混迷なる開戦
現在存在する世界――八種族の全霊命と人間が治めると九世界と呼ばれる九つの世界を中心とする全ての世界の全てを生み出した光と闇二柱の絶対神、「創造神・コスモス」と「破壊神・カオス」。
この世において絶対無敵にして完全無欠、全知全能の存在である二柱の神は、自らの力に連なる神々を率いて世界の形を定める世界最初にして最大の戦争――「創界神争」を引き起こした。結果的に創造神が破壊神を封じた事でこの戦争は終結し、そして世界の形を定めた光と闇の創世の神々は、自らと共に戦った神に最も近い八つの全霊命に世界を託すようにして世界から姿を消した。
しかし、この創界神争で光と闇の創世神達は二つの置き土産を世界に残していく事になる。
一つは異端神をはじめとする「異端なるもの」。……光と闇、創造と破滅を司る二柱の神々の戦いの中で、その力から生み出された「光にも闇にも属さない存在達」
そしてもう一つが「神器」。二柱の神の戦いによって飛び散った「神の力」が形を持ったもの。――それは即ち、神の力そのものが結晶化した欠片とでも言うべきものだ。
「――そして、世界に散らばった神の力の欠片たる『神器』を欲する者は後を絶たないってね」
そう言ってオペラグラスを覗き込んだ青年は、その口元を三日月型に歪める
「ププ……随分と面白い事になってるね」
「そう?」
オペラグラスを覗き込んだままの青年の言葉に、いつの間にかその背後でツギハギだらけのぬいぐるみを抱えて立つ少女――セウが無邪気な笑みを浮かべて応じる
もっとも、セウには青年のような能力がないため、何を以って面白いと言っているのかは分からないが、黒いニット帽に、片目を髪で隠した目の前の青年の性格を知り尽くしているセウは、少なくとも何か計画にイレギュラーが生じている事を察していた。
しかし、それを青年に訊ねても、いつものようにはぐらかされるだけだという事をセウは理解している。――目の前の青年は計画や目的の成否など問題としていない。青年にとって大切なのは、その物事の類いが、いかに喜劇的で、悲劇的であるか……要は彼自身が見ていて面白いかどうかだけなのだ。
だからこそセウは、小さくため息をつくと同時にその視線をオペラグラスを覗き込んでいる青年に向ける
「一応釘を刺しておくけど、くれぐれも私の邪魔はしないでね……『傍観者』」
「分かっているよ、我が同胞、悪意を振り撒くものフラグメントユニットの一人、『弱さを振り翳すもの』」
最強の異端神、円卓の神座№2「反逆神・アークエネミー」の力に連なるユニット――「悪意を振り撒くもの」たる二人は、互いに視線を交わす事無く言葉を交わした。
「宝物庫……ですか?」
「ああ」
その頃、夜の帳に包まれた人間界城の一角をがっしりとした体躯の大男――「ガウル・トリステーゼ」について歩く詩織は、道すがらガウルと言葉を交わして怪訝そうに小首を傾げる
人間界城の中は夜であっても、明るく、眩しいというよりは、春のうららかな日差しのように優しく温かな明かりに照らされている。まるで森林浴をしているような気分にさせてくれる通路を歩きながら、詩織は自分よりも二回りは大きいガウルの背に視線を送る
「今の人間界には、『宝物』という概念は弱い。極限まで発展した科学による金銭をほとんど必要としないこの世界では、あらゆる資源を完全に再利用でき、さらに全くの無から作り出す事すら出来てしまうのだからな」
ガウルの言葉に感嘆と驚嘆を覚えながら、詩織はその大きな背中に続く
人間界には、物質を原子単位で分解、変質、再構築してあらゆる資源へと作り変える技術と、物質の根源を司り、魔法などの「霊」の力の干渉によって、物質そのものを作り出す技術が確立されてしまっているために、金銀財宝、金属、物資などの価値が軒並み低くなってしまっている。
さらに自動人形の発展によって、人間以上の労働力を確保でき、農林水産業などの食料自給も大幅な余裕を持って確保されてしまっている。
そのためこの世界で価値を持つのは、科学や魔法の力を超越する「気」の力や、その科学や魔法を操り発展させる「技術」など、限られた才能と能力に偏っている。――そんな世界背景も、人間界の残酷なまでの実力主義に繋がっている
「……なら、宝物庫には何があるんですか?」
そういった発展した科学の弊害などに関する知識に乏しい詩織には、ガウルの言葉はまるでお伽噺のような夢物語に近く、どこか現実感に欠ける響きがある。
しかしそれでも、金銀財宝や物資に価値がないというのなら、宝物庫に何が収められているのかは気になるところだ。
「人間には作れない希少な物だ」
詩織の質問に、ガウルは淡々とした口調で簡潔に応じる
「人間には作れない物……?」
その言葉を首をかしげながら反芻した詩織は、ガウルの言う「人間には作れない物」を思案する。
あらゆる物質を原子単位から作り出し、あらゆる物を構築する事ができるほどの技術を持つ人間界で人間が作れない物――そんな物があるとすれば、それは文字通りの意味で「人知の及ばないもの」という事になる
「俺達の目的は、人間界の宝物庫に安置されている神器、『神眼』だ」
自分の背後で首をひねっている詩織に、ガウルは自身の言葉から数秒の間を置いてから答える
「神眼……?」
(っていうか、私達……?)
神器や神眼という聞き慣れない言葉はもちろんだが、ガウルの言葉を聞いた詩織は、その言い回しに違和感を覚えるが、それ以上に「神器」という聞き慣れない単語に首をひねる
漠然と記憶の中でそんな単語を聞いた覚えもあるような気がするが、今一つ判然としないため、恐る恐る目線の位置まで手を上げて、躊躇いがちに問いかける
「あの……神器ってなんですか?」
「――そんな事も知らないのか?」
「すみません」
「呆れた奴だな」という声が今にも聞こえてきそうなガウルの言葉に、詩織が申し訳なさそうに頭を下げる。
元々九世界と繋がりのないゆりかごの世界――地球生まれの地球育ちである詩織が、九世界の事情に詳しい訳もないのだが、反射的にというよりは習性に近い反応で謝ってしまう
そんな詩織の様子に、小さく目を伏せたガウルは歩みを止める事無く、淡々とした口調で語り始める
「神器というのは、九世界創世における神々の戦争――『創界神争』において、光の絶対神『創造神・コスモス』と闇の絶対神『破壊神・カオス』の戦いによって、世界に散らばった神の力が結晶化した物の事だ。
その一つ一つが、神の力や能力、特性の欠片であり、中には神に等しい力を得る事ができる物すら存在すると言われている」」
(神様の力が宿った秘宝ってところか……)
ガウルの言葉に、詩織は内心で納得する
「その一つがここに……」
光魔神をはじめとする異端神が、神々の力によって生まれた「光にも闇にも属さない存在」である事を知っている知っている詩織は、神器もそれに似たものである事を理解して呟く
「そうだ。しかし、神器のほとんどは使用者を選ぶ。誰にでも使えるというものではないし、あるいは一つ使えたからといって、他の神器も使えるというものではない。――故に、人間界はその神宝を宝物庫に保管しているのだ」
「なるほど……」
ガウルの言葉に、詩織は納得した様子で頷く。ガウルの説明はいやいやながらも丁寧で、詩織よく分かるように言葉を選んでくれている
神器は神の力の結晶。その一つ一つが神の特性や能力、力の破片であり、その力を使うという事は、わずかながらもこの世界を創世した神の力を行使することに等しい。
それ故にその力を求める者が後を絶たない神器だが、それ自身が使用者を選び、誰にでも使う事が出来る訳ではない事が、唯一の欠点だ
「あれ? じゃあ、あなたがそれを手に入れても、使えないなら意味が無いんじゃ……?」
誰にでも使えないからこそ、誰にも使えないように宝物庫に保存されている。――そう説明したガウルの言葉に、詩織は首を傾げる
使い手を選び、誰にも使えないのなら、そんな物を手に入れてもあまり意味がないように思える。高額で売り捌こうとしているならその理由も分からなくはないが、そんな事をしても今の人間界にとってメリットがあるとは思えない
「本当に何も知らないんだな」
「……?」
その詩織の言葉に、再度深いため息をついたガウルは、その顔に勝者の笑みを張り付けているという事が背を向けたままでも分かるほど得意気な口調で言葉を紡ぐ
「――全ての神の力は、我等のものなのだ」
「……!?」
自信に満ち溢れたガウルの言葉に、その意味を把握しきれない詩織は怪訝そうに目を細める
「だが」
懸命にガウルの言葉の意味を理解しようと思考を巡らせている詩織の意識を、悠然と前方を歩いているガウルの低い声が現実に引き戻す
「……?」
「今では、神の力が宿った物を総称してそう呼ぶが、俺達が手に入れようとしている神器は、本当の意味での神器ではないらしいがな」
「え、それってどういう……?」
意味深なその言葉に、目を丸くした詩織がその真意を問いかけようとした瞬間、ガウルがその歩を止める
「着いたぞ」
「……!」
ガウルの言葉に目を瞠った詩織の目の前には、さながら大聖堂のように開けた空間が広がっており、その先には壁と見紛うばかりの巨大な扉が何人の侵入も拒んでいるかのように立ち塞がっている
その広大な空間になっている一すつをゆっくりとした歩調で歩いていくガウルは、人間の侵入を拒む城壁と見紛うばかりに頑強な扉の前に立つ
「この先に、我等の目指す神器がある」
厳かな声音に思わず息を呑んだ詩織が見つめる先で、ガウルはゆっくりとその手を伸ばして扉に触れようとする
「――そこまでに願えますか、ガウル・トリステーゼ様」
「……!」
しかし、無骨なガウルの手が、鉄壁の城塞の如き扉に触れようとした瞬間、凛と研ぎ澄まされた明瞭な声がその動きを阻む。
それに反応するように、ほぼ同時に肩越しに振り向いた詩織とガウルの視線の先にいたのは、腰にまで届くほど長い紺碧色の髪をなびかせ、純白のドレスを纏った人形のように整った容姿を持つ美女――人間界城に仕える魔道人形のリーダー格の一人「ミネルヴァ」。
「……ミネルヴァか。思っていたよりも早いな」
「Yes。それより先は、王の許可なく立ち入る事を禁じられております。――何より、光魔神様の存在を七大貴族の方々に披露する今宵の催しに、この場を訪れる事は無意味かと存じますが」
ガウルの言葉に丁寧に一礼したミネルヴァは、穏やかな口調とは裏腹に、その視線の中に鋭い警戒と明確な敵意を宿している
「そういうお前こそ、その敵意を引っ込めたらどうだ?」
「あ、あのこれは……」
ミネルヴァの視線に宿った無機質な感情に、ガウルが微笑交じりに応じる傍らで詩織は狼狽えながら二人に交互に視線を送る。
ガウルがミネルヴァに己の正体を気づかれた事を悟り、ミネルヴァがガウルの正体に確信を持って視線を交わしている事に気づいていない詩織の目の前で二人が穏やかながらも、一触即発の空気を醸し出していた
「――No、私は現在城の警備の一切を任されております。『王族、七大貴族問わず、不審人物の警戒を怠るな』……それが我らが王からのお達しですので」
「敵意を引っ込めたらどうだ」というガウルの言葉に、不敵に微笑んだミネルヴァが恭しい所作で、さらなる敵意を放つ
「やはり、身内に裏切り者がいる事に気づいているか――さすがは、王族といったところか」
「Yes。我等がお仕えしているのですから当然です……But、こんなにも早く行動を起こしてくる可能性は低いと思っていましたが」
ガウルの王族の対処に対する感嘆の言葉に同意を示したミネルヴァは、予想以上に早い行動に対しては「この状況で動いてくるとは思わなかった」とばかりに軽く肩を竦めてみせる
(え? 裏切り者……?)
その一方で事態を理解し切れていないのは、ガウルと共にここまでやってきていた詩織の方。自らを「裏切り者」と称したガウルと、ミネルヴァを困惑を隠せない様子で交互に見る
「謙遜するな。……ここにこれだけすんなり来る事が出来た時点で、少々警備が手薄すぎると思っていたんだ。――釣ったんだろう?」
しかし、当のガウルは微塵も動揺した様子を見せず、微笑を浮かべながらミネルヴァの言葉を否定する
この城内の警備はほぼ完璧だ。常に城内の霊の力を感知しているレーダーに、装霊機による制限区域管理と、そしてその警備システムを一手に司る魔道人形と魔法知能によって城内での行動はプライベートな部分以外は常に監視されている様な状態にある
当然ガウルもそれを計算に入れて行動していたし、自身が常に監視されている状態にある事も、城内のセキュリティーをかいくぐって目的の物だけを知られずに奪い取る事が出来ない事も承知の上だ。
ガウルの動きを把握していた以上、もっと早い段階で自動人形や使用人が接触を図って来ても良かったはずなのだ。――否、来なかった事が既におかしい。
ガウルの称賛の言葉に、ミネルヴァは無言でそれを肯定する穏やかな笑みを浮かべて、宝物庫の前に佇んでいる大男に視線を向ける
「さて……宝物庫にやってきたという事は狙いは神器でしょうか? だとすると、『英知の樹』ですか? それとも『十世界』ですか?」
「後者だ」
その言葉に、まるで満ちていた潮が引くかのような静けさと共にミネルヴァの表情から笑みが消え、無機質で冷酷な笑みを浮かべる
「――なるほど」
ミネルヴァが静かにその言葉を紡いだ瞬間、ガウルの正面の空間が揺らぎ、その中から閃光を纏った男がガウルに光の刃で構成された大剣を力任せに叩きつける
「……!」
ガウルが反射的に男の斬撃を、気で強化した腕で受けとめると同時、ミネルヴァが複数の障壁を展開して詩織をその中に封じ込めるようにして守る
「さすが、七大貴族だな」
気で強化しているとはいえ、情報を事象として現実に結実させる技能――仮想によって形作られた仮想刃の大剣を生身で防いだガウルに、その刃をもつ男が称賛笑みと忌々しげな舌打ちを同時にする
ガウルに攻撃を加えたのは、わずかな癖のある黒い髪と、獲物を狙う獣のような鋭い目が特徴の男。どこか粗暴でありながらも、どこか見る者を魅了する孤高の気高さを宿している
「――『シュヴァーン』か」
その人物を見て、ガウルが目を細める。
ガウルに攻撃を加えた「シュヴァーン」と呼ばれた男は、数少ない男性型の魔道人形にして、魔道人形の中でも屈指の戦闘力を誇るミネルヴァと並ぶその筆頭の一人だ。
「抵抗を止めて大人しく縛につけ」
シュヴァーンの抑制の利いた低い声に、その刃を片腕で事も無く受け止めているガウルは嘲るような笑みを浮かべる
「――先に攻撃を仕掛けておいてよく言う」
「そっちこそ。あと半瞬俺が遅ければ、ミネルヴァを破壊する気だっただろう?」
互いに交錯する視線と敵意、そして殺意。シュヴァーンの言葉に応じるように振りあげられたガウルの拳にまるで荒れ狂う竜巻のような気の力が絡みつく
「っ!!」
その力を前に、シュヴァーンが障壁を展開したのと同時にその力が容赦なく叩きつけられ、人間界城の一角に、強大な破壊の力がその牙を突き立てる
霊的な情報によって様々な機構を、情報的に再現し、半永久的に起動させる技術――「魔法」が織り込まれた人間界の建造物は、それによって極めて高い強度を保持時ているためにそう簡単に破壊できず、またわずかな損傷程度なら自動的に修復される機能を備えている。
そういった機能があるからこそ、人間界の建造物は長い期間を経ても老朽化する事無く、魔法による強化維持の効能が発揮されない程に破壊されるまで清潔な建物を維持し続ける事が出来る。
当然人間界城の壁にも同様の効果が――しかも人間界屈指の強度を以って施されている。下手なシェルターなどよりもはるかに頑強な城の壁も、ガウルの破壊の力の前には成す術もなく破壊されてしまう
「……ぐっ!」
ガウルの巻き起こした破壊の渦から飛びずさったシュヴァーンは、忌々しげに歯を食いしばりながら、悠然と佇んでいる大男を睨みつける
「っ!」
気の波動の衝撃を、障壁によって防御したミネルヴァが手をかざすと、その背後の空間が揺らめき、そこから人型をした機械の兵士――自動人形が数十体出現し、ガウルを制圧するべくその武器を起動する。
科学と魔法の髄が結集された自動人形。しかもこの世界の中枢足る人間界城を守護するためのそれには、極めて高い能力が備えられている。
仮想の砲塔を形成し、その砲身を一身に浴びながらも、ガウルは全く動じた様子もなく抑制された声で言い放つ
「――貴様たちに用はない」
その言葉が引き金になったかのように、自動人形達が展開した仮想の砲塔が一斉に火を噴き、物理的な超破壊エネルギーの光線がガウルに向かって一斉に降り注ぐ。
しかし、視界を埋め尽くすほどの広範囲で自身に迫る破壊の光を見ても全く動じた様子を見せないガウルは、自身の気の力を収束した腕で破壊の光線の全てを受け止め、力任せに握りつぶして破壊する。
「なっ……!?」
「――舐められたものだな」
その光景を目の当たりにして驚愕に目を見開く詩織の前で、ガウルはそのまま破壊の光を握りつぶした腕を背後にある壁の如く巨大な扉に叩きつける
その瞬間、扉全体を淡い光が包み込み、鈍く重厚な音と衝撃波をまき散らせながら壁のように巨大な扉とガウルの腕がせめぎ合う。
「やはり、防御結界を起動していたか」
自身の腕を阻む光を見て、ガウルが笑みを浮かべる
扉の向こうは宝物庫。万が一の時のために、この扉には障壁を多重展開させる結界が装備されている。障壁の機能だけに特化させた扉の防護システムが同時に展開させられる障壁の枚数は三桁にも上る。それをまるで一つの壁のように圧縮展開させている以上、この扉の防御を貫くのは容易な事ではない
「シュヴァーン!」
「分かっている!!」
しかし、それに安堵する様子など全く見せず、仮想の刃を備えた光の剣を携えたシュヴァーンが音を遥かに超越する速さでガウルに肉迫する
音をはるか後方へと追いやる速さで肉迫したシュヴァーンは、まるで閃光のような速さでその手に持つ剣を振り抜く。
「……鈍い」
さながら雷光のような速さで振り抜かれたシュヴァーンの刃を避ける事もせず、ガウルは気の力によって強化された自身の身体で受け止める。
剣が元々持つ切断力に加え、魔道人形としての能力が生み出す超音速の移動速素、そこに閃光の如き斬撃の速さまでが乗せられ、その破壊力が余す事無く伝達された一撃。
巨大戦艦すら一太刀の下に両断してしまえるほどの威力を持った斬撃もガウルの頑強な肉体を傷つける事は叶わず、そのあまりの威力に、ガウルの足元の床が砕け散る
(かかった!)
しかし、そこまではシュヴァーンの策略。圧倒的な実力差があるからこそ、ガウルが己の攻撃をわざわざ回避したり、迎撃する事はないと見越した上での攻撃。
即ちシュヴァーンの攻撃の目的は、ガウルを倒す事でも傷つけることでもなく、その距離を縮める事にあったのだ。
「……!」
それに気付いたガウルが目を見開く前で、剣から右腕を離したシュヴァーンは、その手に強大な力を収束させていく。
(これは……!)
魔道人形の中でも最も戦闘能力に特化している個体であるシュヴァーンは、その身体に他の個体を凌ぐ無数の兵器を搭載している。そして、ガウルに肉迫したシュヴァーンは、その身に搭載された数多の兵器の中でも、指折りの破壊力を持つ攻撃を選択する。
シュヴァーンの右腕が、周囲に満ちる原子を収束し、その身に搭載された機構によって収束した原子から「物質」を取り除き、物質として世界に顕現していたその「力」を呼び起こす。
その存在そのものが神能である全霊命と異なり、半霊命はその「存在」と、それを宿している「肉体」の二つから構成されている。
戦闘に使う界能である「気」は存在の力。そしてシュヴァーンが行使しようとしているのは、存在ではなく「器」――「物質」という概念によって世界を構築する界能。
「気」と同様に物質に宿る「世界」そのものの界能である「元素」とは異なり、この世の万物を構成する『形』の根源。この世界にあまねく存在する全ての物質を構築する最も神能に近い界能。
(……原始霊素か!)
ガウルが眼を見開いた瞬間、シュヴァーンの腕から原始霊素の力が込められた圧倒的な力の波動が放たれる。
人間界の文明が生み出した、最強の破壊力が趣向性を持って炸裂する。全力で解放すれば、見渡す限りの大地を消滅させるほどの力を持つそれを制御し、破壊力の塊として叩きつけられれば、いかにガウルといえど無傷で済むはずがない
「――っ!!」
シュヴァーンが、原始霊素による攻撃を繰り出そうとした瞬間、ミネルヴァはその周囲を障壁によって覆い尽くし、その破壊力と被害を限界まで抑え込んでいた。
幾重にもおり重ねられた障壁の内側で炸裂した破壊の力に歯を食いしばって耐えるミネルヴァの目の前で、ついに防御の限界を超えた障壁が砕け散り、解放された荒れ狂う力の暴風が、宝物庫一帯を呑み込んで蒸発させる
(ガウルさんが十世界の人……グリフィスさんと同じ……)
まるで超能力のように障壁に包まれた状態のままで詩織を宙に浮かせたミネルヴァが、爆発からのばれるために後方へ跳ぶ。
実際にはかなりの速さで跳躍しているのだが、障壁のおかげで体感速度が全くない詩織は、比較的冷静にガウルを呑みこんで炸裂した爆発を見る
「お怪我はありませんか?」
「は、はい」
半ば茫然として爆発を見ていた詩織の意識をミネルヴァの言葉が現実に引き戻す。
それと同時に、まるでドームのように大きく開けた空間になっている宝物庫の中で吹き荒れる爆発の中から全身を障壁で包み込んだシュヴァーンが跳びずさってくる
「あの……」
「気を抜かないでください。この程度で倒せるほど、七大貴族は甘くありません」
「っ!?」
知らない事だったとはいえ、十世界に所属しているガウルと行動を共にしていた事を弁解しようと、恐る恐る声を出した詩織をミネルヴァの抑制された声が制する
シュヴァーンの戦闘能力は、魔道人形の中でも最高位に位置する。しかし、七大貴族の一角を占めるガウル・トリステーゼにはその力をもってしても及ばない。
不意打ちで原始霊素を叩きつけたとはいえ、それが決定的なダメージにならない事をミネルヴァもシュヴァーンも当然の事と考えていた
「……さすがに今のは、驚いたな」
そして、二人の考えを肯定するように、爆発が瞬時にかき消され、その中から軽傷を負ったガウルが姿を現す。
ガウルをしても、さすがに原始霊素の攻撃を防ぎきれなかったのか、その身体はところどころ焼け焦げ、わずかに血を滴らせている。
しかしガウルが負った傷はいずれも致命傷には程遠く、戦闘の素人である詩織にすら、地球人なら「自転車など手少し派手に転んだ時に出来るような傷」と感じさせる程度でしかない
「さすが、ガウル・トリステーゼ様。『歩く要塞』の異名は伊達ではありませんね」
原始霊素の直撃を受けたにもかかわらず、大したダメージを受けた様子もないガウルに視線を送り、ミネルヴァが忌々しげに言い放つ。
七大貴族の一角、トリステーゼに名を連ねる「ガウル・トリステーゼ」には、誰がつけたかは分からないが、「歩く要塞」という異名がある。
エクレールのように特異な能力や技能がある訳ではない。ガウルが何よりも優れているのは、その単純な戦闘能力だ。
気を纏えば、まるで城塞のように強固な身体を持ち、拳を振るえば全てを粉砕し、武器を持てばさながら天災の如く無慈悲に全てを薙ぎ払っていく。――単純に強化された肉体で戦場を悠然と闊歩し、立ちはだかる全ての敵を力任せにねじ伏せるその様は、まさに「歩く要塞」の名に相応しいものだ
「宝物庫を破るにしても、先にお前たちを排除しなければならないようだ」
「っ!!」
――とはいえ、ガウルは単純に「強化」という気の力に優れているにすぎない。同格の七大貴族ならばその防御を貫く事も出来るし、先ほどのシュヴァーンのようにダメージを与えるのが不可能な訳ではない。
ただ恐ろしく頑丈で頑強。加えてかなり打たれ強い上に身体能力そのものも高いため、倒すにしても一筋縄ではいかず、相当手間取ってしまう。
「まだか、ミネルヴァ!?」
「――もうすぐです」
シュヴァーンの声に、ミネルヴァがその整った顔に焦燥の色を浮かべる
「生憎、いつまでもここに長居する気はない。悪いが速攻で倒させてもらうぞ」
淡々と言い放ったガウルの拳に、強大な気の力が収束される。
ガウルが拳に宿した気を測定したミネルヴァとシュヴァーンは、まるで命を握りつぶされるかのような圧迫感と、自身の身体が空間諸共押し潰されてしまうかのような重圧を覚える
人間界の人間であろうと遥かに上回る能力を持つ魔道人形であろうとも、人間界の王族、七大貴族の前ではその力も霞んでしまう。
隔絶した力を持つ七大貴族を倒すためには、いかに最高位の魔道人形であるミネルヴァとシュヴァーンでも戦力不足は否めない。しかし、二対一でも勝ち目がない事を分かっていて尚、無策でガウルの前に立つような事はない
「消えされ……!」
抑揚のない声と共に、ガウルがその手に宿した強大な気の力を、まるで砲弾のように投げつける。
たとえ何十に重ねようと、障壁の防御など容易く粉砕してしまえるほどの力を宿したその気弾は、しかしミネルヴァたちに届く前に、その背後から伸びてきた純白の衣の槍に貫かれて粉砕される
「――!」
「……来たか」
ミネルヴァたちの背後から伸びてきた布槍を見て眼を瞠ったガウルと、安堵の表情を浮かべたミネルヴァとシュヴァーン、そして詩織の視線の先で、艶やかな着物が華やかに舞う
「間に合ったようですね」
漆黒の髪をなびかせ、その身を包んでいる振袖に似た着物を翻らせ、淑やかに微笑む美女を見て、ガウルは眉間にしわを寄せる
「天宗、檀……!」
「無駄な抵抗はやめてはいかがですか?いかにあなたが強くとも、ここには現在王族、七大貴族が集まっているのですよ?」
忌々しげに吐き捨てたガウルに呼ばれた和装の乙女――天宗檀は、その身に纏う羽衣のような布を龍のように操りながら、淑やかな笑みを浮かべる
この城には現在、ガウルと同格の力を持つ七大貴族、そして七大貴族すら遥かに凌ぐ力を持つ王族、さらには人間に神である全霊命、光魔神がいる。
今は檀一人しかこの場にいないが、戦いが長引けば――否、必要に迫られればミネルヴァが猛者を呼び寄せ、ガウルは瞬く間に制圧されてしまうだろう。
たとえどれほど足掻いても、この場から逃げる事も目的を果たす事も出来ない事を理解するには十分すぎる言葉で、降伏を促す檀の警告を聞いたガウルだが、降伏はおろか、逆に嘲るような笑みを浮かべて、余裕に満ちた表情でその場にいる全員を睥睨する
「その程度の事を俺が分かっていないとでも思っているのか? ――心配するな。神も、王族も、他の貴族達も、俺ごときに構ってはいられないはずだからな」
勝ち誇ったような余裕の笑みを浮かべるガウルを見つめていた檀は、その言葉が示す可能性に気づいて目を瞠る
「っ、まさか……」
不敵に微笑むガウルの表情に、檀だけでなくミネルヴァ、シュヴァーンまでもが驚愕に目を見開く
檀達三人の脳裏をよぎったのは、ガウルが所属する「十世界」という組織。
光と闇、全霊命と半霊命を問わず、世界を統一して争いの無い恒久的平和世界を実現する――そんな理想を目的として掲げている組織に所属しているならば、彼らとの繋がりもあるはずだ。
「――そう、そのまさかだ」
檀の考えを正確に見抜いているガウルは、その清楚な顔に焦燥を動揺を浮かべている和装の美女へ不敵な笑みを向ける
檀が現れた瞬間に、ガウルは装霊機を介して、王都の外に待機させているメリッサに連絡を取っていた。
できるだけ騒ぎにならずに神器を獲得できればそれでよし。しかしこの状況を全く想定していなかった訳ではないガウルは万が一に備えて合図一つで光魔神や王族まで巻き込んだ陽動と撹乱、戦力の分散を行わせる手段を講じていたのだ
「まあ、出来れば、奴らに頼らずに終わらせたかったがな」
その瞬間、人間界の王都「アルテア」を強大な力が包み込む。
それは、界能ではありえない程の規模と純度を持ち、世界の全てを超越するこの世界において最も神に近い格を持つ最高位の霊の力――「神能」。
「――っ!」
「なっ!?」
「まさか、この力は……!!」
世界を呑みこんだ、闇と闇に染まった光の神能を知覚し、パーティ会場にいた誰もが思わず窓の外へと視線を向ける
「これは……魔力と光魔力!?」
世界最強の界能を持つ王族の力すらも、塵芥程度にしか感じられない規模と純度の力に戦慄する王族、七大貴族の中で大貴はその力の波長に覚えがあった
「あいつらか……!」
それと同時刻、王都上空に出現した神能を知覚したマリアとクロスが視線を交わす
「クロス」
「ああ、今回は俺達も高見の見物とはいかないな」
マリアの言葉に静かに応じたクロスは、はるか天空に出現した神能を知覚して、鋭い視線を向ける
「いくぞ、マリア」
「はい」
視線を交わした二人の天使は、互いに顔を見合わせて小さく頷くと同時に戦場へと赴くべくその純白の翼を広げた
そしてその少し前。空間の扉を開いて人間界に降臨し、遥か高い空の上に立って眼下に見える王都を見下ろしているのは、二人の悪魔と一人の堕天使。
燃えるような灼熱色の髪を逆立たせた額に角を持つ男と、緩やかに波打つ金色の髪を持つ美女、漆黒の翼を持ち、額に角を持つ金髪の男――地球にいた時から大貴やクロス、神魔達と因縁深い三人の許に、半透明の仮想体の女性が姿を現す
「ご足労ありがとうございます、紅蓮様、ラグナ様、茉莉様。――ネイドと申します」
「……無霊命か」
恭しく頭を垂れた命なき生命――無霊命であるネイドを一瞥した紅蓮は、眼下に広がる人間界の王都を見下して、その中に知覚できる目的の人物の存在に血に飢えた獣のような笑みを浮かべる
「――また戦りに来たぜ大貴……!」
「紅蓮さん。ここは人間界の中心です。くれぐれも十世界や姫の迷惑になるような事はしないでくださいね」
今にも眼下にある王都を消し飛ばしかねない紅蓮を見て、金色の髪をなびかせる悪魔の美女――茉莉が優しい声音で釘をさす
「分かってますよ、姐さん」
三人の中でも突出した力を持つ茉莉には、さすがの紅蓮も頭が上がらない。
茉莉の言葉に委縮しつつも、久しぶりの大貴との戦いに血沸き、肉踊らせている紅蓮の横で、漆黒の翼を持つ堕天使――「ラグナ」は、無言で空に佇んでいた
「……では、行きましょうか」
厳かな声で言った茉莉の言葉と同時に、王都アルテアそのものが必要最低限の人数を残して空間ごと隔離された。
「……私達は十世界。いつでも全霊命の力を借りる事ができる――グリフィスのように毛嫌いしなければ、ですが」
天空に到着した茉莉達を空間に展開した画面で見ていたメリッサは、まるでグリフィスを罵るような口調で呟くと、その視線を背後に向ける
メリッサの背後には、十世界に所属する人間達の軍勢。それなりの戦闘力を持った人間達に加えて、グリフィスの置き土産である竜騎をはじめとする自動人形、操動人形、機鎧武装が並び、先日の騒動など比較にならないほどの戦力が揃えられている
「私達の目的は、ガウル様が、神器『神眼』を手に入れるまで、王族、七大貴族を引きつけ、足止めする事にあります。彼らの力は強大。しかし、臆する事はありません!我等には同胞の力の加護があるのです!」
メリッサが凛とした声音で通信機を介して言い放つと、そこから割れんばかりの勇ましい声が返ってくる
本来ならば、最強の半霊命である人間界の王族、七大貴族を相手に、この軍勢では全く足りないだろう。しかし、この場にいる誰もが自分たちの勝利を疑っていないのは、一重に助力してくれる全霊命がいるからだ。
いかに人間界最強の王族とはいえ、全霊命の前ではその力など矮小とすら認識されない程脆弱な存在に過ぎない。そう考えれば、その場にいる誰もが勝利を疑っていないのは、必然でしかなかった
(――もっとも、それだけではないのですがね)
この場にいる十世界の同胞たちはもちろん、ガウルですら知らないもう一つの目的のために戦場に立つメリッサは、遥か彼方に見える人間界王都・アルテアを見据える
「全軍、出撃!!」
『オオオオオオオオオオッ!!!』
その言葉と同時に、今この瞬間まで軍勢を隠していた偽装空間が消失し、おびただしい数の軍勢が王都に向かって進軍を始める
「た……光魔神様!」
「ヒナ達はここを頼む」
思わず「大貴」と呼びそうになったヒナの言葉に、左右非対称色の翼をはためかせて宙に舞い上がった大貴は、会場に設置されている窓が自動で開いていくのを見る。
上空に現れたのが全霊命である以上、彼らと戦えるのは光魔神である大貴だけだ。改めて全霊命と半霊命の間にある力の差に打ちひしがれるヒナは、ただ信じて見送るしかできない自身の無力に唇を引き結びながらも、少しでも憂いなく大気を戦場へと送り出すために、いつも通りの笑みを浮かべる
「――ご武運を」
「ああ」
そんなヒナの想いを知ってか知らずか、強い決意を持って頷いた大貴は、開いた窓から天空へと光すら遠く及ばない程の速さで舞い上がっていった。
「……」
ヒナを筆頭として、人間界の王族、七大貴族に見守られて天空へと飛び去っていく、光魔神――大貴を見送っていたエクレールは、その人並みに隠れるようにゆっくりとその場から離れていった。
「……残念だったな」
「そんな……みんなが、消えた?」
勝ち誇ったように静かに笑みを浮かべたガウルの前にいるのは、詩織ただ一人。
先程まで共にいたミネルヴァも、シュヴァーンも、天宗檀も、まるで幻だったかのようにその姿を忽然と消してしまっていた
「さあ、さっさと用事を済ませてしまうか」
突然一人でガウルの前に放り出された詩織が混乱している前で、詩織など戦力として度外視し、歯牙にもかけていないガウルは、無防備にその背を晒し、目の前にそびえ立つ壁のような扉に向かい合う
そしてそれと同時刻。隔離された空間世界の中で進軍を始めた十世界の軍勢と、天空に佇む三人の全霊命、そして王都とその中で繰り広げられている戦いに視線を向け、ツギハギだらけのぬいぐるみを抱えた少女が不敵に笑う
「――さぁ、パーティの始まりだよ」
その様子を見ていた少女――悪意を振り撒くものの一人「セウ・イーク」は、その言葉と共に無邪気な悪意に満ちた笑みを浮かべた。