悪意の芽吹き
茉莉によって隔離された人間界王都へ向けて進軍する十世界の軍勢。天をかける大小さまざまな戦艦が隊列を組んで飛行し、全長十メートル以上はある大型の機鎧武装の軍勢がそれを守るように取り囲んでいる。
その戦艦の前方に、数百にも及ぶ人影が立ちはだかる。ある者達は地に立ち、ある者は気の力によって空の上に立って、十世界の軍勢に対峙していた
「――メリッサ様」
その様子を戦艦のブリッジから見ていたメリッサは、拡大されて映し出された面々を見てその表情を険しいものに帰る
「きましたね」
そこに立っているのは、人間界軍総指令「ガイハルト・ハーヴィン」を筆頭とする王族、人間界軍特別戦力、六帝将の六人、「ミレイユ・ハーヴィン」、「ドルド・ハーヴィン」、「クーラ・ハーヴィン」、「ストラド・ハーヴィン」、「シャロ・ハーヴィン」、「マクベス・ハーヴィン」という王族達。
それに加えて、「グラセウス・アークハート」、「アドルド・グランヴィア」、「クリスティナ・トリステーゼ」、「天宗斎」、「雨・虹彩」、「ゼクス・サングライル」、「ヴァルガ・サングライル」、「レイヴァー・ブレイゼル」を筆頭とする七大貴族とレイヴァー・サングライル率いる「神仰教会」に所属する二人の従者。
「さすがにこれだけ揃うと壮観だな」
「……笑い事ではありませんよ、ディートハルト様、私達はこれから彼らと刃を交えなければならないのですから」
この空間に隔離されている戦力は、間違いなく半霊命最強。――全霊命以外では止める手段すらないものだ。
相対しているだけで感じる圧倒的な存在感に戦慄する魔道人形――リューネリアが隣でしまりのない笑みを浮かべているディートハルトをたしなめる
「けどよぉ、ぶっちゃけあいつらが本気になったら、俺達一瞬で消し炭になるんじゃないか? なんたってあっちには十二至宝もあるんだぜ?」
目の前に立つ半霊命最強の戦力を見たディートハルトは、この軍の指揮を取っているメリッサに視線を向ける。
先代の光魔神によって生み出された、半霊命が使うものとしては最強の力を持っている十二至宝は、王と六帝将が持っている。一度それを行使すれば、その力は天変地異どころか世界そのものを破壊しかねない。
しかし、そんな事など言われなくても十分承知しているメリッサは、ディートハルトに視線だけを向けて意味深な冷笑を浮かべる
「――それについては何ら問題はありません。すでに手は打ってあります」
「……?」
自信に満ち溢れたというよりも、余裕を崩さない様子で言ったメリッサの言葉に、ディートハルトは怪訝そうに眉を寄せる。
半霊命として最強の存在と謳われる王族に加え、七大貴族までが顔を並べているこの戦場で、ただの人間に過ぎないメリッサが浮かべている余裕はあまりにも不自然なものだ。しかし、それを問いただす暇もなく十世界の軍勢は人間界との交戦に入ろうとしていた
一方その頃、空間隔離で切り取られた王都の外縁部で十世界の軍勢を迎え撃つ人間界の再興戦力達は、視界を覆い尽くすほどの戦艦とおびただしい数の自動人形や機鎧武装、操動人形を前にしても何ら動じた様子もなくその様子を睥睨していた
「……ほう、中々大層な戦力を揃えてきたものだ。だが、王族貴族を相手にするには、少々心許ないな」
視線の先に見える敵の軍隊を前に、緊張するどころか余裕に満ちた笑みすら浮かべている六帝将の一人、ドルド・ハーヴィンの傍らを、統べる様な所作で一つの影が通り過ぎる
「油断は大敵ですよ、ドルド様」
すれ違いざまに一言言い置いた人間界軍総指令「ガイハルト・ハーヴィン」は、「言われなくても分かっている」と言わんばかりに眉間にしわを寄せるドルドに肩越しに視線を向ける
「そんな顔をなさらないでください。私の――いえ、我々の立場証上一応言質はとっておきませんと」
不満をありありと浮かべるドルドにそう言い残したガイハルトは、眼前の十世界の軍団に向き合うと、装霊機に備えられた拡声機能を使ってその声を周囲に響かせる
「十世界の者共。我々は貴様達との戦闘を望まない。――今ならば、犠牲者を出さずに双方退く事ができるだろう。だが、それができないならば、我等も全力で貴様達を殲滅する」
いくら相手に戦意や害意があろうと、「人間界」という世界が問答無用で武力行使を行うのは問題がある。しかし、敵が制止を無視したという状況があれば、それは防衛のための戦闘となる。
そんなガイハルトの行動の目的と意志は、人間界側はもちろん、十世界側も十分に承知している。戦闘を避ける意志が十世界側にあれば、そのまま撤退するはずだが、そうはならないであろう事をその場にいる全員が内心で理解していた。――なぜなら、この程度の脅しで撤退すらなら、そもそも人間界の王族貴族の力を十分に知っているはずの十世界が軍勢となって向かってくるはずなど無いのだから
「皆くれぐれも気をつけなさい。彼らには間違いなく勝算がある。――私たちを一度に相手にして勝利できる確信に足る何かが」
ガイハルトの言葉に全く応じる様子を見せない十世界の軍勢を前に臨戦態勢を高めていく一同を見渡して、人間界特別戦力「六帝将」の長、「ミレイユ・ハーヴィン」は、凛とした声音で全員に注意を促す
その様子を遥か彼方の上空に立って見つめていたツギハギだらけのぬいぐるみを抱きしめた少女――悪意を振り撒くものの一人、セウ・イークはあどけない少女の顔に不敵な笑みを浮かべる
「――まあ、分かってはいたけど、この程度で油断してくれるほど甘くはないよね。でも、油断していないと思っている事こそが油断しているって事なんだよ?」
紡がれたセウの言葉は、人間界の軍勢の耳にも十世界の軍勢の耳にも届く事はない。
人間界に住んでいる――否、九世界と関係を持って生きている者たちなら、神の直系に当たる人間界の人間、その王族貴族で構成された軍を相手に、どれほどの兵器を持ち出そうと、どれほどの軍勢を投入しようと勝てるはずがない事を十分に知っている。
もしも人間界の主戦力達全てを相手取って勝てるものがあるとするならば、全霊命くらいのものだろう。
自分達が半霊命の中で最強という事を理解していながら、それでも油断せずに敵に相対するのはさすがと言える。しかし、今回ばかりはそれは間違いだ。――なぜならば、ここに「悪意」が存在するのだから
「――さあ、お目覚めだよ」
その言葉と同時に、好奇心と興味のままに虫の手足をもぎ取る子供のような、無邪気で残酷な悪意に満ちた笑みを浮かべるセウの腕に抱かれたツギハギだらけのぬいぐるみの目が、爛々と光り輝いた。
――「『愚者の行軍』!!!」
「――っ!?」
「ぐっ!?」
それと時を同じくして、十世界に所属する者達が一斉に胸を押さえてその場にうずくまる
苦悶の表情を浮かべ、自身の胸をかきむしるようにするメリッサ以外の十世界の人間達を見て、行動を共にしていたディートハルトとリューネリアが困惑の表情を浮かべる
「何だ?」
「――これは、彼らの中から別の……まったく異質の力が湧きあがっています。これは、まさか……」
苦悶の声を上げてうずくまる十世界の人間達を見渡し、自身に備わった分析能力によって今起きている事態を解析したリューネリアは、その答えに平然とたたずむリューネリアへ無感情な中にも深い憤りを感じさせる視線を向ける
「あなた、同胞を悪意に売り渡したのですか!?」
「――っ!!」
決して声を荒げる訳ではないが、非難の色を滲ませているリューネリアの抑揚のない言葉に、ディートハルトが目を瞠る。
ディートハルトとリューネリアの二対の視線を受けながらも、平然と前を見て立ち続けているメリッサに、さらに魔道人形であるリューネリアが静かに言葉を続ける
「これは、悪意が強者やあるべきものを侵食する『愚者の行軍』……弱者を強者へと堕とす異能ですね?」
感情を押し殺したリューネリアの言葉には、言い逃れを許さない追及の意志が宿っている
それを感じ取ったのか、メリッサは前方に立っている人間界の主戦力達から意識を離さないように留意しながら、リューネリアの視線に冷笑を以って答える
「詳しいですね。……その通りですよ。この力があれば、我々のような彼らに遠く及ばない程の力しか持たない人間ですら――いえ、弱いからこそ彼らと戦う事ができるようになります」
まるで他人事のように感心しながら言うメリッサに、リューネリアはその目を不快そうに細める
リューネリアの表情にありありと浮かんでいる侮蔑にも似た感情を読み取り、メリッサは自嘲するかのような笑みを浮かべてそれに応じる
「そのような顔をなさらないでください。私もあなたと同じですよ……ただ、己の目的を果たすために、成すべき事を成しただけです」
メリッサの言葉に、リューネリアは沈痛な面持ちで目を伏せる
「……そうですね。少なくとも、私にあなたを咎める資格はありませんね」
目を伏せたリューネリアの言葉を合図にするように、その背後でうずくまっていた十世界に所属する人間達は、漆黒の力が具象化したようなおぼろげな身体を持つ人型の異形へと変貌を遂げていた。
「――では、我々も参りましょうか。彼らに対抗するための鎧が用意してあります」
「……ああ」
異形へとなり果てた同胞に対して、何羅漢がいの感じられない視線を向けたメリッサの言葉にディートハルトは重々しく、リューネリアは無機質な表情のまま沈黙を以って応じた
それと同時刻、人間界の軍勢は、空間隔離によって作られた仮初の王都へと迫りくる十世界の軍勢から漆黒の力が立ち昇るのを感じ取っていた
「何だ……?」
怪訝そうに目を細める前で、十世界の戦艦や自動人形、機鎧武装、操動人形までが漆黒の力に呑み込まれ、その形を暗黒色の塊へと変化させる
「なっ……!?」
「この力の感覚……『反逆』か!?」
驚愕に目を見開く一同の中で、その力を知覚した七大貴族の長の一人「レイヴァー・ブレイゼル」が忌々しげに唇を噛み締める。
かつて「ブレイゼル・ハーヴィン」という名で、先代の光魔神が健在だった頃からその傍らで世界を見ていた男は、十世界の軍勢に起こった異変を――そして、その原因となった「悪意」の存在を明確に見抜いていた
「反逆……反逆神の神能――なるほど、この感覚は、間違いなくかの神の眷属の力ですね」
ブレイゼルの言葉に、人間界特別戦力、六帝将の一角を成す美女――クーラ・ハーヴィンは、十世界の軍勢が変容した漆黒の軍勢を見て目を細める
「我等に勝つために、人間を捨てたか」
それに同調するように、七大貴族の長の一人である「アドルド・グランヴィア」が侮蔑の色を滲ませながら、眼前の大軍を睥睨する
「人間を変容させる……おそらく、噂に聞く『愚者の行軍』でしょう。かの神の眷属の力に相応しく、弱さを強さへと堕とす異能。――おそらく彼らの力は王族にすら匹敵する領域まで高められているはず」
「確か『弱さを振り翳すもの』の能力でしたか――だとすると、我等も油断する訳にはいきませんね」
敵軍を見て目を細めた六帝将の長、「ミレイユ・ハーヴィン」の言葉を、七大貴族の長の一人、「クリスティナ・トリステーゼ」が首肯する
最強の異端神、円卓の神座№2。「反逆神・アークエネミー」は、円卓の神座№1である光魔神と肩を並べる最強の異端神の一柱にして、その名の通り「反逆と敵対」を司る神。その力である「反逆」は、敵対する事に長けている。
愚者の行軍とは、その特性によって、相手の「強さ」へ反逆する力。即ち、強さの序列に敵対し、弱者を強さへと変える能力だ
「確かに、油断はできないが恐れる程でもない。あの力は、いわば体術などで良く見る『相手の力を利用して勝つ』という原理を、存在としての領域に昇華させたようなもの。決して弱さが強さを超越するものではないのだからな」
真剣な眼差しで漆黒の軍勢と化した十世界の大軍を見つめるクリスティナに、天宗の長である斎が厳かな声音で続く
斎の言うように、愚者の行軍という能力は、弱ければ弱いほど強くなるというものではなく、あくまでも弱さを強さに変える力。
それであるために、その上限は種族、存在としての限界を超える事はない。――つまり、人間にこの力を行使しても全霊命へ届く事はなく、また弱さであるが故に決して最強には届かない、いわば弱者による簒奪のための力とでも言うべきものだ
「その通り、怯む必要はないわ」
斎の言葉を首肯したミレイユに、その場にいる全員が意識を向ける。
改めて言われるまでもなく、十世界に数多くの全霊命が存在している事は周知の事実であり、ここにいる人間界の守り手達は、驚愕こそ浮かべていても、恐れなど微塵も抱いていない
確かに愚者の行軍という力によって十世界の者達が強化されたのは間違いないだろう。しかし、決して人間が届き得ない頂きに昇った訳ではないのだ。
「臆さず、恐れず、ただ勝利し、守り、生き残るために戦う――それが私達がただすべき唯一の事よ……そうでしょう?」
「ああ、その通りだ。見せてくれよう――人間界の守護を任された我等の力を!!」
平静を保って紡がれるミレイユの凛とした涼やかな声音に、先程までのやり取りを微動だにせず聞いていたドルド・ハーヴィンが重厚な口調で続く。
まるで、その場にいる全員を鼓舞し、戦意を昂らせるかのような言葉に、六帝将の一人であるマクベス・ハーヴィンが気だるそうな声とともに微笑を浮かべる
「……そんな事、言われるまでもねぇよ」
「そうそう」
マクベスの言葉に、シャロ・ハーヴィンが何度も首を縦に振って頷き、虹彩の長である雨がヴェールからのぞく赤い唇を微笑の形へと変える
「ええ、ここにいる誰一人、戦意を失ってなどおりませぬ」
雨の言葉に、そこにいた全員が各々の仕草でその言葉を肯定する
ドルドに言われるまでもなく、その場にいる全員は臆してなどいない。ただ、十世界が悪意の力を借りた事に驚愕し、己の魂――否、存在を対価に捧げてまで自分達と戦う力を求めた事に、憤りと侮蔑の意志を感じていただけだ
「――では、行くぞ!!」
いつまでも高見の見物をしている訳にはいかない。愚者の行軍によって変質した人間は、もはや人間ではなくなっている。
ただその意志と力の求めるままに、簒奪を行うものとなり果てている十世界の軍勢に向けてガイハルトが声を上げると、それを合図に一斉に漆黒の軍勢と化した十世界の軍勢へと一直線に向かっていく
「メザノッテ!!」
空を蹴ったゼクスが声を上げると同時に、空を切り裂いて飛翔してきたのは、蛇のような体躯に蝙蝠のような翼を持ち、白色の強い金色の鬣をなびかせた巨大な竜。
人間界に住まう半霊命である「幻獣」の竜族。そして、極稀に生まれる強力な力や、特異な能力を秘めた個体――竜族、人間界王族と共に世界三大半霊命に数えられる特異体でもある巨竜「メザノッテ」。
「グオオオオオオオオッ!!!!」
メザノッテが咆哮を上げると、それだけで大気が軋み、世界が悲鳴を上げる。
半霊命最強種である竜族とはいえ、種族、個体によってその能力は大きく異なり、中には王族と同格の力を秘めたものも存在する。
先日の舞戦祭を襲撃した人工の竜達は、中位程度の力を持つ個体が大半を占めていたために、七大貴族たちを前に簡単に屠られる結果となってしまったが、それでもその力は、他の半霊命世界や、戦闘力の低い人間にとって天災よりも恐ろしい力を持っていた
そしてサングライルが従える巨竜メザノッテは、かつてサングライルの王と互角の戦いを繰り広げた竜の中級種特異体。その戦闘力は七大貴族と比べてもなんら遜色がない
「ガアアッ!!」
世界を軋ませる咆哮を挙げたメザノッテは、そのまま己の界能を口腔内に凝縮し、それをそのまま十世界の軍勢に向けて解放する。
巨竜の口腔内から放たれた白金色の閃光が流星のように世界を穿ち、十世界の軍勢に着弾し、衝撃波と破壊の力御をふりまきながら、隔離された世界の空をさながら黄昏のように染め上げる
本来なら、その一撃でいくつの戦艦が墜とせたか分からない。しかし、悪意の力によって漆黒の戦艦と化した十世界の艦船は科学と魔法の限界を超えた力をその命なき機体に宿しており、展開した防御結界でメザノッテの攻撃を阻む
「……まったく、物にも効果があるなんて、厄介な力だな」
巨竜の攻撃を防いだ戦艦の結界を見て、誰かが忌々しげに吐き捨てる
愚者の行軍の最も恐ろしい能力は、その力が物にさえ効果を及ぼす事にある。つまり、戦艦、自動人形、機鎧武装、操動人形――あらゆる武装や兵器が、その力によって本来ではありえない能力を保有している
「そんなの関係あるか!!」
咆哮と共に、先陣を切った男――七大貴族、サングライルの二大巨頭の一角を成す「ヴァルガ・サングライル」は、自身に宿る力を解放して瞬時にその姿を、亜人としてのそれに変える。
一回り身体が膨張し、背を丸め、やや前傾姿勢になったその身体を新雪のような純白の体毛が覆う。鋭い牙と爪を持ち金色の眼がさながら月のように爛々と輝く。ヴァルガが姿を変えたのは、純白の体毛を持つ二足歩行の狼だった。
「オオオオオオッ!!!!」
純白の狼へと姿を変えたヴァルガは、その爪に自身の気を纏わせ力任せに天頂から腕を振り下ろす。
刹那、天に届くほどの巨大な四つの光爪が世界に爪痕を刻み、巨竜の砲撃すらも防いで見せた漆黒の戦艦を引き裂く
「――まとめてぶった斬ればいいだけの話だ」
自身の数百倍の大きさと数万倍の質量を誇っているはずの漆黒の戦艦を、力任せに一撃で引き裂いたヴァルガは、狼の顔に笑みを浮かべその鋭い牙を口端からのぞかせた
「……出てきたな」
その一撃を合図に、ヴァルガによって破壊された戦艦の中から漆黒の兵達が中空に飛び出す。愚者の行軍によって悪意に毒され、七大貴族、王族にすら反逆する力を得た機械の兵器達が散開し、同時に悪意に毒された漆黒の戦艦もまるで生きているかのような唸り声を上げて四方から向かってくる人間界の強者たちを迎え撃つ
悪意に毒された十世界の軍勢と人間界の主戦力達が戦闘を開始し、隔離された人間界王都から離れた位置で、爆炎の星空を作り上げている様子をモニター越しに見ていた少女――グリフィスによってこの世界に生み出された自我を持つ情報生命「魔法生命体」のネイドは、口元に微笑を浮かべる
「……さすがは人間界王族と七大貴族の猛者達。この程度では驚かせる事はできても、戦意は微塵も殺げないか。――まあ、分かってた事だけどね」
事も無げに呟いたネイドは、先ほどの悪意の解放によって、黒く蠢く人型の異形となり果てたかつての同胞たちを背中越しに一瞥する
「――でも陽動は十分。こっちはこっちでお仕事しないとね」
そう静かに言い放ったネイドの言葉に応じるように、周囲を包む漆黒の闇が極彩色の光で撫でられ、同時に王都の姿が眼下にありありと映し出される
「イッツ、ア、ショーターイム!!」
黒い異形となり果てた人間しかいないその場所でネイドが高らかに宣言する。
それと同時に偽装が解除され、人間界王都上空に空間の揺らぎと共に巨大な戦艦がその姿を現す。
知覚を妨害する偽装に加え、空間の中を泳ぐように移動して質量などを消して王都上空まで移動したネイドの操る戦艦がそのまま漆黒の悪意に汚染され、同時にそこから伸びた漆黒の触手が人間界王城を含めた王都一体に突き刺さる
「……陽動か」
空間を揺るがして戦艦が出現したその瞬間に、敵の思惑を把握したガイハルトは抑制の利いた口調で言うと同時に、自身に向かって振り抜かれた巨大な漆黒の腕を強大な気を纏わせた大剣で受け止める。
愚者の行軍によって強化され、強さへの反逆能力を得た漆黒の敵軍は。単体が王族貴族など、上位の人間に匹敵する能力を備えている。
いくらガイハルトや六帝将達王族や、七大貴族とはいえ、それらの敵を片手間で倒す事など不可能。また、愚者の行軍の発動タイミングすら、おそらくはこのよう胴のために計算しつくされたものだと理解しつつ、その場で動揺するような者は誰ひとりとして存在しなかった
「普通ならば、焦るところだが……生憎今は問題ないな」
「ええ。今あそこにいるのは……あの方達だけなのですから」
自身の二倍超はある漆黒の巨兵を、手にした槍の一薙ぎで吹き飛ばしたグラセウス・アークハートの言葉に、漆黒の異形を斬り伏せた人間界軍に所属する女性騎士が淑やかな微笑を浮かべて応じる
王都へ奇襲を受けた際、人間界側が最も恐れるのは戦闘能力の低い仲間や民間人が狙われる事だ。しかし現在は茉莉の空間隔離によって、王城の中にいた七大貴族以上の力を持つ者だけしかこの場にはいない。
つまり、守るべき対象がいないこの場では何の憂いや心配もなく全力で戦う事ができる。そして、今の人間界王城ならば、自分達が守る必要などない事をその場にいる誰もが理解していた。――なぜならば、今人間界王城に残っているのは、間違いなく最強の人間である人間界王「ゼル・アルテア・ハーヴィン」、そして次期人間界王「ヒナ・アルテア・ハーヴィン」を筆頭とする王の一族と一部の王族達なのだから
「――しかし、あの艦にどれほどの戦力がいるのかが問題ですね。……早めに倒した方がいいのは間違いないでしょう」
隔離された空間に建つ、強者しかいない仮初の王城を奇襲されたところで、誰一人案じる者はその場にはいない。
しかし普通の人間ならまだしも、反逆の力で強力な存在へと堕ちた人間達に囲まれれば、いくら強力な力を持つアルテアのハーヴィンが二人いるとはいえ、物量で不利な状況に追い込まれかねない。万が一という可能性を排除するためにも、可能な限り早くこの場を処理するのが望ましいのは間違い
「……という事は、使うのですか?」
漆黒の戦艦から伸びた触手が突き立てられた王城と王都を見て目を細めたミレイユ・ハーヴィンの言葉に、その近くで戦っていたエクレールの実兄「ギルフォード・アークハート」がどこか嬉しそうな様子で軽く目を瞠る
「ええ」
ギルフォードの言葉に冷笑を浮かべたミレイユは、装霊機による通信回線を開いて、人間界最強の六人の王族へと言葉を向ける
「――六帝将各人、至宝の力を解放しなさい」
はるか彼方で生じる人間界の王族貴族たちと、悪意に汚染された漆黒の十世界の軍勢の戦いを窓から見つめている人物に、背後から抑制の利いた声が向けられる
「こんなところで、何をしているんだい? ――『エクレール・トリステーゼ』」
その言葉を受けたエクレールは、窓の外へと向けていた視線を自分へと声を向けた人物へ移動させる
明鏡止水のように澄み渡った瞳を抱く凛とした視線が眼前に立っている人物へと向けられ、人形のように整ったその顔に穏やかな微笑が浮かぶ
「あなたを待っていたのよ――『ジェイド・グランヴィア』」
エクレールの視線を受けたジェイドは、その視線を微動だにする事無く受け止める
舞戦祭の女帝と舞戦祭最強の男。――二人の視線が交錯し、天を彩る戦闘の光が窓から差し込んで、見つめ合う二人の姿を鮮明に映し出していた。