達『戦兵』も一系統だけのユニット種族ではない」
「――っ!!」
ジュダの言葉に、シルヴィアが小さく目を見開く
ユニットとは、同じ力に列なる存在の総称。例えば「世界」のユニットである「半霊命」のように、「獣」、「虫」、「鳥」などと言ったいくつかの分枝系統を保有しているユニットが存在する。
そして、シルヴィアとジュダの神「護法神」と「覇国神」もその複数のユニット系統を保有する神であり、「神庭騎士」と「戦兵」にはいくつかの種族が存在する
(しまっ……)
ジュダの言葉が意味するところをシルヴィアが理解した瞬間、鎧に身を包んだ戦乙女は自身の背後に、漆黒の霧のように忽然と現れた存在を認識して目を見開く
そこにいたのは、全身をローブのような漆黒の衣に包み、口元を隠す覆面からジュダと同様に瞳の無い目をのぞかせている男。その姿は忍者や暗殺者を彷彿とさせる
「――っ!」
(斥候……! 世界でも希少な、完全に力の気配を断つ事ができる全霊命!!)
自身の背後に現れた戦兵に属する眷属の一種である漆黒の影に目を見開いたシルヴィアが反撃するよりも速く、漆黒の男が放った刃が戦乙女を彷彿とさせる鎧を纏った守護騎士の頭部に突き刺さった
覇国神に列なるユニットである戦兵には、ジュダのような戦闘を専門とする者以外に、情報収集などを得手とする「斥候」と呼ばれる種族が存在する。
そして戦兵の一種である「斥候」には、世界的に見て極めて希有な能力が備わっている。――それが、「不知覚」の能力だ。
「不知覚」とは、読んで字のごとく、自らの神能をはじめ、あらゆる知覚に感知されなくなる能力だ。神能にしろ界能にしろ、霊の力を完全に消す事は出来ない。なぜならば、霊の力とは存在そのものの力であり、生きている限り――否、この世に存在する全てのものが保有している力だからだ
通常知覚から逃れるためには、虫や微生物の霊の力まで知覚しないように、一定以上の力の大きさの力を知覚するように作用している知覚能力に感知されないまで小さくするしかない。しかし、その手段では戦闘時などに力を高めた場合、たちまち相手の知覚能力に捕らえられてしまう。故に基本的に全霊命などの知覚の優れた存在の世界では、奇襲などというものが成立しない。
しかし、その例外となるのが「不知覚」と呼ばれる能力だ。この力は、全霊命の知覚能力すらかいくぐり、どれほど力を高めても知覚に捉えられないという特性を持つ、九世界でわずか二種のみしか持たない能力だ。
「悪いな。伏兵や増援も戦術の内だ」
「――っ」
勝ち誇ったように言うジュダと、斥候の黒づくめとの男に挟まれ、頭を護っていた鎧を破壊されたシルヴィアは、その頭部から体外に漏れ出た事で力へと還り、その様が炎のように見える存在の全てが神能によって構成されている全霊命特有の血――血炎を立ち昇らせながら、小さく唇を噛み締めた
ジュダとシルヴィア。共に異端神の力に列なる二種族の全霊命の戦いから逃げるように宝物庫の外へ出たガウルを、その場に待ち構えていた人間界王城に仕える貴族や自動人形、そしてミリティア・グレイサーが迎える
「……ガウル・トリステーゼ」
「随分増えたな」
誰かが発した声の先で立つガウルは、その場にいる全員を見回す
「大人しく投降しなさい」
人間界城に仕える貴族の一人が、おそらく聞き入れるはずはないと思ってはいるが、半ば形式的とでもいわんばかりにガウルに降伏を求める
当然その言葉でガウルがその身体から立ち昇らせている戦意を微塵も緩める事はないが、その場にいる誰もが、物量で上回っているとはいえ、七大貴族や王族を欠いた現状で七大貴族の一人に数えられているガウルと戦うのは避けたいという心情であるのは間違いない
「――悪いが、憂さ晴らしの相手になってもらうぞ」
「っ!!」
元々ジュダに任せておけば、ガウルがここに出てくる必要はなかった。なぜならば仮にここに人間界王や王族がいたとしても、全霊命であるジュダ一人に太刀打ちする事も出来なかったのだから。
しかし、それを分かった上でガウルがこの場に出てきたのは純粋に全霊命同士の戦いによって放たれる純然たる殺意によって制御される神格の力が満ちる空間にいたくなかったという理由と、本人の言うように、全霊命の絶対的な力を前に、己の矮小さを再認識させられた事への憂さ晴らしという意味を半々に含んでいた
「安心しろ、十世界に所属する者として姫の御意志を無視する事はない。無暗に命は奪わん」
そう言ってガウルは、その筋肉質な身体から強大な気を噴き上げる
ガウルが解放した気はまるで暴風のように吹き荒れ、その場にいた全員の肌に突き刺すような危機感と、肌のを焼くような威圧感を容赦なく与えてくる
「油断しては駄目よ!」
臨戦態勢に入ったガウルを前に、武器である無数の細剣を召喚したミリティアはその整った表情に隠しきれない一抹の不安と緊張を宿していた
その頃、茉莉によって隔離されたもう一つの人間界王城では、悪意に毒された十世界の軍勢と人間界軍主戦力達の戦いが引き起こす爆発の光に染め上げられる空を窓の外に見ながら、舞戦祭の女帝「エクレール・トリステーゼ」と舞戦祭最強の男、「ジェイド・グランヴィア」が対峙していた
「待っていた……君にそう言ってもらえるとは、男冥利につきるな。とはいえ、戦場にいかなくてもいいのかな?」
「それはお互いさまでしょう?」
女性すら嫉妬させる程に整った端正な顔に微笑を張りつけたまま、窓の外で繰り広げられている戦闘を視線で示したジェイドに、エクレールはわざとらしく肩を竦めて応じる
現在、街の外でも中でも襲来した悪意に毒された十世界の軍勢との戦いが行われている。七大貴族の一角を担う存在として、貴重な戦力である二人が戦場を離れていていいものではない。
暫しの間微笑を浮かべたまま、互いに見つめ合うエクレールとジェイド。双方とも整った顔立ちをしているだけに、それを横から眺めている分にはその様子はとても様になっていると言える
しかし、もし実際にこの場に居合わせている人物がいればそんな楽観的な印象は覚えないだろう。なぜならば、表情こそ微笑だが二人からは常に刺すような敵意と相手を威圧する戦意が放出されているのだから
「――まあ、こうして腹の探り合いなんかしても互いに得るものなんて無し……早速本題に入らせてもらうわ」
しばしの間微笑で牽制し合っていた二人だが、このやり取りに長い時間を取られるのを嫌ったであろうエクレールが、その微笑を崩して氷の槍を思わせる鋭く冷たい視線で「ジェイド・グランヴィア」を射抜く
「あなたが、先日の舞戦祭襲撃事件の黒幕ね?」
訊ねる形を取ってはいるが、確信していると言ってもいい口調で真っ直ぐに視線を向けるエクレールの言葉に、一瞬沈黙したジェイドだが、まったく動じた様子を見せずに軽く微笑を浮かべる
「随分直球な質問だな……なぜ、そう思うんだい?」
前置きも何もない断定で言葉を紡いだエクレールに、微笑を崩す事無く応じたジェイドだが、その軽い口調とは裏腹に、その眼光は鋭く、さながらエクレールの心中を伺っているように思える
そんな自白や肯定と取っても何ら問題ではないであろうジェイドの鋭い視線を平然と受け流し、両肘を抱えるようにして手を組みながら、エクレールは静かに言葉を紡いでいく
「――あなたに疑問を抱いたのは、舞戦祭が襲撃された時よ。正確には、あなたがロジオ・虹彩を倒した時。――覚えているでしょう? あの時、私もあの場所にいたのを」
「ああ、竜化した竜人を串刺しにして殺していたな」
エクレールの言葉を肯定したジェイドは、「怖い怖い」とでも言いたげにわざとらしく肩を竦める
どこか自分を嘲っているようにも見えるジェイドの態度など、微塵も気にかけた様子を見せずにエクレールはその唇を微かに吊り上げて微笑と共に言葉を紡ぐ
「その決着の時、ロジオ・虹彩が最期に言い残した言葉を覚えているかしら?」
「…………」
余裕とも取れる言葉を向けたエクレールに、ジェイドの表情がわずかに強張る
《……な、ぜ?》
二人の脳裏によぎるのは、決着の瞬間、ジェイド・グランヴィアによって両断されたロジオ・虹彩が言い残した言葉。その言葉を記憶から呼び起こし、頭の中で反芻しながらエクレールとジェイドが視線を交わす
これ以上は誤魔化しきれないと考えているのか、あるいは最初から隠し通るつもりなどなかったのか――真偽のほどはわからないが、既にジェイドの表情は無機質だが険しいものになっており、その眼前に平静を装って立つエクレールを明らかに敵意の籠った目で見つめている
「おかしいでしょう? 味方が倒されて、あなたに止めを刺されて、なぜ『なぜ』なの?」
そんなジェイドに追い打ちをかけるようにエクレールが言葉を紡いでいく
ロジオの紡いだ断末魔――それは、あの状況には似つかわしくないものだった。
自らが指揮した襲撃計画が全て水泡と帰し、今まさに自分の命の灯が消えようとしているその瞬間に、「なぜ」という言葉を遺すのは間違ってはいないかもしれないが、不適切だ。少なくともあの状況で言うならば、「なぜ」よりも「馬鹿な」の方が自然に感じられる。
それは確かに、小さな誤解や解釈の相違とも取れる言葉でしかない。しかし、その一言に込められているのは、おぼろげで不確かながらも決して見過ごせない違和感だった。
「『なぜ』は、あの状況で出てくる言葉としては少々疑問が残るわ。そこで考えてみたの――ロジオ・虹彩があなたに対して『なぜ』と言葉を向ける状況を」
そう言ってエクレールはジェイドへ視線を向ける
ロジオ・虹彩が今際の際に遺した言葉は、確かに不自然ではあったが、人によっては気にも留めないであろう小さな差異。しかし、なぜかその言葉はエクレールの耳に強く印象に残り、同時に胸の奥に焼けつくような焦燥感を生みだしていた
そしてエクレールは、その違和感の正体を見極めるべく、逆説的に考察を重ねた。「なぜ」が必然的に出た言葉だとしたら、なぜという言葉を言い残す状況を――そして、一つの結論に至ったのだ
「なるほど、『なぜ、裏切ったのか』……か」
「ええ」
エクレールの考えを見通して、ジェイドは合点が言ったように小さく呟く
「あの場にいたもう一人の首謀者――『エスト』と戦った者の証言によれば、あの計画の裏には何者かの影が見え隠れしていたというし、あの襲撃が世界に人間が全霊命に限りなく近づく事ができるという可能性を提示するものだったとも聞いているわ」
先日の舞戦祭の襲撃の真の目的は、禁忌の手段で生み出された竜人があの場の貴族達実力者を蹂躙し、その竜人を魔装人と呼ばれる存在の力を鎧として纏う、全霊命へと近づく力を世界に誇示し、世界の在り方を変える事が目的だった。
その魔装人という存在を作り出したグリフィス自身が、それを間違いだと知らなかった――否、思い込まされていたために、計画は失敗に終わったのだが。
「先の事件の首謀者であるグリフィスは、『本来は決勝後に計画を決行するはずだった』という旨の言葉を残しているわ。あの計画は意図的に何者かの意志によって早められ――おそらくは、失敗させられた」
静かに断定するように言葉を紡ぐエクレールを、ジェイドはわずかに目を細めて見つめる
見つめるというよりも睨みつけると表現した方が適当に思える様な鋭い視線を受けても微動だにせず、舞戦祭の女帝は、反論の余地を残さないように言葉の槍でジェイドを追い立てていく
「確かに、その話を聞けば、何者かの意志によって先日の襲撃が意図的に失敗させられたという仮説は限りなく正論に近いだろうな。しかし、だからといってそれを私とこじつけるのは少々無理があるのではないかな?」
エクレールの言葉に、ジェイドはその整った顔に微笑を浮かべて応じる
しかし、その言葉や表情は、罪を逃れようというよりも、まるでエクレールが言っている事を認めた上であえて白を切ってその弁論を楽しもうとしているよう印象すら受けるものだった
そんなジェイドの挑戦的とも取れる態度や姿を前にしても、エクレールは何ら怯む事無く追及の言葉を紡いでいく
「実は、舞戦祭の襲撃前に、生前のグリフィスに会った人がいるのよ」
「……!」
エクレールの口から出た言葉に、ジェイドの目がわずかに見開かれる。
その目に宿るのは単純な驚き。その時点においてはただの一般人でしかなかったはずのグリフィスと接触を図っていた人物がいたというのは、ジェイドにとってはまさに青天の霹靂といったところか。
ちなみに、グリフィスに会った人というのは詩織の事なのだが、エクレールはあえてそこには触れる事無く、ジェイドに視線を向けて不敵に微笑む
「その人の証言では、グリフィスは『これから人と会う約束がある』と言っていたそうよ。もちろんただその場で話を切り上げるための嘘と考える事もできるけれど――もしそれが、嘘ではなかったら?」
抑揚のない口調でそう言葉を紡いだエクレールは、凍てつくような視線と冷笑をジェイドへと向ける
エクレールの言葉はあくまでも言葉から類推する推測にすぎないが、舞戦祭が襲撃されたその日に、その実行犯である人物が、その舞台となる場所で会う人物を考えれば、その答えは限られている
「――少なくとも、彼らの協力者があの時舞戦祭会場の中にいた事になるな」
静かな口調で、エクレールの問いかけにそう応じたジェイドは、自嘲混じりの笑みを浮かべる
しかし、実はエクレールの推測は間違っている。なぜなら、詩織が会ったその時点で、グリフィスはその約束の相手――彼が「依頼人」と呼んでいた人物との接触を終えている。
グリフィスが詩織との話を切り上げたのは、依頼人ではなく、協力者である「エスト」達と接触を図り、計画の実行の準備に移るためだった。その証拠に、「今依頼人に会ってきたところですよ」という言葉も残している。――もちろん、ジェイド・グランヴィアを含め、誰一人として知る由もない事だが。
エクレールの推測は、詩織とグリフィスの邂逅における時系列の認識の誤りの上に成り立っている。しかしそれを知らないエクレールとジェイドにとって、その誤りは真実か否かというよりは、「仮定」としての要素の方が強い。
例えその仮定が事実と異なっていたとしても、舞戦祭襲撃の主犯であるグリフィスが、その当日の舞戦祭会場に目的を持って会う人物――即ち「協力者がいた」という事実へと、二人の思考を誘導するという結果をもたらしていた
公式は間違っているのに、途中の計算を間違えたために解が正しくなってしまった計算式のように、間違った推測から真実を推察したエクレールの言葉にジェイドは無言で耳を傾ける
もちろん、本気でその話を否定したければ、時間をかければ可能だろう。しかし、おそらくはもはや隠す気がないジェイドはエクレールの推測を否定するつもりはなかった
「聞いているとは思うけど、先日の一件で死去したグリフィス、ロジオ虹彩、エストの主犯格には、この城にやってきたという情報も、禁書庫への閲覧許可も下りてはいないわ。
――ここまで言えば分かるわね?あの日舞戦祭会場にいて、かつて禁書庫の閲覧をした事があるのは、ジェイド・グランヴィア、あなた一人だけだったの」
駄目押しのように向けられたエクレールの言葉に、ジェイドは微笑と共に小さく息を吐き出す
禁書庫は扱っているものがものであるために、閲覧には例え王族であろうと許可を取らねばならず、侵入の履歴が残される。王城内のセキュリティには穴らしい穴がないため、誰にも気づかれずに侵入して情報を取得するなど限りなく不可能に近く、大きなリスクを孕んでいる。
当時、計画の土台となる「禁忌の技術」を取得しようともくろんでいたジェイドは、限りなく困難な侵入というリスクを払うよりも、記録に残されてでも目的の技術を手に入れる事を最優先にしていた
「……なるほど、これは認めるしかないな」
抑揚のない口調でそう呟いたジェイドは、その告白に視線を鋭くしているエクレールに視線と笑みを向ける
「いや、よく気づいたと褒めるべきか。あんな些細な言葉でそこまで見抜かれるとは恐れ入ったよ」
わざとらしい口調で言ったジェイドに、エクレールは冷笑を浮かべる
「――嘘ね、遅かれ早かれこうなる事は予想済みだったんでしょう?」
ジェイドの言葉には嘘がある。そもそも禁書庫の閲覧履歴に名を残している時点で、ジェイドは遅かれ早かれ捜査の手が自分に及ぶ事を知っていた。だから必要以上に反論するつもりもなく、既に計画が発動している現在の状況で正体を見抜かれたとしても言い逃れをするつもりはなかった
「……さぁな」
とぼけたような言い回しで応えたジェイドに、一瞬その柳眉を寄せたエクレールだが、すぐさま氷の矢のように鋭い視線でその姿を射抜く
「では聞いてもいいかしら?」
「どうぞ」
エクレールの言葉に余裕を滲ませた態度でジェイドが応じる
「あなたの目的は何?」
エクレールは、抑制の利いた氷のように冷たく透き通った声と視線で悠然と佇んでいるジェイドを射抜く
エクレールにとって最も不可解だったのは、仮にジェイドがグリフィスやエストの黒幕だったとして、「その目的が何なのか」だ。
少なくともグリフィスやエストのように人間を全霊命に近づける事や、人にその意志を宿す事ではない。――そうであるならば、先日の時にそうしているだろうし、十世界のように世界同士の融和を求めているとも思えない。いずれにしてもやり方が回りくどすぎる。
「欲しいものがあるのさ」
「欲しいもの?」
そんなエクレールの問いかけに、ジェイドは微笑を浮かべながら応じる
「なに、大したものじゃない。俺はグリフィスやエストのように人間を全霊命と同等の存在に昇華させたいなどという大それた考えは持っていない――全霊命は全霊命、半霊命は半霊命だと思っているし、十世界の理念も理想的ではあるが、現実的ではないと思っているしね
だから俺が欲しいものは、この世に生を受けた人間なら、誰でも一度くらいは夢物語に欲しがるようなもの……些細なものさ」
微笑を浮かべ、どこか回りくどい言い回しで言葉を紡ぐジェイドを見るエクレールの脳裏に「まさか」という考えがよぎる
「――なら、あなたの目的は……」
渇いた口調で言葉を紡ぐエクレールは、既に確信に近いものを抱いているようなそぶりを見せている。それに気付いているジェイドは、それを肯定する意味で、抑制の利いた声ではっきりと言い放つ
「この世界」
「――っ!」
やはりとばかりに目を見開くエクレールに、ジェイドはその表情を崩す事無く、淡々と言葉を紡いでいく
「正確には『王位』か。俺は頂きに昇りつめたいのさ。人として、世界としての頂きに」
「――些細と言う割には、随分と大それた事を考えるわね」
ジェイドが紡ぐ言葉の内容に、エクレールはわずかに表情を強張らせる
「そうかな? 何事も頂点を目指す事に意味があると思うが?」
この世界では無くとも、世間に認められる価値とは、「結果」あるいは「順位や序列」に集約されると言ってもいい。例えば「個性」のような唯一性は、他者と比べて明確に優れていない限り、尊くはあっても価値はない。なぜなら、この世界に生まれた命は、全て代わりがないものであり、順位のつけ難いものだ。
だからこそ、その個性の中で評価されるためには、突出した「何か」――他者から見て客観的に評価されるべき実力や能力、才能などが必要とされる。
中でも、科学が極限まで発達したこの人間界では、人間の存在価値は極めて限られ、その中でも「強さ」が最も価値を持っている。
「やり方というものがあるでしょう?」
とぼけたように言うジェイドに、エクレールは嫌悪感を滲ませた表情で応じる
確かに、この人間界において、強さは何よりもその人間の価値を証明するものといえる。貴族、七大貴族、王族。――それら「力」こそが、この世界の根幹であり、全ての人間を支えていると言っても過言ではないからだ。
当然この世界に人間達は、誰もがその一握りの力を持つ者に憧れている。しかし、その中でそれを手に入れられるのは、「選ばれた」と表現されるほんの一握りの人間に過ぎない。
しかし、それになれなかったからと言って存在価値がないのかと言えばそうではない。勝者がいれば敗者がいるように、敗者や弱者の存在は逆説的に勝者と強者の存在を証明している。――それを認められなかった者達が、先の舞戦祭の騒動を引き起こしたのだから。
「それに、まだ解せないわ」
「……何が?」
エクレールの言葉に、ジェイドはわざとらしく肩を竦めてみせる
「あなたの目的が、あなたの言うように王位簒奪にあるとして、一体何のために禁忌の技術を盗み出し、何のためにグリフィスやエスト、竜人達を利用したの?」
「…………」
そのエクレールの言葉に、ジェイドは意味深な笑みを浮かべる
ジェイドの目的が王位簒奪にあるとして、それが先の舞戦祭を襲撃した竜人達を作り出し、グリフィスやエストが人を全霊命に等しい存在へと昇華させる研究に対して協力した目的が見えてこない
そのエクレールの言葉に目を細めたジェイドは、窓の外で繰り広げられている人間界軍と悪意に染まった十世界の軍勢の戦い、そして仮初の王都上空に出現した暗黒の戦艦とそこから次々に湧き出してくる軍団に視線を向けると小さく息をつく
「……それに応えてやってもいいが、私も君との会話にこれ以上時間を割く余裕はない。私の正体を見破った褒美に少し話に付き合ってみたが、ここから先は――」
そう言ったジェイドは、装霊機に収納されていた身の丈ほどの両刃剣を取り出す
何の飾りけもない、月光に煌めく白銀の刃を持つ両刃剣を携えたジェイドがその身体から戦意と殺気を放ち、エクレールもそれに応えるように気を放出する
「実力で訊けって事ね」
自身の武器である槍を装霊機の空間収納から取り出し、臨戦態勢を取ったエクレールは白銀の両刃剣の切っ先を地に向けて悠然と佇んでいるジェイドへ鋭い視線を向ける
「いいわ、思い知らせてあげる。あなたと違って、私はあなたを敵と定めた瞬間から、すでに行動を起こしているのだから」
エクレールはかつて舞戦祭の個人戦で何度かジェイドと対戦している。その戦績は決して芳しくなく、一度も勝てた試しがない。
確実に自身よりも実力が上回っている相手。その相手を尋問し、場合によっては戦闘になる事も想定していたエクレールはジェイドを待つ間、そして言葉を交わしていた間には既に行動を開始していた
「……!」
エクレールの言葉に小さく目を瞠ったジェイドが後方へ飛び退くと同時に、先程までジェイドが立っていた場所から清流の刃が突き出し、無人となった空間を穿つ。
さらに後方へ跳んだジェイドを逃す事無く、天井、壁、床から次々に水の刃が飛び出してその身体を貫こうとする
「……浸透圧か」
「ご明察。ここ一体は、既に私の領域。いくらあなたでも、容易に私を倒せるとは思わない事ね」
周囲から飛び出してくる水の刃を一瞥し、目を細めたジェイドにエクレールは高らかに言い放つ。
人間の誰もが持つ、気の力を身体中に行き渡らせる回路――「属性」の中で、血液や体液を介する「水属性」に過剰に特化した性質を持つエクレールの気は、自然界の中にある水などと同調し、それを自在に操る力を持っている。
それによって自身の気を宿した水を武器として戦うエクレールの力は、単に「水」として扱うだけでなく、そこに含まれる特定の概念――「流動」「溶媒」「冷却」などの特性を特化して扱う事ができる
今回の戦いにおいてエクレールは、液体の持つ特性の一つである「浸透圧」という特性の概念を強化し、自身の気を纏った水を、周囲の壁、床、天井などにたっぷりと浸透させ、この場一帯を自身の力場と変えていた。
即ち、この周囲一帯がエクレールの武器そのものであり、現在のジェイドはエクレールの手の平の上で戦っているようなものだ
「――……」
エクレールの言葉を受けたジェイドは、その口元に笑みを浮かべる
「丁度いい。王を殺す前に、君でこの身体の最終確認をしておこう」