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魔界闘神伝  作者: 和和和和
天界訪問編
69/305

絶望と希望の夜





「詩織さん、夕食の時間ですよ」

 大貴達が泊っている、人間界城内の貴賓室の内側にある個室の扉の前で、ロンディーネが部屋の中にこもっている詩織に、インターホン越しに話しかける

 貴賓室の個室は、防音耐衝システムが完璧に敷かれているため、扉越しでも声が届かない。そのため、外側と内側を仮想(マトリクス)のインターホンで繋いでいるため、扉の前で話せば、その言葉が内側に通るようにできている。

《ごめんなさい……食欲がないんです》

 ロンディーネの言葉に、インターホン越しに詩織の声が返ってくる。

 その声は弱々しく掠れており、今にも泣き崩れてしまいそうな脆さを孕んでいる。映像も繋げるインターホンで音声のみで応対しているのも、そういった事情があっての事だろう

「せめて一口だけでも、何か召し上がった方がよいのでは?」

《ごめんなさい……今は、一人になりたいんです》

 インターホン越しに返って来た詩織の言葉に、ロンディーネは小さく息をつくと、無線で繋がっているインターホンの向こうに努めて優しい声で語りかける

「そうですか……では、お食事は室内に送っておきますので」

《ありがとうございます》

 ロンディーネの声に、詩織の声がインターホン越しに届く


 貴賓室内の個室には、転移装置(ポータル)に似た小型の機械が設置されており、室外からそこへ物資を転送できるようになっている。

 一見大仰に見えるかもしれないが、一日二日で端から端まで移動できないほど広い人間界城の中で、物体を移動させる転移装置(ポータル)は必須の代物であり、ほぼすべての部屋に備え付けられている。その中で、貴賓室のような場所には個々に小型のものが設置されているのだ。


「どうだった?」

 インターホンの接続を切り、既に食卓を囲んでいる大貴、クロス、マリアの許へと戻ったロンディーネに、大貴が訊ねる

「お食事はいらないそうです。皆様だけでお召し上がり下さい」

「そうか……」

 ロンディーネの言葉に目を伏せた大貴は、その視線を魔道人形(マキナ)の侍女へと向ける

「仕方がないか。少しの間、好きなようにさせてやってくれ」

「かしこまりました」

 詩織を気遣う大貴の言葉に、ロンディーネは腰を折って応じる

「結局極刑か」

「……ああ」

 独り言のように呟いたクロスの言葉に、大貴はその記憶を数時間前に遡らせながら、小さく頷いた




「そん、な……」

 ヒナの口から神魔と桜の極刑の話を聞いた詩織は、その事実に、まるで魂が抜け落ちてしまったような表情を浮かべ、自分の身体を支える事もままならずによろめく

「詩織さん!?」

「姉貴!」

 思わず倒れそうになった詩織を、大貴が咄嗟に腕で抱きかかえる

 その様子を見て、詩織が倒れなかった事に安堵の息をついたヒナは、そのまま大貴に視線を向けて深々と頭を下げる

「大貴さん……力及ばず、申し訳ありませんでした」

「いや、ヒナはよくやってくれたよ」

 その様子を見るだけで、自責の念に苛まれている事を容易に察する事ができるヒナを、これ以上責める訳にはいかない。

 元々、極刑と労働奉仕が半々という可能性を聞いていたため、その覚悟もしていたが、内心では人間界王族に頼んだのだから、大丈夫という考えもあった。見事に自分の考えが甘かった事を思い知らされていた大貴の襟首を掴んで、詩織が縋りつくように涙で濡れた視線を向ける

「大貴……どうしよう、このままじゃ、神魔さん達が処刑されちゃうよ!」

「…………っ」

 その言葉に、目の前に突きつけられた現実を改めて認識させられる

 何もできない自分にもどかしさを覚えつつ、歯噛みする大貴に、詩織が縋るような視線を向ける

「お願い、大貴! 神魔さん達を助けて……!」

「……姉貴」

 涙を流しながら絞り出すように言った詩織に、大貴は目を細める

 双子の姉弟として今日まで一緒に暮らしてきた大貴ですら、見た事がない程弱々しい様子で大貴に縋りつく詩織は、もはや立っている事もままならなくなり、力なくその場に(くずお)れる

「お願いだから……」

 溢れ出る嗚咽を懸命に言葉に変えて、懇願する詩織を前に、大貴はかける言葉を見つける事が出来ず、立ちつくすしかなかった。




「――なあ、クロス……俺はどうしたらいいんだ?」

「……お前はできる事をやっただろ?元々こうなったのは、あいつら自身の責任だ」

 ポツリとつぶやいた大貴の言葉に、クロスは事も無げに応じる――否、クロスは天使。悪魔である神魔の生死など、本当にどうでもいいことなのかもしれない。

 九世界の知識に乏しい大貴には、天使と悪魔が存在的に敵対する関係にあるとしか知らない。地球にいた時も、神魔とクロスが目立って敵対する事はなかったが、その間に壁というか、距離のようなものがあるのは大貴も薄々感じていた事だ

「そんな簡単には割り切れないだろ?」

 クロスの言葉に、大貴はため息交じりに言う


 神魔と桜の罪状は、「九世界非干渉世界への干渉」。つまり、九世界と交流関係にないゆりかごの世界――地球に無許可で滞在していた事が原因だ。

 神魔と桜は自分達の意志で、それが罪だと知りながら地球に滞在し続けた。そして、行動には責任が伴う。故に二人の罪が確固たるもので、揺るがす事ができない事実というのは、いかなる理由を用いても変えようがない


「……法律やルールって言うのは、考え方も価値観も違う個人が一つの集団として生きていく上での最低限の決め事だ。多少気に入らない事があったからって、それを理由に個人の思いや都合で勝手に変えていいものじゃない」

 独白するように呟いた大貴に、クロスが釘をさすように言う

「……正論だな」

 その言葉にため息混じりに呟いた大貴は、席を立って、貴賓室内の個室ではなく、城内へと続く貴賓室の扉の方へと歩いていく

「どちらへ?」

「ちょっと散歩に行ってくる」

 ロンディーネの言葉に、大貴はどこか疲れたような声で応じる

「では私も……」

「いや、大丈夫だ。ちょっと考え事もしたいからな」

 その様子と口調から、「しばらく一人にしてくれ」という大貴の無言の言葉を感じ取ったロンディーネは、穏やかな笑みを浮かべて軽く腰を折る

「ザイアも、頼む」

「キュ……キュゥ」

 貴賓室を出て行こうとした大貴の静かな声に、一緒についていこうとしていた子犬程の大きさの白竜――人間界十二至宝の一つ、至宝竜、ザイアローグはわずかに寂しそうな声を漏らして大貴から離れていく

「そうですか……では、御気をつけて」

「ああ」

 大貴が部屋を後にしたのを見て、マリアは隣に座っているクロスに視線を向ける

「……本当は神魔さん達に生きててもらいたかったんでしょ?」

「何でそうなるんだよ? 悪魔の生き死になんて俺にはどうでもいい事だ」

 マリアの言葉に、クロスが憮然とした様子で答える

「クロス、優しいもんね」

 どこか照れ隠しにも見えるその姿を見て苦笑したマリアは、クロスの建前の言葉など全く意に介さずに優しく微笑む


 クロスと長い付き合いのマリアは、クロスの過去にある傷を知っている。

 正しいが故に傷つき、正しいが故に失った過去を持つクロスは、それでも正しくあろうとする事を止めない。「正しい事をするためには、どれほどの痛みを背負っても自分が正しくあろうとする必要がある」――あの時(・・・)、実の兄から言われた言葉をクロスが忠実に守っている事を知っているマリアは、それでも優しいが故に、どこか虚勢を張っている様に見えるクロスをほんの少しでも支えたいと願わずにはいられない


「だから違うって言ってるだろ?」

「そうだね」

 言葉にはしなくとも、自分が神魔達の身を案じていると解釈しているマリアに、釈然としない感情を抱きながらも、クロスはそれ以上の言葉の応酬は無意味だと、わずかにぶっきらぼうな口調で言い放つ

「……勝手に言ってろ」

 そう言って目を背けたクロスに、マリアは優しい視線を送り続けていた




 ロンディーネの言葉に見送られて貴賓室を後にした大貴は、広いというよりも、一つの惑星並みの面積を誇っている人間界城の中を当てもなく歩いていた。

 その異常な広さでも、転移装置(ポータル)があるため移動は容易で、万が一迷ったとしても、誰かを呼ぶなり、光魔神の姿に戻って部屋に戻ればいい、と安気に考えながら城内を歩く

(……どうすればいいんだろうな)

 大貴の頭の中では、神魔達を救ってほしいと懇願して泣き崩れる姉の姿と、クロス達の言葉がぐるぐると廻り、ゴールの無い迷宮を作り出している


 大貴も神魔達を死なせたくないと思っている。しかし、二人は確かに法を犯したのだから、自分勝手な都合でそれを無碍にしていいはずはないという考えが同時に頭をよぎる。

 一つ特例を許せば、同じ事になった時に「何であいつはよくて、自分は駄目なんだ」という事になり、やがて法という枷が緩んで崩壊してしまうという理屈も分かる。――助けたいという思いと、裁かれねばならないという正しさが大貴の中で答えの無い葛藤を生み出していた


「……はあ」

 思わずため息をついて、大貴は歩いていた廊下の壁に寄り掛かる。

 明かりで照らされている明るい廊下に備え付けられた窓から視線を外に向けると、すっかり夜の帳が下りた世界に、窓から見える人間界城と、王都(アルテア)の街の明かり、そして天頂で輝く神臓(クオソメリス)の月光が煌々と輝いている

「大貴さん」

「キュウ!!」

 その時、ふと自分を呼ぶ聞き慣れた声に視線を向けると、肩にザイアを乗せたヒナとリッヒが並んで立っていた。

「……ヒナ」

 考え事に気を取られ過ぎていたために、人間の中でも飛び抜けて大きな力を持っているヒナとリッヒの存在に気づかなかった自分に内心で苦笑している大貴に、人間界の次期王にして、大貴の婚約者候補でもある美女が優しい声音で語りかける

「どうされたのですか、このような場所で?」

「いや、ちょっと考え事をな……ヒナは仕事か?」

「はい」

「そうか」

 ヒナの言葉に、大貴は小さく呟いて視線を窓の外に向ける

「…………」

 その様子に怪訝そうな表情を浮かべ、ヒナとリッヒが顔を見合わせる

 そのままわずかに案じる様な視線を大貴に向けているヒナを見て、リッヒは小さく微笑んでわざとらしい所作で恭しく一礼する

「では、お姉様。私は先に行っておりますので。ごゆっくりどうぞ……ザイア、行きますよ」

「キュ?」

 リッヒに手を差し伸べられ、ザイアが怪訝そうに首を傾げる。しかしそこは、十二至宝の一角を占める至宝竜。長年人間と共に生きてきたザイアには空気を読む力までもが備わっているのか、素直にリッヒについていく

「リ、リッヒちゃん……」

 気を利かせてくれたのは分かるが、去り際に軽くウインクをしてくるあたり、リッヒが自分と大貴を見て楽しんでいるのではないかと思いつつも、二人きりの時間を作ってくれた実の妹に視線で謝意を告げる

「隣、よろしいですか?」

「ああ」

 たおやかに歩み寄ったヒナが優しい声音で問いかけると、大貴は容姿や気品といった持って生まれた先天的な美しさと、後天的な努力で手に入れた女性らしい淑やかな身のこなし、そして環境によって培われた清楚で奥ゆかしい性格が見事に調和したその笑みに一瞬目を奪われる

 反射的に顔を赤らめた大貴の隣に移動し、大貴に倣って壁に背中を預けるようにしてもたれかかったヒナは、まるでその考えを見透かしているかのように深々と頭を下げる

「お力になれず、申し訳ありませんでした」

「……そんな事無いさ。政治に関わる事は、俺にはさっぱりだけど、ヒナ達には俺の知らない、色んな事情があるんだろ?」

 この状況で大貴が思い悩む事と言えば、「明日のパーティ」か「神魔と桜の極刑」の事以外にはない。そしてその表情から、後者である事を見抜いて言ったヒナに、大貴は少々ぎこちない笑みを浮かべて応じる


 法律や世界の関係の事はまだよく知らない大貴だが、九世界間にある「原則不干渉」の不文律の中でヒナ達が出来る限りの事をしてくれたのだという事は分かる。

 だからこそ責めるわけにはいかず、まだ精神的に未熟な部分を残す大貴には、頭の中では分かっていても、思い通りにならなかった現実へのやり場のない感情を拭いきれないのも事実だ


「――いえ、大貴さんにこちらに来ていただき、私達の条件を呑んでいただいたのに、あなたの目的を叶える事が出来ないなど、お詫びをする以外にはありません」

 現実と理想の狭間に苦悩している大貴の言葉に、ヒナは小さく首を横に振って応じる


 元々人間界が自身達の創造主である光魔神――大貴を人間界に招き、その力を名を借り、あるいは九世界の中で最弱の世界である人間界のためにその存在を頼る……悪く言えば、利用しようとした見返りとして大貴の「神魔と桜の減刑を乞う」という条件を呑んだのだ。

 しかし、人間界側の思惑が大貴――光魔神の存在によってうまく行こうとしている中で、たった一つの大貴の願いすら叶えられない事に、ヒナは後ろめたさを感じざるを得ない


 そう言って大貴を見つめるヒナは、まるで魔界にいる神魔と桜を見ようとしているかのように遠い視線で夜空を見つめるその姿に、不意に胸を締め付けられるような感覚を覚える

 普段の大貴とは違う、憂いを帯びたどこか弱々しい姿。その姿に思わず抱きしめてあげたい――支えになりたいという庇護欲、あるいは母性がヒナの心を締め付けると同時に、不謹慎ではあるが、目の前にいる自分ではなく、この世界ではない別の場所にいる二人が、大貴の心を占めている事に己が嫉妬している事をヒナは自覚していた。

「……あの、そのお二人は、大貴さんにとってそれほど大切なお方なのですか?」

「変か?」

 思わず問いかけたヒナの言葉に、大貴は特に気を悪くした様子もなく苦笑しながら答える

「いえ、決してそのような意味ではなく……ただ、大貴さんにとって、どのような方々なのか興味があるだけです。――もちろん、仰りたくないのでしたら、無理にお聞きしようとは思っておりませんし」

 その大貴の言葉に、ヒナは頬をほんのりと赤らめながら、慌てて言葉を取り繕う


 人間と悪魔、半霊命(ネクスト)全霊命(ファースト)――厳密に言えば、大貴は全霊命(ファースト)の括りになるのだが――は、種族単位ではともかく、個人単位で仲良くなる事は珍しくない

 ヒナが大貴にその質問を向けたのは、大貴にとって神魔と桜、二人の悪魔がどれほど重要な人物なのだろうかという、興味とささやかな嫉妬によるものだ


 大貴とヒナは婚約者候補とはいえ、ほんの数日前まで会った事もない者同士。「立場や思惑ではなく、自分自身を見て、愛するに値する人物かどうかを判断して欲しい」という言葉は、ヒナが自分自身に向けたものでもある。

 大貴が光魔神であるという事実が、何の関係もないといえば嘘になる。光魔神という存在は、人間の神であるが故に、人間から崇拝にも似た無条件の好意を集めやすい存在でもある。

 光魔神である事を考えず、それでも大貴自身が光魔神である事を忘れず、ただそこにいる大貴――光魔神を一人の女性として見続けていたヒナは、自分の中で大貴が、大きな存在になっている事を改めて自覚していた。


「何でそんなに必死なんだよ? ……まあ、別に大した関係じゃないな」

「……そう、なのですか?」

 何故か慌てふためくヒナに苦笑した大貴は、まるで遠い過去を顧みる様な懐かしく、優しい視線を向けながら語りかける

「光魔神に覚醒する前に助けてもらって、一緒に暮らして、覚醒してからも一緒に戦ったりした仲だな。まあ、光魔神(この力)で最初に出会って、光魔神(この力)で最初に作った仲間ってところか」

 そう言って大貴は軽く天井を――おそらくはその先にある何かを仰ぎ見る


 神魔達と出会えたのは、自分が光魔神だったから。そうでなければその出会いは無く、今日の自分は無いと大貴は思っている。神魔と桜、クロスやマリアとの出会いは、光魔神(この力)が結んでくれた確かな絆なのだ


「――当人たちはどう思ってるか知らないが、俺は神魔と桜を仲間だと思ってるし、恩を感じてるんだ」

「そうですか……素敵な仲間なのですね」

 優しい声で言った大貴に、ヒナは慈愛に満ちた視線を向ける

 ヒナにとって、神魔も桜は、会った事もない人物達だ。しかし、その絆が大貴を自分の許へと導いてくれた事に感謝し、そしてその存在が作り出してくれた今の大貴の表情を前に、ヒナは胸の奥が温かくなるのを感じていた

「……なあ、ヒナ。俺はどうしたらいいんだろうな」

 不意に声のトーンを落とし、大貴は独白するようにヒナに問いかける。


 本心では、受け入れ難い神魔と桜の極刑。しかし法と状況を考えれば、それもやむを得ないと考えてしまう。現実と思いの狭間で揺れ動き、自分がどうすればいいのか、何をするべきなのかを思い悩んでいる大貴の心情を察し、ヒナは小さく首を横に振る


「――私には分かりません」

 静かな声音で大貴に答えたヒナは、そっと胸に手を添えて言葉を続ける

「理屈と思いが同じとは限りません。正しいと信じた思いのままに生きても、法や正義を重んじて生きても、人はきっと後悔するのでしょう――どちらが正しいか間違っているのではなく、どちらも等しく正しく、等しく過ちなのだと思います」

 心が願うものと、法や掟の正しさは時に矛盾する。

 己の願いが法を犯し、法を守る人間が思いを殺される。それは決して珍しい事ではない。思いを蔑ろにはできない。しかし、法や掟を無碍にする事もできない。二律背反の中で人は常に心と法を取捨選択し、生き続けている

「後悔しないように生きろと言う方もいます。ですが私は、そんな生き方はこの世にはないのだと思います。『もしもあの時こうしていれば』、『あの時これをしなかったら』――誰であろうと、多かれ少なかれ後悔し、迷い、考え、選択しながら生きてるのです」

「……ヒナも、か?」

「無論です」

 大貴の言葉に、ヒナは迷いなく答える。


 後悔せずに生きることなどできはしない。正しいと信じた事が後に過ちだったと分かるかもしれない。間違っていた事が正しかったかもしれない。――誰もが迷いながら生き、後悔し、時に己を苛みながら生きているのだ


「……ですから、私の口から申し上げられる事は、『あなたの望む事を、あなたが護りたい思いと法に則って行ってください』というありふれた言葉だけです」

「自分で考えて決めろ……か。そうだな、お前の言うとおりだ」

 ヒナの言葉に、大貴は自嘲するような笑みを浮かべる


 神魔や桜を助けるのも正しい、法に則り二人の処刑を見守るのも正しい。しかし、どちらも間違っている。思いに任せて法を犯すのは悪であり、法を重んじて二人を死なせればずっと後悔し続けるだろう。

 大切なのは、自分が何に命を懸け、何を守り、何のために戦うのかという事だけ。結局はどちらを選び、どちらで後悔するかの違いでしかない。――答えなどありはしない


 そう考えていた大貴に視線を送っていたヒナは、意を決したように唇を引き結んで目を伏せる

「ただ、一つ気になる事が」

「気になる事?」

 首を傾げた大貴に、ヒナは小さく頷く

「はい。魔界側の話では、確かに極刑は極刑なのですが、特別な極刑を適応する、と」

「特別な……極刑?」

 ヒナが発した意味深な言葉に、大貴は怪訝そうな表情を向ける

「はい。いずれにしても結果は同じですし、あらぬ期待を抱かせるのもよくないのではないかと思って、今まで黙っていたのですが……」

 大貴に視線を向け、ヒナは目を伏せる。その様子を見れば、本人の言葉の通りこの事実を言うか言うまいか逡巡していたのがありありと見て取れる。

 特別な極刑というものがどういうものなのか具体的にはヒナも知らないが、極刑は極刑。何が変わるわけでもないと思い、誤解や期待を抱かせるような言い回しを避けた言い方をしたのだ

「そうか……ありがとな。教えてくれて」

 その言葉と気遣いに心から感謝しつつ、大貴は優しく微笑みかける

「っ、い、いえ……お礼を言っていただくほどの事では……むしろ謝らなければならない事ばかりですし……」

 大貴の笑みを受けたヒナは、計らずも顔を赤らめて目を伏せる

 初めて見る強い決意を秘めた大貴の顔に、思わず鼓動を高鳴らせながらも、この状況で胸をときめかせるのは不謹慎だと自分に言い聞かせながら、ヒナは懸命に平静を装おうとする

(私ったら、大貴さんが悩んでおられるというのに、はしたない……)

 普段から見慣れているはずの決意を宿した男の表情。いつも頼もしさは感じてもこれほど胸が高鳴る事はないというのに、それが大貴のものだというだけで勝手が違ってしまう。

 自分自身の感情を制御できず、持て余しているヒナは、羞恥と動揺に目の前の大貴を直視できず、懸命に視線と表情を隠すしかできない

「なあ、ヒナ」

「はい」

 これまでとは違う、決意のようなものを宿した大貴の声につられたヒナが、緩んでいた表情を引き締めて顔を上げる

 大貴の強い決意を宿した視線と、ヒナの澄み渡った空のような思慮深い瞳が交わり、二人の間にわずかな沈黙が生じる。

「光魔神としての俺なら、九世界に対してそういう事を言えるのか?」

「……!」

 真っ直ぐに視線を向けている大貴が紡いだ言葉に、ヒナは小さく目を瞠る


 今回大貴は、人間界――ヒナ達に頼む事で神魔と桜の減刑を望んだ。しかし、もしもこれを現在の世界において世界最強の存在である、異端神・円卓の神座№1――光魔神としての自分が言えていたならば、どうなっていたのか、大貴の言葉を正確に理解し、ヒナは包み込むような慈愛と優しさに彩られた微笑を浮かべる


「そうですね。少なくとも無碍にはできないでしょう……ただし、その権威と力を示すあなたには、間違いなく重い責任が伴う事になります」

「……そうか」

 分かってはいるだろうが、念のために釘をさしておくヒナの言葉に、大貴は深い思惑を感じさせるため息をついて、窓の外に広がる夜空へと視線を移す


 現在の九世界には、世界を本当の意味で創造した光と闇の神々は存在しない。この世界に残った神は、光にも闇にも属さない無属性の神、異端神。

 その中で最強を誇る円卓の神座と呼ばれる神々の頂点に位置する光魔神ならば、今の世界を思うままにする事が出来るだろう。しかし、当然変える側である大貴――光魔神には、変えた事に対する責任が発生する事になる


「そう、だよな……」

 ヒナの言葉を噛みしめるように言った大貴は、それ以上の言葉を口にする事はなく、二人の間に沈黙が流れる。

「ありがとう、ヒナ。おかげで少し楽になったよ」

 そしてその沈黙を破った大貴の感謝の言葉と視線を受け、ヒナは軽く頭を下げる。

「いえ、私などでお役に立てたのでしたら幸いです。今後も気になったことなどがあれば、いつでもお越しください」

 大貴が何を考え、何を成そうとしているのかは分からない。或いは、まだ決めあぐねているだけなのかもしれない。それでも、先程までとは違う意志を確かに宿した大貴の目に、ヒナは安堵と信頼の籠った視線で応じる

「ああ、頼りにしてるよ」

 大貴とヒナが見つめ合い、静かな時間が流れる。

 軽く手を伸ばせた簡単に触れることのできる位置に立って視線を交錯させる二人は、ほんのわずかに頬を上気させ、互いを意識しながら見つめ合う――まさに、婚約者候補という二人の関係を如実に表してるかのような時間を共にする

「ヒナ」

「大貴さん……」

 互いに見つめ合い、互いの名を呼び合う。

 大貴の優しく強い声が、ヒナの心を揺らし、ヒナの優しく澄み渡った声が大貴の心を引き寄せる。静かな夜の静寂の中で見つめ合う二人の間には、今にも越えられそうで越えられない一線が揺蕩うように存在していた。

「キュ、キュウウウッ!!」

「おわっ!?」

 その瞬間、二人の間の甘い静寂を切り裂いて、どこからか飛来した子犬ほどの白竜が、大貴の頭部にしがみつく

「ザイア!?」

 リッヒに連れられていったはずのザイアが突然現れた事に、ヒナはわずかに目を丸くする

 その視線の先では、ザイアが大貴の顔面に張り付いて嬉しそうに声を上げている。その様子を見ていたヒナから、微笑がこぼれる

「ヒナ、こいつを何とかしてくれ」

「ふふ、ザイアも大貴さんが元気になって嬉しんですよ」

 助けを求め来る大貴に、ヒナが微笑みながら嬉しそうに微笑む。その様子は、さながら子供と童心に帰って遊んでいる夫を見守る妻のそれに似ているように見える。


 ザイアが人間の気持ちをある程度察する事ができるように、人間の側も長く接していれば、ザイアの感情をある程度理解できるようになる。

 大貴に嬉しそうに張り付くザイアを見ていれば、ヒナには元気がなかった大貴を案じていたザイアが、やはり居ても立ってもいられずに戻ってきた事、そして戻ってみれば、大貴がいつもの大貴に戻っていた事に歓喜しているのだと分かる


「こら、やめろ!」

 そんな様子を温かい眼差しで見つめるヒナの視線の先で、大貴は顔に張り付いて離れないザイアと格闘を繰り広げる

「キュ、キュ、キュウウウウッ!!」

「キュウじゃないだろ!」

 歓喜の声を上げるザイアと、大貴の声が静かな夜の廊下でしばらくの間続いていた。




 その頃、人間界城の一室、客人として招かれた七大貴族の人間に振り分けられた一室で、ガウル・トリステーゼは、天頂で輝く、神臓(クオソメリス)の月を見上げながら、昨日命を落とした同胞の名を呼ぶ

「……グリフィス」

 同じように十世界に所属し、考え方や歩む道は違えど、共に姫のため――十世界の悲願のために戦い続けてくれると信じていた友人は、しかし、ガウルの思惑とは別に十世界を隠れ蓑に己が野望を叶えようとしていた。

 昨日舞戦祭(カーニバル)の会場でグリフィスが引き起こした事件を思い返すガウルは、仲間がグリフィスの研究に利用され、グリフィス自身の心の闇に気づかず、救う事も止める事も出来なかった己の無力を嘆いていた

「お前は最後まで気付かなかったんだ。――『夢を諦めない事は、夢に縋りつく事ではなく、夢を諦める事は、夢を捨てる事ではない』という簡単な……本当に簡単な事に……」

 その表情をわずかに歪めたガウルは、悲しげな声音でこの世には、もういないグリフィスに向かって話しかける


 グリフィスは自身の夢に固執しするあまり、誰もが知っている事を見落としていた。――人は、夢のために生きているのではなく、夢を生きる上で目標の一つにしているにすぎない事を。夢は、挫折しても失われない事を。例え叶わなくとも、新しい夢を見つける事ができるという事を。

 グリフィスは頭がよかったはずなのに、それに気づかなかった。――或いは、気づくのを恐れて目を背けていた。生きていれば、自分よりも優れた人間に出会い、その才能と力の前に挫折する事など、誰にでもあり得る。しかし、負けたからと言って、劣っているからと言って、認められないからと言って、一人の人間としての存在そのものが否定された訳ではないのだ


 拳を握りしめ、唇を噛み締めたガウルは、空を見上げて亡きグリフィスを追悼するかのように目を閉じる

「安らかに眠れ、友よ。……お前の願った未来は、俺がお前とは違う形で叶えてやる。――人間と全霊命(ファースト)を同等の存在にするのではなく、十世界と姫の意志の下で、共に手と手を取り合える仲間とする事で」

 閉ざしていた目を開き、ガウルは天に煌めく月を睨むように見つめ、祈るように誓う 

「それが、俺の贖罪。そして、俺からの手向けだ」






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